ラ・アルヘンティーナ (軽巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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ラ・アルヘンティーナ (軽巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 00:56 UTC 版)

ラ・アルヘンティーナ (ARA La Argentina) は、アルゼンチン海軍軽巡洋艦で、イギリスで建造された[2]。報道を含め「アルゼンチナ号」と呼称された事例も多い[3][注釈 1]。 同型艦はない。練習艦となり[注釈 2]、1940年6月には練習艦隊として日本に寄港したこともある[6][7][注釈 3]


注釈

  1. ^ a b 8.外國艦艇本邦沿岸出入一覧 昭和15年[4] 國名:アルゼンテイン|艦艇名:練習艦アルゼンチナ|在港期間:自6.20 至6.25/自6.26 至7.3|寄港地:横濱/神戸 〕
  2. ^ アルゼンチン海軍練習艦巡洋艦ラ・アルゼンチナ號(六千噸)が七十五名の候補生を乗せ日本訪問の途次六月二日ホノルル入港、同八日迄碇泊する由昨日海軍當地からされた、同號は英國のヴイツカース・アームストロング會社により建造され乗組員は五百五十六名、艦長はアベラルド・バンチン大佐である[5](記事おわり)
  3. ^ 【横濱二十日同盟】[8] 南米の海の使節アルゼンチン巡洋艦アルヘンチーナ號(七六〇〇噸)が二十日午前十時横濱に入港、海軍省小野田副官ら港外まで出迎へ棧橋一帶を埋めつくした小學生がア國々旗を振つて歡迎、乗組の水兵と美しい親善風景を見せた、同艦は二十五日まで横濱に碇泊、神戸・マニラ經由で歸國する筈である(記事おわり)
  4. ^ パース級軽巡洋艦の縮小版として、1931年~1933年の各計画で4隻建造された[12]
  5. ^ アルゼンチンから初の練習艦 二千六百年祝賀に來朝[13] アルゼンチンから經濟視察團が來朝して日亞親善をふかめてゐる折柄今度は同國の練習艦アルヘンテイーナが同國の若い士官を乗せて世界一周航海の途中六月廿日若葉の日本を訪れることになつたが、これは紀元二千六百年をむかへた日本にアルゼンチンの友好の誠意を表するためで同國の練習艦隊が日本を訪れるのはこれが最初で同國海軍當局から内山田駐亞公使を通じて外務省に申込みがあつた。
     アルヘンテイーナ號は六月廿日横濱に入港し廿八日まで同港に碇泊、廿七日から七月三日まで神戸に滞在して日亞交歡をとげたのちマニラにむかふ豫定であるが、同艦は六千トンのアルゼンチン最優秀の巡洋艦 一九三五年に英國アームストロング會社で竣工、乗員約五百名 速力卅一ノツト、一五サンチ砲九門、四インチ砲四門、水雷發射管六を装備し飛行機二臺を搭載してゐる。アルゼンチン海軍は南米第一であり、かつて日露戰爭の折わが國は同國の軍艦二隻を購入「日進」「春日」と命名して活躍させたことがあり、海の日亞親善は今日までも極めてふかいものがある。
  6. ^ ようこそ海の友 アルゼンチン 練習艦隊 お土産積んで近く訪日(東京十九日同盟)[15] 日本海海戰當時「春日」をわが國に譲渡して以來海の因縁深い南米アルゼンテンの練習巡洋艦アルゼンチナ號(七六〇〇トン)は、紀元二千六百年慶祝の晴れの使命を擔つて二十日午前十時横濱に入港する。同艦は艦長バンチン大佐指揮に若き候補生八十二名ほか下士官兵總印六百五十四名が乗組み(中略)同艦は横濱市に二十六日まで碇泊して神戸に向ひ、七月三日神戸を出港マニラに向ふがアルゼンチン國練習艦の我國來訪は三回目十五年ぶりである。
  7. ^ 〔 東京十九日 〕[1] 日本海々戰當時春日を我國に譲渡して以來海の因縁深い南米アルゼンチンの練習巡洋艦アルゼンチナ號(七六〇〇噸)は紀元二千六百年慶祝の晴れの使命を荷負つて二十日午前十時横濱に入港した
    同艦は艦長バウチン大佐指揮の下に若き候補生八十二名外、下士官兵總員六百五十四名か乗組特に友邦の式年を祝する贈物として名畫デイアデ、ソールに「「日本建國二千六百年祭に當りアルゼンチン國海軍より日本海軍に贈る」と言ふ献辭を附して積込んでゐる
    同艦は廿六日まで横濱に、碇泊して神戸に向ひ七月三日神戸出發マニラニ向ふがアルゼンチン國練習艦の我國来訪はこれで三回目十五年振りである(記事おわり)
  8. ^ ◎謁見[18] ◎謁見 アルゼンティン國練習艦ラ、アルヘンティーナ艦長海軍大佐アベラルド、パンティン竝同艦副長海軍中佐ホセ、アー、デレピアーネ今般渡來ニ付敬意ヲ表スルタメ本邦駐劄同國特命全權公使ドクトル、ロドルフォ、モレーノ同件一昨二十二日午前十一時三十分 天皇陛下ニ謁見仰付ケラレタリ
  9. ^ ◎ア號艦長に勲章傳達[19] ……今日午後十二時半吉田滿相を訪問したアルゼンチーナ號艦長アベラルド・ド・バンテイン大佐に日本より贈られた勲章が傳達された。寫眞はその傳達式(記事おわり)
  10. ^ 【横濱廿五日同盟】[3] 去る廿四日横濱に入港したアルゼンチン軍艦アルヘンチナ號は廿五日午後四時横濱を出航、神戸に向つたが出航に先立ち住山海軍次官、近藤軍令部次長は同艦に至り、松村神奈川縣知事モレノ駐日アルゼンチン公使他列席の下にパンチン艦長に對しアルゼンチンから贈られた油繪の答禮として日本海軍から贈る七寶焼の花瓶一基を贈呈、午餐を共にし、和氣藹々裡に最後の歡を盡した(記事おわり)

