ニカイア帝国の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 18:18 UTC 版)
「コンスタンティノープル包囲戦の一覧」の記事における「ニカイア帝国の攻撃」の解説
東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国は、ラテン帝国との数度の戦争の末にコンスタンティノープルを奪回、東ローマ帝国を復活させた。 コンスタンティノープル包囲戦 (1235年), 第二次ブルガリア帝国とニカイア帝国の連合軍による攻撃、失敗。2年間の休戦 コンスタンティノープル包囲戦 (1248年), ゲオルギオス・アクロポリテスが包囲戦があったと述べているが、詳細は不明。 コンスタンティノープル包囲戦 (1260年), ニカイア帝国による攻撃、失敗 コンスタンティノープルの回復 (1261年), ニカイア帝国の将軍アレクシオス・ストラテゴポウロス率いる部隊が、ラテン帝国軍の主力が出払った隙をついてコンスタンティノープル占領に成功。ラテン帝国は消滅し、東ローマ帝国によるコンスタンティノープル支配が復活した。最後のラテン皇帝ボードゥアン2世は抵抗を見せず亡命した。市の抵抗も少なく、包囲戦と呼べるような戦闘は発生していない。
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