再統合「旭琉會」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 16:35 UTC 版)
やがて2010年に至り、翁長が旭琉会会長の座を退くとともに、三代目体制下で理事長を務めた花城松一が同会の四代目を襲名。この代替わりの儀に際して新会長すなわち花城の後見人となったのは沖縄旭琉会の会長すなわち富永清であった。そしてその翌2011年の暮れ頃になってついに両組織の一本化が正式決定。分裂から21年を経ての再統一となった。沖縄旭琉会による吸収合併という形での統一で、指定暴力団の合併は1992年の暴力団対策法施行以来全国初のことであった。一本化後の新組織名は“旭琉會”。沖縄旭琉会を率いた富永清を首領に、四代目旭琉会を率いた花城松一を次点に据え、この名をもって2011年のうちに正式発足。同年3月末には暴力団対策法に基づく「四代目旭琉会」の指定が取り消され、同時に「沖縄旭琉会」の指定名が“旭琉會”へ改称され、沖縄県内唯一の指定暴力団として再始動する運びとなり、現在に至っている。 2019年7月12日、富永が死去。後継者については四十九日の喪が明けてから決定するとされていたが、2022年現在、花城が会長代行であることが確認されており、正式な後継者は決定していない。
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