艦形
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「メスディイェ (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
近代化改装の内容は老朽化した機関を新型機関に換装し、速度性能と航続性能の改善に合った。甲板上の帆走設備は全て撤去され、これにより甲板上を広く使用することが出来たため、建造当時でさえ旧態化していた主砲の舷側配置を改めた。主武装は前弩級戦艦のように甲板上の前後に砲塔に収めた。既存の砲廓部には主砲に換えて副砲として中口径の速射砲を収め、新たに船体各所に対水雷艇の搭載を含む火砲の新型化が行われた。船体形状の改正など大規模な工事が行われた結果、艦容は近代化されて同世代の装甲巡洋艦と見紛う外観となった。 主砲にはイギリスの装甲巡洋艦の主砲として広く用いられている23.4cm砲が選ばれ、これを衝角の付いた艦首から前部甲板上に設けられたバーベットの上に楕円筒型の単装式主砲塔で1基を配置、その背後から上部構造物が開始し、その上に司令塔を兼ねた艦橋の両脇には船橋(ブリッジ)が設置された。機関配置の変更に伴い、ボイラー室の位置が前進したために2本煙突も艦橋の真後ろに立てられた。2本煙突の両側にキセル型の通風筒が片舷3基ずつ計6基立ち、その下部に推進機関室を配置したためにスペースを無駄にせず原型の2番マストと似た場所に二段の見張り所を持つミリタリー・マストが1基配置され、二段目の見張り所の左右には対水雷艇迎撃用に4.7cm(43口径)単装速射砲2基が配置され、その周囲は艦載艇とした。艦載艇は後部ミリタリーマストの基部のクレーン4基と2本1組のボート・ダビッドが片舷に2組ずつ計4組により運用された。マストの後ろに後部見張り所があり、そこから甲板一段分下がって後部甲板が始まり、23.4cm単装主砲塔が後ろ向きに1基配置された。 前述のとおり改装前にあった砲廓(ケースメイト)は撤去されずにそのまま副砲として15.2cm速射砲が収められ、単装砲架で片舷6基ずつ計12基が配置された。また、新たに対水雷艇用に57mm単装速射砲が10基装備されたが、搭載位置は艦載艇置き場の四隅に片舷2基ずつ計4基、1番主砲塔の側面に1基ずつ計2基、艦尾側の左右に1基ずつ計2基、そして司令塔の天蓋に1基と後部見張り所に後ろ向きに1基の配置である。この武装配置により前後方向に最大で23.4cm砲1門・15.2cm砲2門・5.7cm砲4門、左右方向に23.4cm砲2門、15.2cm砲4門・5.7cm砲5門を向けることが出来る設計であった。 しかし、当時のオスマン帝国海軍は慢性的な予算難にあり、主砲の代金支払いが竣工までに間に合わず、主砲塔こそ据え付けられた物の、肝心の主砲身は取り付けられなかった。そのため、見栄えの観点から主砲身は木製のダミーを砲塔に取り付けられたが結局の所、戦没の日まで本艦の主砲身はダミーのままであった。そのため本艦の主武装は副兵装の15.2cm単装速射砲12基であると言えるがそれでも船体の大きさを考えれば充分な火力である。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 14:11 UTC 版)
船体形状は小型の船体に準戦艦級の主砲を積む関係から水面から乾舷が低い平甲板型船体となっており、同時期にイギリスで建造された大日本帝国海軍の防護巡洋艦「浪速型」に似た艦容である。 艦の構造を前部から記述すると、水面下に衝角の付き、水線部に35.6cm水中魚雷発射管の付く艦首、主砲の25.4cm単装砲は基部のみ装甲で覆う露砲塔に1基が配置され、その後方に2本のヤードに挟まれた見張り所を持つ単脚式の前部マストが立つ。その後方に両脇に船橋を持つ操舵艦橋が配置され、船体中央部に2本煙突が立つ。その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。 左右の舷側に張りだしが設けられ、そこに副砲である15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で等間隔に片舷3基ずつ計6基が配置された。後部マストと後部見張所で上部構造物が終了し、その下の後部甲板上に2番主砲塔が1基配置された。 1907年に3番艦「ストロンボリ」が除籍された後に「エトナ」と「ヴェスヴィオ」は近代化改装されて練習艦に類別された。船体は再建造され、舷側は大きく嵩上げされて反り返りが付いた事により乾舷が高くなった。艦橋は前方に移動されて前部マストの基部となった。武装は全て速射砲に一新され、「エトナ」は15.2cm単装速射砲を舷側部に片舷2基ずつ計4基、12cm単装速射砲を前後甲板上に1基ずつ計2基であったが「ヴェスヴィオ」は全て15cm単装速射砲8基に統一していた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/29 04:57 UTC 版)
船体形状は前級に引き続き乾舷の低い平甲板型船体となっている。水面から垂直に切り立った艦首水面下に衝角を持ち、平坦な艦首甲板上に34.3cmライフル砲を連装砲架に据えた292mm装甲を貼り合わせたバーベットが1基、その背後にから上部構造物が始まり、前部に司令塔の上に両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋の背後に直列に並んだ2本煙突とミリタリーマスト1本が立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために、遠くまで見回せる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれど、この時代の列強各国の大型艦の多くに見られたマストの形態であった。本艦のミリタリーマストは簡素な単脚式で頂部と中段の2段の見張り台が設けられており、4.7cm単装砲を配置した。 構造物の上は煙管型の通風筒が立ち並び、その外側は艦載艇置き場となっていた。艦載艇はミリタリーマストを基部とするクレーン1基と2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組により運用された。上部構造物の側面は厚さ152mmの鉄板が貼られ、帆船の舷側砲のように副砲の砲郭(ケースメイト)となっており、艦内に15.2cm速射砲が単装砲架で片舷3基ずつ計6基を搭載していた。 ミリタリー・マストの下に後部見張所で上部構造物は終了し、後部甲板上に後向きで2番主砲のバーベット1基が配置された。本艦の舷側のケースメイト(砲郭部)には舷側ケースメイト配置した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/08 14:25 UTC 版)
「クラースヌィイ・クルィーム (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体で凌波性は良好であった。全く傾斜の無い艦首甲板上に主砲の 「13cm(55口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、下部に司令塔を組み込んだ多層式の艦橋構造を基部として頂上部に測距儀を配置した三脚式の前檣が立ち、その背後に等間隔に並んだ3本煙突が立ち、舷側甲板上には13cm速射砲が片舷3基ずつ計6基を配置された。2番煙突と3番煙突後方の両脇に甲板を凹ませて45.7cm三連装魚雷発射管が片舷2基ずつ計4基を配置していた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2番煙突を基部とするトラス構造のクレーンを左右に1基ずつと、簡素な単脚式の後檣を基部とするジブ・クレーン1基により艦載艇が運用された。後部見張り所の背後に13cm速射砲が後向きに並列配置で2基が配置され、そこから甲板一段分下がって後部甲板上に機雷投下用の軌条(レール)が2本が艦尾に向かって設置されていた。船体側面にも13cm速射砲を舷側ケースメイト配置で艦橋の側面部に左右に片舷2基、後檣の左右に片舷1基を配置していた。この武装配置により艦首方向に最大で13cm砲5門を、左右方向に最大で13cm砲6門を、艦尾方向に最大で13cm砲を6門を指向することが出来た。 後にイタリアから「10cm(47口径)高角砲」を輸入した際に艦首甲板上に連装砲架で1基、後部甲板上に並列配置で2基を配置していた。しかし、この配置により艦首甲板上の13cm砲の射界を制限し、艦首方向に向けられる13cm砲は4門に減少した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/11 15:59 UTC 版)
「マズール (水雷艇)」の記事における「艦形」の解説
ポーランド海軍時代の本級の船体形状は艦首のみ乾舷の高い短船首楼型船体であった。艦首甲板上にシュナイダー社の7.5cm単装速射砲(en:Canon de 75 modèle 1897)を単装砲架で直列に2基配置し、箱型の艦橋構造を基部として簡素な単脚式のマスト前檣が立ち、艦橋に隣接して1本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、ボート・ダビットが片舷1基ずつ計2基配置されて運用される。後部見張り台の後部甲板上に7.5cm主砲が単装砲架で後向きに直列で2基ずつ配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:19 UTC 版)
本級の船体構造は長船首楼型船体で、全長に比べて船体の幅が狭いという前弩級戦艦特有の船体形状をしていた。基本デザインは前級を踏襲している。艦首から順に構造を記述すれば、艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付き、その下部には弩級戦艦にも受け継がれる水中魚雷発射管がある。主砲は新設計の「1906年型 30.5cm(45口径)砲」を楔箱形の連装砲塔におさめて1基を配置。その背後には司令塔を組み込んだ操舵艦橋の背後に円柱状のミリタリー・マストが立ち、マストには4.7cm砲を配置した二段の見張り台が設けられていた。船体中央部の煙突の本数は前級よりも1本減った2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、その運用のために2番煙突の後方にグース・ネック(鴨の首)型クレーンが片舷1基ずつ計2基を配置した。後部艦橋の上にマストが立つ。甲板一段分下がった後部甲板上に後向きに2番主砲塔が1基配置され、艦尾には艦長室が設けられた。左右の舷側甲板上には中間砲として20.3cm砲を楔箱形の連装砲塔におさめて片舷2基を背中合わせに配置して計4基を搭載した。更に舷側には副砲の17.8cm速射砲を片舷に等間隔に4基を配置して計8基を搭載した。この武装配置により艦首尾方向に最大で30.5cm砲2門・20.3cm砲4門・17.8cm砲2門が、左右舷側方向に最大で30.5cm砲2門・20.3cm砲4門・17.8cm砲4門が指向できた。 竣工後の1909年に、後部艦橋上のマストの代わりに頂上部に見張り所を持つ籠状の後部マストが設置された。後に1911年から前部ミリタリー・マストも同形式の籠状マストに更新され、前後対称的な外観となった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 19:18 UTC 版)
船体は平甲板型船体であった。水面下に衝角(ラム)の付いた艦首から甲板上にクルップ製21cmライフル砲を連装砲架で艦首甲板上に1基配置した。その背後に司令塔を組み込み、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部ミリタリーマストが立つ。船体中央部に1本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、舷側に2本1組のボート・ダビッドが片舷2基ずつ計4組で運用されていた。副武装のクルップ 15.2cmライフル砲は船体中央部の舷側に張り出しを設け、そこに防盾の付いた単装砲架で片舷1基ずつ計2基を配置し、5.7cm速射砲は単装砲架で舷側甲板上に片舷4基ずつ計8基が配置された。その後方に後部ミリタリーマストと21cm単装砲が後向きに1基が配置された。 この武装配置により艦首方向に最大で21cm砲2門・15.2cm砲2門、舷側方向に最大で21cm砲3門・15.2cm砲1門・5.7cm砲4門、艦尾方向に最大で21cm砲1門・15.2cm砲2門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/28 09:31 UTC 版)
「チャカブコ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は平甲板型船体となっており、艦の構造を前部から記述すると、水面下に衝角と45cm水中魚雷発射管1門を内蔵させた艦首、艦首甲板上に主砲の20.3cm砲を防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔を組み込んだ両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋を基部として単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっていた。艦載艇は前後マストの基部に1基ずつ付いたクレーン計2基と2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組により運用された。左右の舷側に張りだし(スポンソン)が片舷2か所ずつ設けられ、そこと舷側甲板上に副武装として12cm速射砲が片舷5基ずつ計10基が配置された。後部甲板上に2番主砲が後ろ向きに1基配置された。 就役後の1939年から1941年にかけて近代化改装が行なわれて全ての武装が撤去され、新たにアームストロング社の15.2cm(50口径)速射砲が単装砲架で6基、対空火器として5.7cm(40口径)高角砲が単装砲架で4基が搭載された。1945年に5.7cm高角砲の全てが撤去され、替りにエリコン20mm(70口径)機銃が単装砲架で10基に更新された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/09 14:52 UTC 版)
本型の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で衝角の付く艦首から艦首甲板上に「クルップ 26cm(35口径)砲」を単装砲で装填機構を装甲で覆った露砲塔に収めて1基、その背後に頂上部に見張り所を設けたミリタリー・マストが立ち、司令塔を組み込んだ箱型艦橋の後部に1本煙突が立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm - 47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式で本型も前後の見張り所に「オチキス 4.7cm(43口径)機砲」が単装砲架で3基ずつ計6基を配置した。煙突の周囲は煙管型の通風筒が立ち並ぶ艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドで運用された。舷側甲板上に等間隔に副砲の「15cm(35口径)砲」が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ計6基が配置されていた。艦載艇置き場の後部には基部にクレーンの付く後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上に2番主砲塔が配置された。 浪速型の旧式の克(クルップ)式主砲と副砲は全て、日清戦争と日露戦争の戦間期に安(アームストロング)式15.2cm単装速射砲に換装された。まず1895年 - 1898年の間に副砲の克式15cm(149.1mm)砲が安式40口径15.2cm(152mm)速射砲に換装された。その後1900年から1902年の間に主砲の克式26cm砲も安式(40口径もしくは45口径の2説あり)15.2cm速射砲に換装された。浪速は呉、高千穂は横須賀、で改装された。 船体は主甲板は水平部は50.8mm装甲、舷側に接する傾斜部は76.2mm装甲が貼られ、舷側装甲の代わりに石炭庫を設ける事で敵弾や浸水を石炭で食い止める防御様式となっていた。船体中央部には石炭専焼円缶が1室当たり3基が並列に並び前後2室で6基を配置した、後部の2段膨張式2気筒レシプロ機関を2基2軸推進で最大出力7,604馬力で速力18ノットを発揮した。1番艦「浪速」は1886年(明治19年)2月にイギリスで竣工し、日本人乗員による初めての日本回航となった。2番艦「高千穂」も同年4月とほぼ同時期に竣工している。1893年(明治26年)からのハワイ革命の際は両艦とも日系人保護のためホノルルへ派遣、日清戦争では黄海海戦を始め、大連、旅順、威海衛などの各攻略作戦に参加した。1898年(明治31年)の類別制定では二等巡洋艦に類別され、1904年(明治37年)からの日露戦争にも参加し、両艦とも日本海海戦などの各海戦に参加している。「浪速」は1912年(明治45年)に座礁のため喪失。「高千穂」は1912年(大正元年)に海防艦籍に編入され、第一次世界大戦では青島攻略戦(1914年)に参加したが、ドイツ水雷艇S90の雷撃により機雷が誘爆し沈没した。 本型の武装・装甲配置を示した図。 本型にも搭載された11mm10連装ノルデンフェルト砲を運用する水兵を示した図。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/21 22:47 UTC 版)
船体は船首楼型を採用している。主武装としてはクルップ製50口径5.9インチ(149mm)No.7単装砲を防盾付で背負式に前部へ2基、後部に1基の合計3基を搭載しており、艦形に比べ強力な砲火力が特徴であった。第二次大戦中にはレーダーの搭載や対空兵装の強化が行われている。
※この「艦形」の解説は、「フローレス級砲艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/04 08:53 UTC 版)
本級の基本構造は平甲板型船体で水面下に衝角の付く艦首から艦首甲板上に「1898年型 21cm(44口径)カノン砲」を収めた単装式の主砲塔が1基、その背後から上部構造物が始まり、司令塔を下部に組み込み、左右に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋が設けられ、頂上部に見張り所を持つ簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部には2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、煙突の後方は艦載艇置き場となっており、艦載艇は前後マストのボート・クレーンと2番煙突の側面に設けられた2本1組のボート・ダビッドが片舷1組ずつ計2組によって運用された。 舷側甲板上には副砲の15.2cm速射砲が単装式の砲塔に収められて片舷3基ずつ計6基が配置され、旋回する砲塔が上部構造部に干渉しないように片舷3カ所ずつ凹まされていた。その上部構造物は後部見張り所を基部とする後部マストが立った所で終了し、甲板一段分下がった後部甲板上には後ろ向きの21cm単装主砲塔の順である。この武装配置により前後方向に最大21cm砲1門・15.2cm砲2門、左右方向に最大21cm砲2門、15.2cm砲3門が指向できた。 1910年に前部マストを三脚型に改造するとともに頂上部に射撃指揮所が設けられた。1930年代に「マンリゲーテン」のみボイラーを重油専焼水管缶2基に改められた。「アラン」と「タッパレーテン」は5.7cm速射砲10基と45cm魚雷発射管2門を撤去して対空火器が5.7cm(55口径)高角砲が単装砲架で4基と2.5cm単装機銃2丁、8mm(80口径)単装機銃2丁が追加された。1940年に「アラン」が5.7cm砲1基を甲板上に移動し、ボフォース4cm機関砲を単装砲架で4基と8mm連装機銃2基を搭載した。 1941年に「マンリーゲーテン」のみ艦首をクリッパー型に整形されて全長が90.2mに延伸された。艦橋構造も大型化するとともにマスト位置も後方に移動した。ボイラーも新型に換装された。対空火器として5.7cm(55口径)高角砲4基、4cm単装機関砲4基、2.5cm機関砲2基が追加された。
※この「艦形」の解説は、「アラン級海防戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/04 08:40 UTC 版)
「フィルギア (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は高い乾舷を持つ平甲板型船体で外洋での凌波性は良好であった。水線下に衝角を持つ艦首から自国ボフォース社製「1903年型 15.2cm(50口径)速射砲」を連装砲塔に収め、艦首甲板上に1基配置、下部に司令塔を組み込んだ艦橋構造は左右に船橋(ブリッジ)を持つ箱型とし、その背後に一段の見張り所を持つ単棒式のミリタリー・マストが立つ。艦橋の背後に等間隔に並んだ3本煙突が立ち、その周囲には煙管上の通風筒が立ち並び、外縁部は艦載艇置き場となっており、3番煙突後部のグース・ネック(鴨の首)型クレーン2基と2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組で運用された。船体中央部の舷側甲板上には15.2cm連装砲塔が片舷1基ずつが配置している。後部甲板上には簡素な単脚式の後檣、そして後部甲板上に後ろ向きに15.2cm連装砲塔が1基配置された。 本艦は1930年代後半の1939年から1941年にかけて士官候補生用の練習艦として近代化改装が行われた。外観上の変化は艦首形状がクリッパー型艦首に整形され、艦橋構造が教室設備を含むために大型化して塔型艦橋となり、前部マスト簡素な単脚型になると共に後部マストが撤去された。また、機関が換装されてボイラー数が減少したので3本煙突のうち艦橋側の1本を撤去してファンネルキャップの付いた2本煙突となったのが識別点である。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 14:01 UTC 版)
「コンテ・ディ・カブール級戦艦」の記事における「艦形」の解説
船体は長船首楼型で、艦首から順に、前級より引き継いだ新設計の「1909年型30.5cm(46口径)砲」を搭載した1番・2番主砲塔を背負い式に配置、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、次いで1番煙突とそれを挟み込むように後ろに立った三脚檣、その背後に3番主砲塔を前向きに配置、2番煙突とそれを挟み込むように前に立った三脚式の後檣、次いで後部見張り所と探照灯台、そして4番・5番主砲塔を後ろ向きに背負い式に配置した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/04 08:54 UTC 版)
「スヴァリイェ級海防戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、艦首構造は冬は氷に閉ざされるバルト海で行動するために砕氷構造を持ち、艦首から艦尾に向けてなだらかに傾斜する甲板から前向きに「ボフォース 1912年型 28.3cm(44口径)砲」を連装砲塔に収めて1基を配置し、その後部から上部構造物が始まり、甲板1段分上がって副砲の「ボフォース 1912年型 15.2cm(50口径)速射砲」を連装砲塔に収めて1基を配置していた。艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ箱型とし、後部に単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組と後部マストの後部単脚檣の基部に1基ついたジブ・クレーンにより運用された。後部見張り所で上部構造物は終了し、一段下がった後部甲板上に28.3cm連装砲が後ろ向きに1基配置された。舷側甲板上には15.2cm砲が単装砲塔に収められ、片舷3基ずつ計6基が配置された。この武装配置により艦首方向に最大で28.3cm砲2門・15.2cm砲4門が指向でき、舷側方向に最大で28.3cm砲4門・15.2cm砲5門が指向できた。 各艦の船体サイズの相違は以下の通り。 艦名常備排水量満載排水量全長水線長全幅吃水スヴァリイェ 6,852トン 7,516トン 120.0m 119.7m 18.6m 6.5m 後の2艦 7,125トン 7,633トン 121.6m 120.9m 同上 6.7m 前述の1920年代の近代化改装で単脚式の前檣は、頂上部に4つの信号ヤードの付いた射撃方位盤室を持つ多層構造の三脚檣に改装され、後檣は撤去され、替わりに2番煙突の上部の左右に信号ヤードが設置された。また、船体の各所に対空火器が増設された。 1930年代の近代化改装で機関の換装が行われ、一番に目を引くのは煙突の形状で、「スヴァリイェ」は1番煙突を途中で後方に折り曲げて2番煙突に強く接近させた形状となった。「グスタフ5世」は2本の煙突の上部をそれぞれ結合させた複雑な形状となった。「ドロットニング・ヴィクトリア」は改装前と同様に2本煙突のままである。このため、他国海軍からは煙突の形状を見れば艦名識別は一目瞭然となってしまった。 近代化改装後の「スヴァリイェ」 近代化改装後の「ドロットニング・ヴィクトリア」 近代化改装後の「グスタフ5世」
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艦形
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「タンペート (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は乾舷の低い平甲板型船体となっている。水面部が衝角で突出した艦首から艦首甲板に34cm砲を2門収めた連装主砲塔が1基、その背後に主砲の射界を妨げないように幅の狭い上部構造物が始まり、 司令塔を組み込んだ艦橋の背後に主ミリタリーマストと1本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビッドが片舷に2組ずつ計4組で運用された。
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艦形
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「ヴァンジュール (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は乾舷の低い平甲板型船体となっている。水面部が衝角で突出した艦首から艦首甲板に34cm砲を2門収めた連装主砲塔が1基、その背後に主砲の射界を妨げないように幅の狭い上部構造物が始まり、 司令塔を組み込んだ艦橋の背後に主ミリタリーマストと1本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビッドが片舷に2組ずつ計4組で運用された。
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艦形
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「クラースヌイ・カフカース (重巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体で凌波性は良好であった。全くシア(甲板の傾斜)の無い艦首甲板上に主砲の「18cm(57口径)速射砲」を単装式の砲塔に収め、背負い式で2配置基、下部に司令塔を組み込んだ多層式の艦橋構造を基部として頂上部に測距儀所を持つ三脚式の前檣が立ち、その背後に2本煙突が立つ。その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。舷側甲板上には国産の6.3cm高角砲が単装砲架で片舷2基ずつ計4基を配置したが、後にイタリアから輸入した「10cm(47口径)高角砲」が連装砲架で片舷2基ずつ計4基に換装された。2番煙突の基部から甲板一段分下がって、舷側甲板上に53.3cm三連装魚雷発射管を片舷2基ずつ計4基を配置していた。2番煙突の後部から艦載艇置き場となっており、簡素な三脚式の後檣を基部としてトラス構造のクレーンが1基が付き、それで運用された。後部甲板上に18cm単装砲塔が後向きに背負い式配置で2基配置され、甲板の艦尾側に機雷の投下軌条(レール)が並列に2基を艦尾まで設置されていた。
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艦形
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「インフレキシブル (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は平甲板型船体に2本の帆走ブリッグ型マストと2本煙突を持つ装甲フリゲートである。水面下に衝角を持つ艦首から幅の狭い船首楼が始まり、その上の前部マストの後方に位置する1番煙突で終了した。船首楼と後部上部構造物の幅は主砲塔の射界を確保するために船体幅の半分しか持たず、艦内容積を狭めた。 そこから甲板1段分下がった船体中央部の甲板上にアームストロング(後のアームストロング・ホイットワース)製「40.6cm(18口径)前装填砲」を2門ずつ収めた鍋を伏せたような形状の主砲塔2基を、船体中央部に位置する両脇に船橋を持つ操舵艦橋を挟むように左舷側前方に1番主砲塔を、右舷側後方に2番主砲塔を梯型配置で2基を配置していた。2番煙突の背後から上部構造部が始まり、その上に後部マストが立つ。この時期には艦載艇も蒸気機関で航行する物が搭載され、本艦には艦載水雷艇も積まれた。これら艦載艇は爆風を避けるために後部マストの周囲に並べられ、後部マストの基部に付いたボート・クレーンにより運用された。艦尾水面下には1枚舵を挟むように2枚羽のスクリュープロペラが片舷1軸ずつ計2軸推進であった。 本艦は1898年から1899年11月に近代化改装され、機関を強化して帆走設備を全て撤去し、帆走用だったマストは1段の見張り所を持つミリタリー・マストに一新され、見張り所に4.7cmクラスの速射砲を並列で前後2基ずつ配置された。この時に船体中央部にあった操舵艦橋は1番煙突の前側に移動されて爆風が避けられる設計となった。船首楼から後部構造物への移動を容易に行えるように前後の煙突の中部に「空中甲板(フライング・デッキ)」が設けられた。
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艦形
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「エリサベタ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は乾舷の低い平甲板型船体に帆走用のマスト3本が立つ初期の防護巡洋艦である。水面下に衝角(ラム)を持つ艦首から艦首甲板上に操舵艦橋と簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部には1本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風筒が立っている。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組として片舷3組ずつ計6組のボート・ダビットにより運用された。舷側部には2か所の張り出しが設けられ、そこに主砲の15cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷2基ずつ計4基が配置された。後部甲板には後部マスト2本が立つ。副武装の5.7cm速射砲は単装砲架で艦首甲板上と艦尾甲板上に並列配置で2基ずつの計4基を配置した。
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艦形
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「ロード・クライヴ級モニター」の記事における「艦形」の解説
本級の基本構造は乾舷が低い平甲板型船体の艦首に1基の砲塔を配置していた。その背後に操舵艦橋を基部に持つ不釣合いなほどに高い、頂上部に見張り所を持つ三脚式のマスト、中央部に細い1本煙突が立つ。船体の断面図は安定性を増すために船体下部にバルジを装着している。舷側には沿岸砲台からの砲撃を受けた時の防御として最厚として152mm装甲が貼られ、甲板防御も同時代のイギリス軽巡洋艦と同等の25mmから51mm装甲を貼られた。
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艦形
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「コロンビア級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体構造は平甲板型船体で、艦首から順に構造を記述すれば、艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付き、艦首甲板上に15.2cmライフル砲を防盾の付いた単装砲架で並列で2基を配置。その背後から上部構造物が始まり、司令塔を組み込んだ操舵艦橋を基部として簡素な前部マストが立つ。船体中央部の煙突の本数は「コロンビア」は4本で、「ミネアポリス」は2本で異なっていた。その周囲は煙管状の通風筒が立ち並び、舷側は艦載艇置き場となっており、その運用のために2本1組のボート・ダビッドが片舷4組ずつ計8組で運用された。 後部マストが立った所で上部構造物が終了し、甲板一段分下がった後部甲板上に20.3cmライフル砲が単装で1基が後ろ向きに配置された。舷側には10.2cm速射砲が舷側ケースメイト(砲郭)配置で片舷4基ずつ計2基が配置された。他に近接火器として5.7cm速射砲が上部構造物と舷側に計12基を配置していた。 就役後に20.3cmライフル砲1基が撤去され、代わりに15.2cm砲1門が搭載された。1919年に艦橋構造を大型化して、前後のマストを延長して無線設備の強化を行った際に前後に見張り所を設けた。後部マストの基部に無線所が新設された。武装面においては舷側の前後の10.2cm速射砲4基と水雷兵装全てが撤去され、代わりに「Mark10 7.6cm(50口径)高角砲」が単装砲架で2基が搭載された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 09:50 UTC 版)
「アミラル・オーブ級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は前型と同じく高い乾舷を持つ長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。艦首から前向きに19.4cm単装主砲塔1基を配置、艦橋構造は箱型とし、その上に二段の見張り所を持つミリタリー・マストが立つ。ミリタリー・マストの頂部の見張り所は上段が探照灯台で下段に4.7cm機関砲が配置された。 艦橋の背後に4本の煙突が立っているが、ボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は2番煙突と3番煙突の間は広く取られており、間に四角形の通風筒が立っている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、舷側に艦載艇用の揚収クレーン片舷8基計16基が配置されている。4番煙突から後ろは簡便な単脚檣、後ろ向きに19.4cm単装主砲塔1基が載る。 副砲は前述の通り16.3cm単装速射砲8門のうち4門が単装砲塔に収められ、船体中央部に片舷2基ずつの計4基が配置され、残りは単装ケースメイト配置で艦橋の左右に1基ずつ、後檣の左右に1基ずつの計4基が配置され前方方向に最大4門、左右方向に最大4門が指向出来た。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 09:49 UTC 版)
本艦の基本構造は装甲艦時代の影響を残す平甲板型船体で水面下に衝角の付く艦首から艦首甲板上に25.4cm後装填砲を収めた連装式主砲塔が1基配置、その背後から上部構造物が始まり、司令塔を下部に組み込み、左右に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋が設けられ、頂上部に見張り所を持つミリタリー・マストが立つ。船体中央部には2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、煙突の後方は艦載艇置き場となっており、艦載艇は船体後部に設けられた2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組によって運用された。その下の上部構造物の側面に副砲として15.2cm単装砲を舷側ケースメイト配置で片舷2基ずつ計4基が配置された。他に艦上に3.7cm機砲2基、2.5cm単装機砲4基、12mm(78口径)単装機銃1丁と38.1cm水中魚雷発射管1門を艦首に装備した。 本級は1903年から1906年にかけて近代化改装を受け、主砲は21cm単装砲塔に換装、副砲は15.2cm(44口径)速射砲が単装砲塔に収められて片舷3基ずつと後部甲板上に1基の計7基が配置された。 各艦の船体サイズの相違は以下の通り 艦名常備排水量常備排水量全長全幅吃水乗員数スヴェア 3,051トン 3.273トン 75.7m 14.8m 5.18m 252名 イェータ 3,228トン 3,300トン 78.8m 14.6m 5.1mm ← トゥーレ 3,248トン ← 79.5m 15.7m ← ←
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 14:31 UTC 版)
「カンパーニア級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で艦首から艦首甲板上に「アームストロング 1892年型 15.2cm(40口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、その背後に頂上部に見張り所を設けた簡素なマストが立ち、司令塔を組み込んだ箱型艦橋の後部に1本煙突が立つ。主砲の一部は舷側の砲郭部にも配置され、砲郭は前後に間隔を開けて配置され、15.2cm速射砲を片舷2基を配置した。煙突の周囲は煙管型の通風筒が立つ艦載艇置き場となっており、艦載艇置き場の後部には基部にジブ・クレーンの付く後部マストが1本立ち、その後ろの後部甲板上に防盾の付いた6番主砲が1基配置された。船体の側面部には植民地警備時の通風を良くするために至る所に舷窓が開けられた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 09:32 UTC 版)
本級の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で艦首水面下に衝角の付く艦首から艦首甲板上に「アームストロング Marks XXIII 15.2cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、下部に司令塔を組み込んだ船橋を持つ操舵艦橋の背後には簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ2本煙突が立ち。煙突の周囲は煙管型の通風筒が立ち並ぶ艦載艇置き場となっており、艦載艇は前部マストの基部に付いたジブ・クレーン1基により運用された他に、舷側に付いた2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組でも運用された。前後のマストの左右に副砲の「10.2cm(50口径)速射砲」が防盾の付いた単装砲架で片舷2基ずつ計4基が配置されていた。艦載艇置き場の後部には簡素な後部マストが立ち、その後ろの後部甲板上に2番主砲が後向きに1基が配置された。 船体の主甲板は平面部は68mm装甲が貼られ、舷側装甲の変わりに石炭庫を設ける事で敵弾や浸水を石炭で食い止める防御様式と成っていた。
※この「艦形」の解説は、「肇和級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 19:23 UTC 版)
「インファンタ・マリア・テレサ級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級は平甲板型船体を採用した。水面下に当時の主流である衝角を持つ艦首から前部甲板上に前向きに単装式の露砲塔1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込み、船橋を両側に持つ箱型とし、その後部に頂上部に見張り所を持つ簡素な単脚檣が立つ。単脚檣の背後に2本煙突が立ち、艦内への吸気用として煙管型の通風筒が立てられている。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、その後ろは簡素な単脚檣、後ろ向きに露砲塔1基が配置。左右の舷側甲板上には14cm単装砲が断片防御程度の防盾を付けられており甲板上に単装砲架で片舷に5基ずつ計10基が配置された。この武装配置により前後方向に28cm砲1門、14cm砲2門、左右方向に28cm砲2門、14cm砲5門を向けることが出来た。 防御装甲は舷側水線部に254mmから305mmの装甲が貼られており、装甲厚では戦艦並みで全長の2/3を防御するものであった反面、装甲板の高さが低かった。また、主砲のバーベット部こそ228mmもあったが、写真で砲塔に見えるのは断片防御程度の装甲で出来た防護盾で主砲の基部に被せてあるだけの代物であり完全な砲塔形式ではない。
※この「艦形」の解説は、「インファンタ・マリア・テレサ級装甲巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 03:44 UTC 版)
「ドミトリー・ドンスコイ (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は平甲板型船体に3本のマストと2本煙突を持つ装甲フリゲートで、艦首水面下に衝角を持ち、船体中央部に船橋を持つ。艦橋の背後には2本煙突が立ち、船体中央部の砲郭(ケースメイト)部に主武装を左右均等に配置していた。 1894 - 1895年には近代化改装が施され、機関を強化して帆走設備を撤去し、マスト上に3.7cm - 4.7cmクラスの速射砲を配置した見張り所を設けた。
※この「艦形」の解説は、「ドミトリー・ドンスコイ (装甲艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/17 04:14 UTC 版)
