ピエール2世・ド・クルトネーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ピエール2世・ド・クルトネーの意味・解説 

ピエール2世・ド・クルトネー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/16 08:50 UTC 版)

ピエール・ド・クルトネー
Pierre de Courtenay
ラテン皇帝
在位 1216年 - 1217年
別号 ヌヴェール伯

出生 1155年
死去 1219年
配偶者 ヌヴェール女伯アニェス1世
  ヨランド・ド・エノー
子女 一覧参照
家名 クルトネー家
父親 ピエール1世・ド・クルトネー
母親 エリザベート・ド・クルトネー
テンプレートを表示

ピエール2世・ド・クルトネーPierre II de Courtenay, 1155年 - 1219年)は、ラテン帝国皇帝(在位:1216年 - 1217年)、ヌヴェール伯[1]フランス王子ピエール1世・ド・クルトネーの息子。ラテン皇帝ボードゥアン1世の妹ヨランドと結婚した[2]

生涯

1216年に妻の弟のラテン皇帝アンリ1世が嗣子なく死去し、ピエールが次期皇帝に選ばれ即位した。翌1217年、コンスタンティノープルに赴く途中、アルバニアエピロス専制公テオドロス1世コムネノス・ドゥーカスに捕えられ、2年間幽閉された後、死去した[1][3]。ピエールの幽閉中は、妻ヨランドが摂政を務め[2]、ピエールの死後、息子ロベールが皇帝位を継承した。

子女

最初、ヌヴェール女伯アニェス1世ヌヴェール家)と結婚した[4]

二度目に、エノー伯ボードゥアン5世の娘でラテン皇帝ボードゥアン1世の妹のヨランドと結婚した[4]

脚注

  1. ^ a b 瀬原、p. 224
  2. ^ a b 下津、p. 200
  3. ^ Chisholm, p. 293-294
  4. ^ a b MEDIEVAL LANDS, "PIERRE de Courtenay"(2016年11月20日閲覧)

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ピエール2世・ド・クルトネー」の関連用語

ピエール2世・ド・クルトネーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ピエール2世・ド・クルトネーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのピエール2世・ド・クルトネー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS