ギリシア・ラテン語圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 08:17 UTC 版)
「ウーシア」はアリストテレス以降、ペリパトス派・アカデメイア派・ストア派・エピクロス派・新プラトン主義者など様々な立場で使われた。その際にはしばしば「ヒュポスタシス」などの類義語と絡めて使われた。 特に4世紀には、カイサリアのバシレイオスらギリシア教父・神学者たちによって、「ウーシア」と「ヒュポスタシス」をめぐる議論が展開された。そのような議論を背景として、325年のニカイア信条の三位一体論では「ウーシア」と「ヒュポスタシス」が鍵語として使われた。しかしながら、「ウーシア」と「ヒュポスタシス」の具体的な区別は4世紀後半まで不明瞭なままだった。ラテン教父のアウグスティヌスも、著書『三位一体論』で、ギリシア人が「ウーシア」と「ヒュポスタシス」をどう区別しているのかわからない、という困惑を述べている。 ローマ帝国期における「ウーシア」のラテン語訳は、同じような困惑を背景として「スブスタンティア」と「エッセンティア」の両方が混在していた。前者は上記の「ヒュポスタシス」の直訳に由来し、後者は上記の「エイナイ」にあたるラテン語「エッセ」(esse)に由来する。そのような中で、6世紀のボエティウスは『範疇論』のラテン語訳において「スブスタンティア」を採用した。このボエティウスの「スブスタンティア」が、以降のラテン語圏において定訳になった。そこから巡り巡って、明治以降の日本では、英: substanceの訳語として考案された「実体」が、「ウーシア」の定訳とみなされるようになった。
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