日中関係史とは?

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 日中関係史の意味・解説 

日中関係史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/19 15:09 UTC 版)

日中関係史(にっちゅうかんけいし)においては、日本中国大陸にあった歴代の王朝と現在、中国大陸に存在する「中華人民共和国」との関係 (en歴史を解説する。なお、本項では、台湾にある現在の中華民国との関係についても言及するものとする。




  1. ^ 「夫れ楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為る。歳時を以って献見すと云ふ。」
  2. ^ 建武中元二年、奴国、貢を献じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南海なり。光武、賜うに印綬を以ってす。安帝永初元年、倭の国王師升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。垣霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐して歴年主なし。」
  3. ^ 「倭人は帯方の東南大海の中にあり、<省略>旧百余国。の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十国。郡よりに至るには、<中略>邪馬壱国(邪馬台国)に至る。女王の都する所なり。<中略>その国、本また男子を以てとなし、住まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名付けて卑弥呼という。鬼道に事え、能く衆を惑わす。<中略>景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わし郡に詣り、天子に詣りて朝献せんことを求む。<中略>卑弥呼以て死す。<省略>更に男王を立てしも、国中服せず。更更相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて王となし、国中遂に定まる。<省略>」
  4. ^ ただしその期間中でも単に「東夷」と記された記事は存在しており、その中に倭国も含まれている可能性は存在するが、それを確かめることはほぼ不可能である。また、高句麗広開土王碑の碑文には4世紀ごろの日本に関する記述がある。
  5. ^ 「興死して弟立ち、自ら使持節都督百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事、安東大将軍倭国王と称す。順帝昇明二年,使を遣はして表を上りて曰く、『封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰、躬ら甲冑を環き、山川を跋渉して、寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷(編者注、熊襲隼人のこと)を服すること六十六国を渡りて海北を平ぐること九十九国。<中略>』と。」
  6. ^ 仏教が伝来した年には2つの説がある。『上宮聖徳法王帝説』や『元興寺縁起』を根拠とする538年が有力とされているが、『日本書紀』には552年百済聖王(聖明王)が欽明天皇に仏像と経典を献上したという記述がある。
  7. ^ それに関連してこの600年の遣隋使派遣が、603年の冠位十二階や604年の十七条憲法など推古朝の一連の改革に影響を与えたとする見方もある。
  8. ^ 天皇親政が本格的に始まるのは8・9世紀の桓武天皇嵯峨天皇の頃である。
  9. ^ 1072年に白河上皇院政を始める。
  10. ^ 倭寇は前期と後期に大別されるが、前期倭寇が活動したのは、室町時代初期で、南北朝時代の動乱により中央の統制がゆるく倭寇も活動し易かった。前期倭寇は、室町幕府や北九州の守護大名日明貿易の独占、対馬李氏朝鮮の間の交易再開、朝鮮における李成桂による征討などによって下火になっていく。
  11. ^ cf. 儒教主義中華帝国中華思想
  12. ^ 明から冊封を受けた後醍醐天皇の息子の懐良は「日本国王良懐」と称した。
  13. ^ 1432年に宣徳条約で回数などが規定される。遣明船には博多などの有力商人も同乗し、明朝廷の許可を得た商人との間で私貿易が行われていた。
  14. ^ 中野等『文禄・慶長の役』戦争の日本史16、吉川弘文館、2008年,74頁
  15. ^ 徳川家康は海外交易に熱心な人物で、1601年以降、安南・スペイン領マニラ・カンボジアシャム・パタニなどの東南アジア諸国に使者を派遣して外交関係を樹立した。
  16. ^ 1605年に徳川家康李氏朝鮮との講和を成立させて、朝鮮通信使を通しての交流が再開した。しかし、6代将軍家宣の時、1711年からは通信使に対する待遇を簡素化する。
  17. ^ cf. 一条鞭法
  18. ^ cf. ネルチンスク条約キャフタ条約新疆の設置
  19. ^ cf. 新井白石正徳の治
