ローマ建国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:22 UTC 版)
祖父を再びアルバ王に就けたロームルスとレムスはアルバではなく、自分の生まれ育ったパラティーノの丘に新しい都市を建てようとした。人口過剰やヌミトルの勧めもあって(ヌミトルは二人を厄介払いをしようとしたという説もある)支持者を連れてパラティーノの丘に向かった。そして都市の建設をロームルスとレムスの二人がそれぞれ率いる2グループに分け、作業の効率化を図ろうとしたが、結果的にロームルスとレムスが対立する原因となってしまった。そして、ロームルスはパラティーノの丘に、レムスはアヴェンティーノの丘に都市を建設すべし、と争った他、新都市の名前についても争い、収拾がつかなくなったので、アルバ・ロンガに出向き、ヌミトル王に相談した。そこで、ヌミトル王は鳥占い (en:Auspice) で最初により良い鳥が飛んできた方が王になるというふうに決めるように言った。そこで、ロームルスとレムスはそれぞれパラティーノの丘とアウェンティーノの丘に登り(二人ともアウェンティーノの丘に登ったという説もある)、鳥がやってくるのを待った。まず、レムスの下に6羽のハゲタカがやって来て、直後にロームルスの下に12羽のハゲタカがやってきた(別説にはロームルスが嘘をついてハゲタカを見たとレムスに知らせた直後にレムスが6羽のハゲタカを見て、ロームルスの下へ向かった。しかし、ロームルスの周りにはハゲタカがいなかった。その時丁度12羽のハゲタカがロームルスの下へ飛んできたので都市の支配権を要求した。それに対し、騙されていたレムスは拒否した、というものもある。)。そして、ロームルスの支持者は数の多さを、レムスの支持者は最初に飛んできたことを理由にそれぞれを王にするように争った。そして、ロームルスの支持者とレムスの支持者が戦闘を始め、戦闘中にレムスとファウストゥルスが戦死してしまった。ロームルスは二人をアヴェンティーノの丘に葬った。また、一説にはロームルスが建てた都市の境界の壁を、レムスが嘲笑し、飛び越えたため、ロームルスが怒って殺したという説もある。 レムスが生きている間に(もしくは死後)ロームルスはパラティーノの丘に先述の都市の壁を建設した。紀元前753年、4月21日(牧畜の神パレスの祭日だった)にロームルスはまず、パラティーノの丘に深い穴を掘り、それを果実や土を投げ入れて埋めた。その上に神殿を建て、ユピテル神に祈った。その後、ロームルスは二頭の牛を使って、ローマの境界壁の基準となる溝を掘った。その後、市民が壁を作った。また、これらの儀式はエトルリアからもたらされたといわれている。また、ローマ建国史によるとロームルスは壁を作った後ヘラクレス他、様々な神々に生け贄の儀式を行ったとされる。
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