駆逐艦の普及前の19世紀末に魚雷の運用艦として流行した小型・高速の水雷砲艦と呼ばれる艦種で、後に駆逐艦に類別された。排水量837トンの鋼製の船体で、艦首は波除を良くするため亀の甲のように甲板が凸断面となったタートルバック型を採用、2本のマストと4本の煙突を備えた。ヤーロー式水管式缶を用いた蒸気機関で速力22ノットを発揮した。 主砲は4インチ(102mm)単装速射砲を艦首と艦尾に1基ずつ備え、補助火砲として6ポンド速射砲6門と1ポンド速射砲4門を有した。また、水雷兵装は、上甲板の魚雷発射管3基のほかに外装水雷(スパートーピード)3基も搭載していた。
※この「艦形」の解説は、「飛鷹 (水雷砲艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/10 03:42 UTC 版)
「イルマリネン級海防戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級は波の穏やかなバルト海での行動を考えた平甲板型船体だが、艦首形状は冬季には港が氷に閉ざされるために砕氷型艦首となっていた。前方から艦の構造を記述すると、軽くシア(甲板の反り返り)の付いた艦首甲板に新設計の「ボフォース 25.4cm(46口径)砲」を箱形の連装砲塔に収めて1基を配置。その後部から上部構造物が始まり、副武装の「ボフォース 10.5cm(50口径)高角砲」を防盾の付いた連装砲架で1基を配置している。その背後に司令塔を組み込んだ操舵艦橋の上には測距儀1基が載る。船体中央部には中段に探照灯台が付いた円柱状の単脚檣1基と1本煙突が立ち、煙突を両側から挟み込むように10.5cm連装高角砲が舷側甲板上に片舷1基ずつ配置され、その後部に艦載艇が並べられ、単脚檣を基部とするクレーン1基により運用された。煙突の背後に対空指揮装置が置かれ、その後部に10.5cm連装高角砲1基と2番主砲塔が後ろ向きに1基ずつ配置された。小型の船体ながら武装は効率よく配置され、前後方向に最大で25.4cm砲2門と10.5cm砲6門が、左右方向に最大で25.4cm砲4門と10.5cm砲が6門指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 15:34 UTC 版)
「ロンバルディア級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は乾舷の低い平甲板型船体である。艦の構造を前部から記述すると、水面下に衝角の付いた艦首から水線上部に45.7cm魚雷発射管が単装で1門を内蔵した。艦首甲板上には前部マストが立ち、それを跨ぐように主武装の15.2cm(32口径)速射砲が防盾の付いた単装砲架で並列配置で1番・2番主砲2基が前部に配置された。 その後方に両脇に船橋を持つ操舵艦橋が配置され、船体中央部に2本煙突が立つ。その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。 左右の舷側に張りだしが三か所設けられ、そこに副砲である12cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で等間隔に片舷3基ずつ計6基が配置された。後部見張所と後部マストで上部構造物が終了し、その下の後部甲板上に3番・4番2番主砲が並列配置で2基ずつで計4基配置された。また、1905年に主砲15.2cm速射砲を2門減じ、替わりに12cm速射砲を2門増設した。 本級のうち「カラブリア」のみ艦形が異なり、ろくな整備施設の無い植民地で運用するために艦底部には牡蠣や海草の付着を防ぐために亜鉛板が貼られ、3本マストと1本煙突で主砲も15.2cm(40口径)速射砲となっており外観が異なっていた。
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艦形
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「ブレムゼ (砲術練習艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体は平甲板型船体であった。切り立った艦首形状から乾舷の高い艦首甲板上に「SK C/34 12.7cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、その後ろに両脇に船橋をもつ箱型の艦橋の頂上部に主測距儀が置かれ、その後ろに頂上部に測距儀室を設けた三脚式の前部マストが立つ。 本級の機関はディーゼル機関のために高い煙突を必要としていないが、威容のためにファンネルキャップの付いた2本煙突が立てられており、機関のシフト配置により煙突の間は前後に広く離されていた。煙突の間に2番主砲が配置され、その周囲は艦載艇置き場となっており、煙突の基部に前後に1基ずつ計2基付いた小型のクレーンにより運用された。2番煙突の後方に測距儀を乗せた後部見張所が設けられ、後部甲板上に後向きの3番・4番主砲が背負い式に2基配置され、艦尾側に機雷が配置された。 小型の船体に三脚マストや高い煙突を立てたためにトップヘビーとなって安定性を欠き、本艦の存在理由である砲術訓練に支障を来したために竣工後の1930年代に測距儀室と共に三脚マストが撤去され、簡素な単脚式に変更された。煙突の高さも低くされてファンネルキャップも撤去された。
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艦形
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本級の基本デザインは同時期に設計された「シャルンホルスト級戦艦」にほぼ近い物であった。本級の基本形状は平甲板型船体である。艦首を前方に向けた強く傾斜させたアトランティック・バウを設計段階から導入しており、艦首甲板には強いシア(甲板の傾斜)が付き、そこに「SK C/34 38cm(52口径)砲」を収めた連装砲塔を背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、艦橋構造は、新戦艦「ビスマルク級」に酷似した司令塔を組み込んだ箱型の操舵艦橋である。その後部から頂上部に測距儀を配置し、中部に見張り所を持つ戦闘艦橋が立つ。操舵艦橋の側面部には副砲の「SK C/28 1928年型 15cm(55口径)速射砲」を連装砲塔に収めて1番・2番副砲塔を片舷1基ずつ配置した。 船体中央部に2本煙突が立つが、1番煙突の基部は水上機格納庫となっており、水上機は中央部甲板上に首尾線方向に対して垂直に埋め込まれたカタパルトにより左右に射出される。水上機と艦載艇は格納庫脇に片舷1基ずつの計2基配置されたクレーンにより運用される設計であった。2番煙突を基部として後部マストが立ち、後部測距儀所の後ろに後向きに3番副砲塔1基、後部甲板上に3番主砲塔1基が疑似的な背負い式配置となっていた。舷側甲板上には高角砲の「SKC/33 10.5cm(65口径)高角砲」が連装砲架で1番煙突の側面と後部測距儀塔の側面に片舷2基ずつの計4基が配置された。この武装配置により艦首方向に最大で38cm砲4門・15cm砲4門・10.5cm砲4門が、舷側方向に最大で38cm砲6門・15cm砲4門・10.5cm砲4門が、艦首方向に最大で38cm砲2門・15cm砲2門・10.5cm砲4門が指向できた。
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艦形
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本級の基本設計はエメラルド級軽巡洋艦延長であるが基準排水量が1万トン台の大型となったため、水面からの乾舷が艦首から艦尾まで高く、側面には凌波性を良くするフレア(反り返り)の付いた平甲板型船体を採用できた。水線部の船体形状は船体長は192mもあり、船体の幅を抑えた水の抵抗を少ない船体形状に成形した事により少ない機関出力でも高速を出しやすい形状であった。 垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に20.3cm砲を収めた連装式の主砲塔が背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に近代的な塔型艦橋が立つが前級において2番主砲塔と艦橋の位置が近かったために前部主砲を側面に向けて撃つと爆風被害を受けるために本級において約7.5m間隔が開けられたのが外観上の識別点である。 艦橋の背後に簡素な単脚式の前後マストに挟まれるように2番煙突のみ太い3本煙突が立つ。艦橋に煤煙がかからないように煙突は後方に傾斜されたが、効果が無かったために公試中に煙突を約4.6m高くして改善する必要があった。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボード・ダビッドが片舷4組ずつ計8組により運用された。 中央甲板の後方は水上機施設で、水上機は3番煙突の基部に設けられたクレーンが片舷1基ずつ計2基で運用され、船体後部に水上機1機を収められる格納庫が設けられ、上部は後部見張所を兼ねていた。後部マストの後方の後部甲板上に20.3cm連装砲塔が後向きに背負い式配置で2基配置された。 本級の副武装・対空火器として10.2cm高角砲は単装砲架で片舷2基ずつ計4基が3本煙突の側面に配置され、舷側甲板上に53.3cm四連装魚雷発射管で片舷1基ずつ計2基が配置された。舷側部は客船のように艦首から艦尾まで上下2列の舷窓が立ち並び、同時期のフランス海軍の巡洋艦と同じく海外に植民地を持つ外洋海軍ならではの高温多湿の海外任務で乗員が健康を損ねないように設計されている事が伺える。 なお、ロンドンのみ1939年~1941年にかけてチャタム海軍工廠にて大規模な改装が行われ、艦橋構造はクラウン・コロニー級軽巡洋艦に準じた形状に代わり、前後のマストは三脚型に更新、煙突の本数は2本煙突となった。格納庫は1番煙突の基部に変更されたが対空火器の増設により航空施設は廃止された。この改造により重量増加して船体にゆがみが生じて漏水する始末で、舷側と船底に新たに外板を張り増す必要があった。
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艦形
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「ブレニュス (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
タイプシップは前級である「マルソー級」に採っていたが、前述の通り新しい設計思想により近代化された設計で、全周を装甲で覆われた連装砲塔や砲塔化された副砲、ベルヴィール式高温高圧缶、前時代的な衝角の廃止などを盛り込んだ時代を先取りした艦であった。 主錨は前級までは甲板に直置きするアンカー・ベット方式から現代艦のように垂直に切り立つ艦首の鎖口に引き込む方式をいち早く採用している。艦首甲板から前向きに連装式の主砲塔1基を配置、前檣は艦橋構造を主砲塔上部にオーバーハングさせた特徴あるものであり、頂上部に対水雷艇迎撃用の47mm単装速射砲を配置したミリタリーマストが建っている。その背後に断面形状が箱型の煙突が2本立ち、その周りは艦載艇置き場となっており3本のボート・ダビットにより揚収される。 中央部甲板には近代的な円筒型の16cm単装副砲塔が背中合わせに2基ずつ配置され、その下の舷側にケースメイト配置で16cm単装砲が片舷3基ずつ配置された。二番煙突後方に簡素な単脚式の後檣が立ち、その背後の後部甲板に34cm単装主砲塔が後ろ向きに配置された。
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艦形
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「エマニュエレ・フィリベルト級戦艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、艦首水面下に衝角を持つ艦首から前部甲板上に「アームストロング 1898年型 25.4cm(40口径)砲」を前向きに連装式の砲塔に収めて1基を配置。艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ船橋を両側に持つ箱型艦橋が立つ。その背後から上部構造物が始まり、2本煙突は、この頃のイタリア戦艦の特徴である缶室分離配置により1番煙突と2番煙突は顕著に前後に離されており、船体中央部に単脚式のマストが1本立っていた。煙突の周囲には煙管型の通風筒が立ち並び、舷側部には副砲の「アームストロング 1892年型 15.2cm(40口径)速射砲」が舷側ケースメイト配置で単装砲架で片舷4基ずつ計8基が配置されていた。通風筒の外側は艦載艇置き場となっており、2番煙突の後ろで上部構造物は終了し、甲板一段分下がった後部甲板上に後向きに2番連装主砲塔1基が配置されていた。この武装配置により前後方向に最大25.4cm砲2門、15.2cm砲2門が指向でき、左右方向に最大25.4cm砲4門、15.2cm砲4門が指向できた。
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艦形
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「エドガー・キーネ級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
タイプシップは前級である「エルネスト・ルナン」に採り、設計途中で副砲の13.8cm速射砲を廃止して主砲と同じ19.4cm速射砲に口径を統一した。 垂直に切り立つ艦首から前向きに19.4cm連装主砲塔1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ箱型とし、その上に簡素な単脚檣が立つ。 艦橋の背後に6本の煙突が立っているが、ボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は3番煙突と4番煙突の間は広く取られ、箱型の通風筒が立てられている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇用の揚収用のグース・ネック(鴨の首型)式クレーンが3番煙突の両側に2本立つ。6番煙突から後ろは簡便な単脚檣、後ろ向きに19.4cm連装主砲塔1基が載る。更に舷側甲板上には19.4cm単装副砲塔が片舷に3基ずつ配置され、前後艦橋の両脇に19.4cm単装速射砲がケースメイト配置で片舷2基ずつの計4基配置された。この主砲配置により前後方向に6門、左右方向に最大9門向けることが出来た。 副砲は舷側に等間隔にケースメイト配置された張り出し部から6.5cm単装速射砲が19cm単装速射砲に挟まれるように配置され片舷10基計20基を持つ。
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艦形
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「ノルマンディー級戦艦」の記事における「艦形」の解説
船体は船体の2/3まで船首楼が続く長船首楼型で艦首の乾舷は高く、本級の凌波性能が高いことをうかがわせる。クリッパー・バウ型の艦首甲板から艦首副砲のケースメイトが設けられて乾板一段分上がって、「1912年型34cm(45口径)砲」を「四連装砲塔」に納めて1基を配置した。その背後に操舵艦橋を組み込んだ大型の装甲司令塔の上に測距儀が1基載る。 艦橋後部には簡素なマストが建ち、その背後に1番煙突があり、艦載艇を吊り上げる二本のボート・ダビッドの基部も兼ねる。艦載艇は1番・2番煙突の周囲に並べられ、2番煙突の背後の船体中央部には単脚型の主マストが配置される。主マストの後ろに、後ろ向きに2番主砲塔、甲板一段分下がって後部甲板上に後ろ向きの3番主砲塔の順に配置された。主砲は計4連装3基の12門である。 副砲は前級同様のケースメイト式配置で1番主砲塔下の甲板に片舷3基ずつ6門、船体中央部に片舷6基12門、3番主砲塔下に片舷3基6門の計24門である。そのほかに対空火器として4.7cm単装高角砲を2番煙突の側面に片舷2基ずつ計4基。水線下に45cm水中魚雷発射管を単装で6門を搭載した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 15:20 UTC 版)
マッセナは、その建造過程で1000トン以上重量を超過して就役したため、水線装甲帯が殆ど水中に没した上、さらに重量のあるミリタリーマストや、極端なタンブルフォームの船形により深刻な安定性の問題をはらんだ艦であり、失敗作であったと考えられている。基本的な設計は前述の通り「デュピュイ・ド・ローム」と似ており、船体形状は再び顕著なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 水線部が著しく突出した艦首から艦首甲板に30.5cm単装主砲塔が1基、司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。 本艦のミリタリーマストは頂部には二層式の見張り台があり、下段に4.7cm機関砲が前後左右に1基ずつ計4基、上部にも4.7cm機関砲が3基ずつ配置され、後部ミリタリーマストも同形式である。前部ミリタリー・マストの背後には断面図が小判型の煙突が前後に間隔を空けて二本立つ。煙突の周囲には艦内や機関に外気を入れるためのキセル型通風筒が片舷に5本ずつ計10本立っている。空いたスペースが艦載艇置き場となっている。2番煙突の背後に後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろに30.5cm単装主砲塔が後向きに1基配置された。また、甲板一段分下がった舷側には27cmという大口径の単装副砲塔が船体中央部に片舷1基ずつ計2基置かれ、27cm副砲塔を囲むように等間隔に14cm単装砲塔が片舷4基計8基が配置された。この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲1門、27cm砲2門、14cm砲4門が指向でき、左右方向には最大30.5cm砲2門、24cm砲1門、14cm砲4門が指向でき強力な火力を誇っていた。
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艦形
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「サウサンプトン級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
サウサンプトン級の基本デザインはリアンダー級の拡大型として設計を一新しており、艦首乾舷の高い長船首楼型船体を採用している。軽いシア(反り返り)の付いた艦首甲板から15.2cm速射砲を三連装に収めた主砲塔を背負い式で2基、船体に比して大型の塔型艦橋と軽量な三脚型の前部マストが立つ。 機関のシフト配置のために2本煙突は前後に大きく離され、その間は水上機施設となっており、1番煙突の基部は水上機格納庫となっており、中央甲板上に中心に対して直角に埋め込まれたカタパルトを挟んで2番煙突の基部にクレーンが片舷1基ずつ計2基が配置された。これにより舷側甲板上に配置された艦載艇置き場の艦載艇と水上機は運用された。 2番煙突の後方は対空火器が集中しており、10.2cm高角砲を連装砲架で片舷2基ずつ計4基を配置し、その下部の舷側甲板上に53.3cm魚雷発射管が三連装で片舷1基ずつ計2基配置された。後部見張所を基部として単脚式の後部マストが1本立つ。後部甲板上に3番・4番15.2cm三連装砲塔が後向きで2基が背負い式配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 10:36 UTC 版)
ダナイー級の船体は前級に引き続き短船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に傾斜したクリッパー型の艦首から中央部が狭い艦首甲板上に主砲の15.2cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1番・2番主砲を背負い式配置で2基、2番主砲の基部から始まる上部構造物の上に司令塔を基部とする箱型艦橋と射撃指揮所を載せた三脚型の前部マストの背後に3番主砲が1基配置した。船体中央部に1番煙突のみ太い2本の煙突の背後に4番主砲が後ろ向きに1基配置された。左右の舷側は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組により運用された。3番主砲と4番主砲の側面には53.3cm三連装魚雷発射管が片舷2か所ずつ計4基が配置された。後部甲板上に構造物が設けられ、後部指揮所と簡素な後部マストの後方に5番・4番主砲が背負い式で2基が配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 17:07 UTC 版)
「シアリーズ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は短船首楼型船体を採用していたが船首楼は1番煙突の側面まで延長された。艦首は垂直に切り立った艦首から甲板上に主砲の「Mk XII 1906年型 15.2cm(50口径)速射砲」が防盾の付いた単装砲架で背負い式に2基、2番主砲の基部から上部構造物が始まり、司令塔を組み込んだ艦橋を基部として2段の見張り所を持つ三脚型の前部マストが立つ。 その背後に2本煙突が立ち、対空火器として7.62cm高角砲が1番煙突の側面に片舷1基ずつ計2基が配置された。2番煙突の背後に3番主砲が配置された。その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組により運用された。後部甲板上に上部構造物が設けられ、後部射撃指揮所と後部単脚マストの後ろには4番・5番15.2cm速射砲が後ろ向きの背負い式配置で2基が配置された。
※この「艦形」の解説は、「シアリーズ級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 16:12 UTC 版)
「エメラルド級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
エメラルド級の船体は船首楼型船体を採用していたが、船首楼は前級と異なり1番煙突の側面まで延長された。トローラー型艦首から甲板上に主砲の「Mk XII 1906年型 15.2cm(45口径)速射砲」の艦首砲の配置は姉妹艦で異なっており、「エメラルド」は1番・2番15.2cm砲を防盾の付いた単装砲架を背負い式に2基搭載していたが、「エンタープライズ」は新設計の連装砲塔に収めて1基を配置していた。司令塔を組み込み、測距儀を載せた艦橋を基部として頂上部に射撃指揮所を持つ三脚型の前部マストが立つ。1番・2番煙突が立ち、その背後に3番・4番15.2cm速射砲が片舷1基ずつ並列で2基配置された。その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷4組で計8組により運用された。 船体中央部に探照灯台と後部射撃指揮所が設けられ、その側面に対空火器として「10.2cm(45口径)高角砲」が片舷1基ずつ2基が配置、後部甲板上の3番煙突の背後に5番15.2cm砲1基が配置された。 後部甲板上に上部構造物が設けられ、後部単脚マストの後ろには6番・7番15.2cm砲が後ろ向きの背負い式配置で2基が配置され、その間に3番10.2cm高角砲1基が配置された。この武装配置により艦首方向に最大で15.2cm砲2門、舷側方向に最大で15.2cm砲6門・10.2cm砲2門・53.3cm魚雷発射管6門、艦尾方向に最大で15.2cm砲4門・10.2cm砲1門が指向できた。 就役後の1929年に53.3cm魚雷発射管はすべて撤去され、替りに新型の53.3cm四連装魚雷発射管4基が同位置に設置された。1930年代の水上機施設が3番煙突の後方に設けられ、旋回型カタパルト1基の上に水上機が搭載され、揚収用クレーン1基が設置する工事が「エメラルド」は1934年、「エンタープライズ」は1936年に行われた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:59 UTC 版)
「シャルンホルスト級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は長船首楼型船体を採用している。艦首水面下に衝角(ラム)を持つ艦首から前部甲板上に「21cm(40口径)速射砲」を連装式の主砲塔に収めて1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ船橋を両側に持つ箱型とし、その上部にミリタリー・マストが立つ。その背後に等間隔に4本煙突が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2番・3番煙突の間に片舷1基ずつ計2基が配置されたグース・ネック(鴨の首)型クレーンにより運用された。上部構造物の側面には舷側甲板上に21cm単装砲がケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつ計4基を配置した。上部構造物の最厚部に後部ミリタリー・マストが立ち、甲板一段分下がって後部甲板上に後向きに21cm主砲塔1基が配置。副砲の15cm単装砲は舷側ケースメイト配置で断片防御程度の装甲盾を付けられて単装砲架で片舷に3基ずつ計6基が配置された。この武装配置により前後方向に21cm砲4門・15cm砲2門、左右方向に21cm砲6門・15cm砲3門を向けることが出来た。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 02:02 UTC 版)
本級の船体構造は基本デザインは前級を踏襲する平甲板型船体で、全長に比べて船体の幅が狭いという前弩級戦艦特有の船体形状をしていた。艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付き、その下部には弩級戦艦にも受け継がれる水中魚雷発射管がある。 艦首から順に構造を記述すれば、艦首甲板上に主砲は新設計の「1895年型 30.5cm(35口径)砲」を楔箱形の連装砲塔におさめて1基を配置。その背後には司令塔を組み込んだ操舵艦橋の背後に前部ミリタリー・マストが立ち、マストには4.7cm砲を配置した二段の見張り台が設けられていた。船体中央部の煙突の本数は前級よりも1本減った2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、その運用のために2番煙突の後方にグース・ネック(鴨の首)型クレーンが片舷1基ずつ計2基を配置した。後部艦橋の上にマストが立つ。甲板一段分下がった後部甲板上に後向きに2番主砲塔が1基配置され、艦尾には艦長室が設けられた。左右の舷側甲板上には中間砲として20.3cm砲を楔箱形の連装砲塔におさめて片舷2基を背中合わせに配置して計4基を搭載した。更に舷側には副砲の17.8cm速射砲を片舷に等間隔に4基を配置して計8基を搭載した。この武装配置により艦首尾方向に最大で30.5cm砲2門・20.3cm砲4門・17.8cm砲2門が、左右舷側方向に最大で30.5cm砲4門・20.3cm砲4門・17.8cm砲4門が指向できた。
※この「艦形」の解説は、「カノーパス級戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 03:00 UTC 版)
「エフスターフィイ級戦艦」の記事における「艦形」の解説
衝角の付いた垂直に切り立つ艦首から前向きに連装式の主砲塔1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ簡素な箱型とし、その上に簡素な単脚檣が立つ。 艦橋の背後に等間隔に並べられた3本の煙突が立ち、煙突の周囲を艦載艇置き場とした。艦載艇用のグース・ネッククレーンが本数が減らされ、かつ小型化された。艦載艇置き場の四隅には新設計の20.3cm単装砲が配置され、間を76mm単装速射砲をケースメイト配置とされた。甲板一段下には15.2cm単装速射砲が片舷6基の計12基が配置された。3番煙突から後ろは簡便な単脚檣と後部艦橋、甲板一段分下がって、後部甲板に後ろ向きに主砲塔1基が載る。
※この「艦形」の解説は、「エフスターフィイ級戦艦」の解説の一部です。
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艦形
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「レジナ・エレナ級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級は前級までの平甲板型と異なり、本級は乾舷の高い長船首楼型船体を採用している。艦首水面下に衝角を持ち、艦首甲板は左右の副砲の射界を得るために左右の幅が狭く取られている。その前部甲板上に前向きに「30.5cm(40口径)砲」を単装式砲塔に収めて1基を配置。 その背後に司令塔が立ち、その上部に両側に船橋(ブリッジ)を持つ艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部には等間隔に並んだ3本煙突が立つ。煙突の周囲には艦内への吸気用として筒状の通風筒が立ち並ぶ。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、前後のマストの基部に1基ずつ付いたジブ・クレーンにより運用された。艦載艇置き場の後方に後部マストと後部艦橋が配置された所で船首楼は終了し、後部甲板上に2番30.5cm主砲塔が後向きに1基が配置された。 左右の舷側甲板は船首楼甲板から一段分下がって、前部単脚檣の左右に20.3cm連装砲が左右1基、その背後から甲板が一段分上がって中央部に20.3cm連装砲が左右1基、そして後部単脚檣の側面から甲板一段分下がって後部甲板上に20.3cm連装砲が左右1基ずつ後ろ向きに配置された。この武装配置により前後方向に最大30.5cm砲1門、20.3cm砲8門が指向でき、左右方向に最大30.5cm砲2門、20.3cm砲6門を指向できた。 艦尾の楕円形の主舵とは別に、艦首から約30m後方の水線下に引き込み式の副舵を設置して操舵性を上げていた。
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艦形
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本級の船体形状は前述の通りに平甲板型船体で、本級から艦首に衝角(ラム)を装備するのを廃止し、替わりに砕氷型艦首形状となった。艦首甲板上に新設計の「1907年型 30.5cm(52口径)砲」を三連装砲塔に収め1基、司令塔を組み込んだ露天式の艦橋、単脚式の前部マスト、2本煙突の間に後ろ向きの2番主砲塔を1基配置。2番煙突の背後に前向きの3番主砲塔を1基配置した。3番主砲塔と後部マストの間には艦載艇が並べられ、舷側に設けられたクレーンが片舷1基計2基で運用された。後部甲板上に後部見張り所を基部に立つ単脚式の後部マストがあり、後部マストを挟んで艦尾側に後ろ向きの4番主砲塔1基が配置された。 副砲として12cm単装砲が舷側ケースメイト(砲郭)配置で各主砲塔の舷側部の四か所に張りだし(スポンソン)を設けて1か所あたり2基ずつ配置され、片舷8基計16基が配置された。この時代の大型艦には対艦攻撃用の魚雷発射管が装備されており、本級にも45.7cm魚雷発射管が水線下に4門が設けてあった。艦尾の水線下には楕円形の舵が前後に計2枚あり、主舵と副舵が首尾線上に直列に並ぶという同時期のドイツ帝国海軍の巡洋戦艦にも見られる舵配置方式を採用していた。これは艦尾の幅が狭いために2枚の舵を並列配置することができなかったためである。この武装配置により艦首・艦尾方向に最大で30.5cm砲3門・12cm砲4門、舷側方向に最大で30.5cm砲12門・12cm砲8門・45.7cm魚雷発射管2門が指向できた。
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艦形
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「ザイドリッツ (巡洋戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は、前級の長船首楼型船体の前甲板をさらに一段高くした三段のブロークンデッカーを採用した。主砲配置要領は前級と同様であり、船体の舷側部には同時期のイギリス海軍の巡洋戦艦にはない副砲が配置され、舷側には15cm単装砲がケースメイト(砲郭)配置で片舷辺り6基で計12基を配置した。この武装配置により艦首方向に最大で28cm砲4門・15cm砲2門、左右方向に最大28cm砲10門・15cm砲6門、後方向に28cm砲6門・15cm砲2門が指向できた。
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艦形
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本級の船体構造は長船首楼型船体で、全長に比べて船体の幅が狭いという前弩級戦艦特有の船体形状をしていた。基本デザインは前級を踏襲している。艦首から順に構造を記述すれば、艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付き、その下部には弩級戦艦にも受け継がれる水中魚雷発射管がある。主砲は新設計の「1906年型 30.5cm(45口径)砲」を楔箱形の連装砲塔におさめて1基を配置。その背後には司令塔を組み込んだ操舵艦橋の背後に円柱状のミリタリー・マストが立ち、マストには4.7cm砲を配置した二段の見張り台が設けられていた。船体中央部の煙突の本数は前級よりも1本減った2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、その運用のために2番煙突の後方にグース・ネック(鴨の首)型クレーンが片舷1基ずつ計2基を配置した。後部艦橋の上にマストが立つ。甲板一段分下がった後部甲板上に後向きに2番主砲塔が1基配置され、艦尾には艦長室が設けられた。左右の舷側甲板上には中間砲として20.3cm砲を楔箱形の連装砲塔におさめて片舷2基を背中合わせに配置して計4基を搭載した。更に舷側には副砲の17.8cm速射砲を片舷に等間隔に4基を配置して計8基を搭載した。この武装配置により艦首尾方向に最大で30.5cm砲2門・20.3cm砲4門・17.8cm砲2門が、左右舷側方向に最大で30.5cm砲4門・20.3cm砲4門・17.8cm砲4門が指向できた。 後部に籠状マストを設置した「アイダホ」 前後に籠状マストを設置した「アイダホ」 竣工後の1909年に後部艦橋上のマストの代わりに頂上部に見張り所を持つ籠状の後部マストが設置された。後に1911年から前部ミリタリー・マストも同形式の籠状マストに更新されて前後対称的な外観となった。
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艦形
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「デアフリンガー級巡洋戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級は、背負式砲塔配置による重心上昇を避けるため、船体形状を平甲板船体とした。前級などと比較して乾舷を下げた代わりに、艦首に顕著なシアを設けて凌波性の確保を図っている。前級までの特徴であった水面下のカット・オフ艦首はそのまま引き継がれた。 同時期のドイツ戦艦・巡洋戦艦と同様、マストは見張所程度を設けた単脚構造とし、その基部付近の艦橋上に測距儀等を配置した測的・射撃指揮所が置かれた。 副砲の15cm砲は波浪の影響を受けにくい最上甲板上の側面に舷側ケースメイト配置で片舷7基ずつ計14基が配置された。なお1番艦の「デアフリンガー」のみ船体中央部に船体バランスのための減衰タンクを設けたために15cm砲が2基減少して12基となっており、外観上の識別点となっている。 ユトランド沖海戦後に遠距離砲戦に適応した改装が行われ、主砲仰角の13.5度から16度への引き上げ、単脚式の前部マストの三脚型への改装、前部マスト中段への射撃指揮所設置、射撃指揮所への6m測距儀装備、主砲塔への8m測距儀設置などが実施された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 02:52 UTC 版)
主砲である13インチ15口径連装砲の砲塔の上に8インチ35口径の中間砲を2階式に積み上げるという、他国には全く類のない配置を採った。この方法によれば副砲にも主砲と同じ広い射界を与えるとともに8門の砲塔が4門で済むため重量からも配員数からも著しい利益がある。また火薬庫の防御を充分にでき、居住区も広く取れる。欠点としては、中間砲発射時に主砲に対して爆風の干渉がある、中間砲が主砲と同じ目標しか指向できない、砲塔が重くなり動力装置が複雑になり故障しやすい、中間砲の揚弾装置が問題となるなどがある。他国は「うまく行くものか」と全く追随せず、アメリカ海軍でも議論百出となったが、利点を見て欠点は我慢することとした。実際の運用でも欠点が露呈したが、アメリカ海軍は解決を技術に求め、改良してバージニア級戦艦で再び採用した。これもうまく行かなかったが、しかし試行錯誤の中で後部砲塔を前部砲塔より高い位置に置くとともに全砲の口径を統一すべきとの結論に達し、現代でも砲を搭載する限り最適の配置とされる「統一された大口径主砲を、全て中心線上に背負い式で持つ」という条件を世界に先立って満たしたサウスカロライナ級戦艦へとつながった。 本級は「チーズボックス」と呼ばれた小砲塔を装備した最後の艦級であった。これらの砲塔は南北戦争時にジョン・エリクソンが設計したモニター式砲塔の直系子孫とも言えるものであった。これらの「チーズボックス」砲塔はその後部に砲が装備され、砲の仰角を得るために大きく脆弱な開口部が要求され、砲の最大仰角も制限された。本級以降の艦では箱形の「イギリス式」砲塔が採用され、防御が遙かに容易で効率的に行えるようになった。 本級2隻はワシントン海軍軍縮条約の結果削減されることとなり、1番艦キアサージはクレーン船に改造されて1955年に除籍されるまで使用され、2番艦ケンタッキーは廃棄されることとなった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 00:47 UTC 版)
本級の船体形状は船首楼型船体である。前級までの特徴であった水面下のカット・オフ艦首はそのまま引き継がれた。 同時期のドイツ戦艦・巡洋戦艦と同様、マストは見張所程度を設けた単脚構造とし、その基部付近の艦橋上に測距儀等を配置した測的・射撃指揮所が置かれた。 本級の主砲塔の数自体は前級と同じ5基・10門である。前級では前部甲板上に1番主砲塔1基、中央部甲板に2番・3番主砲塔を梯型に配置、後部に4番・5番主砲塔を背負い式配置していた。対して本級では、全主砲塔を中心線上に配置する形態に改めた。1番・2番主砲塔が背負い式配置、3番が中央部後半の左右中心、後部に4番・5番主砲塔を背負い式である。これにより前部に指向できる砲数は6門から4門、後部に対して指向できる砲数は8門から4門に減少しているが、10門全てを指向できる射角はより広くなっており、実質的な戦闘能力は向上している。 ユトランド沖海戦後に遠距離砲戦に適応した改装が行われ、主砲塔の仰角を13.5度から16度へと引き上げると共に、単脚式の前部マストを補強して太くし、その中段に2層構造の射撃指揮所が設けられた。
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艦形
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「キング・ジョージ5世級戦艦 (初代)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は船体中央部までを占める高い乾舷を持つ長船首楼型船体であり、外洋での凌波性は良好であった。艦首形状はこの頃のイギリス式設計の特徴である艦首浮力を稼ぐために水線下部は前方向にせり出した形状となっていた。傾斜のまったくない艦首甲板に前向きに連装タイプの1番・2番主砲塔2基を配置、2番砲塔基部から甲板一段分上がって上方から見て菱形の上部構造物が始まり、前級の失敗から、本級より司令塔の背後に艦橋を設け、それを基部として単脚式の前部マストが立てられた。しかし、公試において高速航行を行ったさいに前部マストに振動が発生して測距儀や射撃方位盤に悪影響が出たため、「キング・ジョージ5世」は柱の側面に補強材を追加して補強したが、建造中の他3隻は副脚2本を追加した三脚型の前部マストとして改善する必要性があった。 艦橋の後方に2本煙突が立つ。2番煙突から甲板一段分下がって、中央部甲板上に箱型の後部見張り所が設けられ、その間に3番主砲塔が後ろ向きに1基を配置していた。煙突の側面は艦載艇置き場となっており、2番煙突手前に立てられたクレーン1基と、後部見張り所のにはジブ・クレーンが片舷1基ずつ計2基が設けられて艦載艇は運用された。 後部見張り所の後方に4番・5番主砲塔が後ろ向きに背負い式で2基が配置された。副砲の10.2cm速射砲は1番・2番主砲塔の側面の砲門部に1基ずつと上部構造物の側面に3基、その上の艦橋の側面に1基、後部見張り所の側面に2基の片舷8基ずつ計16基が分散配置された。 就役後の第一次大戦中にマストを本格的な三脚型にして艦橋構造を大型化され、2番煙突の中部に探照灯台が設けられ、探照灯が並列配置で2基配置された。また、アンテナ線の展開のために後部代わりにクレーンの基部が伸ばされ、1915年に10.2cm速射砲4基を撤去し、甲板上に対空火器として10.2cm単装高角砲2基を設置した。1918年に2番・4番主砲塔に陸上機の滑走用のプラットフォームが設置され、陸上機1機が搭載された。 本級はロンドン軍縮条約により戦艦から除籍され3隻が解体処分されたが、「センチュリオン」のみは標的艦としての保有が認められ、無線操縦の標的艦として使用すべく武装・装甲の撤去、速力を制限すべく一部ボイラーの撤去がなされた。
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艦形
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「シャルンホルスト級戦艦」の記事における「艦形」の解説
竣工時のシャルンホルストは前級と同じく艦首形状がほぼ垂直に近いもので凌波性に問題があり、公試時に高速航行を行ったときには艦首で砕けた波の飛沫が前部主砲塔はおろか艦橋に飛び散り漏水による障害が出たため、公試後に再びドック入りして艦首を強く傾斜させたアトランティック・バウへ改修され完工した。この時、建造途中であったグナイゼナウは改設計を実施したため完工はグナイゼナウの方が早かった。この改修により艦の全長は元設計よりも若干延長された。だが、凌波性は改善されたとはいえず、今度は錨鎖孔に波が吹き込んで甲板から噴水のように海水が飛び出し主砲塔や艦橋に吹きかかる問題が発生したため、錨鎖孔は塞がれて艦首にフェア・リーダーが付けられた。しかし、この度々の小改装でも完全に凌波性の問題は解決せず、1番主砲塔まで波が飛んで主砲塔装備の測距儀が使用不能となるなどトラブルは慢性的なものとなった。
