ペブル島襲撃
ペブル島襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
詳細は「ペブル島襲撃」を参照 アルゼンチン海軍は、4月24日に、西フォークランド島のすぐ北にあるペブル島の飛行場にT-34C軽攻撃機4機を配置していた。また空軍も、5月1日のシーハリアーの攻撃を受けて、グースグリーンに配置していたプカラ攻撃機12機を同地に移動させていた。 上陸地点がサン・カルロスに決したのち、イギリス軍にとって、同地から約40キロメートルしか離れていないペブル島に(貧弱なターボプロップの軽攻撃機とはいえ)敵機が存在することは看過できない問題となった。5月10日の作戦会議で、ウッドワード少将は、SASに対してこの飛行場の攻撃を命じた。SASはまず偵察することを考えており、3週間はかかると考えていたが、ウッドワード少将は15日までに実行するよう求めたことから、SASはその夜のうちに偵察部隊を出発させた。 悪天のため、実際の偵察は13日から14日にかけてとなり、この結果を踏まえて、14・15日の夜に本隊が進入して航空機に爆弾を仕掛け、駆逐艦「グラモーガン」も艦砲射撃を行なった。これにより同島に配置されていた航空機は全て破壊され、燃料・弾薬も炎上し、以後この飛行場がアルゼンチン軍に使用されることはなかった。SASは2名が負傷しただけで、全員が無事に帰還した。
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