小野妹子とは? わかりやすく解説

おの‐の‐いもこ〔をの‐〕【小野妹子】

読み方:おののいもこ

日本最初の遣隋大使推古天皇15年607)隋に渡り翌年、隋使裴世清(はいせいせい)とともに帰国同年、再び渡海生没年未詳。→遣隋使


小野妹子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 03:56 UTC 版)

小野 妹子(おの の いもこ、生没年不詳)は、飛鳥時代官人冠位大徳妹子臣とも表記される。男性以下詳細)。


  1. ^ 「小野氏系図」(『群書類従』巻第63所収、『続群書類従』巻第166所収)、『尊卑分脈』など
  2. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』(角川書店、1963年)
  3. ^ 日本書紀 卷廿二 推古紀”. 日本書紀. 2008年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月29日閲覧。
  4. ^ 『日本書紀』巻第二十二推古天皇十六年には「唐国号妹子臣曰蘇因高」(唐国は妹子の臣をなづけて蘇因高という)とある。
  5. ^ 宇治谷孟の現代語訳では「煬帝」とあるが、原文に「煬帝」の語はなく「帝」である。
  6. ^ 川本芳昭「隋書倭国伝と日本書紀推古紀の記述をめぐって : 遣隋使覚書」『史淵』第141巻、九州大学大学院人文科学研究院、2004年3月10日、53-77頁、doi:10.15017/3694NAID 110006263349 
  7. ^ 坂本太郎『坂本太郎著作集』第九巻、吉川弘文館、1989年、75、76頁。
  8. ^ 『日本書紀』は隋を大唐国と記し、国書の内容を記録していない。
  9. ^ 『日本書紀』には600年の遣隋使の記事は無いが、この時の使者も妹子と考え、「阿毎」「多利思比孤」と上記の氏祖・天足彦国押人命は関連があるとする説もある。600年は国書を持っておらず、口頭でのやり取りだったと推測される。
  10. ^ 『大阪府の歴史散歩 下』大阪府の歴史散歩編集委員会、山川出版社、2007年、176頁。
  11. ^ 大阪みどりの百選”. 大阪府. 2016年12月23日閲覧。
  12. ^ 唐臼山古墳(からうすやまこふん) -「大津の歴史事典」大津市歴史博物館
  13. ^ 尊卑分脉』『諸家系図』は小野妹子の父を敏達天皇の息子、春日皇子としている。『新撰姓氏録』は小野朝臣を皇別とする。


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