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艦形
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「ヴァリャーグ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は艦首甲板の乾舷のみ高い短船首楼型船体を採用している。この時代の軍艦の特徴として艦首水面下に突出した衝角と魚雷発射管を持つ艦首から「15.2cm(45口径)速射砲」を防楯の付いた単装砲架で並列で2基を配置。 司令塔を組み込んだ艦橋の左右に船橋が設けられ、舷側ケースメイト配置で3番~6番主砲が片舷2基ずつ配置された。艦橋の後方に簡素な単脚式の前部マスト、等間隔に立つ4本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷4基の計8基により運用された。単脚式の後檣の舷側ケースメイト配置で7番~10番が後向きに配置された。そして後部甲板上に11番・12番主砲が後向きの並列で2基を配置された。この武装配置により前後方向に15.2cm砲4門、左右方向に最大15.2cm砲6門が指向できた。
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艦形
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「ツェサレーヴィチ (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体であるが、同時期のフランス戦艦と同じく水線部から上部は強く引き絞られた特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では同時期のドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦などに多く採用された艦形である。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線面から甲板に上るに従って甲板面積は小さくなる傾向にある。これは、舷側に配された備砲の射界を船体で狭めずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。さらに本艦は世界で初めて対魚雷用の装甲隔壁を持った船であることが特筆される[要出典]。 水線下に衝角(ラム)を持つ垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に円筒形の30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。 本艦のミリタリーマストは内部に階段を内蔵した円筒状となっており、頂部に見張り台が設けられた。前部ミリタリー・マストの背後には断面図が小判型の煙突が2本立ち、その間と2番煙突の後部は艦載艇置き場となっており、U字状のガントリークレーンにより副砲塔を避けて水面に上げ下ろしされた。本艦の舷側甲板は存在せず、連装式の15.2cm副砲塔は前後艦橋の側面部に1基ずつと船体中央部の張り出し部に1基ずつで片舷3基計6基が配置された。艦載艇置き場の後部には後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上に30.5cm連装主砲塔が後向きに1基配置された。対水雷艇迎撃用の7.5cm速射砲は艦首に側面に1基ずつ、船体中央部に4基ずつ、艦尾側に2基ずつと煙突の側面に2基ずつと後部艦橋の側面に1基ずつの片舷10基で計20基を配置した。この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲2門、15.2cm砲8門が指向でき、左右方向には最大30.5cm砲4門、15.2cm砲6門、7.5cm砲10門が指向でき強力な火力を誇っていた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 14:34 UTC 版)
「ヴェットール・ピサニ級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い短船首楼型船体で艦首から艦首甲板上に「アームストロング 1892年型 15.2cm(40口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、下部に司令塔を組み込んだ両脇に船橋を持つ操舵艦橋の背後に頂上部と中部に2段の見張り所を設けた前部ミリタリー・マストが立つ。この時代のイタリア巡洋艦は缶室分離配置を採用しているために前後に離れた2本煙突が立っている。舷側甲板上に前後に離れて15.2cm速射砲が片舷に2基ずつ配置された。煙突の周囲は煙管型の通風筒が立つ艦載艇置き場となっており、前後のミリタリー・マストの基部に付いたジブ・クレーンにより運用された。2番煙突の後部には後部艦橋を挟んで前部と同じ形状の後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上に防盾の付いた6番主砲が1基配置された。船体中央部の舷側には舷側装甲に開けられた砲郭配置で副砲の「アームストロング 1891年型 12cm(40口径)速射砲」を単装砲架で片舷4基ずつ計8基を配置した。装甲の配置されていない艦首尾部には植民地警備時の通風を良くするために至る所に舷窓が開けられていた。
※この「艦形」の解説は、「ヴェットール・ピサニ級装甲巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:11 UTC 版)
船体形状は典型的な長船首楼型船体であり、凌波性を良くするために艦首水面下の衝角(ラム)を廃止してクリッパー型艦首を採用し、艦首甲板の乾舷を高く取られた。そこに主砲として「アームストロング 1904年型 30.5cm(45口径)砲」を楔形の連装砲塔に収めて艦首甲板に1基、その背後に司令塔を組み込んだ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。船体中央部の煙突の両脇に細めの通風筒が立ち並び、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組と後部マストの基部に付くクレーン計2基により運用された。船体中央部に舷側部には副砲の15.2cm速射砲がケースメイト(砲郭)配置で船首楼に2基ずつ、舷側に4基ずつの片舷6基で計14基が配置された。艦上に12cm速射砲が12基搭載された。上部構造物の末端部に単脚式の後部マストと後部艦橋が立った所から甲板一段分下がって、後部甲板上に後ろ向きの後部主砲塔1基の順である。
※この「艦形」の解説は、「筑波型巡洋戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:08 UTC 版)
船体形状は典型的な平甲板型船体であり、凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。主砲は「アームストロング 1904年型 30.5cm(45口径)砲」を楔形の連装砲塔に収めて艦首甲板に1基、その背後に司令塔を組み込んだ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。船体中央部の煙突の両脇に細めの通風筒が立ち並び、その周囲は艦載艇置き場となっており、前後マストの基部に付くクレーン計2基と2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組により運用された。舷側甲板上には副砲として25.4cm砲を収めた連装式の副砲塔が片舷3基ずつ計6基が配置された。上部構造物の末端部に後部マストと後部艦橋が立った所から甲板一段分下がって後部甲板上に後ろ向きの後部主砲塔の順である。 安芸と薩摩の外見上の違いは、薩摩の煙突の本数が2本で舷側ケースメイトは12cm速射砲が片舷6基ずつ計12基を持つのに対し、安芸は3本煙突で舷側ケースメイトが15.2cm速射砲が片舷4基ずつ計8基が相違点である。
※この「艦形」の解説は、「薩摩型戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/14 22:14 UTC 版)
「ジャンヌ・ダルク (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状はフランス巡洋艦で長らく主流となってきたタンブル・ホーム式の船体を廃止し、没個性的なデザインとなった。基本的に高い乾舷を持つ長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。 艦首から前向きに19.4cm単装主砲塔1基を配置、艦橋構造は箱型とし、その上にミリタリー・マストが立つ。 艦橋の背後に6本の煙突が立っているが、ボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は3番煙突と4番煙突の間は広く取られている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇用の揚収クレーン片舷4基計8基が立つ。6番煙突から後ろは簡便な単脚檣、そこから甲板一段分下がって、後ろ向きに19.4cm単装主砲塔1基が載る。 副砲は舷側に等間隔に配置された張り出し部から13.8cm単装速射砲が配置され片舷7基計14基を持つ。
※この「艦形」の解説は、「ジャンヌ・ダルク (装甲巡洋艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:08 UTC 版)
「ル・ファンタスク級大型駆逐艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は艦首のみ乾舷の高い短船首楼型船体である。クリッパー型の艦首から前部甲板上に、主砲の「1929年型 13.9cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で背負い式配置で2基。2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に上部に測距儀を載せ、両脇に船橋(ブリッジ)を付けた箱型の操舵艦橋が立ち、それを基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部には前後に離された2本煙突が立ち、55cm魚雷発射管が三連装で1番・2番煙突の側面に片舷1基ずつと2番煙突の背後に1基の計3基で片舷あたり6門が向けられた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、1番煙突の側面に片舷1基ずつのクレーン計2基により運用された。副武装である3.7cm連装機関砲は2番煙突の側面に片舷1基ずつ計2基が配置された。軽量化のために後部マストは存在せず、2番煙突の左右にヤードを付けて、前部マストからの無線のアンテナ線を展開した。その2番煙突の背後に後部指揮所が設けられ、後部甲板上に上部構造物が設けられ、後部見張り所を挟んで3番・4番主砲が背中合わせに2基が配置。そこから後部甲板上に5番主砲が後ろ向きに1基の計5基が配置されていた
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艦形
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「リュテュフィ・ジェリール級装甲艦」の記事における「艦形」の解説
船体の基本構造は3本のマストと船体中央部に艦橋と一本煙突を持つターレット形式モニター艦として建造された。艦首水面下に衝角を持ち、沿岸に接近して支援砲撃ができるように吃水の浅い船型が選択されたが、外洋航行もこなせるように艦首に船首楼と船尾楼を設けて船体中央部よりも乾舷を高くして凌波性を向上させていた。舷側は船体中央部の甲板よりも高くされたが、砲塔の側面部の波除けであるブルワーク(bulwark)は戦闘時には下側へ倒して射界を狭めないようにする工夫がされていた。同様の形式はペルー海軍の「ワスカル」が先に採用している。 本級の特徴としては他のオスマン帝国海軍の装甲艦と違い、当時では珍しい旋回砲塔を船体中心線上に2基を搭載する先進的な旋回砲塔艦(Turret ship)であり、従来のケースメイト(砲郭)形式の砲配置よりも広い射界を得ることができた。また、前部のものと後部のものとでは搭載砲の大きさが異なり、前部には20.3cmライフル砲を連装砲架で2門を搭載、後部には17.8cmライフル砲を連装砲架で2門を搭載していた。砲塔の形状は背の低い円筒形で側面部は140mmの装甲が張られていた。 船体中央部に140mmもの厚さを持つ鉄製の装甲板が貼られ、主砲塔の基部からボックスシタデル(Box citadel)が配置された。ボックスシタデルとは弾薬庫や機関を守るために箱状似に装甲を配置する当時の防御様式で、最大で140mmもの厚さを持つ装甲をリベットで組み立てられていた。 ネームシップの「ルュテュフィ・ジェリール」は竣工後に撃沈されて失われたが、2番艦の「フフズ・ラフマーン」は1895年に副武装を更新され、17.8cmライフル砲から15cm(25口径)ライフル砲2門、近接戦用に12cm(23口径)単装砲1門、オチキス3.7cm回転機砲2基を搭載した。
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艦形
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「レインボウ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
未だ帆船時代のデザインが色濃く残る時代のイギリスらしく気品ある印象を受ける。船体は乾舷の低い平甲板型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に15.2cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1基を配置した。その背後にある司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に2本煙突が等間隔に立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、前後マストを基部とするクレーン1基ずつ計2基と、舷側に2本で1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組で運用された。 舷側甲板上には副砲の12cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷2基ずつ計4基配置されており、対水雷艇用の5.7cm速射砲が12cm砲を前後から挟みこむように等間隔に防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ計6基が配置されていた。 2番煙突の後部に後部マストと後部艦橋が立ち、、後部甲板上に15.2cm速射砲1基が配置された。この武装配置により艦首・艦尾方向に最大で15.2cm砲1門、舷側方向に最大で15.2cm砲2門・12cm砲2門・5.7cm砲3門が指向できた。
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艦形
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本艦の船体形状は艦首から2番煙突にかけて乾舷のみ高い短船首楼型船体である。艦の構造を前部から記述すると、垂直型の艦首から甲板上に主砲の12cm速射砲を防盾の付いた連装砲架で1基を搭載、その背後に測距儀を載せた露天の操舵艦橋を基部として簡素な前部マストと2本煙突が立ち、1番・2番煙突の間に2番12cm主砲が後ろ向きに1基が配置された。2番煙突の基部で船首楼は終了し、そこから甲板1段分下がった場所には45cm三連装魚雷発射管が直列に2基が配置し、その間に3番主砲が配置した。その周囲には丈の低い煙管型の通風塔が立ち並び、舷側部は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビッドが片舷1組ずつ計2組により運用された。2番魚雷発射管の背後に後部マストが立ち、後部甲板上に4番主砲が後ろ向きに1基が配置された。 就役後の1932年に魚雷発射管を配置をそのままに45cm三連装から53.3cm連装魚雷発射管2基に更新し、対空火器としてヴィッカース・テルニ 4cm(39口径)単装ポムポム砲2基を追加した。1936~1938年にかけて7.62cm高角砲を全て撤去し、代わりにオチキス 13.2mm(76口径)連装機銃2丁と6.5mm単装機銃2丁を追加した。しかし、1939年に13.2mm機銃全てと6.5mm機銃全てを撤去してブレダ 2cm連装機関砲2基に更新された。
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艦形
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「カイザー・フリードリヒ3世級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は波の穏やかなバルト海での運用が主であるため、海防戦艦的な水面から乾舷までが低い平甲板型船体を採用した。水面下に衝角(ラム)の付いた艦首から艦首甲板上に24cm砲を収めた連装砲塔1基の基部から上部構造物が始まり、その上に司令塔を組み込んだ操舵艦橋を基部と前部ミリタリー・マストが立つ。船体中央部に等間隔に立つ2本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、煙突の間に片舷1本ずつのグース・ネック(鴨の首)型クレーン計2基により運用された。2番煙突の背後に後部ミリタリー・マストと後部司令塔が1基ずつ立った所で上部構造物が終了して、後部甲板上に2番主砲塔が後向きに1基を配置した。副砲の15cm単装砲は上部構造物の艦首側と艦尾側に砲郭(ケースメイト)配置で並列2基、煙突横に露天で2基、前後マストの壁面に片舷2基、舷側甲板上に砲塔形式で3基、舷側に2基ずつの片舷9基で計18基を配置した。この武装配置により艦首方向に最大で24cm砲2門・15cm砲8門、舷側方向に最大で24cm砲4門・15cm砲9門、艦尾方向に最大で24cm砲2門・15cm砲8門が指向できる計算であった。
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艦形
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「スルクフ (潜水艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の一番の特徴は船体上の大きなセイル(司令塔)で、幅が9mに達しており、この前部に埋め込むように20.3cm連装砲塔を1基装備した。射撃指揮所を兼ねたセイル上部には、水密加工された4m旋回式測距儀が搭載されていた。 司令塔の後部には水上機1基を格納する水密式の格納庫が設けられた。また格納型のクレーン1基が内蔵され、その中には索敵任務を遂行し、さらに商船を爆撃可能な水上戦闘機1機が搭載されていた。この水上機はあまり活用されず、開戦時には機体は降ろされ、格納庫は倉庫として使用された。水上機格納庫上部には対空機銃が装備された。 甲板内には、拿捕した船の乗務員を運ぶ動力付きのカッターを搭載、捕虜を得た時に備え、艦内に約40名を収容可能なスペースを備えていた。
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艦形
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「レ・ウンベルト級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級は当時の主流である平甲板型船体で、艦首水面下に衝角を持ち、艦首甲板から前部甲板上に前向きに「アームストロング 34.3cm(30口径)連装砲を露砲塔で1基を配置している。 艦橋構造は司令塔を下部に組み込み、船橋を両側に持つ箱型とした。艦橋の後部から機関区が始まり、本級の煙突は3本であるが、このうち2本は並列配置のために舷側方向から見ると2本煙突に見えた。また、この頃のイタリア戦艦の特徴である缶室分離配置により1番・2番煙突と3番煙突は顕著に前後に離されており、船体中央部に単脚式のマスト1本立っていた。その背後に艦内への吸気用として煙管型の通風筒が煙突に挟まれるように立てられ、煙突の両側は艦載艇置き場となっており、単脚マストの基部に1基ついたジブ・クレーンにより運用される。 2番煙突の背後に後部艦橋が配置され、後部甲板上に後ろ向きに露砲塔1基が配置された。左右の舷側甲板上には15.2cm単装砲が断片防御程度の装甲盾を付けられて片舷4基ずつ計8基配置された。その下の舷側にはケースメイト(砲郭)配置で12cm単装砲が片舷6基配置され、他に4基が前後の艦橋の側面に1基ずつ配置され計16基を配置した。 この武装配置により前後方向に最大34.3cm砲2門、12cm砲2門が指向でき、左右方向に最大34.3cm砲4門、15.2cm砲4門、12cm砲8門を指向できた。 防御装甲は舷側水線部に100mmの装甲が貼られていた。また、主砲のバーベット部に特色があり、他国は円筒型であったが本級は台形状のシュナイダー・スチール式装甲板を組み合わせた正16角形多面体をしているのが特徴である。
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艦形
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「レジナ・マルゲリータ級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級は乾舷の低かった前級の反省から高い乾舷を持つ平甲板型船体で、水面下に衝角を持ち、艦首甲板上に「30.5cm(40口径)砲」を連装式の砲塔に収めて前向きに1基を配置。その背後から上部構造物が始まり、 艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ箱型艦橋は両側に船橋(ブリッジ)を持っており前後の艦橋は同形状であった。艦橋を基部として頂上部に見張り所を持つ簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部には三角形状に並んだ3本煙突が立つ。煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が立ち並ぶ。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、前後のマストの基部に1基ずつ付いたジブ・クレーンにより運用された。艦載艇置き場の後方に後部マストと後部艦橋が配置された所で上部構造物は終了し、後部甲板上に2番30.5cm主砲塔が後向きに1基が配置された。 上部構造物の四隅には副砲として新型の20.3cm単装砲が1基ずつ計4基が配置され、その下の舷側部には15.2cm単装砲がケースメイト(砲郭)配置で片舷6基ずつ計12基、更に上部構造物には7.62cm速射砲が20基が配置された。この武装配置により前後方向に最大30.5cm砲2門、20.3cm砲2門・7.62cm砲2門が指向でき、左右方向に最大30.5cm砲4門、20.3cm砲2門、15.2cm砲6門・7.62cm砲10門を指向できた。 竣工後に前後の艦橋のブリッジは撤去され、艦橋とのブリッジが前部司令塔を囲むように小型化したものに変更されて軽量化された。1番艦と2番艦の外観の相違点は艦首紋章があるのが「レジナ・マルゲリータ。副砲の間の士官室の四角形状の舷窓が多いのが「ベネデット・ブリン」である。
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艦形
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「B65型超甲型巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本型の外観の特徴としては、現代に残る資料で見られる上部構造物の形状や主砲レイアウトが大和型戦艦に酷似している事が挙げられる。 本型の船体は平甲板型船体であるが同時期の重巡洋艦と同じく艦首の乾舷は高く、甲板も強いシア(甲板の傾斜)が付けられていた。艦首甲板に新設計の主砲を三連装砲塔に納め、1番・2番主砲塔を背負い式で2基配置した。2番主砲塔基部から上部構造物が始まり、司令塔の背後に大和型に酷似した塔型艦橋が立つ。また球状艦首の採用なども見られる。艦橋のレイアウトは上から測距儀塔、戦闘艦橋、操舵艦橋の順である。艦橋の背後には斜めに傾斜した集合型煙突が立ち、周囲は艦載艇置き場となっていた。煙突の後部で艦上構造物は終了して中央部甲板上に水上機射出用カタパルトとクレーンが配置し、このクレーンは艦載艇運用も兼ねていた。左右の舷側甲板上には九八式10cm高角砲を爆風避けのカバーを被せた連装砲架で等間隔で片舷4基ずつ計8基を配置した。水上機施設の後部には後部測距儀塔を配置し、後部甲板上に3番主砲塔を後向きに1基が配置していた。
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艦形
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「プリンツ・ハインリヒ (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
前艦は平甲板型であったが、本艦は前弩級戦艦「ヴィッテルスバッハ級」と同じく中央船楼型船体を採用しており、側面から見た時の外観が同級と酷似していた。艦首水面下に衝角を持つのは戦艦と同じであるが、戦艦と異なるのは艦首形状が波きりの良いクリッパー・バウ型艦首となっており外洋を長距離航行する巡洋艦には必須の艦首形状であった。艦首から戦艦と同格の「24cm(40口径)砲」を単装砲塔に収め、艦首甲板上に前向きに1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋を基部として1段の見張り所を持つ前部ミリタリー・マストが立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、船体中央部に片舷1基ずつ計2基のグース・ネック(鴨の首)型クレーンにより運用される。 2番煙突の背後に後部司令塔と後部ミリタリーマスト、甲板一段分下がって後部甲板上に後ろ向きに24cm単装主砲塔の順である。副砲の15cm速射砲は単装砲架で10基を装備したが、うち4基は単装砲塔に収め、船体中央部に背中合わせに1基ずつの片舷2基を、残りの6基は舷側ケースメイト配置で船体中央部に3基ずつ配置した。この武装配置により前後方向に24cm砲1門・15cm砲4門、左右方向に最大24cm砲2門・15cm砲5門が指向できた。
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艦形
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「プリンツ・アーダルベルト級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は艦首乾舷の高い短船首楼型船体であるが、艦首水面下に衝角を持つのは戦艦と同じである。戦艦と異なるのは艦首形状は波きりの良いクリッパー型艦首となっており外洋を長距離航行する巡洋艦には必須の艦首形状であった。 艦首甲板上に新設計の「21cm(40口径)速射砲」を連装式砲塔に収めて前向きに1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋を基部として頂上部に探照灯を載せた見張り所を持つミリタリー・マストを持つ単脚式の前檣が立つ。 船体中央部には等間隔に並んだ3本煙突が立ち並び、周囲は艦載艇置き場となっており、2番・3番煙突の左右に片舷1基ずつのグース・ネック(鴨の首)型クレーン計2基により運用される。3番煙突の背後にミリタリー・マストと後部探照灯台、そこから甲板一段分下がって後ろ向きに21cm主砲塔の順である。副砲の15cm速射砲10基のうち4基は甲板上に単装砲塔に収め、背中合わせで片舷2基ずつ4門、残りは舷側ケースメイト配置で片舷3基ずつ計10基を配置した。この武装配置により前後方向に21cm砲2門・15cm砲2門、左右方向に最大21cm砲4門・15cm砲5門・8.8cm砲6門が指向できた。
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艦形
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「コルモラン (仮装巡洋艦・2代)」の記事における「艦形」の解説
前身の貨客船「シュタイエルマルク」は、三島型の典型的な商船型船型であった。仮装巡洋艦として行動する際には中立国の商船に偽装する必要があったため、武装類は外観からそれと判らないように隠蔽されており、原型の船形を活用して偽装を図っていた。 主砲の15cm単装砲は、船首楼と船尾楼の側面部を切り欠いて片舷2箇所ずつ計4箇所設けた隠顕砲座と、前部・中部甲板下の貨物倉に各1箇所ずつ計2箇所設けた隠顕砲座に配置した。舷側の4基は航海時には外板で隠されていたが、戦闘時には油圧シリンダーで外板が持ち上げられて砲座が現れる構造とした。他に船首楼に7.5cm高角砲1基、船体中央部に3.7cmカノン砲を片舷1基ずつ計2基を配置していた。後部の貨物倉にはアラド196水上機2機を搭載し、その発進・収容には固有のデリックが用いられた。
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艦形
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「ロイヤル・サブリン級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本型の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で衝角の付く艦首から艦首甲板上に34.3cm連装砲を乗せたバーベットが1基、その背後から上部構造物が始まりに司令塔に乗せた操舵艦橋の両脇には船橋(ブリッジ)が付く。艦橋の背後にはミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。 本艦のミリタリーマストは頂部と中段に見張り台が設けられた。前部ミリタリー・マストの背後には2本煙突が立つが、配置は左右に1本ずつ立てる並列配置で本級で最後となった。煙突の周囲は煙管型の通風筒が立ち並ぶ艦載艇置き場となっており、ミリタリー・マストを基部とするクレーン2基と2本1組のボート・ダビッドとが片舷2組ずつ計4基で運用された。艦載艇置き場の後部には基部にクレーンの付く後部ミリタリー・マストが立ち、後部甲板上に2番主砲1基が配置された。副砲の15.2cm速射砲は舷側甲板上に防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつと舷側の中央部にケースメイト(砲郭)配置で片舷2基ずつの計10基を配置した。
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艦形
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本艦の基本設計は同年代のイタリア海軍の前弩級戦艦「エマニュエレ・フィリベルト級」の艦形を小型化し、装甲を減じ、代わりに速力を増加した艦として設計士官エドアルド・マスデアの手により纏められた。 船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、艦首水面下に衝角を持つ艦首から前部甲板上に前向きに単装式の「アームストロング 1898年型 25.4cm(40口径)砲」を単装砲塔で1基を配置(「日進」は前後ともに20.3cm連装砲塔)、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ船橋を両側に持つ箱型艦橋の背後の2本煙突は機関の缶室分離配置のために前後に放されており、船体中央部に二段の見張り所を持つ主マストが1本立ち、各見張り所には対水雷艇用に4.7cm単装機砲が前後に1基ずつ配置されていた。煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が立てられている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、その後ろは後ろ向きに20.3cm連装砲塔1基が配置。左右の舷側には1番煙突から2番煙突の間には15.2cm単装副砲が甲板上に2基、舷側ケースメイト配置で5基配置され片舷7基計14門搭載された。
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艦形
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「タイガー (巡洋戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は前級に引き続き長船首楼型船体を採用している。艦首は浮力確保のために水線下が突出していた。傾斜(シア)のまったくない艦首甲板上に「Mark 5 34.3cm(45口径)砲」を収めた連装砲塔を背負い式で2基装備し、2番砲塔基部から上部構造物が始まり、その上に司令塔が立ち、その背後に操舵艦橋を組み込んだ前向きの三脚式の前部マストが立ち、本艦は就役時から頂上部に射撃指揮室が設けられた。 本級の煙突は前級と同じく3本煙突であるが、前級の反省から等間隔に並べられた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、1番・2番煙突の左右に設けられた探照灯台を基部として片舷1基ずつの小型クレーン2基と3番煙突手前の大型クレーン1基の計3基により運用された。上部構造物は3番煙突と後部司令塔が立った所で終了し、船体中央部に3番主砲塔が後向きに1基、更に後部甲板上には4番主砲塔が後向きに1基配置された事により間隔の離れた背負い式配置となっており後方火力が前級の倍となっていた。就役時の本艦には、後部マストがなかった。 本級の副砲である「Mark 7 15.2cm(45口径)速射砲」は上部構造物の側面部に1基、船体中央部にケースメイト配置で片舷4基ずつ、3番主砲塔の後方に片舷1基の計12基を配置した。他に甲板上に対空火器として「7.62cm(40口径)高角砲」が単装砲架で2基を搭載した。 就役後のユトランド沖海戦後に3番煙突の後方の見張り所を高くして探照灯台を設置した。1918年に前部マスト上の射撃指揮室を拡大化して測距儀を設置した。この時に3番クレーンの基部を単脚式の後部マストへと改造した。1922年以降に3番・4番主砲塔の砲塔測距儀を大型の物に換装した。 1924年に7.62cm(40口径)高角砲2基を撤去し、「10.2cm(45口径)高角砲」を単装砲架で4基に強化したが後に2基に減少し、1925年に10.2cm高角砲を全て撤去して、代わりに新型砲架の「Mark I QF 7.6cm(45口径)高角砲」を4基に改められた。1928年に近接火器として「ヴィッカース 4cm(39口径)ポンポン砲を単装砲架で2基を追加したが後の9月に撤去した。1929年に7.6cm(45口径)高角砲4基を撤去し、代わりに新型の「Mark V HA 10.2cm(45口径)高角砲」を4基に更新された。
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艦形
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本級の船体形状は、前級に引き続き長船首楼型船体を採用しているが、前述通りに主砲塔配置は全て艦の中心線上に配置されていた。艦首は浮力確保のために水線下が突出していた。甲板の傾斜(シア)のまったくない艦首甲板上に、「Mark V 34.3cm(45口径)砲」を収めた連装砲塔を背負い式で2基装備していた。2番砲塔基部から、上方から見て六角形の前部上部構造物が始まり、甲板一段分上がって司令塔の上に簡素な操舵艦橋が配置され、本級の煙突は前級と同じく3本煙突で1番・2番煙突の間に前部マストが立つ。 前部マストは、設計時はオライオン級と同様に頂上部に見張り所を持つ後ろ向きの三脚式であった。しかし1番煙突と2番煙突の間に前部マストを配置したために、風向きによって1番・2番煙突の双方から排出される数百度もの高温の煤煙が頂上部の射撃指揮所を直撃、乗員を火傷させ精密機械を炙る煙害が公試中に判明した。 これにより艦を急遽ドックに送り返して1番煙突を後方にずらし、前部マストの位置を司令塔と1番煙突の間の狭いスペースに設ける工事を行った。このときにマストの形状は艦橋を貫くように単脚式となったが、強度不足が判明して、再びドック入りさせて主脚の後方に幅の狭い副脚を追加した三脚式に改造を行う不手際で実戦化が遅れた。 上部構造物は2番煙突の基部で終了し、2番煙突と3番煙突の間には3番主砲塔が後向きに1基配置された。このために2番・3番煙突の位置は前後に大きく離された独特の配置となった。マストの周囲は艦載艇となっており、通常の戦艦では煙突の周囲は艦載艇置き場となるのだが、本級は中央部に主砲塔を配置した事により、艇が爆風で破砕される危険性があった。そこで2番煙突と3番煙突の基部に、爆風避けの壁(ブラスト・スクリーン)を設け、艦載艇は比較的爆風の及ばない1番煙突と3番煙突の周囲に積み上げられた。艦載艇は2本1組のデリックを片舷2組の計4基で運用された。 3番煙突の基部から前後に長い八角柱型の後部上部構造物が設けられ、その上に単脚式の後部マストと後部司令塔が立つ。甲板一段分下がった後部甲板上には4番主砲塔が後向きに1基配置された。 本級の副砲である「Marks V 1913年型 10.2cm(45口径)速射砲」は前後の上部構造物の側面部にケースメイト(砲郭)配置されたが、全くの無装甲であった。前部上部構造物には上側に1基・下側に3基ずつ、後部上部構造物には4基ずつの片舷8基で計16基が配置された。この武装配置により艦首方向に最大で34.3cm砲4門・10.2cm砲6門、舷側方向に最大で34.3cm砲8門・10.2cm砲8門、艦尾方向に最大で34.3cm砲2門・10.2cm砲4門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:39 UTC 版)
本型は国産設計の弩級戦艦河内型などの主力艦の船体設計を雛形に、サーストン卿の設計である「金剛型」の船体設計を参考にして、一部にその最新設計を導入して建造された。また、船体形状については日本戦艦では初となる、大型模型を利用した水槽試験を経て決定されている。艦体は長船首楼型船体で、艦首は凌波性の良好なクリッパー型とされた。ただし艦形及び舵の配置に不適切な点があったようで、本型の操艦は日本戦艦で最も難しいとされ、直進を維持するだけで一苦労ということや、前進一杯から急転舵すると180度旋回したあたりで行き足が止まったという証言も残されている。
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艦形
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「ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体は「トロンプ」と同じく船首楼型船体であったが、イギリスで完工した際に居住区を増やすために船首楼を伸ばしたために長船首楼型船体となった。クリッパー型艦首には錨が左舷に2つ・右舷に1つが配置され、使用しない時はフランス海軍の「クールベ級戦艦」の様に艦首に錨が埋め込まれる巧妙な細工となっていた。 原型の15cm速射砲が手に入らなかったために主砲はアームストロング社製の「10.2cm(45cm)高角砲」を防盾の付いた連装砲架で艦首甲板上に背負い式で2基配置した。2番主砲の基部から上部構造物が始まり、その後部に塔型艦橋が設けられ、それを基部として前部マストが立つ。 艦橋の背後に大型の1本煙突が立てられた。艦橋と煙突の間は艦載艇置き場とされ、2本1組のボート・ダビッドが片舷1組ずつ計2組によって運用された。中央甲板上に10.2cm連装高角砲が片舷1基ずつ2基が並列配置された。後部測距儀所を載せた見張り所の背後で船首楼が終了し、後部甲板上に10.2cm連装高角砲が後ろ向きに1基配置された。この武装配置により艦首方向に最大で10.2cm砲4門、舷側方向に最大で10.2cm砲8門・4cm機関砲4門、艦尾方向に最大で10.2cm砲6門・4cm機関砲4門が指向できた。
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艦形
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本級はアリシューザ級軽巡洋艦 (2代)の流れをくむ艦首甲板の乾舷が高い長船首楼型船体となっていた。これは凌波性を保ちつつ建造費を安価にすべく鋼材を節約する工夫であった。水線部では縦横比率の強い船体長を長くとった船体幅の狭い船体形状で設計されており、水の抵抗が少ない船体形状のために少ない機関出力でも高速を出しやすい形状であった。艦首側面部を凹ませたトローラー型艦首を採用しており、これは波浪の飛沫が艦首甲板へ降り注ぐのを防ぐ効果を狙った物である。 艦首から全くシア(反り返り)の無い艦首甲板上に13.3cm高角砲を収めた連装式の主砲塔が巡洋艦の歴史で類を見ない背負い式配置で3基も配置された。このため、対空指揮所は主砲塔よりも高い位置に置くために塔型艦橋は3番主砲塔よりも高所に設置された。艦橋の背後に簡素な三脚型の前部マストが立ち、船首楼上に2本煙突が立つが、対空指揮所から煤煙を少しでも離すために2本とも後方に傾斜させて立てられた。 1番煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷に1組ずつ計2組により艦載艇は運用された。副武装の4cmポンポン砲は四連装砲架で2番煙突の側面に片舷1基ずつ計2基が搭載される設計であったが、主砲塔の間に合わない「ダイドー」「フィービ」は3番主砲塔の位置に1基追加された。2番煙突の側面に対艦攻撃用の53.3cm魚雷発射管が三連装で片舷1基ずつ計2基が舷側甲板上に配置された。三脚型の後部マストと後部射撃指揮所の背後に3番・4番主砲塔が後向きの背負い式で2基が配置された。無駄のない艦形だが、武装過剰で兵器の更新に余裕がない欠点があった。また船体構造が華奢であり、初期公試では1番砲塔のローラーパスが歪んで旋回しない故障が13件起きたという。他にも荒天で甲板支柱が曲がる損傷も起こったが、船体補強や船員の航行が上達するにつれてそのようなことはなくなり、航洋性に優れた艦としてみなされるようになった。
