買収工作
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康宏が立候補を表明した5月20日、「明日の岡崎をきずく会」代表の浅井正三市議は市議会議長応接室で、会派「自民クラブ」の31人の市議のうち姿を見せなかった加藤清市と自身を除く29人に、それぞれ10万円の入った茶封筒を渡した。同日午後、金を受け取った市議の一人は人を介して岡崎警察署の巡査部長を喫茶店に呼び出し、買収の事実を明かした。5月24日には「自民クラブ」の河澄亨市議が柴田県議に茶封筒ごと預け、柴田も警察に通報した。 旧愛知4区(定数4)は全トヨタ労連を支持母体とする民社党の渡辺武三が盤石の構えを見せ、自民党の中野四郎、稲垣実男、浦野烋興がそれぞれしのぎを削り、社会党も6~7万の基礎票を有するという全国でも指折りの激戦区であった。5月23日、自民党の3議員は「三派連合」を岡崎市で組んだ。 内田は子飼いの中根薫県議から協力の約束を取り付けたものの、中根が党規に違反してまで無所属の康宏を応援するという確証が持てずにいた。中根が「市長が、おんぶにだっこに肩車で息子をかつぎ出した」と触れ歩いていることも耳にした。内田のとるべき道は一つしかなかった。5月26日深更、浅井正三市議とともに中根の自宅を訪れ、内田が先に玄関を出ると、浅井は現金500万円の入った袋を応接間の床に置いた。 5月28日、内田は事務所に顔を出すと、陣営の内部事情にまで通じていないはずの支援者から「仲谷知事から、出馬を断念するよう言われとるそうですな」と話しかけられる。愕然とするが、聞きたくない話はすべて頭から払いのけた。陣営は「安城や幸田に協力を頼んでいた以上引っ込みがつかない」「候補者を出さないことにはおさまらない」と述べ、内田本人も取材に対しては「全部動き出しております。もう止めることも、戻ることもできません」の一点張りであった。 内田は業界組織から金を集めるとき、表には出ず、腹心の市議らが仲介役をつとめた。個人が相手のときは一対一が原則で、国会議員を通じて仕事を依頼した業者に対しては「こういうことは第三者を通してはダメだ」と叱りつけた。ところが息子の衆院選ではそのような周到さは見る影もなくなった。公示日の6月2日、鴨田町広元の選挙事務所に自民クラブ幹部級の市議が現れ、康宏の日程表を手帳に写して立ち去った。不審に思った陣営の総括主宰者の堤敏正が日程担当者に問いただすと、担当者は「市長が見せてもいいと言ったので」と答えた。「人を信用できんようなら何もできない。一人でも多い方がいい」と内田は堤を諭し、選挙事務所は内田派以外の人々が出入りすることを許した。 自民系市議31人のうち、河澄亨、神取武史、加藤清市を除く28人が党規に背き内田陣営に走った。そして情報が外へ漏れることをきっかけとして、内田後援会の選対と市議関係者の間で激しい対立が生まれる。後援会の応援者が運動から手を引くと言い出したときは、内田父子が頭を下げてようやく収まった。 康宏は「なんで俺がこんなことをやらないといけないんだ」と選挙事務所で時折こぼすようになった。そんなとき康宏は決まって「連合艦隊司令長官である父の命令だから、軍艦である自分が動かないと」と言って自らを奮い立たせた。そのたとえは選挙の結果と人々の末路を不吉に暗示した。 買収工作は、金額から方法に至るまで警察や反対陣営に筒抜けであった。理容室、美容室、喫茶店などから成る業界団体「全国環衛組合連合会中央会」は中野の傘下にあったが、愛知県環衛協議会岡崎支部では内田派の店主たちが反発し、衆院選をめぐって足並みが乱れた。この動きに対抗すべく中野派の理容店主によって書かれた怪文書が大量にばらまかれた。そこには「岡崎市議会筋に金が流れていることは公然の秘密」と書かれてあった。 社会党の候補者は前回選に続いて元参議院議員の野々山一三だったが、同党の岡村秀夫市議は野々山そっちのけで康宏を応援し、党委員長の飛鳥田一雄を迎えて6月14日に行われた政談演説会にも姿を現さなかった。自然と「岡村にも金が渡った」という噂が広まった。 6月12日、大平正芳首相が急死。自民党の主流派と反主流派は弔い選挙の様相を呈し、挙党態勢に向かった。危機感を募らせた内田は公明党票を当て込み、6月14日、参院選に無所属・同党推薦で立候補した高木健太郎の選挙はがき2000枚の宛名書きを市役所秘書課長に命じた。公明党西三河総支部は自主投票を決定しており、高木は生物科学総合研究機構(現在の基礎生物学研究所、生理学研究所)の誘致に一役買ったという背景があった。作業は秘書課、広報広聴課、企画課などから集められた職員約20人によって行われた。 当時、日本では各候補者が一堂に会して政見を発表し合う「立会演説会」の開催が義務化されていた(1983年の法改正で同制度は廃止)。最終会場となった6月18日夜の岡崎市民会館。康宏が渡辺武三に続き二番手で登壇した頃には、聴衆は2,900人にふくれ上がり、ロビーまであふれた。「岡崎から代議士を」の熱気の中、康宏は拍手と歓声で迎えられた。とはいえ、立会演説会でもテレビの政見放送でも原稿を棒読みする康宏の演説に「学芸会じゃないぞ」などのやじは付きものであり、金権政治の腐敗を一掃したいと言えば「お前のおやじはどうだ」、西三河に乏しい文化施設の充実を訴えれば「おやじが悪い」とやじが飛び、演説の声はかき消された。 投票日前日の6月21日、他陣営の「市議が28人もあっち(注・内田)へ行ってるというが、市長の顔をたてて、という人も何人かいてね。おかげであっちのスケジュールは手に取るようにわかる」という証言が新聞に堂々と掲載された。
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