610系登場による変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:59 UTC 版)
「阪急380形電車」の記事における「610系登場による変化」の解説
1954年から1955年にかけて、本形式は51形の610系への機器流用に際して、台車と電装品を610系に供出した。台車は51形が装着していたボールドウィンBW-78-25AA台車の荷重負担能力の関係で、380形のKS-33系を610系に転用し、これに代えて51形から捻出されたボールドウィンBW-78-25AAを装着することになった。電装品の供出により全車制御車化されて今津線に転出、320形編成の中間に従来連結されていた81 - 86に代わって組み込まれることとなった。この時期、本形式の運転台機器は残されていたが、営業運転で先頭に立って運用されたことはない。 320形同様、しばらくは今津線の主力として運用されていたが、1956年2月に発生した庄内事件以降は、小型車の4・5両編成での運行が常態化したことから、本形式は320形ともども中間に1形を組み込んだ500形と交代する形で全車宝塚線に復帰した。 同年10月から1957年4月にかけて1200系の製造に際して電装解除された300形310 - 315の電装品を活用して再電装され、主電動機は芝浦製作所SE-107を4基、制御器はゼネラル・エレクトリックPC-5を装備した。320形や先に51形の電装品に換装された500形と性能の統一が図られたことによって、これらの3形式は併結及び共通運用が可能となった。再電装後、380 - 382の3両が西宮車庫に転属して、再び今津線で運用されたほか、甲陽線での運用を開始した。 1950年代後半から1960年代初頭にかけては本形式と320形、500形の混結で4 - 5両編成を組んだりしたが、本形式は6両と両数が少なく、半数が宝塚線から転出していたことから、比較的まとまった両数のある320形とは異なり、本形式のみの4 - 5両編成はもちろん、本形式の中間に付随車化された1形や300形を組み込んだ4 - 5両編成を組成することはなく、320形や500形の増結用として活用された。その後、宝塚線への1100系や2100系の増備、神戸線への2000系増備による920系の宝塚線転入に伴い1961年10月までに残る3両も西宮車庫に転出、今津線・甲陽線に加えて伊丹線での運用を開始して、これらの支線区が主な運行路線となった。
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