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艦形
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「ワスカル (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
帆装はブリガンティン式である。船体形状は排水量に比較して凌波性を良くするために艦首のみ乾舷が高められた短船首楼板型船体を採用している。航行には帆と蒸気機関が使用されたが、後に帆走設備は撤去された。砲塔はコールズ式砲塔1基を船体中央付近に装備していた。 水面下に衝角の付く艦首船首楼のすぐ後ろに1番マストが立ち、そこから甲板一段分下がった中央部甲板上に円筒形の主砲塔が1基が配置され、その中に「アームストロング 25.4cm(14口径)滑腔砲」を連装砲架で2門を収めた。主砲塔の背後から幅の狭い上部構造物が設けられ、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ露天艦橋の背後に1本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風筒が立ち並び、煙突の後方から上部構造物が設けられた。 そこは艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビットが片舷2組と艦尾に1組の計5組で運用された。その後ろに2番マストが立つ。 「ワスカル」の主砲塔と装甲配置図 「ワスカル」の艦首部 「ワスカル」の模型。主砲塔の射界を得るために船首楼が極端に短くされたため、航海時は舷板が立てられた。戦闘時には舷板は減板を下方に倒して主砲を使用した。
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艦形
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「エリトリア (通報艦)」の記事における「艦形」の解説
船体は艦首乾舷の高い単船首楼型で、クリッパー・バウ式艦首を持っていた。艦首甲板上には「1926年型 12cm(45口径)砲」を連装砲架で1基装備し、その後ろに近代的な箱型の艦橋が有り、背後に中部に見張り台を持つ単脚式の前檣を立つ。その後部から、甲板は一段分下がるが、舷側甲板上に船首楼甲板から同じ高さでフライング・デッキ(空中甲板)が後部主砲近辺まで伸びており、艦上の利用できるスペースは広い。1本煙突の周りは艦載艇置き場となっており、艦載艇は単脚式の後檣の基部に付いた揚収クレーンにより運用された。煙突の後部に機銃座が配置された。後檣の背後から間隔を空けて後部甲板上に2番連装主砲が後ろ向きに1基装備された。
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艦形
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船体重量軽減のため船型は前級の平甲板型船体とは異なり、船体後半を甲板一層分低めた船首楼型とした。 トレント級との外観上の相違点は艦橋構造であり前級においては三脚マストとして設計したが、強度不足により公試時に振動が発生したために途中から二脚足して五脚になった。このため、追加されたマストのために艦橋内部の容積が不足した。この不具合を踏まえて本級では設計時から五脚檣を採用している。その構造は艦橋を基部として中央部に太いマストを主脚として立て、四隅からピラミッド型に副脚を追加した形状で強度・安定性が向上して振動に強く、頂上部の測距儀はより安定化した。艦橋構造も最初から床面積を増やして対処していた。前部マストの頂上部の射撃方位盤室に5m測距儀2本を備えており、前部マストの側面部に対空用の副射撃指揮装置に3メートル測距儀を片舷1基ずつ備えていた。 しかし複雑な五脚マストは空気抵抗が大きく、1番煙突との境目に乱流を起こし煤煙の艦橋への逆流を起こした。このために1番煙突にファンネルキャップを追加する必要が生じた。本級と同じく複雑な前部マスト構造を持つ日本海軍の長門型戦艦でも対処に追われている。 それを改正するためにポーラのみ艦橋の基部を大型化して疑似的な塔型艦橋とし、艦橋と1番煙突の境目を埋めるように整形が施されており、姉妹艦との明瞭な識別点となっている。この工夫は次のボルツァーノにも引き継がれた。 船体中央部には2本煙突が立つが、機関のシフト配置のために前後が離されていた。2本煙突の間は艦載艇置き場となっており、2番煙突前方に立つ後部三脚マストを基部とするクレーン1基により運用された。艦橋の側面から舷側甲板上にかけて10cm(47口径)高角砲が防盾付きの連装砲架で片舷4基ずつ計8基が配置されていた。2番煙突後方に後部測距儀所が立ち、その後ろに3番・4番主砲塔が後ろ向きに背負い式に2基が配置された。
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艦形
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「マルコ・ポーロ (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は同時期のイタリア防護巡洋艦が採用し続けていた船首楼型でなく、これよりイタリア装甲巡洋艦の特長となる平甲板型船体を採用している。この時代の軍艦の特徴として艦首水面下に突出した衝角を持つ艦首から甲板上に「15.2cm(40口径)速射砲」を単装砲架に断片防御程度の装甲板で作られた防盾を被せ、艦首甲板上に前向きに1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋の左右の舷側甲板上に2番主砲と3番主砲が前向きに1基ずつ配置される。艦橋の後部に簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部の2本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、その脇の舷側甲板上には副砲の「12cm(40口径)速射砲」が並列に片舷5基ずつ計10基が配置された。艦載艇は12cm砲の上を避けて、2本1組のボート・ダビッドが船体中央部に片舷2組ずつ計4組により吊り上げられて運用される。単脚式の後部マストの左右に4番主砲と5番主砲が後向きに1基ずつ配置される。そして後部甲板上に6番主砲が後向きに1基配置された。この武装配置により前後方向に15.2cm砲3門・12cm砲2門、左右方向に最大15.2cm砲4門・12cm砲5門が指向できた。
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艦形
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トレント級は高速を発揮を発揮しやすくするために、同時期のイギリス海軍の巡洋艦と同じく縦横の比率の強い細長い船体形状を採用していた。艦首水線下には初期からバルバス・バウを採用していた。艦首構造の内部に水上機格納庫を持ち、水上機は艦首甲板上に埋め込まれた固定式カタパルトから射出される。その後部から主砲を箱型の連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基が配置された。トレント級は操舵艦橋を基部として頂上部に測距儀を載せ、中部に戦闘艦橋を持つた前部三脚檣が立っていたが、公試中に三脚檣の振動を押さえられなかったために前部に二脚を足して五脚檣となった経緯を持つ。このデザインは「ザラ級」まで受け継がれた。 艦橋の背後には2本煙突が立つが機関のシフト配置のために前後が離されており、その間は艦載艇置き場となっており、2番煙突前方に配置された後部三脚檣の基部に付いたクレーン1基により運用された。舷側甲板上には高角砲を防盾付きの連装砲架で片舷4基ずつ計8基配置していた。2番煙突後方の後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲塔が背負い式に2基配置した。艦尾水面下には中央に大型の一枚舵を挟むように片舷2軸ずつ計4軸にスクリュープロペラが付いていた。 アルゼンチン海軍がイタリアに発注したベインティシンコ・デ・マヨ級重巡洋艦(ベインティシンコ・デ・マヨ、アルミランテ・ブラウン)は、トレント級重巡の簡易輸出仕様というべき艦型であった。独自の武装を採用したほか、機関部の出力を減じて2軸推進になっている。 イタリア王国の次級(ザラ級重巡洋艦、1928/1929~30/1931年)は、速力を忍び、魚雷兵装を全廃、防御力を強化している。その次級のボルツァーノはトレント級とザラ級の改良型であり、魚雷兵装を復活させ、速力重視に戻った。
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艦形
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「イェロギオフ・アヴェロフ (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本設計はイタリア海軍のピサ級巡洋艦と同一である。同年代の前弩級戦艦レジナ・エレナ級の砲装備を小型化し、装甲を減じた代わりに速力を2ノット増加した艦として、設計士官ジュゼッペ・オルランドの手によりスマートにまとめられた。オリジナルと異なるのは本艦の主砲はイタリア製の「25.4 cm(45口径)速射砲」ではなく、イギリスより「Mark X 23.4 cm(47口径)砲」を購入した点が「ピサ級」とは異なる。この砲は楕円筒形状の連装式の砲塔に搭載された。 船体は典型的な平甲板型船体で、艦首から構造を記述すると、艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付いている。艦首甲板上に1番主砲塔があり、その背後に司令塔を組み込んだ艦橋の背後に三脚式の前檣が立つ。船体中央部には等間隔に並んだ3本煙突が立ち、煙突を挟み込むようにして舷側甲板上に、「19.1 cm(45口径)速射砲」を収めた楕円筒形状の連装砲塔が背中合わせで片舷2基ずつ計4基を配置された。煙突の背後か艦載艇置き場となっており、これらは2番煙突を基部として片舷1基ずつ計2基のボート・クレーンと三脚式の後檣の基部に1基付いたボート・ダビッドにより運用された。後檣の背後に後部見張り所が設けられ、そこから一段下がった後部甲板上に2番主砲塔が後向きで1基配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:52 UTC 版)
「サン・ジョルジョ級巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は新設計の長船首楼甲板型船体で外洋航行時の凌波性の改善と艦内容積を増やして居住性を改善した。水面下には未だ衝角(ラム)が付いた艦首から、船首楼甲板の幅は、副砲の射界を確保すべく幅が狭く設計されていた。艦首甲板上には主砲として前級から引き続き楕円筒形の連装砲塔に収めた1番主砲塔を配置、司令塔を組み込んだ操舵艦橋の背後には4本煙突が立つが、中央部に副砲弾薬庫を挟むために煙突は2本ずつ前後に離されて配置された。 舷側中央部には副砲を主砲塔と同じ形状の楕円筒形の連装砲塔に収め、これを背中合わせに片舷2基ずつ計4基を配置した。艦載艇は副砲塔の爆風を避けるため、2番煙突と3番煙突の間の船首楼甲板に並べられ、3番煙突の直前に立つ単脚式のマストを基部とするクレーン1基により運用された。4番煙突の後ろに後部見張所が設けられたところで船首楼甲板が終了し、1段下がった後部甲板上に2番主砲塔が後向きに1基配置された。
※この「艦形」の解説は、「サン・ジョルジョ級巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:22 UTC 版)
「M1940年型掃海艇」の記事における「艦形」の解説
本型は、前型に比較してやや船体規模が縮小され、生産性を高めるために構造の簡素化が図られていた。基本的な船体形状は前型と共通で、凌波性を持たせるため船首楼型船型とし、作業甲板となる後甲板は乾舷を低くしている。前部マストが三脚型となり、石炭燃料のため煙突が高くなっていることが、前型との識別点である。当初、新造時には火砲類は後甲板に装備され、掃海作業の妨げとならないよう一段高い位置に搭載された。その後武装強化により、前部にも火砲類を搭載した艇もある。掃海具の投入・揚収作業の便のため艦尾端のブルワークは省略されている。
※この「艦形」の解説は、「M1940年型掃海艇」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:25 UTC 版)
外観は低く、どっしりとした安定感をかもし出している。船体は平甲板型船体で、垂直に切り立った艦首から新設計の「USA Mark1 35.6cm(45口径)砲」を連装砲塔に収め、1・2番主砲塔を背負い式に2基搭載配置した。司令塔を組み込んだ操舵艦橋航海艦橋両脇には耳のような見張り台(船橋:せんきょう)を全幅一杯に張り出している。操舵艦橋を基部として頂上部に射撃方位盤室を載せた三脚式の前部マスト前向きに立つ。 その背後には2本煙突が立つ。煙突の間隔は離されており、その間は艦載艇置き場となっており、2番煙突の前方に設けられたジブ・クレーン1基により運用された。2番煙突の後ろに後部三脚マストが後向きに立ち、後部甲板上に後向きの3・4番主砲塔が背負い式に2基配置された。副砲の「15.2cm(50口径)速射砲」は船体中央部の舷側ケースメイト配置で単装砲架を等間隔に片舷6基ずつ計12基を配置した。その他に対水雷艇迎撃用に7.6cm単装速射砲を艦橋左右と後檣基部に2門ずつの片舷4基で計8基装備した。51cm水中魚雷発射管は艦首に1門、艦尾に並列で2門の計3門装備した。
※この「艦形」の解説は、「サラミス (戦艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:36 UTC 版)
「クリストーバル・コロン (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本設計は同年代のイタリア海軍の前弩級戦艦「エマニュエレ・フィリベルト級」の艦形を小型化し、装甲を減じ、代わりに速力を増加した艦として設計士官エドアルドマスデアの手により纏められた。 船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、艦首水面下に衝角を持つ艦首から前部甲板上に前向きに単装式の「Model 1896 24cm(42口径)砲」を露砲塔で1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ船橋を両側に持つ箱型艦橋の背後の2本煙突は機関の缶室分離配置のために前後に放されており、船体中央部に二段の見張り所を持つ主マストが1本立ち、各見張り所には対水雷艇用に3.7cm単装機砲が前後に1基ずつ配置されていた。煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が立てられている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、その後ろは後ろ向きに24cm露砲塔1基が配置。左右の舷側には1番煙突から2番煙突の間には15.2cm単装副砲が甲板上に2基、舷側ケースメイト配置で5基配置され片舷7基計14門搭載された。 防御装甲は舷側水線部に122mmの装甲が貼られており、装甲厚は排水量に比較して厚かった。また、主砲のバーベット部こそ122mmもあったが、他のジュゼッペ・ガリバルディ級の多くが砲塔形式であるのに対し、本艦はバーベットから上は断片防御程度の装甲で出来た防護盾を主砲基部に被せてあるだけの露砲塔であり完全な砲塔形式ではない。
※この「艦形」の解説は、「クリストーバル・コロン (装甲巡洋艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 16:52 UTC 版)
「パンター級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は乾舷の比較的低い平甲板型船体である。主砲の12cm(40口径)単装速射砲は、前後甲板上各1門と、舷側ケースメイトに片舷各3門の計8門を搭載した。 艦中央部には、艦橋と簡素な単脚式の前後マスト、2本煙突が設けられた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:57 UTC 版)
「ノーフォーク級重巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本設計はエメラルド級軽巡洋艦延長であるが基準排水量が1万トン台の大型となったため、水面からの乾舷が艦首から艦尾まで高く、側面には凌波性を良くするフレア(反り返り)の付いた平甲板型船体を採用できた。水線部の船体形状は船体長は192mもあり、船体の幅を抑えた水の抵抗を少ない船体形状に成形した事により少ない機関出力でも高速を出しやすい形状であった。 垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に20.3cm砲を収めた連装式の主砲塔が背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に近代的な塔型艦橋が立つが前級において2番主砲塔と艦橋の位置が近かったために前部主砲を側面に向けて撃つと爆風被害を受けるために本級において約7.5m間隔が開けられたのが外観上の識別点である。 艦橋の背後に簡素な単脚式の前後マストに挟まれるように2番煙突のみ太い3本煙突が立つ。艦橋に煤煙がかからないように煙突は後方に傾斜されたが、効果が無かったために公試中に煙突を約4.6m高くして改善する必要があった。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボード・ダビッドが片舷4組ずつ計8組により運用された。 中央甲板の後方は水上機施設で、水上機は3番煙突の基部に設けられたクレーンが片舷1基ずつ計2基で運用され、船体後部に水上機1機を収められる格納庫が設けられ、上部は後部見張所を兼ねていた。後部マストの後方の後部甲板上に20.3cm連装砲塔が後向きに背負い式配置で2基配置された。 本級の副武装・対空火器として10.2cm高角砲は単装砲架で片舷2基ずつ計4基が3本煙突の側面に配置され、舷側甲板上に53.3cm四連装魚雷発射管で片舷1基ずつ計2基が配置された。舷側部は客船のように艦首から艦尾まで上下2列の舷窓が立ち並び、同時期のフランス海軍の巡洋艦と同じく海外に植民地を持つ外洋海軍ならではの高温多湿の海外任務で乗員が健康を損ねないように設計されている事が伺える。 なお、ノーフォークのみ1944年に大規模な改装が行われ、3番主砲塔1基を撤去して浮いた重量で対空火器を強化し、新たに274型・277型・281B型・283型・293型レーダーを搭載した。
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艦形
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「バーミンガム級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は長船首楼型船体を採用していた。艦首は垂直に切り立った艦首から中央部に主砲の「Mk XII 15.2cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔と艦橋と二段の見張り所を持つ単脚式の前部マストが立つ。等間隔に並ぶ4本の煙突の舷側は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組により運用された。左右の舷側甲板上に15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ配置されていた。甲板一段分下がった箇所で見張り所と後部マストが立ち、後部甲板上に15.2cm主砲が左右に1基ずつの計9基が配置された。 就役後に前部マストを三脚式に改装して射撃方位盤を追加装備した。
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艦形
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本級の船体形状は長船首楼型船体で、艦首水面下に浮力確保の膨らみを持つ艦首から甲板上に38cm砲を2門ずつ主砲塔に収め、1番・2番主砲塔が背負い式に2基ずつ構成されている。その後ろに装甲司令塔を組み込んだ操舵艦橋。本級の前部マストはドイツ戦艦では初めて竣工時からと三脚型が採用され、頂上部に測距儀を載せた射撃指揮所があり、中段部に簡素な見張り所が三段に設けられていた。 船体中央部には2本煙突が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2番煙突の両脇に艦載艇揚収用のデリッククレーン2基により運用された。第二煙突の後部は探照灯台となっている。後部甲板上に後ろ向きの3番・4番主砲塔が背負い式に2基配置された。主砲は前後方向に4門、左右方向に最大8門が指向できた。 竣工後の1917年頃に運用実績から改装が行われた。この時期のドイツ艦は前部マストの構造物の多くが開放型であったために真冬には冷気が見張り所や艦橋に吹き込んで内部が結氷する欠点があったために密閉化された。また、後部マストが無いために無線アンテナ線を展開するのに不便であったために、2番煙突後方に簡素なマストを後付した。この頃に爆撃機・飛行船による航空爆撃の危険性が示唆されたために敵味方識別用として主砲塔上を黒く塗った上に白丸を描くと共に、8.8cm高角砲を単装砲架で2~4基を増設した。戦訓により魚雷防潜網展開用のヤードと魚雷発射管4門を撤去した。2番艦「バーデン」は建造中にこれら改良が施された。
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艦形
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「ハミディイェ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
艦の構造を前部から記述すると、水面下に衝角の付き、水線部に45.7cm水中魚雷発射管の付く艦首、主砲の15.2cmを防楯の付いた単装砲架で1基が配置され、その後方から上部構造物が始まり、に両脇に船橋(ブリッジ)を設けた操舵艦橋を基部として中段部に1段の見張り所を持つ前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に3本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。 左右の舷側に副砲である12cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で等間隔に片舷4基ずつ計8基が配置された。後部甲板上に前部と同じ様式の後部マストと後部見張所で上部構造物が終了し、その下の後部甲板上に後部主砲が後向きで1基配置された。
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艦形
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「バイーア級偵察巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は長船首楼型船体である。乾舷の低い艦首から艦首甲板に「アームストロング 12cm(50口径)速射砲」が防盾の付いた単装砲架で並列で2基配置、司令塔を組み込んだ操舵艦橋と簡素な単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部には2本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風筒が立っている。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組として片舷4組ずつ計8組のボート・ダビットにより運用された。舷側部には12cm速射砲が片舷3基ずつ6基配置された。2番煙突の後方の舷側部の艦内に設けられた発射管室に45cm魚雷発射管を単装で片舷1基ずつ計2基を搭載した。使用しない時は発射管室はシャッターで波浪から守られた。後部甲板には後部マストと12cm単装速射砲が後ろ向きに並列で2基配置された。 本級は1920年代後半の1925年から1926年にかけて近代化改装が行われた。外観上の変化は艦橋が大型化し、機関が換装されてボイラー配置が変更された関係で2本煙突が3本煙突となった程度である。武装面においては4.7cm速射砲2基と45cm魚雷発射管2基が撤去され、代わりに対空火器として7.6cm高射砲を単装砲架で2基と53.3cm連装魚雷発射管が追加された。
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艦形
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「バーケンヘッド級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は前級に引き続き長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に傾斜したクリッパー型の艦首から中央部に主砲の「Mk I 1915年型 14cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔を基部とする艦橋と前部マストが立つ。等間隔に並ぶ4本の煙突の舷側は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組により運用された。左右の舷側甲板上に14cm速射砲が片舷4基ずつ配置されていた。 3番主砲と4番主砲の側面には53.3cm三連装魚雷発射管が片舷2か所ずつ計4基が配置された。4番煙突の後部に見張り所と後部マストが立ち、船首楼から一段下がって後部甲板上に10番主砲が後ろ向きに1基が配置された。
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艦形
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「ネプチューン (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦でイギリス戦艦では初の試みとして2・3番主砲塔の位置を前後にずらして梯形配置とし、上部構造物による射界の制限は有るが両舷への全門斉射を可能とした。このため、船体長が伸びて建造費の増加を及ぼす恐れがあったため、既存の戦艦では後部甲板上に直に並べられていた4番・5番主砲塔を、イギリス戦艦初の背負い式配置とする事でスペースの削減を行ったために最終的に全長の増加は15m程度に抑える事ができた。しかし、梯形配置とした2番・3番主砲塔を反対舷に向けて全斉射すると船体に予想外の力がかかることが判明し、後日船体の強化工事を行っている。更に背負い式配置とした4番・5番主砲塔を後方に向けて射撃した場合に5番主砲塔上に設けられた換気穴や照準穴から爆風が吹き込み、5番主砲塔の砲員に高温の火炎で被害が生じることが建造後に判明した。このために照準穴の位置を変更する工事が行われた。 本艦の船体形状は高い乾舷を持つ短船首楼型船体であり、外洋での凌波性は良好であった。艦首から前向きに連装タイプの1番主砲塔1基を配置し、そこから甲板よりも一段高められた上部構造物の上に艦橋構造が配置される。艦橋は下部に司令塔を持つ箱型に簡略化されており、この背後に頂上部に見張り所を持つ三脚型の前部マストと1番煙突が立つ。 前級と異なる点は1番煙突の背後で船首楼が終了し、そこから1段分下がって中甲板上に立つ2番煙突を斜めに挟み込むように左舷側前方に2番主砲塔が1基、右舷側後方に3番主砲塔が1基配置され、その後方に三脚型の後部マストが立つ。甲板上に主砲塔を配置したために、艦載艇は1番煙突の後方から2番煙突を経由して後部マストまで続く「空中甲板(フライング・デッキ)」を設けて艦載艇を配置し、2番煙突を基部として片舷1基ずつクレーンを配置して運用された。 この形式はイギリス海軍は「ロード・ネルソン級」で用いられた形式で、前後の艦橋との連絡橋としての役割もある。フライング・デッキは2番・3番主砲の片舷斉射に耐えうるように強固に作られたが、爆風で艦載艇が主砲塔上に転落して旋回を阻害する恐れがあったので第一次世界大戦中に1番・2番煙突間の部分を撤去された。 後部マストの後方に4番・5番主砲塔が後ろ向きに背負い式で2基が配置された。副砲の10.2cm速射砲は本級から全てを上部構造物に設置され、艦橋基部と2番煙突基部と後部マスト基部の三か所に16門が分散配置された。
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艦形
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「バーリ (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
垂直にきり立った艦首から艦首甲板上の波きり板の上に主砲として「15cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で並列に2基、前部に司令塔を組み込んだ両脇に船橋をもつ艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。マストの頂上部に見張り所が設けられ、中段部に探照灯が上下に1基ずつ計2基配置された。船体中央部に等間隔に3本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組で運用された。舷側甲板上には等間隔に3番~7番15cm速射砲が単装砲架で片舷2基ずつ配置されていた。3番煙突の背後から上部構造物がもうけられ、そこに単脚式の後檣が立ち、中段に探照灯台が設けられ前後に1基ずつ配置された。構造物の末端部には艦首と同じく15cm速射砲が後ろ向きに並列配置で2基ずつ配置されていた。その下が後部甲板となっている。 イタリア海軍時代の1921年から1923年の間に小改装を受け、艦橋が1番煙突と合体するまでに拡大されて3層構造となった他、排煙効果を高めるべく1番煙突が高くなった。また対空火器は8.8cm高角砲から国産のアンサルド 7.6cm(40口径)高角砲を単装砲架で2基に更新された。1935年にボイラーを重油専焼水管缶に更新したさいに、艦首側のボイラー6基を撤去の伴い1番煙突が撤去されて2本煙突となった。この改装で出力が21,000馬力に落ち、速力も24.5ノットに低下したが航続性能は14ノットで4,000海里と向上した。また、武装面においては近接火器が追加され、「ブレダ 2cm(65口径)機関砲」が連装砲架で、三脚化した後部マストの基部に片舷1基ずつと甲板上に1基の計3基が設置された。また「ブレダ 13.2mm(76口径)機関銃」も連砲架で3基が搭載された。後に1940年にブレダ 2cm単装機関砲6基が追加された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:46 UTC 版)
本級の船体形状は艦首のみ乾舷の高い短船首楼型船体で、バルト海での凌波性は良好であった。垂直に切り立った艦首から主砲として7.6cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で艦首甲板上に1基、その後方に箱型の操舵艦橋を基部とする単脚式の前部マストが立つ。船首楼甲板から一段、下がった船体中央部には、4本煙突が等間隔に立ち、その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷1組で計2組により運用された。 舷側甲板上に45cm単装魚雷発射管が片舷に1基ずつ配置され、それを前後から挟むように7.6cm単装速射砲が1番煙突と4番煙突の側面に1基ずつの片舷2基ずつ配置された。後部甲板上に箱型の見張り所を基部として後部マストが立ち、その直下に7.6cm速射砲を後ろ向きに1基を配置し、艦尾甲板上に45cm単装魚雷発射管1基を配置した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:47 UTC 版)
「ドラッヘ (砲術練習艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は生産性を高めるために直線を多用した設計が採られていた。強く傾斜したクリッパー型艦首から艦首甲板の乾舷部のみ高い短船首楼型船体を採用している。全く反り返り(シア)のない艦首甲板上に1番・2番8.8cm速射砲を並列配置で2基。両脇に船橋(ブリッジ)を持つ艦橋構造と単脚式の前部マストで船首楼は終了し、そこから甲板1段分下がった中央甲板に2本煙突が立つ。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドを片舷2組の計2組により運用された。後部甲板に3番・4番8.8cm速射砲が後向きに並列配置で2基が配置された。 竣工後の1928年から武装を10.5cm単装速射砲4基と2cm(65口径)単装機銃2基に換装した。1936年7月に近代化改装を受け、船体をオーバーホールすると共に艦橋構造が大型化し、機関をディーゼル機関に換装した折に煙突を1本に纏めた。武装面においては3.7cm連装機関砲2基に換装を追加した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/20 20:06 UTC 版)
本艦の基本構造は3本のマストと一本煙突を持つ装甲フリゲートとしてデンマークはコペンハーゲン海軍造船所で建造された。船体内にはアームストロング製 15cm単装砲4基とクルップ製 15cm単装砲14基を装備し、近接戦闘用に甲板上に3.7cm回転式機砲を8基と8mm機銃を2丁装備していた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:13 UTC 版)
「バイター (護衛空母)」の記事における「艦形」の解説
本級は前述の通り、途中から航空母艦として改装されたクラスであるが、改装時期により艦形が異なり、「アヴェンジャー」と「チャージャー」は平甲板型であったが、「バイター」と「ダッシャー」は右舷側に艦橋を設置しており異なっていた。4隻の空母はイギリス海軍に渡されたが、チャージャーは早い時期にアメリカ海軍に返還された。改造の方法は貨物船としての完成後に改造された「アーチャー」と類似し、船体上に真四角形の飛行甲板を張り、飛行甲板と船体の間に高さ4.88mの格納庫(ハンガー)を設けており艦尾側の側面は密閉された。 艦体の全長151mに対して飛行甲板長は125m、艦幅21.2mからオーバーハングするように甲板幅は23.2mに達した。元々が低速な商船であったが、飛行甲板上のカタパルト1条により艦載機を射出する事が可能であった。しかし、引き渡し後にイギリス海軍の艦載機の問題により、飛行甲板の長さを134.7mまで延ばす改良が実施されて就役時期が伸びた。飛行甲板の中央部には格納庫から艦載機を運用するための縦12.8m×10.4mの5.4トンエレベーター1基が設置されていた。
※この「艦形」の解説は、「バイター (護衛空母)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:48 UTC 版)
本級の船体は前級に引き続き長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に強く傾斜したクリッパー型の艦首から中央部が狭い艦首甲板上に波きり板を設けた後ろに主砲の10.5cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1番2番主砲を並列配置で2基、その背後に司令塔を基部とする船橋(ブリッジ)をのせた箱型艦橋と前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ4本の煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。舷側甲板上には10.5cm速射砲が片舷4基配置された4番煙突の後方に後部マストが立ち、後部甲板上に11番・12番主砲が後ろ向きに並列で2基配置された。
※この「艦形」の解説は、「ピラウ級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:08 UTC 版)
本級の船体は短船首楼型船体であった。クリッパー型艦首から乾舷の高い艦首甲板上に13cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で背負い式に2基を配置、2番主砲の基部から上部構造物が始まり、その上に測距儀を載せた箱型の艦橋の両脇に船橋(ブリッジ)を設けた。艦橋と簡素な三脚式の前部マストが立った所で船首楼は終了し、甲板一段分下がって3本煙突が立つ。その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基で運用された。3番煙突の後部に船体中央部に55cm三連装魚雷発射管が直列に2基が配置された。後部甲板上に後部マストが立ち、その背後に13cm主砲が後ろ向きに背負い式で2基配置された。
※この「艦形」の解説は、「ブーラスク級駆逐艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:02 UTC 版)
「パワフル級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体は平甲板型船体である。水面下に衝角(ラム)の付いた艦首から甲板上に23.4cm(40口径)ライフル砲を単装形式の砲塔に収めて1基配置した。その背後の司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と二段の見張り所を持つミリタリーマストが立つ。 船体中央部に等間隔に4本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その外周は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組で運用された。副砲の15.2cm速射砲は舷側ケースメイト配置で前後に張り出しを設け、上下に1門ずつ計2門を配置し、船体中央部に単装で2門を配置した。 4番煙突の後方に後部ミリタリーマストと後部艦橋が立ち、そこから後部甲板上に23.4cmライフル砲塔が後ろ向きに1基配置した。この武装配置により艦首方向に最大で23.4cm砲1門・15.2cm砲4門、舷側方向に最大で23.4cm砲2門・15.2cm砲6門、艦尾方向に最大で23.4cm砲1門・15.2cm砲2門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:03 UTC 版)
就役時のホバート。 船体は乾舷の高い長船首楼型船体とし、艦首側面形状は凌波性能を高めるために2段の強いフレア(反り返り)が付けられていた。艦首甲板上には15.2cm砲を連装砲塔に収めて背負い式配置で2基配置。2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に箱型の操舵艦橋が立ち、その背後に簡素な単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部には前後に離された2本煙突が立ち、煙突のあいだは航空施設となっており、水上機を打ち出すカタパルト1基が設置されており、1番煙突の側面に片舷1基ずつのクレーンにより運用された。副武装である10.2cm高角砲はリアンダー級では1番煙突の側面に配置していたが、本級においては2番煙突の後方に片舷2基ずつ計4基が配置されたが、煙突の間が離された事により射界が広がっており、艦尾側の2門は反対側への射撃が可能であった。対空砲座の下には53.3cm魚雷発射管が巧妙に配置されており、四連装発射管が片舷1基ずつ計2基を配置していた。 高角砲の配置が変わった事により艦載艇置き場は1番煙突の側面に移動されて運用スペースが広がった。艦載艇は舷側に設けられた2本1組のボート・ダビッドが片舷に3組ずつ計6組で運用された。2番煙突の後方に露天の後部見張所と単脚式の後部マストが立ち、3番主砲塔の基部で上部構造物は終了、甲板一段分下がって後部甲板上に4番主砲塔が配置された。船体舷側部には復元性と水雷防御の確保として広範囲にバルジが装着されていた。
※この「艦形」の解説は、「パース級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:07 UTC 版)
本級は艦首の乾舷のみ高い短船首楼型船体であった。切り立った艦首から艦首甲板上に1番10cm速射砲を単装砲架で1基を配置、その背後に測距儀を載せた箱型の艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に4本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基で運用された。甲板一段分下がった舷側にスポンソン(張り出し)が設けられ、そこに6.5cm速射砲を片舷1基ずつ配置した。中央部甲板上に45cm連装魚雷発射管が直列に2基が配置され、その後方に6.5cm速射砲を片舷1基ずつ配置した。後部甲板上に上部構造物が設けられ、そこに後部マストと2番10cm主砲が後ろ向きに1基配置された。 就役後の1916年から1918年にかけて「7.5cm(35口径)速射砲」1基と8mm(80口径)単装機銃2丁が追加装備された。
※この「艦形」の解説は、「ブークリエ級駆逐艦」の解説の一部です。
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艦形
