恒貞親王
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恒貞親王(つねさだ しんのう)は、淳和天皇の第二皇子。仁明天皇の皇太子に立てられたが、承和9年(842年)の承和の変により、皇太子を廃された。後に出家して恒寂入道親王(ごうじゃく にゅうどうしんのう)となり、大覚寺の初祖となった。異称に亭子親王。
- ^ 『恒貞親王伝』
- ^ 仁藤智子「平安時代における親王の身分と身体」古瀬奈津子 編『古代日本の政治と制度-律令制・史料・儀式-』同成社、2021年 ISBN 978-4-88621-862-9 P357-362.
- ^ 『日本三代実録』元慶8年9月20日条
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