再統合
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1964年2月 - 三菱製鋼と三菱鋼材の両社が再び合併し、三菱製鋼株式会社となる。 1965年4月 - 大島製作所及び深川製鋼所を統合し、東京製作所を設置。 1967年5月 - 市川製作所を新設し、大島製作所の磁材部門を移設。 1970年4月 - 当社及び新日本製鐵株式会社が主体となり、ほか4社の資本参加を得て、大型鋳鍛鋼品の製造・加工を事業目的とする日本鋳鍛鋼株式会社を設立。 1975年1月 - 長崎製作所(旧・長崎製作所)の機械組立品関係の事業を分離し、三菱重工業株式会社・株式会社三菱銀行ほか三菱系5社の共同出資により、三菱長崎機工株式会社を設立。 1978年5月 - 市川ばね工場を新設。 1983年2月 - 鋳綱品の製造・加工を事業目的とする菱鋼鋳造株式会社を設立。 1983年8月 - 本社を東京都中央区晴海に移転。 1986年7月 - 米国Rockwell International Corporationとの合弁により、自動車用ばねの製造・販売を事業目的とするRockwell International Suspension Systems Companyをカナダに設立(1997年10月、社名をMeritor Suspension Systems Companyに変更)。 1991年10月 - 米国Rockwell International Corporationとの合弁により、自動車用ばねの製造・販売を事業目的とするRockwell International Suspension Systems Company U.S.を米国に設立(1997年10月、社名をMeritor Suspension Systems Company U.S.に変更)。 1993年2月 - 千葉製作所を新設し、東雲にある東京製作所からばね部門を移設。 1994年3月 - 特殊鋼鋼材事業部門を東雲から室蘭市に移転。当社の70%出資により設立した三菱製鋼室蘭特殊鋼に製造を移管。 10月 - タイのBANGKOK SPRING INDUSTRIAL Co., Ltd.との合弁により、鋳造磁石の製造・販売を事業目的とするBANGKOK MAGNET CORPORATION Co.,Ltd.をタイに設立。 1999年3月 - 事業用ガスタービン動・静翼等に関する精密鋳造品事業を、三菱重工業株式会社に移管。 12月 - BANGKOK MAGNET CORPORATION Co.,LTD.で精密ばね事業を開始(2000年9月、MSM(THAILAND)CO.,LTD.に社名変更)。 2000年8月 - 精密部品事業の拡充を目的として、プレシジョンスプリング株式会社の海外工場PSKセブ、PSKマニラを100%子会社化(2004年7月、社名をMSM CEBU, INC., MSM MANILA, INC. に変更)。 2001年9月 - 市川ばね工場を千葉製作所に集約。 2002年12月 - 宇都宮製作所の精密鋳造の生産をMSM(THAILAND)CO., LTD. に全面的に移管。中国に精密組立品の製造・販売を事業目的とする寧波菱鋼精密部件有限公司を設立。 2004年4月 - 精密部品事業の拡充を目的として、電子部品メーカーであるヒューマン電機株式会社を買収。 12月 - 寧波菱鋼精密部件有限公司は生産規模拡大のため近隣へ移転。 2005年3月 - 宇都宮製作所金型部門と精密部品事業部金型部門を集約し、金型センターを市川市塩浜に設置。 4月 - プレシジョンスプリングと菱鋼鋳造の両社を吸収合併。広田製作所を設置。 2006年2月 - 中国に自動車用ばねの製造・販売を事業目的とする寧波菱鋼弾簧有限公司を設立。菱鋼鋳造株式会社(1983年2月に当社広田製鋼所を分離し設立)を吸収し、広田製作所を設置。 7月 - PT. MSM INDONESIA をインドネシアに設立。 10月 - ヒューマン電機を吸収合併。 2009年10月 - Meritor Suspension Systems Company, Meritor Suspension Systems Company U.S. の持分を合弁先より買い取り子会社化。両社の社名をMSSC CANADA、MSSC USにそれぞれ変更。 2013年1月 - 宇都宮製作所を閉鎖。 4月 - 北米(カナダ・米国)の持分会社と事業会社を統合。