ラテン帝国 ラテン帝国の概要

ラテン帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 13:55 UTC 版)

ロマニア帝国
Imperium Romaniae
1204年 - 1261年[注釈 1]


(国章)

赤の領域がラテン帝国。緑はエピロス専制侯国、青はニカイア帝国、紫はトレビゾンド帝国[注釈 2](英語)
公用語 ラテン語
古フランス語
中世ギリシア語
宗教 ラテン教会英語版
ギリシャ正教
首都 コンスタンティノープル
皇帝
1204年 - 1205年 ボードゥアン1世
1206年 - 1216年アンリ1世
1216年 - 1217年ピエール2世
1221年 - 1228年ロベール1世
1228年 - 1261年ボードゥアン2世
面積
1204年[1]179,000km²
1209年[1]206,000km²
1228年[1]47,000km²
1260年[1]14,000km²
変遷
建国 1204年
アドリアノープルの戦い1205年
ニンファエウム条約1214年
ポイマネノンの戦い英語版1225年
コンスタンティノープル包囲戦1235年
ニカイア帝国軍の侵攻により滅亡1261年
現在 トルコ
ギリシャ
 ブルガリア
[注釈 3]

第4回十字軍の後、旧東ローマ帝国領に成立した他のラテン勢力、特にヴェネツィア共和国に対して政治的・経済的優位性を得ることに失敗し、初期の短い軍事的成功の後は北方の第二次ブルガリア帝国や東ローマ帝国の継承権を主張する様々な国と絶えず戦争状態にあったため、次第に衰退していった。最終的には、1261年に東ローマ帝国の亡命政権のひとつであるニカイア帝国がコンスタンティノープルを奪回して東ローマ帝国を復活させた。


注釈

  1. ^ 東ローマ帝国は1261年にミカエル8世パレオロゴスの下でコンスタンティノープルを取り戻した。
  2. ^ 国境は明確ではない。
  3. ^ (コンスタンティノープルは1261年に東ローマ帝国に復帰していたが、)1273年から1283年までラテン皇帝の称号を有した、フィリップ1世・ド・クルトネーにより使われた国章。このデザインは時として、近世の紋章学において「コンスタンティノープルの皇帝の紋章」として示された[2]
  4. ^ 「東ローマ帝国」や「ラテン帝国」といった用語は、当時の帝国そのもの、またはその他の世界によって使われた当時の言葉ではなかった。ラテン帝国という国名は東ローマ帝国側からの呼称。
  5. ^ ロマニアとは「ローマ人の土地」の意味で東ローマ帝国の後継国家を目指す意味を持っていた。「ロマニア」という語は数世紀にわたり、東ローマ帝国臣民によって自国のために非公式に使われた。
  6. ^ これは前東ローマ皇妃(ハンガリー王女)と結婚して、ギリシア、ハンガリーの支持を得たモンフェッラート侯ボニファーチョ1世が強力になるのを恐れたヴェネツィア側が、より弱体なフランドル伯を支持したためであり、ボニファーチョ1世はこれを不満とし、最初から不協和音が流れていた。
  7. ^ ここでの「公国(英語: duchy)」という語は、旧東ローマ帝国領で通常ドゥクスによって管理されたテマ制という語が、属州を指定するために使われていたことを反映する[7]
  8. ^ 4分の1。

出典

  1. ^ a b c d Матанов 2014, p. [要ページ番号]
  2. ^ Hubert de Vries, (2011年). “Byzantium: Arms and Emblems”. hubert-herald.nl. 2016年11月10日閲覧。
  3. ^ ヘリン 2010, p. 349.
  4. ^ ヘリン 2010, p. 367.
  5. ^ 井上 & 栗生沢 1998, p. 184.
  6. ^ 井上 2005, p. 194.
  7. ^ Hendrickx 2015, pp. 305–306, 309.
  8. ^ Hendrickx 2015, pp. 308–310.
  9. ^ Hendrickx 2015, p. 308.
  10. ^ a b 森安 & 今井 1981, p. 123.
  11. ^ Андреев & Лалков 1996, pp. 168–171.
  12. ^ Fine 1987, pp. 81–82.
  13. ^ Hendrickx 2015, pp. 308–309.
  14. ^ Hendrickx 2015, p. 309.
  15. ^ Андреев & Лалков 1996, p. 167.
  16. ^ Kazhdan 1991, p. 1095.
  17. ^ Андреев & Лалков 1996, pp. 171–172.
  18. ^ 井上 & 栗生沢 1998, p. 180.
  19. ^ 井上 2005, p. 198.
  20. ^ a b 森安 & 今井 1981, p. 124.
  21. ^ 杉村 1988, p. 80.
  22. ^ 杉村 1988, p. 81.
  23. ^ Андреев & Лалков 1996, pp. 185.
  24. ^ Андреев & Лалков 1996, pp. 190–191.
  25. ^ 根津 2011, p. 92.
  26. ^ 井上 2005, p. 200.
  27. ^ ヘリン 2010, p. 396.


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