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「ピエモンテ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は小型の船体に準戦艦級の主砲を積む関係から水面から乾舷が低い平甲板型船体となっており、同時期にイギリスで建造された大日本帝国海軍の防護巡洋艦「浪速型」に似た艦容である。 艦の構造を前部から記述すると、水面下に衝角が付き水線部に35.6cm水中魚雷発射管の付く艦首、主砲の15.2cmを防楯の付いた単装砲架で1基が配置され、その後方に両脇に船橋を持つ操舵艦橋を基部とする2段の見張り所を持つ前部マストが立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。 左右の舷側に張りだしが設けられ、そこに副砲である15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で等間隔に片舷2基ずつ配置された。後部甲板上に前部と同じ様式の後部マストと後部見張所で上部構造物が終了し、その下の後部甲板上に6番主砲が後向きで1基配置された。
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艦形
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「ブエノス・アイレス (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は小型の船体に準戦艦級の主砲を積む関係から水面から乾舷が低い平甲板型船体となっており、同時期にイギリスで建造された大日本帝国海軍の防護巡洋艦「吉野型」に似た艦容である。 艦の構造を前部から記述すると、水面下に衝角と45cm水中魚雷発射管1門を内蔵させた艦首、艦首甲板上に主砲の20.3cmライフル砲を防盾の付いた単装砲架で1基が配置され、その後方から上部構造物が始まり、単脚式の前部マストが立つ。その背後に司令塔を組み込んだ両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋が立つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2番煙突後方の後部マストと前部マストの基部に1基ずつ付いたクレーン計2基と2本1組のボートダビッドが片舷4組ずつ計8組により運用された。 上部構造物の四隅に張りだしが設けられ、そこに副砲である15.2cm砲が防盾の付いた単装砲架で隅に1基ずつ計4基が配置され、舷側甲板上に12cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ計6基が配置された。後部マストで上部構造物が終了し、その下の後部甲板上に2番主砲が1基配置された。
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艦形
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本級の船体は典型的な平甲板型船体を採用している。艦首から構造を記述すると、艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付いている。艦首甲板上に主砲の「アームストロング 25.4cm(40口径)砲」を楔形の連装砲塔に収めて1基を配置。 その背後から無骨な司令塔の基部から上部構造物が始まり、その上部に両側に小型の船橋(ブリッジ)を持つ艦橋が立つ。船体中央部には等間隔に並んだ3本煙突が立つ。煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管状の通風筒が立ち並ぶ。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、3番煙突後方には単脚式のマストの基部に付いたジブ・クレーン2基により運用された。副砲の19.1cm速射砲は楕円筒型の連装砲塔に収められて上部構造物の四隅に1基ずつ計4基が配置された。艦載艇置き場の後方に後部艦橋が配置された所で上部構造物は終了し、後部甲板上に2番25.4cm主砲塔が後向きに1基が配置された。対水雷艇用の7.62cm速射砲は射界の広い構造物上に単装砲架で片舷8基ずつ計16基が配置された。また、船体内に45cm魚雷発射管が艦首に1門、舷側に1門ずつ計3門が搭載された。この武装配置により前後方向に最大で25.4cm砲2門・19.1cm砲4門・7.62cm砲4門が指向でき、左右方向に最大で25.4cm砲4門・19.1cm砲2門・7.62cm砲8門を指向できた。 「ピサ」のみ1917年に小改装された折に艦橋に方位測定儀が設置され、砲戦指揮装置の設置と弾着観測の必要性から艦橋の背後に単脚式の前部マストが追加された。同時に7.62cm速射砲2基と4.7cm速射砲全8基が撤去され、代わりに「アンサルド7.62cm(40口径)高角砲」が単装砲架で6基が搭載された。1925年に水上機1機を搭載した。
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艦形
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「ブリュッヒャー (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は前級までと異なり、中央部分のみ乾舷の高い長船首楼型船体を採用している。艦首水面下に衝角(ラム)を持つのは同時期のドイツ海軍の弩級戦艦と同じであるが、戦艦と異なるのは艦首形状である。これは波きりの良いクリッパー型艦首となっていた。傾斜の無い艦首甲板上に新設計の「21cm(44口径)速射砲」を収めた連装砲塔に収め、艦首甲板上に前向きに1基、片舷に2基ずつ、後甲板に1基装備した。なお、ドイツ海軍では1番~6番砲塔をAから始まるアルファベット順に数え、時計回りにAからFまで割り振った。 天蓋に測距儀を載せた二層構造の司令塔の背後に両脇に船橋を持つ操舵艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2番煙突を挟み込むように立つグース・ネック(鴨の首)型クレーン計2基により運用された。船首楼の末端部に後部司令塔と上部に探照灯が配置された見張り所が設けられ、その間に後部マストが立つ。そこから甲板一段分下がって、後ろ向きに21cm連装主砲塔が1基配置された。船体中央部の舷側に15cm副砲が片舷4基ずつケースメイト(砲郭)配置された。この武装配置により前後方向に21cm砲6門、左右方向に最大21cm砲4門・15cm砲6門が指向できた。 就役後の1913~1914年に前部マストを振動に強い三脚式に改良し、頂上部に見張り所と射撃指揮所を設けた。
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艦形
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「ナヴァリン (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦は中央楼型船体で、艦首水面下に衝角を持ち、乾舷の低い艦首甲板から前部甲板上に「1886年式35口径305 mm砲」を連装砲塔に収め、1基を配置した。 その背後から上部構造が始まり、司令塔を下部に組み込んだ箱形艦橋は上部構造物と一体化していた。艦上構造物の後ろには簡素な単脚式のマストが1本立つ。その背後に4本煙突が並列2本ずつが前後に配置されていた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、上部構造物の上にあるために波浪の影響を受けにくい利点があった。上部構造部の側面には砲郭(ケースメイト)配置で15.2cm単装砲が片舷に等間隔で4基が配置されていた。煙突の背後に中部に装甲で覆われた見張り所が設けられたミリタリー・マストが1本立ち、その後部で上部構造物は終わり、後部甲板上には後ろ向きに連装砲塔1基が配置された。 ナヴァリンは1904~1905年に近代化改装を受け、無線機が搭載されたのに合わせてアンテナ線の長さを確保するために簡素な前部マストは延長され前檣と呼ぶにふさわしい高さになった。艦橋には基線長1.37mの測距儀と望遠鏡型の照準装置が設けられた。
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艦形
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ニューヨーク級の船体形状は平甲板型船体で全長は174.7mと、ワイオミング級の171.3mよりも約3m伸びた。前級のワイオミング級と同一の主砲塔6基の配置にしなかった理由は、同配置のまま14インチ砲を採用すると艦の全長が伸び、船体が大型化して高価なものとなるという為である。 構造を艦の前方から記述すれば、まず主砲には新設計の1910年型 Mk. 12 35.6cm(45口径)カノン砲を収めたクサビ形の連装式の主砲塔に収め、背負い式の1番・2番主砲塔に装備した。2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、2番主砲塔の後方に司令塔を組み込んだ操舵艦橋が立ち、その背後に籠状の前部マストが立ち、中段部と最上段には露天の見張り台がある。2本煙突の側面の舷側甲板上には艦載艇が並べられ、それらは1対の探照灯台とそれを基部にしたクレーンが片舷1基ずつ計2基で運用された。2番煙突の後方に籠状の後部マストが立った所で上部構造物は終了し、そこから一段分下がって後部甲板上に後方へ向けて配置された3番主砲塔、背負い式の4番・5番主砲塔の順となっている。 副砲の12.7cm速射砲は艦橋の側面に露天で1基ずつ。ケースメイト(砲郭)配置で1番主砲塔の側面に2基ずつ、船体中央部に5基ずつ、艦尾側に2基ずつの片舷8基で計16基を配置した。煙突の背後には単脚式の2段の見張り所を持つ後部マストが立った所で上部構造物は終了し、そこから甲板一段分下がって、後部甲板上に2番主砲塔が後向きで1基配置された。 就役後の1918年に対空火器としてMk. 10 7.6cm(50口径)高角砲を単装砲架で4基を搭載したが、1919年に更に2基を追加した。1920年代に艦首の副砲の12.7cm速射砲5門を撤去した。戦訓により第一次世界大戦時に2番・3番・4番主砲塔の上に測距儀を設置し、テキサスが1916年に射撃方位盤及び射撃指揮装置を搭載し、これがアメリカ戦艦初の射撃指揮装置の搭載となった。 ニューヨーク級は1925年~1927年にノーフォーク造船所で近代化改装が行われ、ボイラーを石炭・重油混焼缶16基から重油専焼缶6基に換装したが、推進機関はレシプロ機関のままであったために速力・出力は変わらなかったが、航続能力は向上して重油2,810トンで速力10ノットで15,400海里を航行できた。ボイラー数の減少に伴い艦橋側の煙突を撤去し、2番煙突はやや太くなり煙突数は1本に減少した。 また、第一次大戦のイギリス超弩級戦艦が水雷兵器により戦闘不能になった戦訓から魚雷防御隔壁を増やし、1番主砲塔から5番主砲塔の側面にかけてバルジを追加して艦幅が32.4mと増した。同時に水平防御も改良され甲板防御は50mmから95mmへと厚くなった。 籠状の前後マストは強固な三脚型に更新され、2番煙突の背後には射撃指揮所が新設されたのに伴い、後部マストは前部マストの半分くらいの高さのものが3番主砲塔と4番主砲塔の間の空きスペースに移設された。艦橋構造も司令塔の上に拡幅され、測距儀を乗せた完全な密閉構造となった。頂上部には主砲・副砲の射撃方位盤を内蔵する密閉型の見張り室が設けられた。また、水上機運用のためにカタパルトを3番主砲塔の上に設置し、艦載艇クレーンはより大型のものに換装した。 波浪により被害のあった中央部副砲5門のうち、前方3門を主甲板上に新たに設けられた張り出しに移し、その天蓋部に7.6cm単装高角砲を片舷4門ずつ計8基増設した。操舵艦橋上にあった測距儀は2番・4番主砲塔天蓋部に移設した。 1935年には三脚檣トップにフラットを設け、28mm高角機銃が新たに追加された。
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艦形
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「ブルンマー級敷設巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
当時は長船首楼型が多かったドイツ軽巡洋艦の中で本級の船体形状は短船首楼型船体を採用していた。これは、左右の舷側を低くして後部甲板と同じ高さにして舷側甲板いっぱいに機雷を搭載するためである。機雷は片舷1条で計2条のレール上を滑って艦尾から投下された。 水面下が突出し衝角を持つ艦首は前方に強く傾斜したクリッパー型艦首で、艦首甲板上に波きり板を設けた後ろに主砲の15cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1番主砲が1基、その背後に司令塔を基部とする船橋(ブリッジ)をのせた箱型艦橋と前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ3本の煙突が立ち、1番・2番煙突の間に2番主砲が1基配置された。3番煙突の後方には対空用として8.8cm高射砲が防盾の付いた単装砲架で直列で2基配置され、空いた周りは艦載艇置き場となっている。その後方に後部マストが立ち、後部甲板上に3番・4番主砲が後ろ向きに背負い式で2基配置された。
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艦形
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「ブレーク級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体は平甲板型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に23.4cm(31.5口径)ライフル砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。その背後の司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その外周は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組で運用された。舷側甲板上には副砲の15.2cm速射砲が防楯の付いた単装砲架で片舷5基ずつ計10基を配置した。 3番煙突の後方に後部マストと後部艦橋が立ち、そこから甲板一段分下がって、後部甲板上に23.4cmライフル砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。この武装配置により艦首方向に最大で23.4cm砲1門・15.2cm砲2門、舷側方向に最大で23.4cm砲2門・15.2cm砲5門、艦尾方向に最大で23.4cm砲1門・15.2cm砲2門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:05 UTC 版)
船首楼型船体であった。切り立った艦首から乾舷の高い艦首甲板上に1番10cm速射砲を単装砲架で1基を配置、その背後に測距儀を載せた箱型の艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に4本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基で運用された。中央部甲板上に45cm連装魚雷発射管が直列に2基が配置された。後部甲板上の後部見張り所が設けられ、その上の後部マストと2番10cm主砲が後ろ向きに1基配置された。 就役後の1910年代後半に7.5cm(35口径)速射砲と8mm(80口径)単装機銃2丁が追加装備された。
※この「艦形」の解説は、「ビッスン級駆逐艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:00 UTC 版)
「ブリストル級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は短船首楼型船体を採用していた。艦首は垂直に切り立った艦首から中央部に主砲の「Mk XI 15.2cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、艦橋と単脚式の前部マストが立つ。等間隔に並ぶ4本の煙突の舷側は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組により運用された。左右の舷側甲板上に副砲として10.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷5基ずつ計10基が配置されていた。装備位置の低い舷側砲は波浪に叩かれる事が多く、波除板が取り付けられていた。甲板一段分下がった箇所で見張り所と後部マストが立ち、後部甲板上に15.2cm主砲が後ろ向きに1基が配置された。
※この「艦形」の解説は、「ブリストル級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:55 UTC 版)
「フォン・デア・タン (巡洋戦艦)」の記事における「艦形」の解説
設計方針は大型巡洋艦としての前型ブリュッヒャーの拡大改良型ではなく、同時期の弩級戦艦である「ナッサウ級」の高速化として考えられた。主兵装はナッサウ級と同一で、排水量もそれと同程度であるが、やや長い船体長と大出力を発揮するタービン主機の重量を捻出するため、砲の装備門数と水線下の装甲重量を減じて高速を得ている。船体形状は船首楼型船体を採用した。主砲配置要領も同時期のドイツ戦艦に準じて前後甲板と中央部両舷に各1基の主砲塔を配置する形態を採用したが、中央部両舷の主砲塔は前後に位置をずらしたアン・エシュロン形の配置として反対舷射撃を可能としていた。また、舷側部には英巡洋戦艦にはない副砲が配置され、舷側には15cm単装砲がケースメイト(砲郭)配置で片舷辺り5基で計10基を配置した。この武装配置により前後方向に28cm砲6門、左右方向に最大28cm砲8門・15cm砲5門が指向できた。
※この「艦形」の解説は、「フォン・デア・タン (巡洋戦艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 06:07 UTC 版)
本級の基本構造は鉄製の船体の舷側に鉄製の装甲板を張った3本のバーク式帆走用マストと1本煙突を持つ装甲コルベットとしてフランスで設計・建造された。本級は水面下に顕著に突出した衝角を持つ艦首から1番マストが配置されたが、ボイラー配置の艦形で1番マストのすぐ後方に1本煙突が配置されていた。船体中央部に操舵艦橋に2番マスト、後部に3番マストを配置していた。船体側面部には120mm装甲板が張られた砲門を持ち、船体中央部に20.3cm砲の砲門を片舷2箇所ずつ計4箇所を開けていた。船内の砲郭部に20.3cm鉄製ライフル砲を単装砲架で2基、20.3cm鉄製滑空砲を単装砲架で2基を装備していた。
※この「艦形」の解説は、「パレストロ級装甲艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 05:42 UTC 版)
船体は平甲板型船体である。艦首水面下に衝角(ラム)が付いている。艦首甲板はタートルバック型になっている。 上部構造物は、前部主砲の後方に置かれた司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並んでいる。さらに外周は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組で運用された。2番煙突の後方に後部マストと後部艦橋が立っている。 武装配置は、主砲の「12cm(40口径)速射砲」(4.7ポンド砲)は全て防盾付の単装砲架で、艦首甲板の波切り板上にを並列で2基、舷側甲板上に片舷2基ずつ、後部甲板上に並列で2基を搭載した。舷側主砲はスポンソン(張り出し)の上に設置されており、首尾線方向への攻撃が可能だった。副武装としては7.62cm速射砲(3ポンド砲)を、舷側甲板上に片舷2基ずつ、艦首と艦尾の舷側に片舷1基ずつの計8基を搭載した。この武装配置により艦首尾方向に最大で12cm砲4門・7.62cm砲2門、舷側方向に最大で12cm砲4門・7.62cm砲4門が指向できた。
※この「艦形」の解説は、「パラス級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 06:00 UTC 版)
「プリンチペ・ディ・カリニャーノ級装甲艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本構造は木製の船体の舷側に鉄製の装甲板を張った3本の帆走用マストと一本煙突を持つ装甲フリゲート艦として設計された。
※この「艦形」の解説は、「プリンチペ・ディ・カリニャーノ級装甲艦」の解説の一部です。
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艦形
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「レジナ・マリア・ピア級装甲艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本構造は鉄製で3本のマストと一本煙突と水線下に突出した衝角を持つ装甲スクーナーとしてフランスで設計・建造された。船体側面部に120mm装甲板が張られた砲廓(ケースメート)を持ち、20.3cm(76ポンド)鉄製滑膅砲を単装砲架で片舷2基ずつ計4基と16.4cm鉄製ライフル式単装砲を片舷11ずつ計22基(後期型のカステルフィダルトとアンコーナは23基)を配置した。 竣工時には左右方向にしか火力を指向出来なかったが、リッサ海戦以降は戦訓により艦首尾方向に指向できるよう舷側の一部を凹ませて射界を広げたり、艦尾に砲門を開けて砲を配置した。本級は船として出来が良く、そのため本級は1888年から1890年にかけて艦容を一新する規模の近代化改装を受けることができた。旧式の鉄製砲はアームストロング式 15.2cm(33口径)単装速射砲6基、12cm(40口径)単装砲6基に更新されたほか、外見上の特徴として船体中央部のマストが撤去され、前後のマストはミリタリー・マストへと改装された。
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艦形
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「ベインティシンコ・デ・マヨ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体は平甲板型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に21cm(35口径)ライフル砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。その背後の司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その外周は艦載艇置き場となっており、煙突の間にクレーンが片舷1基ずつ計2基で運用された。舷側甲板上には副砲の12cm速射砲が防楯の付いた単装砲架で片舷4基を搭載した。このうち4門は舷側に片舷に2か所を設けられた張り出し(スポンソン)に1基ずつ配置され、射界を広くする工夫がされ、他の4基が船体中央部の甲板上に2基ずつ配置された。 艦載艇置き場の後方に後部艦橋と後部マストが立ち、そこから後部甲板上に21cm砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。この武装配置により艦首尾方向に最大で21cm砲1門・12cm砲2門、舷側方向に最大で21cm砲2門・12cm砲4門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/18 22:50 UTC 版)
本級は平甲板型船体上に2本のマストと一本煙突を持つ防護巡洋艦としてデンマークはコペンハーゲン海軍造船所で建造された。艦首水面下に突き立った衝角を持つ。主甲板部に最大厚43.2mmの装甲が貼られた。艦首甲板上にから主砲塔として装甲カバーの付いた露砲塔に収められた15cm単装砲(ゲイザーとヘイムダルは12cm単装砲)が1基、頂上部に見張り所を持つ単脚式の前檣の後ろに、左右に船橋を持つ箱型の艦橋があり、その後部に1本煙突が立つ。煙突の後部は艦載艇置き場となっており、片舷2組のボート・ダビットにより運用される。その背後に前檣と同じ様式の単脚式の後檣、そこから一段下がって後ろ向きの15cm単装砲(ゲイザーとヘイムダルは12cm単装砲)の順である。副砲の5.7cm単装砲(ゲイザーとヘイムダルは8.6cm単装砲)は単装砲架に防盾を付けられ、舷側甲板上に前檣と後檣の左右に、半円形の砲郭を設けて片舷2基ずつの計4基装備した。
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艦形
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「ピローラス級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
未だ帆船時代のデザインが色濃く残る時代のイギリスらしく気品ある印象を受ける。船体は長船首楼型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に15.2cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で2基を並列配置した。その背後に司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に4本煙突が等間隔に立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、前後マストを基部とするクレーン1基ずつ計2基により運用された。4番煙突の後方に後部マストと後部艦橋が立ち、舷側部には前後艦橋の側面に半円形の張り出しを儲けて縦置きに2基を配置、船体中央部のに2基を配置していた。後部艦橋から一段下がって、後部甲板上に15.2cm速射砲2基を並列配置された。この武装配置により艦首方向に最大で15.2cm砲6門、舷側方向に最大で15cm砲8門、艦尾方向に最大で15cm砲6門が指向できた。
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艦形
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「ダイアデム級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
未だ帆船時代のデザインが色濃く残る時代のイギリスらしく気品ある印象を受ける。船体は長船首楼型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に15.2cm砲を防盾の付いた単装砲架で2基を並列配置した。その背後に司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に4本煙突が等間隔に立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、前後マストを基部とするクレーン1基ずつ計2基により運用された。4番煙突の後方に後部マストと後部艦橋が立ち、舷側部には前後艦橋の側面に半円形の張り出しを儲けて15.2cm砲を縦置きに2基を配置、船体中央部に15.2cm砲を2基を配置した。後部艦橋から一段下がって、後部甲板上に15.2cm砲を防盾の付いた単装砲架で2基を並列配置した。この武装配置により艦首方向に最大で15.2cm砲6門、舷側方向に最大で15.2cm砲8門、艦尾方向に最大で15.2cm砲6門が指向できた。
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艦形
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タイプシップの「ライモンド・モンテクッコリ」級では前檣は近代的な塔型であったが、本級では加工の容易な三脚檣を採用している点や、主砲塔は原案の連装砲塔より意欲的な三連装砲を採用している点が特色である。 本級の船体形状はイタリア近代巡洋艦の流れを汲む短船首楼型船体であったが、領海には真冬に流氷に閉ざされるバルト海があるために砕氷船として使えるように砕氷構造の艦首を採用していた。艦首甲板上には18cm速射砲を新設計の三連装砲塔に収めて背負い式で2基を配置した。2番主砲塔の背後には司令塔を組み込んだ操舵艦橋が立つが、前部は窓の付いた覆いがあったが、後部は解放型であったために真冬には冷気が見張り所や艦橋に吹き込んで内部が結氷する欠点があった。艦橋を基部として4段の見張り所を持つ三脚式の前部マストが設けられ、頂上部には測距儀と射撃方位盤が配置された。本級の機関配置はボイラーと推進機関タービンを交互に配置する「シフト配置」を採用していたために、2本煙突の間は前後に広く離れていたが、そのスペースを無駄にせずに水上機施設に充て、水上機射出用カタパルトが中央部中心部に1基配置された。カタパルトの両脇には艦載艇と53.3cm三連装魚雷発射管が左右に1基ずつ置いてあり、水上機と艦載艇は1番煙突の左右にある揚収用クレーンが片舷1基ずつの計2基で運用された。副武装の10cm高角砲は爆風避けのカバーの付いた単装砲架で2番煙突の脇に片舷3基ずつ計6基を配置した。2番煙突の背後にシンプルな三脚式の後部マストが配置され、後部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基配置された。
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艦形
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「インペラートル・パーヴェル1世級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体であるが、「ツェサレーヴィチ」と同様に強く引き絞られた特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では同時期のドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦などに多く採用された艦形である。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線面から甲板に上るに従って甲板面積は小さくなる傾向にある。これは、舷側に配された備砲の射界を船体で狭めずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 ほぼ垂直に切り立った艦首から艦首甲板に30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ装甲艦橋の背後に前部マストが立つが、本級において同世代のアメリカ海軍の戦艦のように籠状のマストを採用して軽量化させたのが外観上の大きな特徴である。前部マストの背後には断面が小判型の2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、船体中央部に片舷1基ずつ計2基配置されたクレーンにより副砲塔を避けて水面に上げ下ろしされた。艦載艇置き場の後部には後部マストが立ち、その後ろの後部甲板上に30.5cm連装主砲塔が後向きに1基配置された。前述のとおり、20.3cm砲は14門のうち8門は連装砲塔形式で前後マストの側面に1基ずつ4基を配置し、残り6門は舷側ケースメイト配置で片舷3基ずつ配置された。その他に対水雷艇用に12cm速射砲は上部構造物の上に防盾の付いた単装砲架で片舷6基ずつ計12基を配置した。この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲2門・20.3cm砲4門・12cm2門、左右方向には最大30.5cm砲4門・20.3cm砲7門・12cm6門・7.5cm砲10門が指向でき強力な火力を誇っていた。 また、日露戦争の戦訓から艦橋には装甲板が貼られて装甲艦橋となると共に、舷側の舷窓が廃止されて舷側に薄い装甲が張られるなど防御力を強化した。だが、その代償として通風能力が低下して乗員に健康被害を出す欠点があったが、この欠点は弩級戦艦の時代にも引き継がれた。また、本給の特徴である籠状マストは細すぎて頂上部に見張り所は振動に悩まされたために1916年~1917年の改装で煙突と同程度まで切り詰められた。
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艦形
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「ケーニヒスベルク級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級は軽巡洋艦「エムデン」で培われた工業デザインを元にして旧来の姿から脱却している。本級の 船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体を採用した。軽くシア(甲板の傾斜)の付いた艦首甲板上に新設計の「SK C/25 1925年型 15cm(60口径)速射砲」を三連装砲塔に収めて1番主砲塔を1基配置した。艦橋構造は司令塔を内部に組み込んだ箱型の操舵艦橋の両脇に船橋(ブリッジ)が付き、艦橋後部から上面に突き出るようにチューリップ型の単脚式の前部マストが立ち、マスト頂部に射撃方位盤室が、中部に探照灯台が設けられた。測距儀は操舵艦橋と前部マストの上部にそれぞれ1基ずつが配置された。 艦橋の背後には2本煙突が立ち、左右の舷側には対艦攻撃用の50cm三連装魚雷発射管が1番煙突の左右と2番煙突の後方に1基ずつ片舷2基の計4基が配置され、竣工後に位置と数はそのままに53.3cm三連装発射管に換装された。本級は艦形が小型であったために後部マストが設置されなかったため、アンテナ線の展開のために2番煙突の左右に桁(ヤード)が付いていたが、竣工後に煙突後部にマストを追加した。 後部構造の上には箱型の後部見張所があり、その後ろに対空火器として8.8cm高角砲が防盾の付いた単装砲架で直列に2基が搭載されたが、竣工後に2番煙突の左右にも片舷1基ずつ計2基が増設され、最終的に連装砲架で片舷1基ずつ計2基が配置された。後部甲板上には前述の2番・3番主砲塔が後向きに背負い式配置で2基が置かれた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 16:47 UTC 版)
「コルベール (防空巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は長船首楼型船体である。強く傾斜したクリッパー・バウから艦首甲板上に主砲の「Model 1948 12.7cm(54口径)両用砲」を連装砲で中心線上に背負い式に2基、その後方に片舷1基ずつで艦首甲板上に4基を配置した。その後方に副武装の「5.7cm(60口径)機関砲」が連装砲架で近代的な箱型艦橋の前に並列配置で三角形状に3基配置された。 艦橋の後方にトラス構造の前部マストが立ち、船体中央部に1本煙突の前に後部マストが1本立つ。煙突の舷側甲板上に5.7cm連装機関砲が片舷2基ずつ配置された。後部甲板上には逆三角形状に5.7cm連装機関砲が3基、その後方に12.7cm連装両用砲が後向きに並列配置で2基、中心線上に後向き背負い式配置で2基が配置された。この武装配置により艦首方向に最大で12.7cm砲8門と5.7cm砲6門が、舷側方向に最大で12.7cm砲12門と5.7cm砲10門が、艦尾方向に最大で12.7cm砲8門と5.7cm砲6門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 18:47 UTC 版)
船体形状は典型的な平甲板型船体であり、凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。艦首には未だ衝角(ラム)が付いている。 主砲は新設計の「20.3cm(45口径)砲」を楕円筒形の連装砲塔に纏め、1番主砲塔、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、単脚の前檣、等間隔に並んだ三本煙突の両脇に細めの通風筒が5本ずつ計10本立つ。その後ろに艦載艇置き場、ボート・クレーンの基部を兼ねる単脚の後檣、2番主砲塔の順である。15cm(40口径)単装砲は、浅間型装甲巡洋艦と同じく片舷7基計14基である。 他には水雷艇対策に艦首・艦尾と上甲板に8cm(40口径)単装速射砲が12基、47mm砲単装8基。艦首部の水上魚雷発射管が廃止されたために艦首形状は改善された。
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艦形
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「エンカウンター (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は水面から甲板までの乾舷の高い長船首楼型船体を採用している。水面下に衝角を持つ艦首から前部甲板上に主砲の「アームストロング 1892年型 15.2cm(40口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基を配置、下部に司令塔を組み込み、両側に船橋を持つ操舵構造の背後には頂上部と中段に二段の見張り所を持つ前部マストが1基立つ。艦橋構造の背後から等間隔に並んだ3本煙突が立ち、周囲には煙管型の通風筒が立ち並び、外側は艦載艇置き場となっており、舷側に2本で1組とするボート・ダビッドが片舷3組の計6組で運用された。3番煙突から後ろは艦尾甲板で二段の見張り所を持つ後部マスト、後ろ向きに15.2cm主砲1基が配置された。舷側甲板上には等間隔に防盾の付いた15.2cm速射砲が単装砲架で片舷4基ずつ配置されており。15.2cm砲に挟まれるように「12ポンド:7.62cm(40口径)速射砲」が片舷3基ずつ配置され、残り3基は艦尾に配置された。艦尾水面下には中央に大型の一枚舵を挟むように片舷1軸ずつ計2軸にスクリュープロペラが付いていた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:13 UTC 版)
本級は乾舷の低い平甲板型船体であった。切り立った艦首から艦首甲板上に上部構造物を設け、そこに1番6.5cm速射砲を単装砲架で1基を配置、その背後に測距儀を載せた露天の艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に4本煙突が立つが、ボイラー配置が缶室分離配置を採っているために2番煙突と3番煙突の間が前後に大きく離されており、そこに45cm魚雷発射管を単装1基と連装1基の計3門を配置していた。顕著に放されていた。その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基で運用された。舷側甲板上に2~5番6.5cm速射砲を片舷2基ずつ配置した。後部甲板上に上部構造物が設けられ、そこに6番6.5cm速射砲が後ろ向きに1基配置された。
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艦形
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「シュトラールズント (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は乾舷の高い短船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。 やや傾斜した艦首から主砲として防盾付きの「10.5cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で並列に2基、前部に司令塔を組み込んだ2層式の箱型艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。マストの頂上部に見張り所が設けられ、中段部に探照灯が並列配置で1基ずつ配置された。船体中央部に等間隔に4本の煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷4組ずつ計8組で運用された。舷側甲板上には等間隔に3番~10番10.5cm速射砲が単装砲架で片舷4基ずつ配置されていた。4番煙突の背後に見張り所が設けられ、それを基部として単脚式の後檣が立ち、中段に探照灯台が設けられ前後に1基ずつ配置された。艦尾甲板上には艦首と同じく10.5cm速射砲が後ろ向きに並列配置で2基ずつ配置されていた。 就役後の1916年6月にキール造船所にて「シュトラールズント」「シュトラスブルク」は主砲をイギリス海軍の軽巡洋艦と同等の「15cm(45口径)速射砲」に更新され単装砲架で8基を装備し、対空火器として「8.8cm(45口径)単装高角砲」を舷側甲板上に片舷1基ずつ計2基を追加した。50cm魚雷発射管も水中式から甲板上に旋回式の単装発射管2門に更新された。1920年にフランス海軍で運用後は高角砲は「Model 1922 7.5cm(50口径)高角砲」に更新され片舷2基ずつ計4基を配置した。
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艦形
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「ヴィクトリア・ルイーゼ級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は艦首乾舷の高い短船首楼型船体であるが、艦首水面下に衝角を持つのは戦艦と同じである。戦艦と異なるのは艦首形状は波きりの良いクリッパー・バウ型艦首となっており外洋を長距離航行する巡洋艦には必須の艦首形状であった。艦首から新設計の「21cm(40口径)速射砲」を単装式砲塔に収め、艦首甲板上に前向きに1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋を基部として頂上部に探照灯を載せた見張り所を持つミリタリー・マストを持つ単脚式の前檣が立つ。 船体中央部には等間隔に並んだ3本煙突が立ち並び、周囲は艦載艇置き場となっており、2番煙突の左右に1本ずつのグース・ネック(鴨の首)型クレーンにより運用される。3番煙突の背後にミリタリー・マストを持つ単脚式の後檣と後部探照灯台、そこから甲板一段分、下がって後ろ向きに21cm単装主砲塔の順である。15cm副砲は8基のうち半分の4基は単装砲塔に収め、1番煙突と2番煙突の間の左右に1基ずつ、3番煙突後方に左右1基ずつを配置し、残り4基は舷側ケースメイト配置で片舷2基を前後のミリタリー・マストの両脇に1基ずつ計4基を配置した。この武装配置により前後方向に21cm砲1門・15cm砲2門、左右方向に最大21cm砲2門・15cm砲4門が指向できた。 竣工後の1903年から1915年にかけて主缶を海軍式シュルツ・ソーニクロフト缶に換装したために煙突の本数は2本に減少した。 各艦の船体サイズの相違は以下の通り 艦名常備排水量常備排水量全長水線長全幅吃水(前部)吃水(後部)ヴィクトリア・ルイーゼ 5,600トン 6,491トン 110.6m 109.1m 17.4m 6.58m 6.93m ヘルタ ← ← ← ← ← ← 6.78m フライア ← ← ← ← ← 6.74m 6.77m ヴィネタとハンザ 5,885トン 6,705トン 110.5m 109.8m 17.6m 7.08m 7.34m