  20. ^ cf. フェートン号事件異国船打払令モリソン号事件蛮社の獄
  21. ^ 1982年より英中間で香港問題に関する協議が進められ、1984年に中英共同声明で1997年に香港が中国に返還されることが決まった。
  22. ^ cf. en:Chinese Exclusion Act(華人移民排斥)
  23. ^ 日本における「中国」の意味の変遷について述べておくと、古代より日本では「中国」の呼称を朝鮮半島南部と一括りにして<から>(加耶加羅)としていた。その後、長安洛陽など黄河流域を<から・もろこし>()と呼び、揚州など長江流域を<くれ>と呼ぶようになった。唐滅亡以降は、<から>(唐・漢)が一般的な呼称となっていった。
  24. ^ 米国とは日米和親条約日米修好通商条約を結ばされ、日米両国の関係が幕を開けることになる。こうした日本に対する不平等条約の改正問題は、岩倉使節団井上馨鹿鳴館に代表される欧化政策などを経て、陸奥宗光が1894年に日英通商航海条約を取り付けたのを契機に解消されていった。また、関税自主権が完全に回復されたのは1911年で、小村寿太郎によるものである。
  25. ^ いわゆる「夷を以て夷を制す」という外交術である。
  26. ^ cf. 日英通商航海条約
  27. ^ ロシア帝国の強い意向で三国干渉が行われた結果、遼東半島は清に返還された。そのため「臥薪嘗胆」というスローガンのもと日本世論の対ロシア感情は急激に悪化した。
  28. ^ cf. 人類館事件
  29. ^ この時にロシア帝国遼東半島南部の旅順大連を、ドイツ帝国山東半島の膠州湾租借している。
  30. ^ 1897年、李氏朝鮮は国号を大韓帝国に改訂し、日韓議定書桂・タフト協定日韓保護条約を経て1906年に伊藤博文韓国統監府の初代統監に就任する。ハーグ密使事件の後、伊藤博文は暗殺されるが、1910年の韓国併合をもって国号が「朝鮮」となり、朝鮮総督府京城に設置され、日本の朝鮮支配終戦まで続くことになる。終戦後、朝鮮半島東西冷戦の構造に組み込まれて、1948年に金日成を中心とした北朝鮮李承晩を中心とした韓国に分裂した後に朝鮮戦争が勃発することになる。1965年には、佐藤栄作内閣朴正煕政権が国連の枠組みに準じて日韓基本条約を結んだ。その批准を以って韓国併合が無効になり、韓国政府が「朝鮮にある唯一の合法的な政府」であることを確認して、日韓の国交が樹立された。それに対して当時の中共政府や北朝鮮政府は猛反発した [1]/[2]。日本と朝鮮半島の国際関係の詳細は日朝関係史を参照。
  31. ^ 中国では、この屈辱を忘れぬと「国恥記念日」を制定している。zh:五九國恥も参照。
  32. ^ 1905年、孫文は既に現地の華僑の協力も得て中国国民党のもととなる中国同盟会を東京で結成していた。
  33. ^ 日本の満州独占に不満を持っていた米国排日移民法を可決させた。
  34. ^ cf. 田中上奏文
  35. ^ 日本外交文書デジタルアーカイブ 大正15年(1926年)第2冊下巻
  36. ^ 『日本外交文書』 昭和期II第一部第四巻(上・下)「上海における日本人水兵射殺事件」”. 外務省. 2011年10月8日閲覧。
  37. ^ 日本外交文書デジタルアーカイブ 昭和期II第1部 第5巻 上巻. 外務省. p. 657. http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/DS0002/0007/0001/0006/0003/0003/index.djvu 2011年10月5日閲覧。. 
  38. ^ 当時描かれた漫画の『のらくろ』などでは「日本=犬」、「中国=豚」と読み取れる戦争シーンが出てくる。そこでは豚は貪欲で犬の利権を侵害したために、犬によって懲らしめられる、とされている。戦後の台湾でも中国大陸から来た中国国民党による統治が日本と比べあまりにも酷かったことから「犬(日本)が去って豚(国民党)が来た」と言われた
  39. ^ 英国香港マレー半島オランダインドネシアに利権を持っていた。当時の日本は米国石油を依存していたため、米国による石油禁輸措置は日本に多大なダメージを与えた。
  40. ^ オーストラリアイギリス領インド帝国なども英連邦の一員として日本軍と戦った。日豪関係#対日感情日蘭関係#歴史#オランダとの戦争日蘭関係#歴史#日蘭友好関係の復活も参照。
  41. ^ cf. 連合国軍占領下の日本敵国条項
  42. ^ cf. 台湾問題外省人
  43. ^ 国民政府との講和に関する吉田書簡
  44. ^ cf. 小笠原諸島沖ノ鳥島排他的経済水域
  45. ^ (4)第68回国会における佐藤内閣総理大臣施政方針演説
  46. ^ NHK BS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」2017年9月24日
  47. ^ 大平外務大臣記者会見詳録台湾「外交部」による対日断交声明
  48. ^ 日本のODAプロジェクト
