ローマ建築でのペリスタイルとは? わかりやすく解説

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ローマ建築でのペリスタイル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 03:30 UTC 版)

ペリスタイル」の記事における「ローマ建築でのペリスタイル」の解説

田舎では、裕福なローマ人ヴィラ (villa) を整備され庭園囲んでいたが、都会ローマ人庭園ドムス (domus) の中にこしらえた。特に広々とした中庭を peristȳlium と呼び周囲円柱四角屋根かかったポルチコ取り囲み、壁は精巧な風景トロンプ・ルイユ描いた壁画装飾していた。ポルチコまたは中庭に、守護神であるラレース祀ったララリウム設置することもあった。中庭には、草花低木噴水ベンチ彫刻の泳ぐ池などもあった。ローマ人可能な限りペリスタイル大きなスペース割いた北アフリカで特にペリスタイル大規模化したが、ペリスタイル大きくするためにポルチコ小さくすることもしばしばあった。 ローマドムス終焉は、古典文化終焉の印の一つでもあった。Simon P. Ellis は「ローマ様式ペリスタイルのある邸宅見られなくなったことは、古代世界とその生活様式終焉意味するペリスタイルのある邸宅紀元550年以降には建てられなくなった」と述べている。5世紀以降ペリスタイル少なくなる同時に宮殿のような建物拡張され豪華になっていった。これは権力古典文化ごく一部階級集中していったことを意味し有力者バシリカ謁見室が公的な性格帯びて拡張されていった東ローマ帝国ではその終焉はもっと後のことである。Ellisによれば東ローマ帝国最後に新築されたペリスタイルのある邸宅アルゴスの "House of the Falconer" で、床にあるモザイク様式から530年から550年建てられたものとされている。既存邸宅多く場合、より多くのあまり裕福でない人々住めるよう改造されキュレネの "House of Hesychius" に見られるように列柱ポルチコに壁を設けて小さ部屋をたくさん作るなどした。

※この「ローマ建築でのペリスタイル」の解説は、「ペリスタイル」の解説の一部です。
「ローマ建築でのペリスタイル」を含む「ペリスタイル」の記事については、「ペリスタイル」の概要を参照ください。

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