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艦形
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「ストラスブール (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
やや傾斜した艦首から主砲として防盾付きの「10.5cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で並列に2基、前部に司令塔を組み込んだ2層式の箱型艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。マストの頂上部に見張り所が設けられ、中段部に探照灯が並列配置で1基ずつ配置された。船体中央部に等間隔に4本の煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷4組ずつ計8組で運用された。舷側甲板上には等間隔に3番~10番10.5cm速射砲が単装砲架で片舷4基ずつ配置されていた。4番煙突の背後に見張り所が設けられ、それを基部として単脚式の後檣が立ち、中段に探照灯台が設けられ前後に1基ずつ配置された。艦尾甲板上には艦首と同じく10.5cm速射砲が後ろ向きに並列配置で2基ずつ配置されていた。 就役後の1915年から1917年の間に「シュトラールズント」「シュトラスブルク」は主砲をイギリス海軍の軽巡洋艦と同等の「15cm(45口径)速射砲」に更新され単装砲架で8基を装備し、対空火器として「8.8cm(45口径)単装高角砲」を舷側甲板上に片舷1基ずつ計2基を追加した。50cm魚雷発射管も水中式から甲板上に旋回式の単装発射管2門に更新された。1920年にフランス海軍で運用後は高角砲は「7.5cm(50口径)高角砲」に更新され片舷2基ずつ計4基を配置した。
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艦形
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「シャトールノー級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状はクリッパー型艦首から甲板まで強いシアを持つ駆逐艦型の短船首楼型船体であった。艦首甲板から見てみると、「1938年型13.5cm(45口径)砲」を連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、円柱型の測距儀を載せた塔型艦橋の背後に軽量な三脚檣、その後方の二本の煙突の間には艦載艇揚収クレーンがあり、2番煙突の前後が艦載艇置き場となっている。なお、それぞれの艦載艇置き場の直下には世界でも珍しい連装魚雷発射管を上下に配置した変形53.3cm四連装魚雷発射管が1基ずつ配置されている。この発射管は両舷に発射可能であるため、片舷8本の魚雷を射出可能である。2番煙突の背後に小型の後檣、後ろ向きに背負い式で3・4番主砲塔の順である。また、煙突の両脇から艦尾にかけて機雷の投下軌条が左右あわせて二対が伸びている。 フランスで改装後、13.5cm連装砲4基は10.5cm連装高角砲3基へと換装され、円筒形の艦橋は背の低い箱型艦橋へと変更された。
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艦形
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「セント・ヴィンセント級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は、前艦に引き続き高い乾舷を持つ長船首楼型船体であり、外洋での凌波性は良好であった。艦首から前向きに連装タイプの1番主砲塔1基を配置し、そこから甲板よりも一段高められた上部構造物の上に艦橋構造が配置される。艦橋は下部に司令塔を持つ箱型に簡略化されており、この背後に頂上部に見張り所を持つ三脚型の前部マストが立つ。 上部構造物は2本煙突を両側から挟み込むように、舷側甲板上に2番・3番主砲塔を片舷1基ずつの2基を配置するため、中央部側面が大きく凹まされていた。この主砲配置のため、従来艦と異なり、艦載艇は煙突の周囲の限られたスペースに配置せざるを得なくなった。艦載艇は、三脚檣の主檣の基部に設けられたボート・ダビットで運用された。 2番煙突から後方で上部構造物は終了し、その下から後部甲板が始まる。後部甲板上に後ろ向きで4番・5番主砲塔が後部マストと後部見張り所を挟んで等間隔に2基配置された。副砲の10.2cm速射砲は単装砲架で主砲塔上に大部分が設置されたが、一部は艦橋の側面や2番煙突の基部等の上部構造物の側面にケースメイト(砲郭)配置された。副砲の天蓋上に配置するのは1番・5番主砲塔上に爆風から砲員を守るためのシールドで囲まれた各2基ずつ計4門で、大部分の16門は上部構造物の側面に配置された。本級は主砲塔上に副砲を配置した最後のクラスとなった。
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艦形
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「グラウデンツ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は前級に引き続き長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に強く傾斜したクリッパー型の艦首から中央部が狭い艦首甲板上に波きり板を設けた後ろに主砲の10.5cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1番2番主砲を並列配置で2基、その背後に司令塔を基部とする船橋(ブリッジ)をのせた箱型艦橋と前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ4本の煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。舷側甲板上には10.5cm速射砲が片舷4基配置された4番煙突の後方に後部マストが立ち、後部甲板上に11番・12番主砲が後ろ向きに並列で2基配置された。
※この「艦形」の解説は、「グラウデンツ級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:06 UTC 版)
本級の船体は長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に傾斜したクリッパー型の艦首から中央部に主砲の「Mk I 1915年型 15.2cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔を基部とする艦橋と単脚式の前部マストが立つ。等間隔に並ぶ4本の煙突の舷側は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷5組で計10組により運用された。左右の舷側甲板上に15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ配置されていた。甲板一段分下がった箇所で後部マストと見張り所が立ち、後部甲板上に15.2cm主砲が後ろ向きに1基が配置された。
※この「艦形」の解説は、「チャタム級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
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本級はジークフリート・ポッパーの設計で、艦形は前級である準弩級戦艦「ラデツキー級」に似た低く重厚なデザインでまとめられていた。船体は平甲板型船体で、艦首水面下には衝角(ラム)を有していた。主砲は、前後甲板に三連装砲塔に収めて背負式で各2基を装備した。これにより、計4基の主砲塔が艦中心線上に配置される形となった。 艦中央部には、司令塔を組み込んだ操舵艦橋の背後に単脚式の前部マストが立ち、その後ろには2本煙突が立つ。4番艦の「シュツェント・イストファン」のみ艦橋近辺の構造が異なり、操舵艦橋部分のフラットが2番煙突にまで延長されて探照灯台が設置されており、2番煙突の後方には艦内に外気を送る吸気ダクトが設けられていた。2番煙突背後に艦載艇搭載架台が、両舷には各1基の揚収用クレーンが、それぞれ設けられた。煙突の後方には単脚式の後部マストと後部司令塔が配置された。煙突の後方に艦載艇搭載部を設けたのは主砲発砲時の爆風の影響を軽減するためである。 主砲塔の配置はイタリア海軍の「ダンテ・アリギエーリ」が主砲塔を甲板上に等間隔に配置していたのに対し、本級はアメリカ海軍の「サウス・カロライナ」級と同じく、前後共に背負式配置を採用している。背負式配置は全長を短縮できるメリットがあるが、高所にある主砲塔が艦の重心を上げて横揺れが大きくなる傾向にあるので、排水量2万トン前後の弩級戦艦時代ではあまり積極的に採用している国は多くない。本級を運用する海域が波浪の少ない内海であるアドリア海であったことから、弩級戦艦の中でも比較的小型の本級で背負い式配置を採用することが可能となった。副砲は、船体中央部舷側のケースメイト(砲郭)部に配置され、単装砲架で片舷6基ずつ計12基が配置されていた。。 艦首形状は水線下を膨らませて艦首の浮力を稼ぐイギリス式を採用したが、衝角から下の部分を斜めにカットして水中魚雷発射管を装備したのはドイツ式である。カットの度合はドイツ艦と比べても大きく、低速時の直進性はかなり損なわれたと伝えられる。船体後部の舵はこの世代としては珍しい並列式の二枚舵で、比較的短い全長と艦首形状と相まって旋回圏は戦艦としては小さく、運動性に優れていた。しかし、重心が高めなため、全速で舵を一杯にとると艦が10度近くも傾斜した。特に主砲塔の指向方向と艦の旋回方向が一致していた場合は、主砲塔の重量のため傾斜が復原性能上危険な水準に達し、高速時に敵側へ向かう急転舵は行うことができなかった。。
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艦形
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「デュケーヌ級重巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状はフランス近代巡洋艦で長らく主流になる艦首から艦橋部までが1段高い船首楼型船体を採用している。クリッパー型艦首から甲板までの乾舷は高い艦首から前向きに主砲塔2基を背負い式に配置、艦橋構造は箱型とし、その上に軽量な三脚型の前部マストが立つ。また、本型は「デュゲイ・トルーアン級」と同様に機関のシフト配置を採用しているために2本の煙突の間隔は前後に空いており、その間は艦載艇置き場となり、艦載艇用の揚収クレーンがある。二番煙突から後ろは簡便な単脚檣、後ろ向きに背負い式に主砲塔2基が配置された。
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艦形
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「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、水線下に衝角をもつ艦首から甲板上に「クルップ 28cm(42.5口径)ライフル砲」を箱型の単装砲塔に収めて1基を配置し、その背後から上部構造物が始まり、司令塔を基部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)をも艦橋を基部として単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部に2本煙突と煙管型の通風筒が立ち並び、その周囲には艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組により運用された。後部マストと後部見張り所が立ったところで上部構造物は終了し、一段下がった後部甲板上に28cm単装砲塔が後ろ向きに1基配置された。前後のマストの側面には15.2cm速射砲が単装砲塔に収められ、片舷3基ずつ計6基が配置された。この武装配置により艦首方向に最大で28.3cm砲1門・15.2cm砲2門・7.5cm速射砲2門が指向でき、舷側方向に最大で28.3cm砲2門・15.2cm砲2門・7.5cm速射砲5門が指向できた。
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艦形
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「トゥルグート・レイス級装甲艦」の記事における「艦形」の解説
前身のブランデンブルク級戦艦は、フランスの造艦様式に範をとり、船体は顕著なタンブル・ホーム型の船体断面を有する船首楼型で、この船体中心線上に連装主砲3基を配置する基本配置としていた。購入後も大幅な改装はなく、艦形・基本配置はドイツ海軍時代と変わっていない。 詳細は「ブランデンブルク級戦艦」を参照
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艦形
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本級の船体は船首楼型船体を採用していた。艦首は垂直に切り立った艦首から甲板上に主砲のMk XII 1906年型 15.2cm(50口径)砲が防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔を組み込んだ艦橋を基部として3段の見張り所を持つ三脚型の前部マストが立ち、その背後に2番主砲1基が配置された。探照灯台の背後に2本煙突が立ち、その背後に3番主砲が配置された。 その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組により運用された。後部甲板上に上部構造物が設けられ、後部射撃指揮所を7.62cm高角砲が前後から挟み込むように1基ずつ計2基が配置された。後部単脚マストの後ろには4番・5番15.2cm速射砲が後ろ向きの背負い式配置で2基が配置された。
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艦形
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「キャンベラ (ケント級重巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
限度枠いっぱいの基準排水量9,700トン台の船体は乾舷の高い平甲板型船体とし、艦首側面形状は凌波性能を高めるために2段の強いフレア(反り返り)が付けられていた。艦首甲板上には20.3cm砲を連装砲塔に収めて背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から上部構造物は始まり、その上に箱を積み重ねたような形状の操舵艦橋の背後には後方に傾斜した単脚式の前部マストが立つ。船体中央部には等間隔に並んだ3本煙突が立つが、2番煙突のみ太かった。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、舷側に設けられた2本1組のボート・ダビッドが片舷に3組ずつ計6組で運用された。3番煙突の後方に露天の後部見張所と単脚式の後部マストが立ち、3番主砲塔の基部で上部構造物は終了し、甲板一段分下がって後部甲板上に4番主砲塔が配置された。船体舷側部には復元性と水雷防御として広範囲にバルジが装着されていた。
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艦形
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「ダンテ・アリギエーリ (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体は艦首のみ乾舷の高い短船首楼型船体を採用していた。外観デザインは前級である前弩級戦艦「レジナ・エレナ級」を発展させた設計を採っており、簡潔でいて重厚な「鉄の城」と呼べる外観に設計されていた。 未だに水面下に衝角(ラム)のついた艦首から本艦のために新設計された「1909年型 30.5cm(46口径)砲」を新設計の三連装式主砲塔に収めて1番主砲塔1基を配置した。その後ろに司令塔を基部に持つ操舵艦橋の背後に前部2本煙突が立ち、煙突の間に簡素な単脚式の前部マストが立てられた。そこから甲板一段分下がって中央部甲板上に2番・3番主砲塔を前向きで2基を配置していた。3番主砲塔の後に間に後部マスト1本が立つ後部2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、煙突の間に片舷1基ずつ設置されたクレーンにより運用された。後部甲板上に後部司令塔と後向きで4番主砲塔が配置していた。本艦の副砲は連装式の副砲塔配置と舷側ケースメイト配置の二種類で配置され、円筒型の連装式副砲塔が1番主砲塔と艦橋の間の舷側甲板上に片舷1基ずつ配置され、「レジナ・エレナ級」と同じく船首楼甲板は副砲塔の射界を狭めないように艦首方向に向けて横幅を狭められた。それと4番主砲塔の前方に片舷1基ずつの計4基を配置していた。一方、単装砲架は前部2本煙突の両脇の舷側部に3基ずつと、後部2本煙突の両脇の舷側部に3基ずつの計12基を分散配置していた。この武装配置により艦首方向に最大で30.5cm砲3門、12cm砲4門、舷側方向で最大で30.5cm砲12門、12cm砲10門、艦尾方向に最大で30.5cm砲3門、12cm砲4門が指向できた。 就役後の1913年にカーチス水上機1機を搭載した。1915年に7.6cm速射砲13基を撤去し、新型の1909年型 7.6cm(50口径)速射砲を単装砲架で16基、対空火器として7.6cm(50口径)高角砲を単装砲架で4基を搭載した。 1922年より戦訓に基づいて改装が行われ、外観的な物では1番・2番煙突に挟まれるように立っていた前部マストを、艦橋の基部に移動して頂上部に見張り所を持つ三脚型マストに更新した。この時に1番・2番煙突も艦橋に煤煙がかかるのを防ぐために3mほど伸ばされた。が、1923年に7.6cm(50口径)速射砲8基を撤去し、近接火器としてヴィッカーズ 4cm(39口径)ポンポン砲を単装砲架で2基を搭載した。1925年に水上機を国産のマッキ M-18型水上機に更新し、3番主砲塔上にカタパルトを搭載したが運用状況は良くはなかった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:16 UTC 版)
「アタワルパ級モニター」の記事における「艦形」の解説
本級の基本構造は鉄板をリベットで組立てられた吃水の浅い平甲板型船体は水線部76mmから127mm、上甲板全体に38mmの鉄板で覆われ、直径21フィートの円筒形の砲塔は最厚部で254mmにもなる鉄板で覆われていた。砲塔内部にはアメリカ国産滑腔砲の38.1cmダールグレン砲が並列に2門が並べられていた。主砲塔の上には装甲司令塔が設けられており、操舵装置が内蔵されていた。煙突の背後には通風筒と煙突が1本ずつ立てられていた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:18 UTC 版)
「アダマストル (巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は平甲板型船体で、水面下に衝角を持つ艦首から前部甲板上に主砲として「アンサルド 1895年型 15.2cm(30口径)砲」を防盾の付いた単装砲架で前向きに1基を配置した。の後ろに頂上部に見張り所を、中部に探照灯台を持つ単脚式のマスト1基の後ろに司令塔を下部に組み込み、船橋を両側に持つ箱型の操舵艦橋が立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が1番煙突の前側に並列で2本、1番・2番煙突の間に並列で2本が立てられた。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、その後ろは前部マストと同じ様式の後部単脚マスト、後ろ向きに15.2cm単装塔1基を配置した。副砲の「クルップ 1895年型 10.5cm(40口径)砲」は前後のマストの側面部の舷側に張り出しを設けて防盾付きの単装砲架で片舷2基ずつ計4基が配置された。この武装配置により前後方向に最大で15.2cm砲1門、10.5cm砲2門、左右方向に15.2cm砲2門、10.5cm砲2門が指向出来た。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 16:42 UTC 版)
本級の基本構造は乾舷が低い長船首楼型船体の艦首に1基の砲塔を配置していた。その背後に多層化した操舵艦橋を基部に持つ不釣合いなほどに高い、頂上部に見張り所を持つ三脚式のマスト、中央部に細い1本煙突が立つ。船体の断面図は安定性を増すために船体下部にバルジを装着している。舷側には沿岸砲台からの砲撃を受けた時の防御として最厚として152mm装甲が貼られ、甲板防御も同時代のイギリス軽巡洋艦と同等の25mmから51mm装甲を貼られた。また、本級には低速時の運動性を向上させるために艦首に補助舵が配置していた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 21:02 UTC 版)
本級の船体形状は建造のしやすい平甲板型船体で、水面下の浮力確保のために穏やかに突出した形状を持つ艦首から英国製の「1910年型 Mark H 30.5cm(50口径)砲」を楔型の連装砲塔に納めて1番主砲塔を1基、司令塔を下部に組み込んだ操舵艦橋は両脇に船橋を持つ商船の様に横に長い形状であった。艦橋を基部として頂部に射撃方位盤を持つ前部三脚檣が立つ。艦橋の構成は上から、見張り台、航海艦橋、司令塔の順である。 2番主砲塔は船体中央部の右舷側に前向きに1基が配置し、中央部に1本煙突が立ち、船体中央左舷側に3番主砲塔1基を後向きに配置した。艦載艇は2番・3番主砲塔の天蓋部に2隻ずつと煙突の左右に置かれ、その運用のために前後の三脚檣の主脚を基部とするクレーンが1基ずつ設置された。後部甲板上に後部三脚檣が立ち、頂上部に見張り所と探照灯台が配置された。その後に後部艦橋を挟んで後部甲板上に4番主砲塔を後ろ向きに1基を配置した。 本級の副砲である「10.2cm(50口径)砲」は単装砲架で舷側ケースメイト(砲郭)配置で片舷10基ずつ計20基装備されたが、船体舷側部に配置する主砲バーベット部の張り出しをクリアする為に右舷側は2番主砲塔バーベットを挟んで「前向きに3基+後向きに7基」を配置、左舷側は3番主砲塔バーベットを挟んで「前向きに7基+後向きに3基」という左右非対称配置だった。なお、外洋航行時は開口部から波浪が吹き込むのを防ぐために副砲は船内に引き込み、開口部の下部に付いた蓋を引き上げれば外面はフラットになるという、設計元のイギリス海軍でさえ行っていない凝った艤装を採用していた。艦尾には艦長室用のスターン・ウォークが設けられた。
※この「艦形」の解説は、「エスパーニャ級戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/06 00:12 UTC 版)
「ド・グラース (防空巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は長船首楼型船体である。元設計では垂直に切り落とした形状のクルーザー・スターン型艦尾を延長して丸みを帯びた艦尾形状に整形。これに伴って全長は約12m延長され、排水量は約1,200トンほど増加した。 強く傾斜したクリッパー・バウから艦首甲板上に主砲の「Model 1948 12.7cm(54口径)両用砲」を連装砲で中心線上に背負い式に2基、その後方に片舷1基ずつで艦首甲板上に4基を配置した。その後方に副武装の「5.7cm(60口径)機関砲」が連装砲架で近代的な箱型艦橋の前に1基、艦橋の側面に片舷2基ずつ配置された。艦橋の後方に簡素な単脚式の前部マストが立ち、船体中央部に1本煙突が立ち、煙突の後方に簡素な後部マストとの間が艦載艇置き場となっており、片舷1基ずつのガントリー・クレーンにより運用された。後部甲板上には片舷2基ずつと船体中央部に1基を配置した。その後方に12.7cm連装両用砲が後向きに並列配置で2基、中心線上に後向き背負い式配置で2基が配置された。この武装配置により艦首方向に最大で12.7cm砲8門と5.7cm砲6門が、舷側方向に最大で12.7cm砲12門と5.7cm砲10門が、艦尾方向に最大で12.7cm砲8門と5.7cm砲6門が指向できた。 本艦は竣工後にミサイル巡洋艦に改装が検討されたが、砲弾よりも大きなスペースを必要とするマズルカミサイルの倉庫を艦内に置く余裕がなく、替わりにフランスの核配備計画に伴い、1966年に核実験部隊司令艦へと改装を受けた。主な改装点は後部甲板上の12.7cm砲を撤去し、5.7cm砲は全て撤去。これに伴い射撃式装置は撤去され、変わりに司令部任務に使用するために艦橋構造の大型化と通信設備の充実が行われ、艦尾に通信用ラティス構造の四脚アンテナが立てられた。武装の多くを撤去したために排水量は低下して9,000トンとなった。本艦は1966年から1972年にかけて核実験を指揮し、フランスの国防を推進した。
※この「艦形」の解説は、「ド・グラース (防空巡洋艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 11:12 UTC 版)
「エドガー級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体は平甲板型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に23.4cm(31.5口径)ライフル砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。その背後の司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その外周は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組で運用された。舷側甲板上には副砲の15.2cm速射砲が防楯の付いた単装砲架で3基と船体中央部にケースメイト配置で2基の片舷5基ずつ計10基を配置した。 3番煙突の後方に後部マストと後部艦橋が立ち、そこから甲板一段分下がって、後部甲板上に23.4cmライフル砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。この武装配置により艦首方向に最大で23.4cm砲1門・15.2cm砲2門、舷側方向に最大で23.4cm砲2門・15.2cm砲5門、艦尾方向に最大で23.4cm砲1門・15.2cm砲2門が指向できた。 「クレセント」と「ロイヤル・アーサー」は僅かな改修が施され、前甲板を高くし、23.4cm砲に変えて15.2cm砲を並列に2門装備(連装ではなく左右に1門ずつ離れて独立している)したことで別の級と見なされる場合がある。
※この「艦形」の解説は、「エドガー級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:21 UTC 版)
本型の船体形状は平甲板型船体である。強く傾斜したクリッパー・バウから艦首甲板上に主砲の「50口径四一式15.2cm砲」を連装砲塔に収めて背負い式に主砲塔2基を配置した。 2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に頂上部の前方に1.5m測距儀と後方に射撃方位盤を乗せた塔型艦橋が立ち、その背後トラス構造の前部マストが立つ。艦橋の防空指揮所は狭く、後方警戒に死角があるため、用兵側から不満が出ている。船体中央部に集合煙路式の1本煙突が立ち、その背後から水上機運用のための多角形状のフライング・デッキ(飛行甲板)が設けられていた。デッキ上には台車に乗せた水上機を移動するためのターンテーブルやレールが設けられ、水上機はデッキ後方のカタパルトにより射出された。 対艦攻撃用の61cm四連装魚雷発射管は予備魚雷4本を収めた魚雷格納庫2基を前後に挟んで2基が配置されており、フライング・デッキの支柱を避けて片舷8門の投射能力があった。対空火器として「60口径九八式7.62cm高角砲」は煙突を境にして防盾の付いた連装砲架で片舷1基ずつ計2基を配置していた。通常は煙突の周囲に置かれる艦載艇は本級は艦橋の側面やカタパルトの周囲などの空所に配置されていた。カタパルト後方に簡素な単脚式の後部マストを基部として、水上機を運用するためのクレーンが1基付いた。後部甲板上には3番主砲塔が後向きに1基が配置されていた。 甲板素材は既存艦は木甲板であったが、本艦は不燃化のためアルミニウムが横向きに貼られていた[要出典]。
※この「艦形」の解説は、「阿賀野型軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:56 UTC 版)
「チェリク・ヒッデス級駆逐艦」の記事における「艦形」の解説
チェリク・ヒッデス級の船体形状はクリッパー型艦首から艦首甲板の乾舷部のみ高い短船首楼型船体を採用している。全く傾斜のない艦首甲板に「ボフォース 12cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた連装砲架で1基、上部見張り所に測距儀を載せた箱型艦橋の両脇には船橋が付く。艦橋の背後に簡素な三脚型の前部マスト、その後方の2本煙突の左右は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドを片舷2組の計4組により運用される。設計時には前級と同じく水上機の運用のため、2本煙突の間に搭載する予定であったが建造時には探照灯台に置き換えられた。 2番煙突の背後の中央部甲板上に53.3cm四連装魚雷発射管が4cm機関砲台を境にして直列に2基を配置していた。その後に水上機置き場があり、単脚式の後檣の基部に付いたクレーン1基により運用された。後部甲板上に後ろ向きに2・3番主砲が後向きに背負い式配置で2基が配置され、艦尾側に機雷運用のため軌条(レール)が並列で計2基配置される設計であった。 チェリク・ヒッデス級のうち、ドイツに鹵獲されてドイツ海軍で完成した艦は機関砲がドイツ式、イギリスで完工した物は弾薬の供給面からイギリス製の武装を搭載して完成して艦容が若干異なっている。
※この「艦形」の解説は、「チェリク・ヒッデス級駆逐艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 06:12 UTC 版)
「リューリク (装甲巡洋艦・初代)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本設計は装甲艦の延長で水面からの乾舷が艦首から艦尾まで高い平甲板型船体である。本艦の船体形状は艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に帆走用の3本のマストと中央部に2本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。本級は防御面において前級よりも強化され、船体の側面は203mmから305mmの厚さを持つ鉄板で防御され、砲郭部は305mm、司令塔は最厚で152mmであった。
※この「艦形」の解説は、「リューリク (装甲巡洋艦・初代)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/27 15:56 UTC 版)
「スピットファイア (駆逐艦・2代)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は外洋での凌波性を良くするために艦首のみ乾舷の高い短船首楼型船体では良好であった。艦首甲板上に10.2cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1基を配置、露天型の艦橋の背後に3本煙突が等間隔に立ち、1番煙突のみ高かった。舷側甲板上に53.3cm単装魚雷発射管2基を配置し、後部甲板上に10.2cm速射砲を直列に2基を配置した。
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艦形
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「リアンダー級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
リアンダー級は1930年に竣工したヨーク級重巡洋艦「エクセター」の設計を参考にした短船首楼型船体である。垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に15.2cm速射砲を収めた連装式の主砲塔が背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に「エクセター」に近似した低くて前後に長い塔型艦橋と単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部にはイギリス巡洋艦には珍しい集合煙突が1本立ち、これにより艦橋から煙突の距離が開いたために排煙による煤煙問題に良好な結果をもたらした。煙突の周囲は艦載艇置き場と水上機施設となっており、煙突の後方に水上機を載せた旋回式カタパルトが1基ずつ配置され、カタパルト後方のクレーン1基で水上機施設と艦載艇は運用された。高角砲の配置は水上機施設の邪魔とならないように艦橋と煙突の間に10.2cm高角砲を単装砲架で片舷2基ずつ計4基を配置し、その後方の舷側甲板上に53.3cm魚雷発射管が四連装で片舷1基ずつ計2基配置された。後部甲板上に単脚式の後部マストが1本立ち、その後方に後向きに3番・4番15.2cm連装砲塔が背負い式に2基配置された。
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艦形
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「エルザッツ・モナルヒ級戦艦」の記事における「艦形」の解説
オーストリア=ハンガリー帝国海軍は、前級のテゲトフ級戦艦で主砲に三連装砲塔を採用し、艦前後に背負式に各2基を配置する形態とした。艦形が比較的コンパクトにまとまり、主砲の各方向への指向門数確保の上で有利な配置であったが、発砲時の爆風の影響が強いことや、作動機構などの不利を抱えていたとされる。本級ではその改善のためこの配置を採らず、大戦前のドイツ戦艦に類似する主砲配置要領への転換を図っていたとされる。排水量30,000t(満載34,000t)、35cm主砲8-10門、速力30ktという計画もあった。
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艦形
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「ハーミーズ (空母・初代)」の記事における「艦形」の解説
ハーミーズは前述の通り、最初から航空母艦として建造された艦であるが、設計に際し先に竣工したアーガスやイーグルの運用結果を参考にしている。そのため、ハーミーズはイーグルを小型化したような外観となっている。基準排水量1万トン台の小型の船体を有効に活用すべく艦首形状は艦首と飛行甲板の間に隙間のない「エンクローズド・バウ」(ハリケーン・バウ)を採用し、艦首の先端までを飛行甲板に使えた。この工夫により超弩級戦艦を改装したイーグルの飛行甲板長198.2mと変わらない飛行甲板長182.3mを達成した。エレベーターは飛行機の形状にあわせたT字型のものを1基備え、改装時に1基増設した。格納庫は一段である。 初期の航空母艦は、空母アーガスやラングレーに代表される平甲板型(フラッシュデッキ型)と、空母イーグルを元祖とする艦橋と煙突を舷側にあつめた島型(アイランド型)に大別できる。ハーミーズは、アイランド型(島型艦橋)である。建造当初から、小柄な船体に不似合いな程に大きなアイランド式の艦橋が特徴で、アンバランスな印象も与えたといわれる。巡洋艦クラスとの戦闘を考えて島型艦橋を基部として三脚型のマストが立ち、頂上の射撃指揮所の左右に測距儀をそなえる頑丈なものである。これにより頂上部の高さは水面上から35mもあり、これは同世代の巡洋艦ホーキンス級のマスト高さ28mを凌駕するものである。しかし、艦橋が大型すぎることからくるトップヘビーになりがちなハーミーズはバランスを取るために搭載燃料の使い勝手が悪かった。このため、左舷側バルジに常に海水を充填していた。 主砲には軽巡洋艦クラスの「Mark XII 14cm(45口径)速射砲」を採用、これを防盾の付いた単装砲架で舷側の三箇所に設けられたスポンソン(張り出し)に1基ずつで片舷3基ずつ計6門搭載した。アイランド後方には艦載機搭載用のクレーンが1基配置されているのが外観上の特徴である。なお、艦尾甲板は水上機を運用するために乾舷の高さは水面からを約3mと低く抑えられており、そこから水上機を海面に下ろして運用した。
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艦形
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「グロスター級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本デザインはリアンダー級の拡大型として設計を一新しており、艦首乾舷の高い長船首楼型船体を採用している。軽いシア(反り返り)の付いた艦首甲板から15.2cm速射砲を三連装に収めた主砲塔を背負い式で2基、船体に比して大型の塔型艦橋と軽量な三脚型の前部マストが立つ。 機関のシフト配置のために2本煙突は前後に大きく離され、その間は水上機施設となっており、1番煙突の基部は水上機格納庫となっており、中央甲板上に中心に対して直角に埋め込まれたカタパルトを挟んで2番煙突の基部にクレーンが片舷1基ずつ計2基が配置された。これにより舷側甲板上に配置された艦載艇置き場の艦載艇と水上機は運用された。 2番煙突の後方は対空火器が集中しており、10.2cm高角砲を連装砲架で片舷2基ずつ計4基を配置し、その下部の舷側甲板上に53.3cm魚雷発射管が三連装で片舷1基ずつ計2基配置された。後部見張所を基部として単脚式の後部マストが1本立つ。後部甲板上に3番・4番15.2cm三連装砲塔が後向きで2基が背負い式配置された。
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艦形
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「ウルヴァリン (訓練空母)」の記事における「艦形」の解説
ウルヴァリンは蒸気機関推進の外輪客船シー・アンド・ビューをベースとし、主甲板から上の構造物は外輪の上端部ギリギリ高さから全て撤去し、その上に船体を大きくオーバー・ハングする飛行甲板を新設された。煙路は途中で右側に誘導されて4本煙突が右舷に直列に並べられ、改装空母とはいえ艦橋と煙突が一体化した島型艦橋を持つ外観は正規空母のそれであった。主機関は全く手を入れておらず、石炭専焼缶4基とレシプロ式機関1基で両舷2基の外輪を駆動して18ノットを発揮したが、微速で着艦・発艦を繰り返すだけならば充分な性能で特に問題はなかった。 本艦の艦種は訓練空母ではなく雑役艦の一種とされ、IXで始まる64番目の艦としてIX-64と認定された。戦中は多くの搭乗員を育成した艦も時代の波には逆らえず、1945年に2隻とも除籍され1947年に解体処分された。
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艦形
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「マールテン・ハーペルソン・トロンプ (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状はこの当時の列強主力艦と同じく、排水量に比較して凌波性を良くするために乾舷が高められた平甲板型船体を採用している。水面下に衝角の付く艦首から全く傾斜のない艦首甲板上に「クルップ 1902年型 24cm(40口径)砲」を収めた主砲塔が1基、司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ箱型の艦橋、簡素な単脚式の前檣、1本煙突の周囲には煙管型の通風筒が立ち、煙突の後部は艦載艇置き場となっており、2本1組で片舷2組ずつのボート・ダビットにより運用される。簡素な単脚式の後檣、そこから一段下がって後部甲板上に後ろ向きの24cm単装主砲塔の順である。副砲の15cm単装砲は単装砲架で艦橋の両脇の舷側甲板上に左右1基ずつ、後檣の左右1基ずつの片舷2基ずつ計4基を装備した。副砲は首尾線方向への射界を少しでも得るために船体の一部を切り欠いている。この武装配置により艦首尾方向に24cm砲1門、15cm砲2門が、舷側方向に24cm砲2門、15cm砲4門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 14:53 UTC 版)
本級の船体は前級に引き続き長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に強く傾斜したクリッパー型の艦首から中央部が狭い艦首甲板上に波きり板を設けた後ろに主砲の15cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1番2番主砲を並列配置で2基、その背後に司令塔を基部とする船橋(ブリッジ)をのせた箱型艦橋と前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ3本の煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。舷側甲板上には15cm速射砲が片舷2基配置された。3番煙突の後方に8.8cm(45口径)高角砲が単装砲架で直列に2基が配置され、後部見張り所を基部とする後部マストの後方にも8.8cm高角砲1基が配置される予定であった。船首楼の末端部に7番主砲1基が、そこから甲板一段分下がった後部甲板上に8番主砲1基が後ろ向きに背負い式配置とされた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/09 14:20 UTC 版)
