620年代
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620年代(ろっぴゃくにじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)620年から629年までの10年間を指す十年紀。
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620年代
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詳細は「620年代」を参照 620年 - 東ローマ帝国で公用語をラテン語からギリシア語に変更する。 621年唐で「開元通宝」の鋳造が始まる。 「クルアーン」の伝承ではこの年にムハンマドが「夜の旅」を行う。メッカからエルサレムの旅(イスラー)と、エルサレムから天界への旅(ミウラージュ)がある。 622年厩戸皇子が斑鳩宮で死去。 ムハンマドがメディナへ遷る(ヒジュラ(聖遷)- ヒジュラ暦元年)。メディナに最初のモスクであるクバー・モスクが建設される。 東ローマ皇帝ヘラクレイオスがサーサーン朝への反撃を開始。 623年アヴァールから独立した西スラブ人がサモ王国を建てる( - 658年)。 鞍作止利により法隆寺金堂本尊銅造釈迦三尊像が作られる。 624年バドルの戦いでムハンマドのメディナ軍がメッカ軍に勝利。ラマダーン月の始まり。 唐で「武徳律令」が制定され、均田制や租庸調制が定められる。 625年ウフドの戦いでメッカ軍がメディナ軍に勝利。 イングランド東部イースト・アングリアのサットン・フーの船葬墓からこの年の銘の金貨が出土している。 626年唐で玄武門の変が起こり、勝利した李世民が第2代皇帝太宗として即位( - 649年)(貞観の治)。 蘇我馬子が死去、その墓は石舞台古墳だと伝わる。 サーサーン朝・アヴァール人・スラヴ人によるコンスタンティノポリス包囲戦。 627年ニネヴェの戦いで東ローマ軍がサーサーン朝軍に勝利。 ハンダクの戦い(塹壕の戦い)でメディナ軍がメッカ軍に勝利。 628年推古天皇が死去。 真臘のイシャーナヴァルマン1世が扶南を滅ぼす。 フダイビーヤの和議。ハイバル征服。 東ローマ皇帝ヘラクレイオスがサーサーン朝の都クテシフォンを陥落させる。サーサーン朝のホスロー2世が暗殺され、息子カワード2世はヘラクレイオスと和睦、サーサーン朝の占領地は返還される。 629年唐の僧侶玄奘(三蔵法師)がインドへ向けて出発( - 645年)。 第34代舒明天皇が即位する。 首都コンスタンティノポリスヘ凱旋した皇帝ヘラクレイオスが、「バシレウス」の称号を始めて用いる。
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