再統合の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 01:50 UTC 版)
「中央アメリカ連邦共和国」の記事における「再統合の試み」の解説
その後、19世紀を通じ、さまざまな再統合の努力がなされたがどれもみな持続しなかった。 各共和国が独立した後はエルサルバドルが中心となって再統合を計り、最初の再統合の試みは、1842年に前連邦大統領フランシスコ・モラサンによって行われた。しかしモラサンはただちに捕らえられ処刑された。この試みは1844年まで続いた。 二度目の再統合の試みは、1852年の10月から11月まで、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアによる連邦(Federacion de Centro America)の結成を目指して行われた。1880年代には、グアテマラの大統領フスト・バリオスが、軍事力によって再統合を行おうとしたが、そのさなかに殺害された。三番目は1893年に就任したニカラグアの大統領ホセ・サントス・セラヤ(スペイン語版、英語版)が行おうとしたがこれも失敗した。四番目の再統合は、1896年から1898年まで続き、これはホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドルによる中央アメリカ大共和国(Republica Mayor de Centroamerica)の結成であった。 最後の試みは20世紀初頭、1921年から1922年にかけて行われた。これはエルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスによる、連邦の結成であった。このときは再統合の試みのなかで、唯一、各構成国からの代表による連邦大統領の選挙が行われるまでにいたった。 しかし、崩壊後もこの地域の一体感は強く、1960年には他の域内統合の動きに先駆けて中米統合機構が発足するなど、現在も統合の動きは強い。
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