「ヘイリヘルレー級モニター」の記事における「艦形」の解説
本級の基本構造は乾舷が低い平甲板型船体の中央部に1基の主砲塔を配置、その前後の中心線上に上部構造物を設けていた。上部構造物は凌波性を上げるために艦首甲板よりも高くされ、貴重な居住区でもあった。その形状は横幅が顕著に狭くされ主砲塔の射界を狭めない工夫であった。本艦のマストは上部構造物の上に前後1本ずつ計2本で、主砲塔の後方に1本煙突が立つ。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 20:37 UTC 版)
「ダントルカストー (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に24cm単装主砲塔が1基、下部に司令塔を組み込んだ艦橋から単脚式のマストが立つ。前部マストの後部には3本煙突が立つが、フランス海軍伝統の缶室分離配置のために2番煙突と3番煙突の間は若干離れて並び、3番煙突の手前に箱型の通風筒が1本立っている。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビットが片舷4組の計8組により運用された。後部甲板には簡素な後部マストが1基と24cm主砲塔が後ろ向きに1基である。船体の舷側部には副砲が防盾の付いた単装砲架で片舷4基ずつ計8基配置した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 18:11 UTC 版)
本艦の外殻部は厚さ25mmの鋼板で作られ、その直径は船体中央部で最大5.982mだった。艦内は水密隔壁で10室に分割されていた。船体は、設計では最深で150mに耐えられるものとされたが、実用では潜行深度が110mに抑えられた。 本艦の外観上の特徴として、艦のデッキ上に配置された連装式の砲塔が挙げられる。この砲塔は13.2cm速射砲を収めており、司令塔を挟み込むように前後に1基ずつ計2基が配置された。また艦首水面下に53.3cm魚雷発射管が、片舷3門ずつ計6門配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/01/20 16:09 UTC 版)
「ペダー・スクラム (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は3本のマストと一本煙突を持つ装甲フリゲートとしてデンマークはコペンハーゲン海軍造船所で建造された。艦首水面下に水平に突き立った衝角を持つ。水線部に最大厚124mmの鉄製装甲が貼られた。船体中央部の上部構造物内にボックスシタデルが配置された。ボックスシタデルとは弾薬庫や機関を守るために箱状似に装甲を配置する当時の防御様式で、本艦は254mmもの厚さを持つ装甲をリベットで組み立てられていた。その内部には60ポンド単装砲6基と24ポンド単装砲8基を配置していた。
※この「艦形」の解説は、「ペダー・スクラム (装甲艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/26 17:35 UTC 版)
「ルッジェーロ・ディ・ラウリア級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本設計は「カイオ・ドゥイリオ級」をタイプシップに採り、改良型として手堅くまとめた。船体形状は水面から乾舷までが低い平甲板型船体を採用した。水面下に衝角の付いた艦首から左右の幅の狭い船首楼上に15.3cm砲が防盾の付いた単装砲架で1基、艦首左舷側に前部グース・ネック(鴨の首)式クレーンが1基配置された。船首楼のたん部に箱型の操舵艦橋が設けられ、背後に前部1本煙突が立ち、船首楼は終了している。そこの後ろの中央部甲板上に本級の主砲である「アームストロング 43.1cm(27口径)ライフル砲」2基を収めた1番露砲塔を右舷側に1基を配置し、船体中央部に頂上部と中段部に見張り所を設けたミリタリー・マストが1本立ち、その背後の左舷側に2番露砲塔を配置した。2番主砲塔の後方から左右の狭い上部構造物が設けられ、最前部に2番煙突が立つ。船体中央部に主砲塔があるために船首楼と後部構造物の連絡のために1番煙突の中段からミリタリー・マストの基部を通って2番煙突の中段まで走るフライング・デッキ(空中甲板)が設けられた。後部構造物の艦尾側に15.3cm単装砲が後向きに1基、艦尾甲板上の右舷側に後部グース・ネック式クレーン1基が配置された。
※この「艦形」の解説は、「ルッジェーロ・ディ・ラウリア級戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/16 13:26 UTC 版)
本艦の基本構造は3本のマストと一本煙突を持つ木造フリゲートとして福州船政局(海軍造船所)で建造された。船体内にはアームストロング製 前装砲13基とクルップ製 19cm単装砲1基を装備していた。本艦の煙突は帆走時には低く折りたためるように三段階に伸縮できた。
※この「艦形」の解説は、「揚武 (スループ)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 14:57 UTC 版)
本級は、エルツヘルツォーク・カール級と比べ主砲・副砲ともに口径を大型化し、また前級では副砲をケースメイト(装甲砲座)配置としていたが、本級では左右舷側の前後に1 基ずつ搭載した連装式の副砲塔に収め、射撃指揮の効率化も図っている。ケースメイトにはより小口径の速射砲を搭載した。副砲の整理により艦上構造物の配置も整理され、ラデツキー級はスマートな外観を持つ戦艦となった。 本級の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で、艦首には衝角が設けられていた。主砲は、前後甲板上に30.5cm連装主砲塔各1基をダブルエンダーで配置。艦中央部に艦橋・ミリタリーマスト形式の単脚の前後檣、2本の煙突がある。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置したものである。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。本級のミリタリーマストは外部に梯子を持つ円筒状となっており、頂部と中段に見張り台が設けられていた。
※この「艦形」の解説は、「ラデツキー級戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 14:05 UTC 版)
「ウェイマス級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は短船首楼型船体を採用していた。艦首は垂直に切り立った艦首から中央部に主砲の「Mk XI 15.2cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、艦橋と単脚式の前部マストが立つ。等間隔に並ぶ4本の煙突の舷側は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組により運用された。左右の舷側甲板上に15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ配置されていた。甲板一段分下がった箇所で見張り所と後部マストが立ち、後部甲板上に15.2cm主砲が後ろ向きに1基の計8基が配置された。 1918年に「ウェイマス」と「ヤーマス」は陸上機1機を運用するための施設を設置したが1919年に撤去された。
※この「艦形」の解説は、「ウェイマス級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 14:20 UTC 版)
「レイナ・ビクトリア・エウヘニア (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に傾斜したクリッパー型の艦首から中央部に主砲の「Mk I 1915年型 15.2cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で並列で2基、司令塔を基部とする艦橋を基部として頂上部に見張り所を持つ三脚式の前部マストが立つ。等間隔に並ぶ3本の煙突の舷側は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷3組で計6組により運用された。左右の舷側甲板上に15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ配置されていた。3番煙突後方で船首楼が終了し、甲板一段分下がった後部マストと見張り所が立ち、見張り所の上に7.6cm速射砲型後ろ向きに1基配置。後部甲板上に15.2cm主砲が後ろ向きに1基が配置された。53.3cm連装魚雷発射管は艦橋側面の船体内に片舷1基ずつ内蔵され、使用しない時は開口部をシャッターで閉めていた。 1938年の近代化改装で艦容は一変した。艦橋は近代的な塔型艦橋となり、艦橋の後部を基部として短い前部マストが立てられた。後部見張り所の位置まで船首楼が延長され、後部マストがあった位置に後部艦橋が設けられた。機関の更新により煙突の本数は3本から2本へと変わった。主砲の数は9門から6門へと減少したが、全て中心線配置となって前部甲板上に背負い式配置で2基、艦橋の背後に1基、後部煙突の背後に1基、後部甲板上に後ろ向きの背負い式配置で2基の順である。
※この「艦形」の解説は、「レイナ・ビクトリア・エウヘニア (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
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艦形
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「ブルックリン級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
艦体形状は前級に引き続き平甲板型船体を採用していた。艦首甲板上には新設計の「Mark 16 15.2cm(47口径)速射砲」を新設計の三連装砲塔に収めて、2番主砲塔を背中合わせの1番・3番主砲塔で挟み込むかのように3基を配置した。その背後に司令塔を組み込んだ艦橋塔型艦橋を基部に単脚式の前部マストが1本立つ。その背後に2本の煙突が近接して立っているが、本級の機関配置は上記の通り、ニューオーリンズ級重巡洋艦のものを踏襲している。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本のクレーンにより運用された。艦載艇置き場の後ろに後部マストと後部見張所が建てられ、後部甲板上に後向きの4番・5番主砲塔が背負式に2基、艦尾部に水上機用クレーン1基を挟んで射出カタパルトが片舷に1基ずつ計2基が配置されて水上機施設となっていた。舷側甲板上には対空火器の「12.7cm(25口径)高角砲」が露天で片舷4基ずつ計8基が配置されていた。
※この「艦形」の解説は、「ブルックリン級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/01 05:22 UTC 版)
本艦の船体は長船首楼型船体を採用した。前弩級戦艦時代のフランス戦艦伝統の「グランド・テル(Grand Hotel)」と形容される艦上構造物はなりを潜め、装甲司令塔と煙突と単脚式の前後マストと主砲塔以外に艦上構造物はない、簡潔でいて重厚な「鉄の城」と呼べる外観に設計されていた。 垂直に切り立った艦首から「Model 1912 34cm(45口径)砲」を楔形の連装式主砲塔に収め、1番・2番34cm主砲塔を背負い式に2基、その後ろに甲板一段分上がって天蓋部に3連式の測距儀を載せた司令塔の背後に三段の操舵艦橋の背後に単脚式の前部マストが1基、マストの後方に2本煙突が立ち、間に3番34cm主砲塔が前向きに1基を配置していた。2番煙突の後方が艦載艇置き場となっており、2番煙突を基部とするクレーンが片舷1基ずつ計2基により運用される。その後部の甲板上に単脚式の後部マストが1基立ち、後部甲板上に4番・5番34cm主砲塔が後向きに背負い式配置で2基が配置された。艦尾側の甲板上には2条の機雷投下用のレールが設置され、艦内に機雷30発を格納できる設計であった。
※この「艦形」の解説は、「サヴォア (戦艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 10:07 UTC 版)
船体形状は同時代のイギリス前弩級戦艦に近似した軽いタンブル・ホーム型船体となっている。艦首と艦尾の形状は普通だが舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出する特徴は変わらない。このため、前艦と違って甲板面積は広くとられた。 ほぼ垂直に切り立った艦首から艦首甲板に30.5cm単装主砲塔が1基の背後に、司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に水雷艇撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。 本艦のミリタリーマストは内部に階段を内蔵した円筒状となっており、頂部には二層式の見張り台が設けられた。下段の見張り台には47mm単装速射砲が1基ずつ計4基が配置され、後部ミリタリーマストも同形式で前後4基ずつ計8基配置された。前部ミリタリー・マストの背後には等間隔に煙突が二本立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2番煙突基部のクレーンにより運用された。 艦載艇置き場の後部にはミリタリー・マストが立ち、その後ろに30.5cm単装主砲塔が後向きに1基配置された。本艦の舷側甲板の横、船体中央部の張り出し部に27cm単装副砲塔が船体中央部に片舷1基ずつ計2基配置され、対水雷艇用に14cm単装砲塔が前後に1基ずつと、前後の主砲塔の左右に1基ずつ計8基を配置した。 この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲1門、27cm砲2門、14cm砲4門が指向でき、左右方向には最大30.5cm砲2門、27cm砲1門、14cm砲4門が指向でき強力な火力を誇っていた。
※この「艦形」の解説は、「ブーヴェ (戦艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 07:27 UTC 版)
竣工時のシャルンホルスト級は、艦首形状がほぼ垂直に近いもので、凌波性に問題があった。そこで後に艦首を強く傾斜させたアトランティック・バウへ改修した経緯を戦訓とし、P級の艦首形状は、最初から鋭く前方に傾斜したアトランティック・バウを採用した。従来のドイツ軍艦と異なり、P級の艦首甲板には強いシア(甲板の傾斜)が付き、そこにシャルンホルスト級から撤去した「SK C/34 1934年型 28cm(54.5口径)砲」を三連装砲塔ごと1番主砲塔とし、1基が配置された。その背後から上部構造物が始まり、1番主砲塔よりも高所に副砲として「SK C/28 1928年型 15cm(55口径)速射砲」を連装砲塔に収めて1基を配置した。 艦橋構造は、新型戦艦「ビスマルク級」に酷似した司令塔を組み込んだ箱型の操舵艦橋である。この後部から頂上部に測距儀を配置し、中部に見張り所を持つ戦闘艦橋が立つ。艦橋の背後に2本煙突が立ち、その間には旋回式カタパルトが中央部甲板上に1基配置された。 水上機と艦載艇は煙突の基部に設けられた格納庫に収められた。艇の運用は、1番煙突の左右に片舷1基ずつ設けられたクレーン2機と、2番煙突を基部とするジブ・クレーン1基により行われた。舷側甲板上には対空火器として「SKC/33 10.5cm(65口径)高角砲」を連装砲架で艦橋の左右に1基ずつ、さらに1番煙突の後方、左右に1基ずつの片舷2基ずつ、合計4基を配置した。他に近接火器として、3.7cm単装機関砲を操舵艦橋の左右に1基、2番煙突の左右に1基の計4基配置した。対艦攻撃用に53.3cm四連装魚雷発射管を、カタパルトの左右に片舷1基ずつ計2基を配置した。2番煙突を基部として後部マストが立つ。この頂上部に測距儀を配置した後部艦橋を配置した。さらに、後ろ向きの2番副砲塔が1基配置されて上部構造物が終了する。その下の後部甲板上に、2番主砲塔が1基、後向きに配置された。
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艦形
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「シュフラン級重巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は前級に引き続き長船首楼型船体を採用している。水面から艦首甲板までの乾舷は高く、クリッパー型艦首から8インチ砲を収めた主砲塔2背負い式に基を配置。2番主砲塔の基部から上部構造物のうえに箱型艦橋が設けられ、艦橋を基部として頂上に測距儀を載せた三脚型の前部マストを採用した。 また、本型は「デュケーヌ級」と同様に機関のシフト配置を採用しているために2本の煙突は広く間隔が空いており、1番・2番煙突のあいだは水上機置き場で、その左右が艦載艇置き場となり、艦載艇・水上機用の揚収クレーンが2番煙突手前にある。二番煙突から後ろはカタパルト、簡便な単脚檣、後ろ向きに背負い式に主砲塔2基が配置される。魚雷発射管は前級で艦内配置であったが、本級より露天に配置された。
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艦形
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「アキダバン (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は艦首水面下に衝角を持つ平甲板型船体に3本の帆走用マストと1本煙突を持つ装甲フリゲートで、中央部に箱型の操舵艦橋と煙突を配置した事により、船体の舷側甲板上に23.4cm単装砲2基を収めた連装式主砲塔を前後に互い違いに配置しており、1基の主砲が艦首から艦尾まで片舷180度+反対舷側の限定された範囲に発射できた。この配置は前方および後方には全主砲を向ける事ができるが、片舷方向には極めて限定された範囲しか向ける事ができなかった。艦載艇は主砲の爆風を避けるために船体中央部の上部構造物上に配置され、マストの両脇に設けられた2本1組のボート・ダビッドにより高所から水面に降ろされた。上部構造物は砲塔の射界を確保するために一部が切り欠かれて反対舷への方針を向けられるようになっており、上部に連絡用の橋が設けられていた。 近代戦艦の基本形が完成するまでイギリス海軍の「コロッサス級」やイタリア海軍「カイオ・ドゥイリオ級」など各国の主力艦でかなり採用されたものの、後に艦隊が単縦陣を組むようになると、前後方向より舷側方向に対して全主砲を向けたほうが都合が良いと判明し、その後は用いられなくなった。 本艦の主機関は主砲塔2基の弾薬庫に挟まれる形で船体中央部の主要防御区画(ボックス・シタデル)内部に配置されており、石炭専焼円筒缶を片舷4基ずつ並列に配置し計8基を備え、さらにレシプロ機関を左右1基ずつ、計2基を組み合わせた2軸推進である。最大出力は6,500馬力を発生・速力15.8ノットを発揮でき、石炭を300トン搭載できた。 1898年にドイツで近代化改装を行った折に水に浸かった機関を新型の物に更新したため出力は7,300馬力に増加し、石炭搭載量は500トン増加した800トンとなり、10ノットで4,500海里を行動できると計算された。機関のみで外洋航行が可能となったため帆走設備は撤去され、替わりに基部と頂上部に探照灯台を持ち、装甲化された2段の見張り所を持つミリタリー・マストが上部構造物の前後に1基ずつ計2基が立てられた。 船体の修理後、イギリスに回航されて武装の近代化も行われ、主砲塔の武装もアームストロング社の新式20.3cm連装速射砲2基に更新され、副武装も12cm単装速射砲に更新され、艦首の船首楼甲板上に並列配置で防盾の付いた単装砲架2基と艦尾部の舷側配置で片舷1基ずつで計4基配置した。近接戦闘用に5.7cm単装速射砲を上部構造物上に等間隔で片舷4基ずつ計8基を配置した。
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艦形
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本級の船体形状はマクシム・ゴーリキー級巡洋艦と同じく短船首楼型船体で、領海には真冬に流氷に閉ざされるバルト海があるために砕氷船として使えるように砕氷構造の艦首を採用していた。艦首甲板上には15.2cm速射砲を三連装砲塔に収めて背負い式で2基を配置した。2番主砲塔の背後には司令塔を組み込んだ円筒形塔型艦橋が立つが、頂上部に国産の8m2連測距儀とモチブG型射撃指揮装置を設けたために直径の大きな円柱を載せたような形状をしていた。 機関配置はボイラーとタービンを交互に配置する「シフト配置」を採用していたために、2本煙突の間は前後に広く離れていたが、そのスペースを無駄にせずに水上機施設に充て、水上機射出用カタパルトが中央部中心部に1基配置された。カタパルトの両脇には艦載艇と53.3cm三連装魚雷発射管が左右に1基ずつ置いてあり、水上機と艦載艇は2番煙突の直前に配置された主マストを基部とする揚収用クレーン1基で運用された。副武装の10cm高角砲は爆風避けのカバーの付いた連装砲架で2番煙突の四隅に片舷2基ずつ計4基を配置した。2番煙突の背後に後部甲板見張り所が設けられ、後部甲板上に3番・4番主砲塔が後向きに背負い式で2基が配置され、左右の甲板上には機雷投下用のレールが敷かれていた。 戦後に68K型として建造再開された時に塔型艦橋の背後に単脚式の前部マストが追加され、新型の37mm連装機関砲が片舷7基ずつ計14が増載された。この時に水上機運用施設と53.3cm三連装魚雷発射管が廃止された。
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艦形
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「インペラートル・アレクサンドル2世 (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で衝角の付く艦首から艦首甲板上に装甲カバーの付いた露砲塔に収められた30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。 本艦のミリタリーマストは内部に階段を内蔵した円筒状となっており、頂部に見張り台が設けられ、3.7cm5連装ガトリング砲が4基ずつ前後で計8基装備された。前部ミリタリー・マストの背後には2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドで運用された。艦載艇置き場の後部には基部にクレーンの付く後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上にも艦載艇が置かれた。
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艦形
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本級の基本設計はエメラルド級軽巡洋艦の延長であるが基準排水量が1万トン台の大型となったため、水面からの乾舷が艦首から艦尾まで高く、側面には凌波性を良くするフレア(反り返り)の付いた平甲板型船体を採用できた。船体長は192mもあり、船体の幅を抑えた水の抵抗の少ない船体形状に成形した事により少ない機関出力でも高速を出しやすい形状であった。 垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に20.3cm砲を収めた連装式の主砲塔が背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に近代的な塔型艦橋が立つ。 艦橋の背後に簡素な単脚式の前後マストに挟まれるように2番煙突のみ太い3本煙突が立つ。艦橋に煤煙がかからないように煙突は後方に傾斜されたが、効果が無かったために公試中に煙突を約4.6m高くして改善する必要があった。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボード・ダビッドが片舷4組ずつ計8組により運用された。 中央甲板の後方は水上機施設で、水上機は3番煙突の基部に設けられたクレーンが片舷1基ずつ計2基で運用され、船体後部に水上機1機を収められる格納庫が設けられ、上部は後部見張所を兼ねていた。後部マストの後方の後部甲板上に20.3cm連装砲塔が後向きに背負い式配置で2基配置された。 本級の副武装・対空火器として、10.2cm高角砲は単装砲架で片舷2基ずつ計4基が3本煙突の側面に配置され、舷側甲板上に53.3cm四連装魚雷発射管で片舷1基ずつ計2基が配置された。舷側部は客船のように艦首から艦尾まで上下2列の舷窓が並び、同時期のフランス海軍の巡洋艦と同じく海外に植民地を持つ外洋海軍ならではの高温多湿の海外任務で乗員が健康を損ねないように設計されている事が伺える。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 06:22 UTC 版)
この当時のドイツはフランス設計に強く影響を受けており、船体形状は軽いタンブルホーム型のついた平甲板型船体であった。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上にクルップ製21cmライフル砲を当時として珍しい連装砲架で艦首甲板上に1基配置した。その背後に司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋を持つ露天の操舵艦橋が配置された。船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は艦内通風のための煙管型の通風筒が立つ。舷側部には副武装のクルップ 15cmライフル砲は船体中央部の舷側に張り出しを設け、そこに防盾の付いた単装砲架で片舷1基ずつ計2基を配置した。船体後部には単脚式のミリタリーマストが立ち、その後方は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2基ずつ計4組で運用されていた。 この武装配置により艦首方向に最大で21cm砲2門・15cm砲2門、舷側方向に最大で21cm砲2門・15.2cm砲1門、艦尾方向に最大で15.2cm砲2門が指向できた。
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艦形
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「クレマンソー (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状はフランス近代高速戦艦伝統の中央楼型船体で、水面から艦首の甲板までの乾舷は高く、凌波性能が高いことをうかがわせる。本艦の構造を前方から記述すると、軽くシア(反り返り)の付いた艦首甲板に続き、本艦から搭載されることとなった新設計の「1935年型 正38cm(45口径)砲」を四連装砲塔に納めた。この1番・2番主砲塔を間隔をあけて2基搭載し、2番主砲塔の基部からは、中央楼が設けられて甲板一段分高くなっていた。主砲塔群の背後に塔型艦橋が立ち、艦橋の前部に対空火器として「1930年型 10cm(50口径)高角砲」が設置された。この砲は、防楯の付いた連装砲架に搭載されており、これを並列として1番・2番高角砲2基が配置された。高角砲の上方には司令塔を組み込んだ操舵艦橋があり、その背後に戦闘艦橋が上方へと伸びる。戦闘艦橋の頂部には、世界的に見ても大型の13.5 m主砲用測距儀1基を備える。さらにこの上に8m副砲用測距儀1基が配置され、これらは独立してスリップリングにより別方向に旋回できた。測距儀上には、前部射撃指揮所が載る。 艦橋周辺の上部甲板は、主砲からの爆風を比較的受けにくいために艦載艇置き場となっていた。これらの艦載艇は、塔型艦橋の基部に片舷1基ずつ計2基付いたデリック・アームにより運用された。水面上の艦載艇は艦橋の側面まで吊り上げられ、左右の甲板上に斜めに延びたレールに載せられて舷側甲板上に並べられるか、艦橋と煙突の間の艦載艇置き場に並べられた。舷側甲板上には副砲の「1936年型 15.2cm(55口径)速射砲」を三連装砲塔に収めて1番・2番副砲塔として片舷に1基ずつ配置された。その後方に、10cm連装高角砲が片舷2基ずつ配置された。砲の配置は直列であった。 後部マストと煙突は融合され、現代で言う「マック(MACK)」となっている。煙路は甲板内で集合され、機関から発生した燃焼煙は、直立した箱型煙突から、後方へ斜め45度傾けて後方に排出される。煙突の上部には後部司令塔と後部射撃指揮装置が載り、その上に単脚式のマストが搭載された。後部甲板上には8m副砲用測距儀があり、この下に3番・4番副砲塔が背負い式配置で搭載された。この武装配置により、艦首方向に最大で38cm砲8門・15.2cm砲6門・10cm砲4門、舷側方向に最大で38cm砲8門・15.2cm砲9門・10cm砲6門、艦尾方向に最大で15.2cm砲12門・10cm砲4門が指向できた。後背よりも前方、側方に主砲火力を集中する形式である。
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艦形
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「アンティオキア級駆逐艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は船首楼型船体とした。甲板のシアは少なく、船首前端も傾斜の少ない形状となっている。船首楼甲板の後端に艦橋と前部マストを配置。その後方の甲板下は3基の主缶を収めた缶室区画で、1番煙突に主缶2基分、2番煙突に1基分の煙路が導設された。煙突後方に53.3cm四連装魚雷発射管2基が配置された。主砲は前後甲板上に2基ずつ背負い式で配置された。 1940年代にエリコン 2cm(76口径)機関砲を単装砲架で2基が追加された。1950年代に近代化改装を受け、全武装を撤去して主砲を12.7cm単装砲2基2門、近接火器としてボフォース 4cm(56口径)機関砲を単装砲架で6基搭載、対潜兵装として17.8cm24連装ヘッジホッグ1基が搭載された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/15 07:31 UTC 版)
「アストリーア級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体は平甲板型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に15.2cm(45口径)速射砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。その背後の司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その外周は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組で運用された。舷側甲板上には副砲の12cm速射砲が防楯の付いた単装砲架で片舷4基を搭載したが、前後部の2か所にスポンソン(張り出し)を設けて首尾線方向への攻撃を可能にしていた。 と船体中央部にケースメイト配置で2基の片舷5基ずつ計10基を配置した。 2番煙突の後方に後部マストと後部艦橋が立ち、そこから甲板一段分下がって、後部甲板上に15.2cm砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。この武装配置により艦首尾方向に最大で15.2cm砲1門・12cm砲2門、舷側方向に最大で15.2cm砲2門・12cm砲4門が指向できた。
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艦形
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「アルミランテ・ブラウン (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は平甲板型船体で3本のマストと伸縮機構のある1本煙突を持つ装甲フリゲートとしてイギリスで建造された。船体中央部に203mmの装甲板をリベット接合で組み立てて作られた砲廓(ケースメート)を持ち、アームストロング社製20.3cm単装砲を単装砲架で片舷4基ずつ計8基を配置した。
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艦形
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「インデペンデンシア級海防戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の低い平甲板型船体であった。水面下に衝角を持つ艦首から主砲としてクルップ製の「クルップ 1931年型 24cm(35口径)砲」を単装式の砲塔に収めて1基を配置、下部に司令塔を組み込んだ露天の操舵艦橋の背後には頂上部と中部に見張り所を持つミリタリー・マストが配置する。船体中央部に1本煙突が立ち、周囲は艦載艇置き場となっていた。 舷側甲板の中央部には「アームストロング 12cm速射砲」が防盾の付いた単装砲架で背中合わせで片舷2基ずつ計4基が配置されていた。後部甲板上に後部見張り所が設けられ、そこから甲板1段分下がって24cm単装砲塔が後向きに1基が配置された。
※この「艦形」の解説は、「インデペンデンシア級海防戦艦」の解説の一部です。
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艦形
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「アバンチュリエ級駆逐艦」の記事における「艦形」の解説
本級は艦首のみ乾舷の高い船首楼型船体であった。切り立った艦首から艦首甲板上に1番10.2cm速射砲を単装砲架で1基を配置、その背後に測距儀を載せた艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に4本煙突が立つが、ボイラー配置が缶室分離配置を採っているために2番煙突と3番煙突の間が離されており、そこに2番10.2cm砲が前向きに1基が配置されていた。舷側甲板上には45cm魚雷発射管が連装で2基が搭載されるが、右舷側は2番煙突の側面に1基、左舷側は3番煙突の側面に1基と、互い違いに配置されていた。空いている場所は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基で運用された。4番煙突の背後に簡素な後部マストが立ち、そこから甲板一段分上がって後部甲板上に設けられた上部構造物を挟む込むように3番・4番10.2cm主砲が背中合わせに1基ずつの計4基が配置された。 就役後の1914年12月に武装をフランス式の「Model 1893 10cm(45口径)速射砲」を単装砲架で4基、対空火器として4.7cm(50口径)高角砲を単装砲架で1基、45cm単装魚雷発射管4基に更新された。1917年に「テメレール」「オピニヤートル」はボイラーをノルマン式重油専焼缶1基とド・テンム式重油専焼缶3基に換装し、出力は1万2000馬力で22ノットとなり、外観的には2本煙突となった。1926年に4隻とも機雷掃海艦に類別変更され、10cm速射砲1基と45cm単装魚雷発射管4基が撤去され、機雷掃海設備が設置された。1926年に「アバンチュリエ」がシュルツ・ソーニクロフト式重油専焼缶2基に換装され、次いで1927年に「アントレピード」シュルツ・ソーニクロフト式重油専焼缶3基に換装されて速力は26ノットとなり、3本煙突となった。
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艦形
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「ルイージ・ディ・サヴォイア・ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状はイタリア近代巡洋艦伝統の船首楼型船体で、艦首から前甲板までの乾舷はほぼ水平である。僅かに傾斜(シア)の付いた艦首甲板上に、1番砲塔を三連装砲塔、2番砲塔を連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基配置した。前級に引き続き艦橋構造はウンベルト・プリエーゼ造船中将考案の円筒を積み重ねたような塔型艦橋、煙突の本数は前級と同じく2本だが、本級からボイラー配置を換えたために煙突間は離れていない。1番煙突の基部が水上機格納庫があり、2番煙突を挟むように艦載機射出用カタパルトが片舷に1基ずつの計2基配置された。カタパルトの周りが艦載艇と艦載機置き場となっており、その運用は単脚式の後檣の基部に1基付いたクレーンにより成される。なお、艦橋と後檣の左右に高角砲を連装砲架で片舷2基ずつの計4基配置し、その連装高角砲に挟まれる様に53.3cm三連装水上魚雷発射管を片舷1基ずつ計2基配置した。後部甲板には連装砲型の3番主砲塔と三連装砲方の4番主砲塔が後ろ向きに背負い式で1基ずつ配置した。 なお、「ジュゼッペ・ガリバルディ」はミサイル巡洋艦に改装された折に、15.2cm主砲塔は全て撤去され、1番・2番主砲塔跡には13.5cm両用砲を全て連装砲塔に収め背負い式に2基を配置、円筒形の艦橋は箱型艦橋に更新され、後部にトラス構造の前部マストが新設され、上部に各種レーダーアンテナが設置された。2本煙突は1本に結合され、2番煙突のあった箇所にトラス構造の後部マストが立ち、頂上部に旋回式レーダーアンテナが設置された。その後部にはパラボラアンテナが後向きで背負い式に2基が設置された。3番主砲塔のあった場所にテリアミサイルの連装発射機1基が配置し、後部上部構造物側面にポラリスミサイルの単装発射機片舷2基ずつ計4基が配置された。他に近接戦闘用に艦橋の側面に新設計のOTO 7.6cm(62口径)自動砲が単装砲塔で片舷に等間隔で4基ずつ計8基が配置された。
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艦形
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前級までの1万トン台の船体形状は艦首から艦尾まで水面からの乾舷までが高い平甲板型船体であったが、本給では艦首のみ高い短船首楼型船体となっていた。これは凌波性を保ちつつ建造費を安価にすべく鋼材を節約する工夫であった。水線部ではイギリス条約型重巡洋艦の流れを汲む典型的なは船体長を長くとり、船体の幅を抑え水の抵抗を少ない船体形状で少ない機関出力でも高速を出しやすい形状であった。 垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に20.3cm砲を収めた連装式の主砲塔が背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から上部構造物が始まり、その上に塔型艦橋が立つが、「ヨーク」は設計当初に2番主砲塔にカタパルトを配置し、航空指揮のために艦橋と1番煙突を交差させる独創的な設計であったが、結局は砲塔の強度面で廃止となり、その名残で艦橋が細長くなってしまった。一方、「エクセター」の艦橋の形状は低くなり、前後に伸ばしてスペースを広く取る設計となった。艦橋の背後に簡素な単脚式のマストと2本煙突が立つが1番煙突の方が太い。これは、ヨークの艦橋構造の影響で前級では3本あった煙突のうち1番・2番煙突を統合したために1番煙突のみ太い2本煙突となった。これにより艦橋から煙突の距離が開いたために排煙による煤煙問題に良好な結果をもたらした。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、片舷に1基ずつ計2基のクレーンにより2番煙突の後方に配置した水上機施設と艦載艇は運用された。水上機施設の後方に単脚式のマストが1本立つ。前後のマストと煙突はヨークは後方に傾斜した形状となっていたが、これは傾き具合により敵艦に進行方向を察知されるためにエクセターではマストと煙突は直立した形状に直された。後部甲板上に後向きに20.3cm連装砲塔が1基配置された。高角砲の配置は水上機施設の邪魔とならないように艦橋と煙突の間の53.3cm三連装魚雷発射管の上に10.2cm高角砲を単装砲架で片舷2基ずつ計4基を配置し、エクセターは後に10.2cm連装高角砲4基に換装した。 ヨークは2本煙突の後部、艦中央部に回転式カタパルトを装備した。エクセターは同じ位置に固定式のカタパルトを二基装備し、艦の前方に射出が可能であった。回収用のクレーンが右舷に装備され、一機の搭載機を運ぶことが可能であった。当初はフェアリー・シーフォックスが搭載され、エクセターでは後にスーパーマリン ウォーラスに変更された。
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艦形
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「ライプツィヒ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級は、船体形状に乾舷の高い長船首楼型船体を採用した。軽くシア(甲板の傾斜)が付いた艦首甲板上には、「SK C/25 1925年型 15cm(60口径)速射砲」の三連装砲塔が1基配置された。艦橋構造は司令塔を内部に組み込んだ箱型で、操舵艦橋の両脇には船橋を持っていた。また、艦橋後部から上面に突き出るようにチューリップ型の単脚式の前部マストが立ち、頂部には射撃方位盤室が、中部には探照灯台が設けられた。測距儀は操舵艦橋と前部マストの上部にそれぞれ1基ずつが配置された。 艦橋の背後には集合型の1本煙突が立ち、周囲には艦載艇が並べられて、煙突の左右に1基ずつ付いたクレーンにより運用された。 左右の舷側には、対艦攻撃用の50cm三連装魚雷発射管が1番煙突を挟むように片舷2基ずつ、計4基配置され、竣工後には位置と数はそのまま53.3cm三連装発射管に換装された。本級には後部マストが設置されなかったため、アンテナ線を張るために2番煙突左右にアンテナが付いていた。後部構造の上には測距儀を載せた箱型の後部見張所があり、その後ろに対空火器として8.8cm単装高角砲が直列に2基搭載されたが、竣工後に連装砲架2基に換装/増設された。ディーゼル機関の排気管は、高角砲と2番主砲塔に挟まれる形で配置された。2番・3番主砲塔は、艦尾を向いて背負い式で配置された。また、煙筒の後方には水上機運用設備としてカタパルト1基と水上機2機が搭載された。 2番艦「ニュルンベルク」の改良点は、艦橋構造物の大型化、8.8cm高角砲を連装砲架で片舷2基ずつ計4基を装備することによる対空火器の増加などであった。
