ラテン教父
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:32 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ラテン教父(ラテンきょうふ、英語:Latin Fathers)は、古代から中世初期、2世紀から8世紀ごろまでのキリスト教著述家で、特にラテン語で著述を行った神学者の一群のこと。ギリシア語で著作を行った教父たちはギリシア教父という。教父というのは、特に正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと教会が認めた人々のことである。最初のラテン教父は2世紀のテルトゥリアヌスである。以降誰までをラテン教父と呼ぶのかということに関しては厳密な定義はないが、ラテン教父の代表としては「西欧の教師」と呼ばれたアウグスティヌスがあげられる。
代表的なラテン教父
斜字となっている人物は、必ずしも「教父」と呼ばれない。
参考文献
- ジャック・ポール・ミーニュ『教父学全集』(Patrologiae cursus completus、『ミーニュ教父叢書』とも[1]。)、1844年~1866年。
- 『ラテン教父全集』(Patrologiae Latina、『ラテン教父叢書』とも[1]。)、221巻。
脚注
関連項目
ラテン教父
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:52 UTC 版)
聖書のコンテキストからの聖典解釈から導かれる「全的堕落」や、さらにはアダムの堕罪さえも人類に対し影響を及ぼすべきものではないと最初に主張し始めた4世紀のペラギウスは、救霊は人間の自由意志によって実現され得るのだから、神の救済を必要としないとする(ペラギウス主義)。これに対立する、人間の自由意志は認められようが、かかる意志も神が予定したものに過ぎないとするアウグスティヌスとの論争は、ペラギウス派駁論集として著述に残されている。結果、ペラギウスはエフェソス公会議において異端であるとの審決が確定し、排斥された。
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