続日本後紀とは? わかりやすく解説

しょくにほんこうき【続日本後紀】

読み方:しょくにほんこうき

平安前期歴史書六国史(りっこくし)の第四20巻藤原良房藤原良相伴善男らの撰。貞観11年(869)成立仁明天皇治世(833〜5018年間を、漢文編年体記述。続後紀。


続日本後紀

読み方:ショクニホンコウキ(shokunihonkouki)

平安時代歴史書六国史一つ4番目)。


続日本後紀

読み方:ショクニホンコウキ(shokunihonkouki)

分野 歴史書

年代 平安前期

作者 藤原良房春澄善縄〔撰〕


続日本後紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/08 14:04 UTC 版)

続日本後紀』(しょくにほんこうき)は、日本の平安時代に成立された歴史書。六国史の第四にあたり、仁明天皇の代である天長10年(833年)から嘉祥3年(850年)までの18年間を扱う。文徳天皇の勅命により斉衡2年(855年)に編纂が開始され、貞観11年(869年)に完成した。天皇の動静の記録を詳述し、天皇親政から摂関政治へうつる時代の根本史料である。編年体全二十巻からなる。

編纂

本書の編纂は文徳天皇の斉衡2年(855年)、藤原良房伴善男春澄善縄安野豊道により始められた。その後、良房の弟・良相が加わるが完成前に逝去、善男は応天門の変で流罪、豊道の下総介赴任などがあった。だが、編纂者の追加が行われなかったために最終的には藤原良房と春澄善縄の2名のみが編纂者として残った。このため、編纂方針については良房の、記述については善縄の意向が強く反映されたといわれている。

内容

六国史中、初めて天皇一代を対象にしている。承和の変もこの書に記載されている。本書の『続日本後紀』という書名は、『日本後紀』に続くという意味であるが、『続日本紀』は九代、『日本後紀』は四代と複数の天皇の治世を対象としているのに対し、本書は仁明天皇一代の歴史である。原則的に1年に1巻という構成になっているが、天皇の即位年である天長10年(833年)と承和の変があった承和9年(842年)の記事は2巻構成になっている。

本書の対象とした仁明朝は、嵯峨・淳和両朝の後を受けた泰平の世であり、承和の変以外大きな事件はなかったために、宮中行事などは詳しいが、政治関係の記事は少ないとされる。一説には承和の変における皇太子恒貞親王の廃止と新皇太子道康親王(文徳天皇)擁立の正当性を主張するために書かれたともいわれている。天皇の挙動を重視し実録的性格を国史に反映させた点で、のちの『日本三代実録』などに大きな影響を与えた。

また、人物記事においては業績よりも個人の人物像に詳細な記述がみられる。また、荘子に造詣が深く強い神仙思想の持ち主であったとされる春澄善縄の影響か天変地位や怪異に関する記述も多いとされる。

平安時代後期には抄本が流布していたとされ、最古の写本である保延年間のものは、『類聚国史』から本文を補っている。また、三条西家の六国史書写の段階でも、善本が入手できず、また、旁書などを本文に反映させた際、誤脱、錯簡などが生じ、現行の刊本もその影響を受けている。

嘉祥元年(848年)の記録には、洪水で河陽橋(山崎橋)、宇治橋茨田堤の被害が記されており、災害史や交通史を紐解く手がかりとなっている[1]

版本

現代語訳

備考

  • 仁明天皇の崩伝400字の内、320字が病気との話であり、天皇が医薬に傾倒したことをこれほど詳しく記しているのは異例とされる[2]

参考文献

脚注

  1. ^ 安田(2013) p.29
  2. ^ 遠藤慶太 『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 中公新書 2016年 p.128.

外部リンク


続日本後紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 02:19 UTC 版)

吉美侯部」の記事における「続日本後紀」の解説

835年承和2年2月4日 - 俘囚である勳五等吉弥侯宇加奴、勳五等吉弥志波宇志、勳五等吉弥侯億可太らに物部斯波連の姓を賜った836年承和3年3月25日 - 山城国の人で式部大録の秦宿祢氏継の本居貫附を四條三坊に改めた陸奧俘因の外從八位上勳五等吉弥侯部於加保、勳九等伴部子羊らに外従五位下授けた勳功足勒によるものである。 837年承和4年3月13日 - 遣唐使朝廷拝殿した。豊後国の人で外從五位下吉弥侯龍麻呂に貞道連の姓を賜った内舎人正六位上和朝豊永従五位下授けた838年承和5年1月26日 - 勳五等吉弥侯部東人麻呂同じく玉岐に外従五位下授けた反逆者の類に従わず久しく勲功重ねたことによるのである844年承和11年7月3日 - 出羽国最上郡の人で外從八位上勳七等伴部道成、男で外少初位上勳九等の継益、白丁の吉継、秀益、継守、同じく勳九等の福尊ら7人に吉弥侯の姓を賜った

※この「続日本後紀」の解説は、「吉美侯部」の解説の一部です。
「続日本後紀」を含む「吉美侯部」の記事については、「吉美侯部」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「続日本後紀」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



続日本後紀と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「続日本後紀」の関連用語

1
六国史 デジタル大辞泉
90% |||||

2
藤原良房 デジタル大辞泉
90% |||||


4
78% |||||


6
72% |||||

7
72% |||||

8
70% |||||


10
58% |||||

続日本後紀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



続日本後紀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの続日本後紀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの吉美侯部 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS