買収後の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
買収の結果「国有鉄道」となったので、以後国鉄と表記する。最初の効果は長距離列車の設定であり、東京 - 下関間の直通列車や、奥羽線経由の上野 - 青森間直通列車などが設定された。また車両を全国的に運用して各地方の繁忙・閑散に応じた配置が可能になった。その反面、国鉄の保有する車両は蒸気機関車だけでも174形式1,118両、客車3,067両、貨車20,884両におよび、運用・整備・修理に大きな困難が発生した。この後国鉄は車両・機材の国産化と標準化を進める。買収により国有鉄道と私有鉄道の比率は逆転し、以後の鉄道史は国有鉄道主導で進むようになる。 しかしその一方で、新たな私鉄の敷設計画が沈静化するという弊害を招いた。国有化で多くの金を使った国としては、地方における鉄道整備にまで資金を回せる状況ではなかったため、軽便鉄道法を公布して軽便鉄道と呼ばれる、簡易規格の鉄道敷設を奨励するようになった。 また甲武鉄道の国有化で、国鉄も電車運転をおこなう事業者(国鉄電車を略して国電と呼ばれる)となったが、1915年(大正4年)には京浜間の電化を完成させるなど、都市周辺を中心にして本格的に乗り出すようにもなった。
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