脚注

  1. ^ a b アルゼンチン練習艦 二十日横濱入港”. Rima Nippō. pp. 03 (1940年6月20日). 2023年10月15日閲覧。
  2. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 139aアルゼンチン/軽巡洋艦「ラ・アルヘンティーナ」 LA ARGENTINA
  3. ^ a b c 南米の海の使節 アルゼンチナ號 神戸に向ふ”. Burajiru Jihō. pp. 03 (1940年6月26日). 2023年10月15日閲覧。
  4. ^ 海軍省年報、昭和15年 1942, p. 21原本23頁
  5. ^ a b アルゼンチン練習艦 訪日の途次六月當地寄港”. Nippu Jiji. pp. 03 (1940年7月3日). 2023年10月15日閲覧。
  6. ^ ◎◎ア號艦長に勲章傳達◎◎”. Kashū Mainichi Shinbun. pp. 02 (1940年7月23日). 2023年10月15日閲覧。
  7. ^ a b 外務省報第四百四十六号(昭和十五年七月一日)/宮廷記事(外務省外交史料館)外務省報 第二十五巻(外・報25) 」 アジア歴史資料センター Ref.B13091863900 
  8. ^ ようこそ友邦練習艦 アルゼンチナ號を迎へ美しい日亞親善風景”. Nippu Jiji. pp. 03 (1940年6月20日). 2023年10月15日閲覧。
  9. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 115aイタリア/重巡洋艦「トレント」級 TRENTO CLASS
  10. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 138aアルゼンチン/重巡洋艦「ベインティシンコ・デ・マヨ」級 VEINTICINCO DE MAYO CLASS
  11. ^ a b 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 139b.
  12. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 83イギリス/軽巡洋艦「アリシューザ」級 ARETHUSA CLASS
  13. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1940.03.11、新世界朝日新聞/nws_19400311(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022384600  p.2
  14. ^ 大博参加のアルゼンチーナ號 練習生を乗せ日本へ 桑港碇泊地中猶太人が頻りに水兵達に百圓紙幣賣付けた”. Nichibei Shinbun. pp. 03 (1940年5月28日). 2023年10月15日閲覧。
  15. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1940.06.20、新世界朝日新聞/nws_19400620(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022404800  p.3
  16. ^ 6月(3)/昭和15年6月~8月 海軍公報(部内限)中巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070388700  pp.49-50〔 海軍公報(部内限)第3532号、昭和15年6月20日/○艦船所在 ○六月二十日午前十時(以下略) 〕
  17. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1940.06.21、新世界朝日新聞/nws_19400621(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022405000  p.3〔 南米からの海の使節 横濱の歡迎陣(横濱二十日同盟)
  18. ^ 昭和15年06月24日(月)官報第4038号。国立国会図書館デジタルコレクションコマ9(原本785)
  19. ^ ◎ア號艦長に勲章傳達”. Kawai Shinpō. pp. 04 (1940年9月17日). 2023年10月15日閲覧。
  20. ^ アルゼンチナ號歡迎會”. Nippu Jiji. pp. 02 (1940年6月22日). 2023年10月15日閲覧。
  21. ^ 6月(4)/昭和15年6月~8月 海軍公報(部内限)中巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070388800  pp.31-32〔 海軍公報(部内限)第3537号、昭和15年6月26日/○艦船所在 ○六月二十六日午前十時(以下略) 〕
  22. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1940.07.04、新世界朝日新聞/nws_19400704(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022407400  p.3〔 アルゼンチン練習艦隊歸途につく(神戸三日同盟) 〕
  23. ^ アルゼンチナ號神戸出港【神戸三日同盟】”. Nippu Jiji. pp. 02 (1940年7月3日). 2023年10月15日閲覧。


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