アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/14 06:42 UTC 版)
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![]() アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿 Templum Antonini et Faustinae | |
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所在地 | フォルム・ロマヌム |
建設年 | 141年(建設開始) |
建設者 | 第15代皇帝アントニヌス・ピウス |
建築様式 | 神殿 |
アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿(ラテン語: Templum Antonini et Faustinae,イタリア語: Tempio di Antonino e Faustina)は古代ローマのフォルム・ロマヌムに存在していた神殿。
概要
アントニヌス・ピウス帝が皇后ファウスティナ(大ファウスティナ)を偲び、141年に建造させた。アントニウス・ピウスが死去した後、後継のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝によりアントニウス・ピウスと大ファウスティナを共に祀る神殿とされた。
凝灰岩で造られた高床の上に建てられており、建物に刻まれた碑文にはDivo Antonino et Divae Faustinae Ex S.C.(日本語意訳:元老院から、神君アントニヌスとファウスティナに捧ぐ)と書かれていた。
ポルティコを支えるコリント式円柱は高さが17メートルはあり、コーニスのフリーズにはグリフォンと枝付き燭台の浮彫がされていた。
出典
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アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿
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「フォロ・ロマーノ」の記事における「アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿」の解説
皇帝アントニヌス・ピウスが、141年に没した皇后大ファウスティナのために捧げた神殿。後にアントニヌス・ピウス自身もここに葬られた。11世紀になると、神殿跡にサン・ロレンツォ・イン・ミランダ聖堂が建設されたが、1602年に神殿の一部を再建するかたちで教会堂が設計しなおされ、現在のような状態になっている。
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