日本とアルゼンチンの関係とは? わかりやすく解説

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日本とアルゼンチンの関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/12 02:43 UTC 版)

日本とアルゼンチンの関係

アルゼンチン

日本

日本とアルゼンチンの関係スペイン語: Relaciones Argentina-Japón英語: Argentina–Japan relations)は、19世紀後半に確立された。

2016年11月21日、日本の安倍晋三首相(左)とアルゼンチンのマウリシオ・マクリ大統領。
2018年11月30日、日本の安倍晋三首相(左)とアルゼンチンのマウリシオ・マクリ大統領。

初期の接触

アルゼンチン・コルドバの王立裁判所の資料によると、フランシスコ・ハポンという受洗した日本人青年がおり、この地に来たことが示されており、1596年奴隷商人ディエゴ・ロペス・デ・リスボアによって、ミゲル・ジェロニモ・デ・ポラス司祭に奴隷として売られたとされている。1598年、ザポンは裁判に勝ち釈放された[1][2]。日本人として初めてアルゼンチンに移住したのは1886年のことである。アルゼンチンに移住した日本人の中には、農業の専門家である伊藤清蔵教授がおり、彼は1910年にアルゼンチンに来て、新天地の農業水準の向上に努めた。

大日本帝国とアルゼンチン共和国は、1898年2月3日修好通商航海条約を締結し公使館級の正式な国交を結んだ。その後、1899年には定期的な海上貿易が開始された。

アルゼンチンは日露戦争において、アルゼンチン海軍のために購入した巡洋艦日進」、「春日」を日本に売却することに同意する事で援助した。しかし、1941年以前のアルゼンチンと日本の関係は、主に農業労働者を中心とした移民が中心であった。現在、アルゼンチンには推定1万人の日系アルゼンチン人が住んでいる[3]

日本とアルゼンチンの外交関係は1940年に大使館レベルに引き上げられ、翌年にはロドルフォ・モレーナが初代駐日アルゼンチン大使に、富井周が初代駐アルゼンチン日本大使に任命されたが、1944年に関係は断絶し、1945年3月27日、アルゼンチン政府は連合国側として第二次世界大戦に参戦、日本に宣戦布告した。

戦後

駐日アルゼンチン大使館

サンフランシスコ平和条約が調印され、1952年に両国の国交が回復した[4]1953年(昭和33年)、日本国内で狩野川台風により多くの被害が生じた際には、大統領から御見舞い電報が寄せられた[5]1960年にはアルゼンチンのアルトゥーロ・フロンディシ英語版大統領が来日し、その後、二国間貿易や日本の対アルゼンチン投資の重要性が高まった。日本の輸入は食料品や原材料が中心であり、輸出は機械や完成品が中心であった。また、様々な面での協力に関する協定が締結された。1963年には入国管理に関する協定、1967年には修好通商航海条約、1981年には技術協力と文化交流に関する協定を締結した。

アルゼンチンは東京に、日本はブエノスアイレスに大使館を置いている。

1990年代以降、日本の自動車産業の進出が始まり、1997年トヨタ自動車ブエノスアイレス州にサラテ工場を建設してハイラックスを生産、2011年本田技研工業が同州のカンパナ工場で四輪車の生産を開始(2020年に撤退して二輪車製造へ移行)。2018年には日産自動車コルドバ州ルノー、サンタ・イサベル工場でフロンティアを生産している[6]

要人往来

日本の皇族は、1991年高円宮夫妻、1997年天皇皇后1998年秋篠宮夫妻など、何度もアルゼンチンを訪問している。1986年にはラウル・アルフォンシン大統領が来日し、1990年1993年1998年にはカルロス・メネム大統領が来日している[7]

外交使節

駐アルゼンチン日本大使・公使

駐日アルゼンチン大使・公使

駐日アルゼンチン公使

  • ロドルフォ・フレイレ・イ・ガルシア・ビエイラドイツ語版(1931年~)
  • ロドルフォ・モレノスペイン語版(1939~1940年)

駐日アルゼンチン大使

  • ルドルフォ・ガルシア・アリアスドイツ語版(1958年)
  • ホルヘ・オラシオ・ランダブルスペイン語版(1958~1960年)
  • アレハンドロ・ホセ・ルイス・オルフィラスペイン語版英語版(1960~1962年)
  • フアン・ベネディクト・マルティンスペイン語版(1968~1969年)
  • ホルヘ・カワバタ(日系人[8]、1974~1976年、信任状捧呈は6月11日[9]
  • エンリケ・ホルヘ・ロススペイン語版(1984~1989年)
  • エルネスト・ルイス・デ・ラ・グアルディアスペイン語版(1989~1993年)
  • アルフレド・ビセンテ・キアラディアスペイン語版英語版(2001~2004年、信任状捧呈は12月10日[10]
  • ダニエル・アダン・シエベソ・ポルスキドイツ語版(2004~2010年、信任状捧呈式は6月25日[11]
  • ラウル・ギジェルモ・テジャン・ロドリゲス(2010~2016年、信任状捧呈は12月27日[12]
  • アラン・クラウディオ・ベロー(2016~2021年、信任状捧呈は4月21日[13]
  • 臨時代理大使)セサル・ロドルフォ・カンポイ(2021年)
  • ギジェルモ・フアン・ハントスペイン語版(2021~2022年、信任状捧呈は4月12日[14]
  • (臨時代理大使)セサル・ロドルフォ・カンポイ(2022~2023年)
  • ルベン・エドゥアルド・ミゲル・テンポーネ(2023年~、信任状捧呈は10月4日[15]

出典

  1. ^ [1]
  2. ^ [2] Archived 2009-08-27 at the Wayback Machine. browsed on 29th May 2009
  3. ^ Christopher A.A. Gomez, "Chinese, Japanese, and Korean Immigrants and Their Descendants in Argentine Audiovisual Popular Culture" University of Nevada, Reno, May 2014
  4. ^ Treaty of Peace with Japan signed at San Francisco | United Nations Treaty Collection
  5. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、519頁。ISBN 978-4-487-74412-1 
  6. ^ アルゼンチンの主要産業 11-1自動車”. ジェトロ (2021年). 2023年5月19日閲覧。
  7. ^ 日本テレビ. “アルゼンチン 日本との意外な“つながり”|日テレNEWS24”. 日テレNEWS24. 2020年5月29日閲覧。
  8. ^ J. カワバタとは - コトバンク
  9. ^ 外務省情報文化局『外務省公表集(昭和四十九年)』「六、儀典関係」「16 新任駐日アルゼンチン共和国大使の信任状捧呈について」
  10. ^ 信任状捧呈式(平成13年) - 宮内庁
  11. ^ 新任駐日アルゼンチン共和国大使の信任状捧呈について | 外務省 - 2004年6月24日
  12. ^ 外務省: 新任駐日アルゼンチン大使の信任状捧呈 - 2010年12月27日
  13. ^ 新任駐日アルゼンチン大使の信任状捧呈|外務省 - 2016年4月21日
  14. ^ 駐日アルゼンチン大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2021年4月12日
  15. ^ 駐日アルゼンチン大使の信任状捧呈|外務省 - 2023年10月4日

関連項目

外部リンク




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