タコベル
タコベル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 02:53 UTC 版)
ベルは再び資金を集め、1962年、ダウニーで「タコベル」を開店した。資本金4000ドルで事業を法人化、転居と開店を繰り返し、その後2年でさらに8店舗を開店した。1964年からはさらなる拡大のため、専門の担当者を雇ってフランチャイズ展開を図った。最初のフランチャイジーはロサンゼルスの警官で、飲食業の経験はなかった。フランチャイズ一号店の成否が展開の鍵となると考えていたベルは、ロサンゼルス郊外のトーランスに見つけた出店適地をこの警官にあてがい、開店の際には直営店同様の派手な開店行事を催して支援した。この警官は最初の月だけで1万ドル以上の利益をあげ、以降、フランチャイジー希望者は続々と集まった。タコベルは毎週新しい店舗が建つ勢いで拡大していったが、初期は急成長を支えるだけの組織は固まっておらず、経営は不安定であった。マクドナルド兄弟は1961年に既に事業を売却して引退しており、ベルも事業の売却を検討したこともあったという。 しかしタコベルはその後も成長を続け、1966年にはアリゾナ州スコッツデールに出店しカリフォルニア州外に進出、1967年には100店舗を達成した。企業としての体制も整い始め、1966年にはトーランスにフランチャイズ店向けの研修施設を併設したオフィスが建設された。1967年、ベルは別に社長や副社長を任命して経営にあたらせ、自身は店舗拡大に注力することにし、同年に南東部における出店促進のため、フロリダに転居した。新店舗開店時には採算を無視して派手な開店行事を主張し、経営幹部と対立することもあった。1969年、株式公開の際に株を売却し、100万ドルを得た。 大金を得たベルは、1970年にMGMが開催したオークションで映画撮影に使われた物品を買いあさった。1974年には高級住宅地のランチョサンタフェにある邸宅に移った。1975年には北カリフォルニアのトゥオルミの製材工場で利用されていた狭軌鉄道と周辺の土地を買収し、かつてのアメリカを追体験できる観光施設として、一帯の開発を始めた。その後の2年で数百万ドルを費やしたが計画は進まず、さらに多くの投資が必要であることが判明した。一方タコベルは1977年時点で38の州に700以上の店舗を展開する企業に成長し、複数の食品会社がタコベルの買収を申し入れてきた。ベルはこのうちの一社であるペプシコによる買収を承認し、1978年、タコベルはペプシコに買収された。3200万ドル相当のペプシコ株を得たベルはトゥオルミに戻って開発事業を継続した、この年の秋、鉄道はようやく一般公開にこぎつけたものの、開業したのは当初の構想の5%に過ぎず、翌年には売却した。
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