ラテン帝国とは? わかりやすく解説

ラテン‐ていこく【ラテン帝国】


ラテン帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/01 13:56 UTC 版)

ラテン帝国(ラテンていこく、英語: Latin Empire / Latin Empire of Constantinople)は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)[注釈 4]から奪ったコンスタンティノープル第4回十字軍の指導者らが建国した封建制十字軍国家である。




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ラテン帝国

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第4回十字軍」の記事における「ラテン帝国」の解説

新たにラテン帝国(- 1261年)が作られ皇帝にはフランドル伯ボードゥアン9世選ばれた。領土ヴェネツィアモンフェラート侯テッサロニキ王国)等の主要参加諸侯分割された。教皇は、コンスタンティノープル攻撃怒ったが、攻略成功後東西教会統合祝福したその後十字軍エジプトへの出立促したが、彼らは獲得した領土居座って、再び出立することはなかった。彼らの多くは、シリアパレスチナより国土豊かな東ローマ征服満足していたし、それ以上現地反乱ニカイア帝国ブルガリア帝国侵攻への対処忙しく外征どころではなかった。 十字軍による東ローマ攻略を、史学者堀米庸三は「金時計を手にした複数野蛮人のようなもの」と表現している。すなわち、一人黄金ケースを、一人ぜんまいを、一人が針を分けるようなもので、各部品が互いに連絡欠いて機能しないのだと。十字軍領主下でばらばらの領邦分割されたラテン帝国が、かつての東ローマ帝国匹敵するような有力な政治的経済的存在となることはなかった。 一方東ローマ皇族たちは帝国周辺各地亡命し小アジア西部ニカイア帝国小アジア北東部トレビゾンド帝国バルカン半島南西部エピロス専制侯国などを立てた

※この「ラテン帝国」の解説は、「第4回十字軍」の解説の一部です。
「ラテン帝国」を含む「第4回十字軍」の記事については、「第4回十字軍」の概要を参照ください。

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