買収後
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「大阪市交通局1301形電車」の記事における「買収後」の解説
阪堺電鉄が1944年3月末に大阪市交通局に買収された後、103〜106は同年9月2日付で1301形の1301〜1304に改番された。戦災にも遭わずに戦後も4両全車健在だったが、他の阪堺電鉄からの買収車同様、集電装置がビューゲル化された程度で後部扉の締切工事も行われることもなく、1959年9月30日付で2601形の2699〜2702に更新改造され、形式消滅した。
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買収後
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「大阪市交通局1401形電車」の記事における「買収後」の解説
阪堺電鉄が1944年3月末に大阪市電気局に買収された後、201~205は同年9月2日付で1401形の1401~1405に改番されたが、1945年6月に1402・1404・1405の3両が戦災に遭い、1949年に廃車された。残る2両は、1403を1402に改番して1401~1402に整理された。 その後、台車を低床式のブリル77Eに交換したが、床板の手直しが充分ではなく波打っていたという。集電装置がビューゲル化された程度で後部扉の締切工事も行われる事もなく、1959年9月30日付で1402が2601形の2694~2695に更新改造され、1401形は消滅した。 なお211形は、買収後は大阪市電気局1411形1411~1412となったが、2両とも戦災に遭い、1949年に廃車された。
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買収後
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「大阪市交通局1201形電車」の記事における「買収後」の解説
阪堺電鉄が1944年3月末に大阪市交通局に買収された後、101~102及び113~116は同年9月2日付で1201形の1201~1206に改番されたが、1945年6月の大阪空襲により1201・1204・1206の3両が被災し、戦後の1949年に廃車された。一方残った3両は、1205が1201に改番されて1201~1203に整理された。 その後は、集電装置がビューゲル化された程度で後部扉の締切工事も行われることなく、1959年9月30日付で2601形の2696~2698に更新改造され、形式消滅した。
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