ボードゥアン2世・ド・クルトネーとは? わかりやすく解説

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ボードゥアン2世・ド・クルトネー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/24 19:04 UTC 版)

ボードゥアン2世ド・クルトネー(Baudouin II de Courtenay, 1217年 - 1273年)は、ラテン帝国最後の皇帝(在位:1228年 - 1261年)。初代皇帝ボードゥアン1世の妹ヨランドの子。父ピエール・ド・クルトネーはフランスルイ6世の末子である。

若年で即位したため、治世当初はジャン・ド・ブリエンヌを摂政としていた。この頃になるとラテン帝国は、東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国ブルガリアの侵攻を受けて衰退し、ボードゥアン2世は帝国の存命を図るために西欧諸国に援助を求めるという有様であったという。しかし、西欧諸国の援助は得られず、1261年、時のニカイアの共同皇帝ミカエル8世パレオロゴスの攻撃を受けて帝国の首都コンスタンティノポリスは陥落し、ボードゥアン2世はイタリアに亡命した。これにより、ラテン帝国は完全に滅亡し、東ローマ帝国が復活したのである。

その後はシチリアシャルル1世・ダンジューの許へ亡命し、死の直前の1273年、シャルルにラテン帝国の帝位継承権を与えて死去したという。

先代:
ロベール・ド・クルトネー
ラテン皇帝
1228年 - 1261年
ジャン・ド・ブリエンヌと共同統治:
1229年 - 1237年
次代:
(フィリップ・ド・クルトネー)




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