大浦による贈収賄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 05:16 UTC 版)
同年、ヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発し日本は日英同盟の誼でドイツ帝国に対し開戦した。明治末年からの懸案であった二個師団増設問題への反発も和らいだと見た大隈内閣は、12月帝国議会に2個師団増設案を提出した。野党第一党の政友会は200名弱も議席を有し、国民党代表犬養毅と共に増設案に反対の立場を執った。しかし政友会の中には賛成論者もいた。ここで大浦は衆議院書記官長林田亀太郎を介し、四万円の工作資金で買収工作を始め、さらに政友会代議士の板倉中に一万円を渡した。大浦の工作によって政友会からは18人の議員が脱党して大正倶楽部を結成したが、結局、政友会と国民党の絶対多数で増設案は否決され議会は解散するに至った。大浦は後に、二個師団増設否決が陸海軍の軋轢のもととなり、更に選挙となれば多数の逮捕者が出ることを憂いていたと語っている。12月の初旬には大浦による買収工作の噂が立っており、12月11日に田健治郎が大浦に直接忠告を行っている。 大隈は大浦を内相、河野広中を農商務相、安達謙蔵を参謀長格に据えて選挙戦に挑んだ。その結果、政友会は大敗して議席は半減して第二党に転落し、同志会・中正会・大隈伯後援会が絶対多数を手にした(第12回衆議院議員総選挙)増師案は可決通過した。
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