ローマ帝国~東ローマ帝国とは? わかりやすく解説

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ローマ帝国~東ローマ(ビザンツ)帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 05:29 UTC 版)

アウトクラトール」の記事における「ローマ帝国東ローマビザンツ帝国」の解説

時代が下ると 共和政ローマ勃興とともに [stratēgos] autokratōrはギリシアの歴史家たちによって異なローマ人の用語に翻訳され利用された:ポリュビオス独裁官称号をこの用語を翻訳して用い、前48年エフェソス出土カエサル顕彰碑文に登場しプルタルコス凱旋称号英語版インペラトル訳語として彼の時代の意味でこの用語を用いた。Autokratōrはローマ帝国時代通じて後者インペラトル)の公式の訳語として定着したローマ帝国ではインペラトル/imperator は ローマ皇帝たちの称号一部だった。称号は、629年皇帝 ヘラクレイオス によりギリシア語称号採用されるまでラテン語からのギリシア語訳語として使われ続けた東ローマ帝国では儀式利用される古風な形式称号として残り、(早ければ9世紀それ以降)に basileus [kai] autokratōr (βασιλεύς [καὶ] αὐτοκράτωρという形式再生し通常は "皇帝支配者/emperor and autocrat)として訳され共同皇帝(συμβασιλεῖς, symbasileis)がいる場合には、実権有する優越している方の皇帝示したパレオロゴス王朝では、この用語は帝位継承者に指定された者を含むようになった。称号912年以降ビザンツ貨幣英語版)の銘文見られるようになり、11世紀以降皇帝金印勅書多く写本見られるようになったstratēgos autokratōrという用語の方は全ビザンツ時代通じて使われ続けた。この称号6世紀に特に流行し(将軍ベリサリウスなど)、 10-11世紀上位軍事司令官を表すものとして再度現れた。 このように例えバシレイオス2世 は ダヴィド・アリアニテス(英語版)をテマブルガリア英語版)のstratēgos autokratōrとして任命して北部ブルガリアにいる他の地域的な stratēgoi越え権力を持つことを明白にしたのだった

※この「ローマ帝国~東ローマ(ビザンツ)帝国」の解説は、「アウトクラトール」の解説の一部です。
「ローマ帝国~東ローマ(ビザンツ)帝国」を含む「アウトクラトール」の記事については、「アウトクラトール」の概要を参照ください。

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