ノーグルズ合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 08:54 UTC 版)
1988年2月、アメリカン・レストラン・グループを経営するアンワル・ソリマン(Anwar Soliman)は、デルタコとノーグルズを買収した上で合併させる計画を明らかにした。ソリマンはW・R・グレースでレストラン部門の幹部であった人物で、1977年のデルタコの名称使用権売却、未完に終わった買戻しなどを通じて、デルタコとは因縁があった。ソリマンはその後グレースを離れ、1986年にアメリカン・レストラン・グループを設立、1988年時点では直営とフランチャイズを合わせて300以上の飲食店を経営していた。 両社の買収は3月完了し、171店のノーグルズは順次デルタコに転換されることになった。合併により、店舗網の東端は遠くノースカロライナ州ヒッコリーにまで達した。一方で後に本拠地が置かれるカリフォルニア州のレイクフォレストでは、ノーグルズからデルタコに転換した店舗と元からデルタコであった店舗が通りを挟んで向かい合うという事態も起きた。 これによりタコベルに次ぐアメリカ第2位のメキシカンとなり、カリフォルニア州に限ってはタコベルの店舗数を上回った。デルタコはタコベルを揶揄するテレビCMを流し、対抗意識を露骨に示した。ソリマンはデルタコが拡販企画を始めると数日後にはタコベルが同じ企画で対抗してくると述べ、「業界一位のタコベルは今や追随者となっている」と主張した。しかしタコベル側は「デルタコがやっていることに関心はなく、ライバルはマクドナルドだ」と冷淡であった。業績も好調とは言えず、合併を強調するため、デルタコとノーグルズを同時に取り上げたCMはかえって混乱を招き、早々に中止された。メニューは量こそタコベルより多いものの、価格も高かったことから避けられた。こうして売上高は横ばいから下降に転じた。運営面でも変化があり、終夜営業が始まったのもこの時期である。
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