610年代
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610年代(ろっぴゃくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)610年から619年までの10年間を指す十年紀。
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610年代
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詳細は「610年代」を参照 610年隋に使を派遣する。高句麗僧曇徴が紙墨の技術を伝える。 カルタゴからヘラクレイオス(子)がコンスタンティノポリスに進軍。フォカスが処刑され、ヘラクレイオスが東ローマ皇帝に即位(ヘラクレイオス朝の成立)。 ムハンマドがヒラー山で唯一神アッラーからの啓示を受ける(イスラム教の始まり)。 修道士コルンバヌスがフランク王国(ブルグント)から追放される。 611年 - 隋が高句麗遠征を開始( - 614年)。失敗に終わる。 613年サーサーン朝のホスロー2世が東ローマ帝国領シリアを占領。 ネウストリア王クロタール2世がアウストラシア摂政ブルンヒルドを倒してフランク王国を統一し、首都をパリに定める。 アイルランド人ガルスがザンクト・ガレン修道院のもととなる庵を築く。 隋で楊玄感の乱。 614年パリ勅令(英語版)がクロタール2世によって出される。アウストラシア・ブルグント各分王国では宮宰が国王の代理人となり、その特別な地位が認められるようになる。 修道士コルンバヌスが北イタリアにボッビオ修道院を創設する。 サーサーン朝のホスロー2世が東ローマ帝国領エルサレムを占領する。 615年 - 隋の煬帝が雁門で東突厥の始畢可汗に包囲される。 617年 - サーサーン朝が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを包囲する。 618年 - 江都(揚州)にて煬帝が司馬徳戡に殺害され隋が滅亡する。李淵が唐を建国。 618年頃 - コンスタンティノポリスでの都市民への穀物支給の廃止(「パンとサーカス」の終焉)。
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