  49. ^ “天皇陛下「中国訪問はよかった」 渦巻く思惑、親善貫く” (日本語). 朝日新聞. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2017年10月30日). https://www.asahi.com/articles/ASKBY5WNGKBYUTIL01D.html 2017年12月23日閲覧。 
  50. ^ 天皇陛下の楊尚昆国家主席主催晩餐会における答辞
  51. ^ 外務省: 戦後60周年
  52. ^ 江沢民国家主席訪日
  53. ^ 外務省: 安倍内閣総理大臣の中国訪問(概要)
  54. ^ 温家宝総理訪日
  55. ^ ダボス会議における麻生総理大臣特別講演「私の処方箋 ~世界経済復活に向けて~」”. 2018年5月12日閲覧。
  56. ^ 外務省: 胡錦濤中国国家主席の来日
  57. ^ 『朝日新聞』2008年8月12日
  58. ^ “世論調査:日本の対中感情93%「良くない」 過去最悪”. 毎日新聞. (2014年9月9日). http://mainichi.jp/select/news/20140910k0000m010052000c.html 2014年9月9日閲覧。 
  59. ^ “日中首脳会談”. 外務省. (2014年11月10日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page3_000999.html 2017年12月3日閲覧。 
  60. ^ “日中首脳会談”. 外務省. (2016年9月5日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page1_000246.html 2017年12月3日閲覧。 
  61. ^ “日中首脳会談”. 外務省. (2017年7月8日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page4_003121.html 2017年12月3日閲覧。 
  62. ^ “日中首脳会談”. 外務省. (2017年11月13日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page11_000057.html 2017年12月3日閲覧。 
  63. ^ “日中首脳会談”. 外務省. (2017年11月11日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page1_000432.html 2017年12月3日閲覧。 
  64. ^ “海空連絡メカニズム運用開始で合意 日中両政府”. NHK. (2018年5月9日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180509/k10011432541000.html 2018年5月11日閲覧。 
  65. ^ “日中が経済で歩み寄り、日韓と温度差”. 産経ニュース. (2018年5月9日). https://www.sankei.com/world/news/180509/wor1805090069-n2.html 2018年5月12日閲覧。 
  66. ^ “【李首相訪日】日中「政熱経熱」を演出 尖閣・日本人拘束など先送り”. フジサンケイ ビジネスアイ. (2018年5月11日). https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180511/mcb1805112318024-n1.htm 2018年5月12日閲覧。 
  67. ^ “天安門前で翻る日の丸 中国一転して“熱烈歓迎” 存在感増す李克強首相”. 産経新聞. (2018年10月25日). https://www.sankei.com/world/news/181025/wor1810250034-n1.html 2018年10月31日閲覧。 
  68. ^ “日中新時代へ3原則 首脳会談「競争から協調」”. 日本経済新聞. (2018年10月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3696284026102018MM8000/ 2018年10月27日閲覧。 


「日中関係史」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

カテゴリ一覧

全て

ビジネス

業界用語

コンピュータ

電車

自動車・バイク

工学

建築・不動産

学問

文化

生活

ヘルスケア

趣味

スポーツ

生物

食品

人名

方言

辞書・百科事典

すべての辞書の索引

「日中関係史」の関連用語

日中関係史のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



日中関係史のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日中関係史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2018 Weblio RSS