大浦崎収容所跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 14:49 UTC 版)
「キャンプ・シュワブ」の記事における「大浦崎収容所跡」の解説
2017年12月12日、米海兵隊がその公式ホームページでシュワブの沿革に久志村を大浦崎市と誤って記載していたことを東京新聞が指摘した後、海兵隊が大浦湾収容所の記載そのものをすべてページから削除したことがわかった。今もキャンプ・シュワブのページには、米軍が管理し運営していた「大浦崎収容所」の記述はない。 2020年12月7日、名護市教育委員会は、キャンプ・シュワブ内に今も残る遺跡大浦崎収容所跡の発掘調査と保存に関し、ほとんど調査もされていないことから沖縄防衛局を通して現状保存を求めてきたが、防衛局は米側の意向で現状保存を行わないことを明らかにした。大浦崎収容所跡地については、基地内にあるため実態調査も十分になされておらず、この地で米軍に強制収容され亡くなった住民の数は少なくとも304人であることが沖縄県平和祈念資料館の資料で明らかとなっているが、1956年に基地として接収されたまま、遺骨などの調査も不十分であることが指摘されている。
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