390年代
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390年代(さんびゃくきゅうじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)390年から399年までの10年間を指す十年紀。
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390年代
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詳細は「390年代」を参照 390年慧遠が廬山にて白蓮社を結成する。 テッサロニキの虐殺で、ミラノ司教アンブロシウスが皇帝テオドシウス1世を破門する。 「テオドシウスのオベリスク」がコンスタンティノポリスの競馬場(ヒッポドローム)に建立される。これはエジプト第18王朝の王トトメス3世がルクソールのカルナック神殿に建てたものを移送したものである。 391年 - 倭軍が渡海して百済・新羅を破り、臣民とする(高句麗広開土王碑)。 392年 - 皇帝テオドシウス1世がローマ帝国内での異教を禁止する。 393年 - 第293回オリンピック。古代オリンピック最後の年といわれるが、記録には残っていない。 394年フリギドゥスの戦いで、簒奪者エウゲニウスを倒した皇帝テオドシウス1世により東西ローマ帝国が再統合される。 フォロ・ロマーノにあるローマ建国以来燃え続けてきたウェスタ神殿の「ウェスタの聖なる火(英語版)」が消される。 エジプトのフィラエ島イシス神殿に現存する最後のヒエログリフが刻まれる。 395年 - テオドシウス1世が死去し、ローマ帝国が東西に分割相続される。東ローマ帝国をアルカディウス帝が、西ローマ帝国をホノリウス帝が継承。 東ローマ皇帝の後見者ルフィヌス(英語版)が、西ローマ皇帝の後見者スティリコと対立し殺害される。 396年 - 高句麗の談徳(広開土境好太王)が百済を攻め、その北部を領土とし、城下の誓いをさせる(広開土王碑)。 397年河西回廊の後涼から南涼・北涼が独立し、姑臧で郭黁の乱が起こる。 第三カルタゴ教会会議で『新約聖書』の選定が確認される。 398年 - 北魏の道武帝が盛楽から平城に都を遷す。 399年中国の法顕が仏典を求めてインドに赴く。 百済が3年前の誓いに背き、倭と連合して新羅に侵入したため、新羅は高句麗に援助を求める(広開土王碑)。
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