両社の社名をMSSC CANADA INC.MSSC US INC.MSSC INC.にそれぞれ変更。 9月 - MSM MANILA, INC. を閉鎖。 2014年4月 - インドのStumpp Schuele & Somappa Springs Pvt.Ltd.との間で、MSM SPRING INDIA PVT.LTD.とStumpp Schuele & Somappa Auto Suspension Systems Pvt.Ltd.の2社の合弁会社を設立。 8月 - 特殊鋼鋼材事業の海外展開を目的として、インドネシアの特殊鋼電炉メーカーであるPT.JATIM TAMAN STEEL MFG.へ資本参加。 2016年3月 - インドネシアにPT. MSM INDONESIAのジャカルタ支店を開設。 4月 - 千葉製作所構内に技術開発センターを設置。メキシコ合衆国に自動車用ばねの製造・販売を事業目的とするMSSC MFG MEXICANA, S.A. DE C.V.を設立。 2017年10月 - 本社を東京都中央区晴海(晴海パークビル)から現在地に移転。本社の移転は34年ぶり。 2018年1月 - PT. JATIM TAMAN STEEL MFG.の株式を追加取得し、連結子会社化。 4月 - ドイツのばねメーカーGebrüder Ahle GmbH & Co. KG(Ahle社)を買収し、100%子会社化。その後、同年9月にMSSC Ahle GmbHに社名変更。
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再統合
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1990年1月、CEOのウェイン・W・アームストロング(Wayne W. Armstrong)を中心とするデルタコ経営陣は、ソリマンからMBOにより事業を買収した。新経営陣の下、ソリマン時代に削られたメニューの復元や値下げなどの施策が効果をあげたが、アームストロングは8月に辞任し、バーガーキングで実績のあるケビン・K・モリアーティがデルタコの新CEOとなった。 1992年、グレースは管轄下のデルタコの店舗をタコベルに売却する意向を明らかにした。「デルタコ」の名称を使用する権利は、7月にカリフォルニアのデルタコが買い戻した。州外への展開が可能となったカリフォルニアのデルタコは、1400万ドルを投じて店舗の内外装やロゴを更新する計画を開始した。8月には新しいロゴを導入した。新しいロゴは黄色の太陽が緑の山々からのぼり、赤い大地に向かって照っているものとなった。この配色はデルタコの代表的な食材であるチーズ、レタス、トマトをあらわしたものである。この年経営陣は1995年までに店舗網を500店舗に拡大し、2000年までにさらに225店を増やすという計画を打ち出し、まずネバダ州のラスベガス、ミズーリ州のセントルイス、北東回廊地域を重点地域とした。しかし前経営陣時代に行われたLBOが原因で1993年、デルタコは倒産裁判所に連邦倒産法第11章に基づく手続きの開始を申し立てることになった。 1994年、デルタコは再生過程の終了を宣言した。不採算店舗の閉鎖の結果、1995年時点で500店舗を達成するどころか300店舗に過ぎず、目標には程遠かった。しかし1997年には総売上高が2億5000万ドルに達し、店舗数も1998年末には12州325店舗、2000年時点で372店舗と増加していった。 この年、デルタコはコンパス・グループと契約、米軍基地で営業が可能となった。出店第一号はメリーランド州セントメアリーズ郡にあるパタクセント・リバー海軍航空基地で、将来はプエルトリコやイタリアのナポリなど、海外の米軍基地に出店することも計画されていた。2002年には野球、ホッケー、フットボール、バスケットボールといったスポーツのチームとスポンサー契約を締結し、パートナーとなったチームのスタジアムの看板や販売される飲料の容器などにデルタコのロゴが配されることになった。こうした施策の成果もあり、2003年には一店舗あたりの年間の売り上げが平均で100万ドルを超えた。これは他のチェーン店、特にマクドナルドやカールス・ジュニアが売り上げを減らす中にあっては注目すべき成果であった。
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