ペプシコによる買収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 13:55 UTC 版)
「ケンタッキーフライドチキンの歴史」の記事における「ペプシコによる買収」の解説
1986年7月、R.J.レイノルズ(同年4月、ナビスコを買収してRJRナビスコに社名変更)はKFCをペプシコに簿価8億5000万ドルで売却した。当時、ペプシコはソフトドリンクとスナック菓子に関心を持つかたわら、レストランチェーンのピザハットとタコベルも所有していた。R.J.レイノルズがKFCを売却した背景には、直近のナビスコの買収に関連する負債の支払いを完了することに加え、タバコ事業・加工食品事業に専念することを望んでいたという事情があった。ペプシコによる買収は、KFCにペプシコが誇るマーチャンダイジングの専門知識をもたらすことが期待された。『Adweek(英語版)』のダン・コッペルは、R.J.レイノルズ時代のKFCチェーンはグループ内での軽視、メニューの停滞、混乱したマーケティングに悩まされたと考えている。一方、『Advertising Age(英語版)』のナンシー・ガイジェスは、KFCチェーンがR.J.レイノルズの下で「スマートな復活」を遂げたと感じている。当時のKFC会長リチャード・メイヤーは、R.J.レイノルズが自社のレストラン部門を「趣味」のように扱っていたという見解を示した。 ペプシコによるKFCの買収は、一部のアナリストによってソフトドリンクの売り上げを伸ばすための手段であると見なされたが、ペプシコの会長D・ウェイン・キャロウェイは、KFCの買収とソフトドリンク市場への興味は無関係であると主張した。買収以前のKFCの経営方針では、どのメーカーのソフトドリンクを取り扱うかは加盟店側に一任されていたが、ペプシコは自社製品を仕入れるよう加盟店を説得できることを望んでいると述べた。買収以前、6500のKFC店舗のうち、ペプシコーラを販売していたのは1000店舗だけだったが、ペプシコは買収後ただちに1800の直営店舗で取り扱うソフトドリンクを自社製品に切り替えた。ペプシコのKFC買収により、ファストフード業界の競争相手のなかにはペプシからコカコーラに切り替えるものも現れた。ウェンディーズは最初にこの切り替えを実行した企業のひとつだった。ウェンディーズの会長ロバート・バーニーは次のように述べた。「ペプシコにとっての利益はいまやウェンディーズの利益と相反するものになった。我々は、我々の顧客を彼らの顧客にしようとしている企業の手助けはしない。」バーガーキングは1983年にコカコーラからペプシコに移行していたが、1990年には再びコカコーラに切り替えた。その理由として、ペプシコチェーンの成長が「大きな要因」であると説明された。1998年までには、KFC加盟店の大多数がペプシコのソフトドリンク製品を仕入れることに合意していた。 1987年11月、KFCは北京に出店し、中国で展開する最初の欧米のレストランチェーンとなった。1989年、第1四半期におけるKFCの売り上げは30パーセント上昇し、その金額は2億8000万米ドルに達した。1989年7月、CEOのリチャード・メイヤーがKFCを離れ、クラフト・フーズのCEOに就任すると、KFCのCEOはジョン・クラナーに引き継がれた。
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