フォロ‐ロマーノ【Foro Romano】
フォロ・ロマーノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 13:50 UTC 版)
フォロ・ロマーノ(伊:Foro Romano)は、ローマにある古代ローマ時代の遺跡。観光地として有名である。フォロ・ロマーノは、ラテン語の古名フォルム・ロマヌム(Forum Romanum)のイタリア語読みである。
- ^ 実際に、1902年にアントニヌスとファウスティナ神殿の脇から、紀元前9世紀から紀元前6世紀頃の共同墓地が発掘されている。調査により、地下6.50mの地点から、粘土と砂、そして植物の堆積層が確認されている、その上には居住跡も見つかっているが、これは破壊され、その上層は再び粘土と砂の堆積物が沈殿していた。イシュタード『ローマ都市の起源』p32-p33。
- ^ P.グリマル『ローマの古代都市』p.31。
- ^ P.グリマル『ローマの古代都市』pp.32-33。
- ^ a b F.Sear『Roman Architecture』p.14。
- ^ J.B.W.パーキンズ『図説世界建築史ローマ建築』p.8。
- ^ R.Sadleir『Guide to Ancient Rome』p.44。
- 1 フォロ・ロマーノとは
- 2 フォロ・ロマーノの概要
- 3 平面図
- 4 関連項目
- 5 外部リンク
フォロ・ロマーノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 08:53 UTC 版)
「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」の記事における「フォロ・ロマーノ」の解説
詳細は「フォロ・ロマーノ」を参照 パラティーノの丘とカンピドリオの丘の中間に位置する。フォロとは、広場のこと。ローマ帝国の政治、商業と市民の生活の中心だった場所である。フォロ・ロマーノが本格的に整備されるようになったのは、ユリウス・カエサルの時代で、アウグストゥスがこれを引き継ぎ、カエサルを祭ったユリウス神殿、元老院やバシリカ・ユリアが整備された。
※この「フォロ・ロマーノ」の解説は、「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」の解説の一部です。
「フォロ・ロマーノ」を含む「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」の記事については、「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」の概要を参照ください。
「フォロ・ロマーノ」の例文・使い方・用例・文例
フォロ・ロマーノと同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- フォロ・ロマーノのページへのリンク