ローマ建都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 09:39 UTC 版)
詳細は「王政ローマ」を参照 レムス没後、ロームルスは都市を完成させるとその街をローマと名付た。古代ローマ文明にとっての第一歩が踏み出されたのである。 国作りにあたってまずロームルスは配下の軍勢を整備することを決め、3000名の歩兵と300名の騎兵を選抜して彼らにレギオー(ローマ軍団)という名称を与えた。また貴族に関しても100名の大貴族からなる元老院を作り、彼らと意見を交わす事で有力貴族を国王の支配下に収めた。彼らは他の貴族から区別される形で父を意味するパーテルと呼ばれ(この語から後の貴族を意味するパトリキという言葉が生まれる)、王に次ぐ存在として国政に携わった。 パトルヌスとクリエンテスという、一種の主従契約に基づいた独特の社会階層も形成されていった。 ローマには周辺にある他のラテン人都市から次々と移住者が訪れて、急速に発展していった。ロームルスは人口増加に対応すべく、かつて弟レムスとの諍いの元となったアヴェンティヌスの丘を含めた7つの丘に新しい居住区を築いた(ローマの七丘)。そしてこれらを囲む城壁が建設され、今日のローマ周辺部の基礎が出来上がった。 ロームルスは順調にローマを豊かにしていったが、居住者が男性に偏っている事が悩みの種であった。祖父であるアルバ王ヌミトルに相談すると、ヌミトルはラテン人と縁深いサビーニー人と交流してみてはどうかと提案した。ロームルスは早速ネプトゥーヌスを祭る催しに同じラテン人の国々だけでなく、サビーニーの国々を招待する事にした。 祭りは盛大に行われたがラテン人の力を恐れるサビーニー人たちは申し出を断り、それどころか同じラテン人の国々も新興国ローマを警戒して女性の移民を控えるとした。これに怒ったロームルスは祭りに来ていた国々の娘達を力ずくでローマへと連れ去り、妻を持たぬ男達へと嫁がせる行動を起こした(サビニの女たちの略奪)。
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