600年代
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千年紀: | 1千年紀 |
---|---|
世紀: | 6世紀 - 7世紀 - 8世紀 |
十年紀: | 570年代 580年代 590年代 - 600年代 - 610年代 620年代 630年代 |
年: | 600年 601年 602年 603年 604年 605年 606年 607年 608年 609年 |
600年代(ろっぴゃくねんだい)は、
できごと
600年
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601年
- 厩戸皇子(聖徳太子)が斑鳩宮を造る。任那回復のため、高句麗と百済に遣使する。
602年
- 撃新羅将軍を任命し、国造・郡司らの軍2万5千を動員する。
603年
604年
605年
- 中国の煬帝が大運河の建設を命じる。
606年
- ハルシャ・ヴァルダナ、北インドにヴァルダナ朝を建国。
607年
608年
609年
- 小野妹子らが帰国する。
脚注
注釈
出典
- ^ Zeitschrift der Japanischen Mikrobiologische Gesellschaft 24 (11): 1943–1954. (1930). doi:10.3412/jsb1928.24.11_1943. ISSN 1883-695X. http://dx.doi.org/10.3412/jsb1928.24.11_1943.
関連項目
外部リンク
600年代
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詳細は「600年代」を参照 601年厩戸皇子(聖徳太子)が斑鳩宮を造る。任那回復のため、高句麗と百済に遣使する。 カンタベリーに大司教座が設置され、カンタベリーのアウグスティヌスが初代大司教に就任する。 602年東ローマ皇帝マウリキオスがフォカスに帝位を簒奪され処刑される。 来目皇子・当麻皇子を新羅将軍に任命し、国造・郡司らの軍2万5000人を動員する。 百済僧観勒が来日し、天文・暦法・陰陽道を伝える。 603年 - 新羅攻撃を中止する。豊浦宮から小墾田宮に遷る。冠位十二階を制定する。 604年冠位十二階制を施行する。厩戸皇子が十七条憲法を作る。朝礼を改める。 隋で煬帝が即位する。 605年隋の煬帝が大運河の建設を命じる。 推古天皇が飛鳥寺の大仏の鋳造を発願する。 606年ハルシャ・ヴァルダナが北インドにヴァルダナ朝を建国。 アクイレイア総大司教がアクイレイアのランゴバルド派とグラードのラヴェンナ派(東ローマ派)に分裂する。 607年第2回遣隋使として小野妹子が派遣される。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」。 法隆寺が創建される(『上宮聖徳法王帝説』ほか)。国ごとに屯倉を置く。 ランゴバルド王アギルルフォが王妃テオドリンダの勧めでカトリックに改宗する。王妃テオドリンダにより「ロンバルディアの鉄王冠」が整備され、モンツァ大聖堂が造営される。 608年小野妹子が隋使裴世清らとともに帰国する。隋使が朝廷に参内し帰国する。同年、小野妹子は再び隋に遣わされる。この時に高向玄理・旻・南淵請安ら8人留学する。 東ローマ皇帝フォカスがローマ教皇ボニファティウス4世にパンテオンを聖堂として寄進する。この記念にフォロ・ロマーノにフォカスの記念柱が建てられる(ローマ皇帝によるローマ市の記念物としては最後のもの)。 カルタゴ総督ヘラクレイオス(父)が東ローマ皇帝フォカスに反乱を起こす。 609年小野妹子ら帰国する。 教皇ボニファティウス4世がローマのパンテオンを聖母と諸聖人のための聖堂として改めて奉献する。
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