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艦形
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「カイゼリン・アウグスタ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は当時のドイツ装甲艦にも似た乾舷の高い平甲板型船体である。水面下に衝角を持つ艦首から艦首甲板上に中部に探照灯台を配置した単脚式の前部マストが1基、その背後に船橋(ブリッジ)をのせた箱型艦橋、艦橋構造の背後に2本の煙突が立ち、周囲には煙管型の通風筒が立ち、周りは艦載艇置き場となっている。艦載艇は後部マストを基部とする2本のボート・クレーンにより運用された。 舷側部には張り出し(スポンソン)が片舷に艦首部と艦尾部の2か所に設けられ、そこに主砲の「15cm(30口径)ライフル砲」が防盾の付いた単装砲架で1基ずつ計4基が配置された。その他に船体中央部に5か所のスポンソンが設けられ、前後部には「10.5cm(35口径)速射砲」他が舷側に防盾の付いた単装砲架で片舷4基ずつ計8基が搭載された。他に近接火器として8.8cm(30口径)速射砲が8基と3.7cmガトリング砲4基が搭載された。他に対艦攻撃用に35cm魚雷発射管を艦首の水線下に1門、船体中央部と艦尾側に水上発射管で片舷2門ずつ4門を設けていた。 就役後の1896年に15cm砲と10.5cm砲を混載していた兵装を新型の15cm(35口径)速射砲12門に改められて火力が向上した。1903年に煙突を2m伸ばして排煙効果を向上させた。
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艦形
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「フュルスト・ビスマルク (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は同時期のドイツ戦艦と同じく平甲板型船体で水面下に衝角(ラム)を持つまでは同じであるが、戦艦と異なるのは艦首形状は波きりの良いクリッパー・バウ型となっており、外洋を長距離航行する巡洋艦には必須の艦首形状であった。艦首甲板上から戦艦と同格の「24cm(40口径)砲」を連装砲塔に収め、艦首甲板上に前向きに1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋の上には2段の見張り所を持つミリタリー・マスト、船体中央部の2本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、グース・ネック(鴨の首)型クレーンが片舷1基ずつ計2基により運用された。2番煙突の背後にミリタリー・マストを持つ単脚の後檣と後部司令塔、そこから甲板一段分、下がって後ろ向きに24cm連装主砲塔の順である。15cm副砲は単装砲架で12基のうち半分の6基を単装砲塔に収め、前後ミリタリー・マストの両脇に1基ずつ、船体中央部に左右1基ずつの片舷3基計6基、他の6基は舷側ケースメイト配置で1番主砲塔の両脇に1基ずつ、船体中央部に背中合わせで2基ずつ配置した。この武装配置により前方向に24cm砲2門・15cm砲6門、後方向に24cm砲2門・15cm砲4門、左右方向に最大24cm砲4門・15cm砲6門が指向できた。
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艦形
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前級のフサール級駆逐艦は平甲板型船体で、船首甲板を顕著なタートルバック型としていた。本級では凌波性の向上を図り、船体前部を甲板1層分高めた船首楼型とした。 船首楼甲板上に10cm単装主砲1基を搭載。船首楼後端に露天艦橋と簡素な棒檣構造の前檣がある。艦橋後方の上甲板下は缶室区画で、甲板上には4本の煙突と煙管型の通風塔があった。煙突付近の舷側にはボートダビッドが設置され、端艇が係留された。後甲板上には棒檣構造の後檣があった。 2番・4番煙突及び後檣付近両舷の甲板上に、7cm単装砲を片舷3基ずつ計6基配置した。船体後部中心線上には、4番煙突後方に45cm連装魚雷発射管1基、後檣後方に2番10cm単装主砲が配置された。
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艦形
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「アラスカ級大型巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
デザイン元は同時期に建造された「ノースカロライナ級」であると言われる。船体は平甲板型船体で、艦首から伸び上がったシア(艦首の反り返り)が際立つ艦首甲板上に、新設計の「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を三連装砲塔に収めて1・2番主砲塔を背負い式に2基搭載した。 その背後から甲板一段分上がって2番主砲塔の後部に「1934年型 12.7cm(38口径)両用砲」を防盾の付いた連装砲架で1基、更に一段甲板が上がって司令塔を組み込んだ箱型の操舵艦橋が立ち、その側面には2番・3番両用砲を1基ずつ配置。二段式の見張り台を備える戦闘艦橋の頂部には 7.2m測距儀を配置した。船体中央部には直立した1本煙突が立ち、従来の戦艦・条約型巡洋艦にはあった後部マストが省略されたため、アンテナ線の展開のために煙突後部にT字型のアンテナが付くものの、フランス海軍のリシュリュー級戦艦に採用されたようなMACK型煙突後檣の役割は持たなかった。 舷側甲板上は艦載機を運用するスペースが設けられ、舷側中央部に短いカタパルトが片舷に1基ずつ計2基装備された。艦載機は煙突下部の格納庫からクレーンによりカタパルトに載せられた。カタパルトの後方に4~6番両用砲を逆三角形型に3基配置したところで上部構造物は終了し、その背後の後部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基配置された。
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艦形
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「エクセター (重巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
エクセターの設計にあたっては、ヨークをタイプシップとして既存のカウンティ級で得られた運用実績により実戦的な設計がなされ、従ってエクセターの設計はヨークでの経験を踏まえた改良が組み込まれた。トップウェイトの増加に合わせて艦幅は1フィート広げられた。就役後に船首楼の側壁を魚雷発射管の手前まで伸ばし、居住空間を増した。 前後に長い塔型艦橋の形状はより低くされ、水面から16 m 以内に抑えられた。これはネルソン級戦艦を参考にしたという。ボイラーからの排煙管はボイラー室後方に収められ、ヨークでは傾斜した煙突が必要だったのが、エクセターは艦橋から離れた位置に直立した煙突を装備し、排気煙の確実な排気ができるようになった。その結果マストは直立し、後方の煙突は太くなった。 8インチ主砲塔の天板はヨークで考えられたカタパルトの装着には不適であったため、エクセターでは就役後に2番煙突の後方に航空施設を設け、中心線から斜め45度の角度で2基のカタパルトを埋没させた。この工夫により、風向きに関係なく水上機を発艦させることができた。水上機の運用には右舷にクレーンを装着した。 就役後の1941年の大修理の際に艦橋に遮風装置が付けられ、前後のマストを三脚型とし、新たに搭載した279型レーダーのアンテナを設置した。また、1番煙突の側面にあった10.2 cm 単装高角砲4基が撤去されて、新型の10.2 cm 連装高角砲を艦橋と1番煙突の側面に1基ずつ計4基とした。
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艦形
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本級の船体形状は乾舷の低い長船首楼型船体である。前級までの特徴であった水面下のカット・オフ艦首。艦首から全くシア(反り返り)のない甲板上に30.5cm砲を収めた連装砲塔で1番主砲塔が1基配置し、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ艦橋を基部として前部マストが立つ。 船体中央部に2本煙突が立つが、その間隔は前後に大きく離されていた。これは、船体中央部に2番・3番主砲塔が梯型配置されたために中央部弾薬庫を避けるために煙突配置を工夫したのである。中央甲板上の右舷側前方に2番主砲塔を1基、その反対側の左舷側後方に3番主砲塔を1基配置した。その周囲は艦載艇置き場となっており1番・2番煙突を基部とするクレーンが1基ずつ計2基により運用された。 副砲の15.2cm速射砲は波浪の影響を受けにくい最上甲板上の側面に舷側ケースメイト配置で片舷7基ずつ計14基が配置する工夫がされていた。2番煙突と後部マストと後部司令塔は一体化され、その背後に4番・5番主砲塔が背負い式で2基配置した。他に近接戦闘に8.8cm(45口径)速射砲が艦橋上に4基と後部マストの基部に2基と艦尾甲板上に2基の計8基が分散配置された。 竣工後の1914年に遠距離砲戦に適応した改装が行われ、主砲塔の仰角引き上げと共に前部マストは太くされて測距儀室が頂上部に設けられた。 主砲塔の配置は基本的にイギリス海軍のネプチューン(HMS Neptune)、コロッサス級戦艦と同じものであり、ドイツ海軍は当時の最新艦であるイギリス戦艦を参考にして本級を設計した。本級はイギリス艦に比べ艦幅が広く、梯形配置の主砲塔による10門の全門斉射は船体に大きな負担を与えることはなかった。
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艦形
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「コリングウッド (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は前級に引き続き乾舷の低い平甲板型船体となっている。水面から垂直に切り立った艦首水面下に衝角を持ち、平坦な艦首甲板上に30.5cmライフル砲を連装砲架に据えた292mm装甲を貼り合わせたバーベットが1基、その背後にから上部構造物が始まり、前部に司令塔の上に両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋の背後に直列に並んだ2本煙突とミリタリーマスト1本が立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために、遠くまで見回せる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれど、この時代の列強各国の大型艦の多くに見られたマストの形態であった。本艦のミリタリーマストは簡素な単脚式で頂部と中段の2段の見張り台が設けられており、4.7cm単装砲を配置した。 構造物の上は煙管型の通風筒が立ち並び、その外側は艦載艇置き場となっていた。艦載艇はミリタリーマストを基部とするクレーン1基と2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組により運用された。上部構造物の側面は厚さ152mmの鉄板が貼られ、帆船の舷側砲のように副砲の砲郭(ケースメイト)となっており、艦内に15.2cm速射砲が単装砲架で片舷3基ずつ計6基を搭載していた。 ミリタリー・マストの下に後部見張所で上部構造物は終了し、後部甲板上に後向きで2番主砲のバーベット1基が配置された。本艦の舷側のケースメイト(砲郭部)には舷側ケースメイト配置した。
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艦形
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「ドン・カルロス1世 (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦は当時の主流である衝角を持つ艦首から前部甲板上に前向きに防盾を持つ15.2cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1基を配置、その背後に司令塔を下部に組み込んだ艦橋が立ち、船橋を両側に持つ箱型であった。艦橋の後部には二段の見張り所を持つ簡素な前部マストが立つ。単脚檣の下部の見張り所は上部よりも床面積が大きく、ここには水雷艇迎撃用の4.7cm単装機砲を配置している。マストの側面の舷側部には2番・3番15cm速射砲が片舷1基ずつ配置された事により艦首方向に主砲火力の3/4が指向できた。 単脚檣の背後に等間隔に2本煙突が立ち、煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が立てられている。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、舷側甲板には副砲として12cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷4基ずつ計8基が配置された。その後ろは前部マストと同じ様式の後部マスト、後ろ向きに15.2cm速射砲1基を配置した。この武装配置により前方向に15.2cm砲3門、左右方向に15.2cm砲3門、12cm砲4門、後方向に15.2cm砲1門、12cm砲2門を向けることが出来た。 防御装甲は主甲板に最厚で109mmの装甲が貼られ、舷側の防御は防護巡洋艦の常として石炭庫で弾片防御として補う設計だった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/16 14:49 UTC 版)
本型の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で衝角の付く艦首から艦首甲板上に30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ箱型艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。 本艦のミリタリーマストは外部に梯子を持つ円筒状となっており、頂部と中段に見張り台が設けられた。前部ミリタリー・マストの背後には2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並ぶ艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドで運用された。艦載艇置き場の後部には基部にクレーンの付く後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上に2番主砲塔が配置された。
※この「艦形」の解説は、「富士型戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 14:23 UTC 版)
本級の外観はダントン級戦艦(前弩級艦)を弩級戦艦にリファインしたような外観となっている。船体は引き続き長船首楼型船体で、艦首形状は垂直に切り立っていた。前弩級戦艦時代のフランス戦艦伝統の「グランド・テル」と形容される複雑な艦上構造物はなりを潜め、装甲司令塔と煙突と単棒檣の前後マストと砲塔以外はない、簡潔でいて重厚な外観となっていた。 艦首甲板上に1番・2番主砲塔を背負い式に2基、2番主砲塔の基部から上部構造物が開始し、測距儀を載せた装甲司令塔を組み込んだ操舵艦橋の両脇にはブリッジが1番煙突と2番煙突と接続されていた。船体中央部に単脚式の前部マストが立ち、舷側甲板上に片舷に1基ずつ3番主砲塔と4番主砲塔が配置された。3番煙突の背後には艦載艇が並べられ、それらは3番煙突の側面に設けられたクレーンが片舷1基ずつ計2基で運用されていた。上部構造物の末端部に後部艦橋に組込まれた後部マストが立ち、その背後に5番・6番主砲塔を背負い式に2基配置した。主砲配置には苦心の跡が見受けられ、前方向に30.5cm砲8門・13.9cm砲6門、左右方向に最大で30.5cm砲10門・13.9cm砲11門、後方向に30.5cm砲8門・13.9cm砲6門が指向できた。この時代でもフランス海軍は横列陣での火力数にこだわっていたため、首尾線火力を重視していた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:25 UTC 版)
「レンジャー (CV-4)」の記事における「艦形」の解説
「レンジャー」は艦首のみ乾舷の高い短船首楼型船体で、艦載艇を下ろすデリックから甲板が一段分下がっていた。艦首形状は鋭角なクリッパー型艦首で凌波性は良好だった。強度甲板である飛行甲板から機関室の上面である下甲板まで合計3枚の甲板が設けられていた。いわゆるギャラリーデッキ構造である。2段目の甲板に格納庫が設けられ、その両側に側壁を立てて飛行甲板を設置していた。この様式はアメリカ海軍の空母の標準形となり、以降の航空母艦もこれを踏襲していた。復原性については、芳しくない評価であった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:38 UTC 版)
「アレテューズ (巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
3本のシップ式帆走用マストと1本煙突を持つ木造巡洋艦として建造された。「アレテューズ」から水面下に衝角が付けられた。主砲の16cm単装砲は上部甲板上に片舷に張り出し(スポンソン)2箇所を設け、片舷2基ずつ計4基を配置し、船体内部の砲郭部に14cm単装砲を片舷11基ずつ計22基を装備した。 竣工後の1891年に主ボイラーと機関の修理を行い、翌1892年に行われた公試において速力17ノットを発揮した。
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艦形
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「アルジェリー (重巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
フランス近代巡洋艦で長らく主流であった船首楼型から一転して、水面から乾舷までが高い平甲板型船体に改められた。これは、複雑な加工を要する船首楼型よりも平甲板型のほうが船殻重量が軽減でき、艦内容積を確保するためである。また、従来は箱型艦橋と前部マストの構造は軽量な三脚檣を採用していたが、本艦は塔型艦橋を採用している。これは、従来は三脚檣型式で航海艦橋と戦闘艦橋に加え、見張り台や探照灯台を各段に分けて配置していたのだが、機能と利便性を考えて各階の床面積を充実させて行った所、大日本帝国海軍の戦艦に多く採用された「パゴダ・マスト」の如き様態を示すようになり、三脚檣の利点である「軽量」が意味を成さなくなったためである。そのため、本艦から塔檣を採用した。また、「アルジェリー」は後述するが機関のシフト配置を採用しなかったために前級では二本あった煙突は一本に纏められ、二番煙突があった場所は探照灯台となり、基部は艦載艇と水上機を運用する二対のクレーンが付く。また、後檣も「アルジェリー」から単脚檣から軽量な三脚檣になった。 他にも、それまでのフランス重巡洋艦が完全な鋲接構造だったのに対して「アルジェリー」は広範囲に溶接を取り入れており、これにより更に軽量化を図った。
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艦形
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「アミラル・セシル (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。
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艦形
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「アルミランテ・ラトーレ級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本設計はアイアン・デューク級に採り、艦首の乾舷の高い短船首楼型船体を採用した。浮力確保のため水面下に膨らみを持つ艦首から艦首甲板上に新設計の35.6cm砲を収めた連装式の主砲塔が背負い式配置で2基、2番主砲塔の基部から六角柱型の上部構造物が始まり、その上に操舵艦橋が設けられ、それを基部として頂上部と中段部に見張り所を持つ三脚型の前部マストが立つ。その背後には2本煙突が立ち、2番煙突のみ太かった。その周囲は艦載艇置き場となっており、煙突間に設けられたクレーン1基により運用された。中央部甲板上に3番主砲塔が後ろ向きに1基配置された背後に後部上部構造物が設けられ、後部見張り所を基部として簡素な後部マストが立った。後部甲板上に4番・5番主砲塔が後ろ向きの背負い式で2基が配置された。副砲の15.2cm速射砲は単装砲架で上部構造物の前側に2基ずつ、船首楼に4基ずつ後部構造物の側面に2基ずつの片舷8基の計16基が配置していたが、後部構造物の副砲は3番・4番・5番主砲塔が片舷射撃を行うと爆風をまともに受けるために撤去されて門数が12門へと減少した。 1929年から1931年にかけてイギリスで近代化改装を実施した。前部マストが多層化し、対空火器が10.2cm単装高角砲4基に更新された。水中防御強化のために舷側水線下にバルジが追加された。1932年から1938年に後部甲板上にカタパルト1基を増設してフェアリーIII水上機1機を運用していたが航空兵装は1941年に全撤去された。
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艦形
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「タージュ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 水線下に衝角を持つ艦首から艦首甲板上に主砲の16cmライフル砲を単装砲架で並列に2基、見張り所を持つ単脚式の前部マストが建つ。その後ろに司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ艦橋が建つ。船体中央部に3本煙突が建つ。その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その周囲は艦載艇置き場となっており、それらは2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組で運用された。舷側に張り出す形で砲郭(ケースメイト)が片舷3か所に設けられ、2番から8番まで配置された。副武装の14cm砲は89mmの隔壁で囲まれた甲板上に片舷5基ずつ計10基が配置した。就役後のに16cm砲と14cm砲は速射砲に改造され、14cm砲2門と45cm水中魚雷発射管3門を撤去された。
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艦形
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「スファクス (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 水線下に衝角を持つ艦首から艦首甲板上に主砲の16cmライフル砲を単装砲架で並列に2基、見張り所を持つ単脚式の前部マストが建つ。その後ろに司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ艦橋が建つ。船体中央部に2本煙突が建つ。その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その周囲は艦載艇置き場となっており、それらは2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組で運用された。舷側に張り出す形で砲郭(ケースメイト)が片舷3か所に設けられ、2番から8番まで配置された。副武装の14cm砲は甲板上に片舷5基ずつ計10基が配置した。
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艦形
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「シュシェ (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に16cm単装砲が防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔の上に両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋が設けられ、艦橋を基部として前部ミリタリー・マスト1本が立つ。 船体中央部には2本煙突が立ち、その周囲は煙管状の通風筒により艦内に換気した。舷側甲板上に艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビッドが片舷4組ずつ計8組により運用された。舷側には2か所に張り出しが設けられ16cm単装砲が1基ずつ配置された。後部甲板には後部ミリタリーマスト1本と16cm単装砲が後向きに1基である。
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艦形
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船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 水線下に衝角を持つ艦首から艦首甲板上に主砲の10cmライフル砲を単装砲架で並列に2基、単脚式の前部マストが建つ。その後ろに2本煙突が建ち、その間に両脇に船橋(ブリッジ)を持つ艦橋が建つ。その周囲は艦載艇置き場となっており、それらは2本1組のボート・ダビッドが片舷1組ずつ計2組で運用された。後部甲板上に2本のマストが立ち、主砲の10cmライフル砲を単装砲架で並列に2基の順であった。
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艦形
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「シャトールノー (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状はフランス巡洋艦で長らく主流となってきたタンブル・ホーム式の船体を採用せず、没個性的な平甲板型船体となった。基本的に高い乾舷を持つ船体は外洋での凌波性は良好であった。 艦首から前向きに主砲として16cm単装砲を単装砲架で1基を配置、下部の司令塔の外周に船橋を配置して商船風に艤装している露天式の艦橋構造は商船式とし、その上に単脚式の前檣が立つ。艦橋構造の背後から等間隔に並んだ4本の煙突が立っている。本艦は通商破壊戦に使用するため計画速力23ノットを狙ったが、公試において18ノット~21ノットの速度間で船体後部が振動するトラブルがあったが、2年後の竣工にはトラブル解消して計画速力を凌駕する24.18ノットの俊足を発揮した。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇用のボート・ダビットが2本1組で片舷3組で計6組が設置された。4番煙突から後ろは艦尾甲板で簡便な単脚檣、後部船橋、後ろ向きに主砲1基が配置された。舷側には半円形の張り出し(スポンソン)が片舷辺り3箇所が設けられ、そこに14cm単装砲が片舷3基ずつ計6基配置された。
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艦形
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「レオン・ガンベッタ級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は前型と同じく高い乾舷を持つ長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。艦首から前向きに19.4cm連装主砲塔1基を配置、艦橋構造は大型化され箱型とし、その上に二段の見張り所を持つミリタリー・マストが立つ。ミリタリー・マストの頂部の見張り所は上段が探照灯台で下段に4.7cm機関砲が配置された。 艦橋の背後に4本の煙突が立っているが、ボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は2番煙突と3番煙突の間は広く取られており、間に四角形の通風筒が立っている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、舷側に艦載艇用の揚収クレーン片舷8基計16基が配置されている。4番煙突から後ろは簡便な単脚檣、後ろ向きに19.4cm連装主砲塔1基が載る。 副砲は前述の通り16.3cm速射砲18門のうち12門が連装砲塔に収められ、船体中央部の甲板上に等間隔で片舷3基の計6基が配置され、残りは単装ケースメイト配置で艦橋の左右に1基ずつ、後檣の左右に1基ずつの計4基が配置され、前方方向に最大6門、左右方向に最大8門が指向出来た。
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艦形
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「エディンバラ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
エディンバラ級の基本デザインはリアンダー級の拡大型として設計を一新しており、艦首乾舷の高い長船首楼型船体を採用している。軽いシア(反り返り)の付いた艦首甲板から15.2cm速射砲を三連装に収めた主砲塔を背負い式で2基、船体に比して大型すぎる塔型艦橋と軽量な三脚型の前部マストが立つ。 機関のシフト配置の変更のために2本煙突は艦橋から大きく後方に離され、その間は水上機施設となっており、中央甲板上に中心に対して直角に埋め込まれたカタパルトを挟んで1番煙突の基部クレーンが片舷1基ずつ計2基が配置された。これにより1番煙突の後方は対空火器が集中しており、10.2cm高角砲を連装砲架で片舷3基ずつ計6基を配置し、その下部の舷側甲板上に53.3cm魚雷発射管が三連装で片舷1基ずつ計2基配置された。構造物が嵩上げされた事により2番煙突と後部見張所と後部マストの位置が上昇し、上部構造物の上に配置された3番・4番主砲塔の位置も艦首側と同等となり後向きで2基が背負い式配置された。 2番艦ベルファストは1956年から1959年にかけてデヴォンポート工廠で近代化改装を受け、重量化するレーダーアンテナのために前後マストを複雑なラティス型マストに更新した。また、化学兵器・核兵器使用可で行動するために空調施設と洗浄装備を新たに搭載した。この時に丸みを帯びた艦橋構造はタイガー級に準じた角型の艦橋構造に一新された。
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艦形
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「メイン (ACR-1)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は艦首水面下に衝角を持ち、平甲板型船体の前後甲板上にミリタリーマストを1本ずつ配置し、中央部に箱型の操舵艦橋と2本煙突を配置した。 主武装は本艦の船体中央部に2基の連装式主砲塔を斜めに配置しており、1基の主砲が艦首から艦尾まで片舷180度+反対舷側の限定された範囲に発射できる。この配置は前方および後方には全主砲を向ける事ができるが、片舷方向には極めて限定された範囲しか向ける事ができなかった。 近代戦艦の基本形が完成するまでイギリス海軍の「コロッサス級」やイタリア海軍「カイオ・ドゥイリオ級」など各国の主力艦でかなり採用されたものの、後に艦隊が単縦陣を組むようになると、前後方向より舷側方向に対して全主砲を向けたほうが都合が良いと判明し、その後は用いられなくなった。 本艦の主機関は2基の主砲塔の弾薬庫に挟まれる形で船体中央部の主要防御区画(ボックス・シタデル)内部に配置されており、石炭専焼円筒缶を片舷4基ずつ並列に配置し計8基を備え、さらに3段膨張式レシプロ機関を左右1基ずつ、計2基を組み合わせた2軸推進である。最大出力は9,293馬力を発生・速力16.45ノットを発揮できた。石炭を896トン搭載できた。
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艦形
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「ヘルルフ・トロル級海防戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は波の穏やかなバルト海で運用するために乾舷は低かったが、凌波性を確保すべく艦首部分のみ高い短船首楼型船体であり、「ペダー・スクラム」はより艦首部の乾舷を高められていた。水面下に衝角の付く艦首から甲板1段分下がって艦首甲板上に「1893年型 24cm(45口径)ライフル砲」を収める楕円筒型の単装主砲塔が1基を配置。 その後から上部構造部が開始し、司令塔の上に設けられた露天の艦橋は左右に船橋(ブリッジ)を持つ。艦橋の背後には中段に見張り所を持つ簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に1本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風筒が大小様々に立ち並んだ。上部構造部の上は艦載艇置き場となっており、2本で1組のボート・ダビットが片舷2組ずつ計4組により運用される。上部構造物の後方に後部マストと探照灯台が立った所で上部構造部が終了し、後部甲板上に後ろ向きの24cm単装主砲塔が1基配置された。 副砲の15cm速射砲は上部構造部の四隅に位置する砲郭(ケースメイト)部に1基ずつ計4基が配置された。近接火器として5.7cm速射砲は舷側中央部に2基ずつと艦載艇置き場の外側に3ずつの計10基を配置した。他に3.7cm単装機砲がブリッジに2基ずつと探照灯基部に2基ずつ、マストの見張り所に前側2基ずつと後側に2基ずつの計4基が配置された。この武装配置のため艦首尾方向に最大で24cm砲1門・15cm砲2門・5.7cm砲2門・3.7cm砲4門が、舷側方向に最大で24cm砲2門・15cm砲2門・5.7cm砲5門・3.7cm砲4門が指向できた。 各艦の船体サイズの相違は以下の通り 艦名常備排水量常備排水量全長全幅吃水乗員数ヘルルフ・トロル 3,494トン 3.650トン 86.5m 15.1m 5.0m 254名 オルフィアツ・フィッシャー 3,592トン 3,700トン ← ← ← 256名 ペダー・スクラム 3,735トン 3,783トン 87.4m 15.7m ← 262名
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艦形
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「ヘルゴラント級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級は船体形状を船首楼型船体とした。軽構造で全体的に低いシルエットとなっている。艦橋構造物は二層構造で、棒檣構造の前檣とともに船首楼の後端寄りに設けられた。艦橋前と艦橋後方両舷の船首楼甲板上には10cm単装主砲各1基を配置した。 船首楼後方の主船体内は缶室区画で、甲板上には等間隔に4本の煙突があり、付近の両舷は端艇揚収位置となっている。船体中部から後部にかけての甲板上左右両舷に、10cm単装主砲を片舷各3基ずつ配置した。 後檣も棒檣構造で、機械室区画後方の甲板上に設けられた。45cm連装魚雷発射管3基は、4番煙突の両脇に1基ずつの計2基と後甲板の最後部に1基を配置した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:00 UTC 版)
船体は前弩級戦艦以来伝統の平甲板型である。艦首から新設計の1911年型50口径30.5cm砲を1基、司令塔を組み込んだ操舵艦橋に組込まれた単棒檣、前部艦載艇置き場、三本煙突、後部艦載艇置き場、艦載艇運用のクレーンは三番煙突を基部に二基設けられた。その中央部両舷に背中合わせ配置で主砲塔2基を計4基配置した。後部艦橋に組込まれた単棒後檣、6番主砲塔を配置した。
※この「艦形」の解説は、「ヘルゴラント級戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:18 UTC 版)
「ペトロパブロフスク級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体であるが、「ツェサレーヴィチ」と同様に強く引き絞られた特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では同時期のドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦などに多く採用された艦形である。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線面から甲板に上るに従って甲板面積は小さくなる傾向にある。これは、舷側に配された備砲の射界を船体で狭めずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 ほぼ垂直に切り立った艦首から艦首甲板に30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。 本艦のミリタリーマストは内部に階段を内蔵した円筒状となっており、頂部に見張り台が設けられた。前部ミリタリー・マストの背後には断面図が小判型の煙突が二本立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、煙突の間に片舷1基ずつ設けられたクレーン計2基により副砲塔を避けて水面に上げ下ろしされた。舷側甲板上には副砲の15.2cm速射砲12門のうち8門を連装式の副砲塔に収めて背中わせに片舷2基ずつ計4基、残り4門を副砲塔2基の間の舷側ケースメイト(砲郭)配置で2基ずつ計4基4門を配置した。艦載艇置き場の後部には後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上に30.5cm連装主砲塔が後向きに1基配置された。この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲2門・15.2cm砲4門が指向でき、左右方向には最大30.5cm砲4門・15.2cm砲6門が指向できた。
※この「艦形」の解説は、「ペトロパブロフスク級戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:12 UTC 版)
本級の船体形状は、前艦に引き続き高い乾舷を持つ長船首楼型船体であり、外洋での凌波性は良好であった。艦首から前向きに連装タイプの1番主砲塔1基を配置し、そこから甲板よりも一段高められた上部構造物の上に艦橋構造が配置される。艦橋は下部に司令塔を持つ箱型に簡略化されており、この背後に頂上部に見張り所を持つ三脚型の前部マストが立つ。 上部構造物は2本煙突を両側から挟み込むように、舷側甲板上に2番・3番主砲塔を片舷1基ずつの2基を配置するため、中央部側面が大きく凹まされていた。この主砲配置のため、従来艦と異なり、艦載艇は煙突の周囲の限られたスペースに配置せざるを得なくなった。艦載艇は、三脚檣の主檣の基部に設けられたボート・ダビットで運用された。 2番煙突から後方で上部構造物は終了し、その下から後部甲板が始まる。後部甲板上に後ろ向きで4番・5番主砲塔が後部マストと後部見張り所を挟んで等間隔に2基配置された。副砲の10.2cm速射砲は単装砲架で主砲塔上に大部分が設置されたが、一部は艦橋の側面や2番煙突の基部等の上部構造物の側面にケースメイト(砲郭)配置された。 第一次世界大戦後は7.6cm高角砲および10.2cm高角砲の設置、1番・5番主砲塔上に滑空台を設置して陸上機を運用できるようにした。
※この「艦形」の解説は、「ベレロフォン級戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 15:04 UTC 版)
「ベインティシンコ・デ・マヨ級重巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状はトレント級重巡洋艦を元にしているが元設計の平甲板型ではなく乾舷の高い長船首楼型船体で凌波性は良好であった。やや傾斜したクリッパー型の艦首甲板の内部には水上機2基を格納しておける格納庫が設けられており、甲板上に引き出された水上機は艦首甲板に埋め込まれたカタパルトにより射出し、右舷側に設けられたクレーンで揚収された。 その後に主砲としてOTO 1931年型 19cm(52口径)砲を連装砲塔に収めて背負い式配置で2基を配置。三脚式の前檣には三段の見張り所が設けられ、頂上部に測距儀を配置した。舷側甲板上にはOTO 1930年型 10cm(47口径)高角砲が連装砲架で等間隔に片舷3基ずつ計6基配置されていた。そこから甲板1段分下がって19cm連装砲塔が後向きに1基が配置された。 就役後に運用実績に基づいた改装が行われ、前部マストの高さを減じると共に後部マストが高くされた。1937年には艦首の格納庫が廃止され、替りに1939年に煙突の背後に旋回式のカタパルトが新設された。また同時期に煙突の上部が延長されて高くなった。1940年代にイギリス製の285型レーダーが装備された。 1950年6月には4cmポンポン砲の全てが撤去され、新たにボフォーズ 4cm(56口径)機関砲が連装砲架で4基が搭載された。更に1956年には10cm高角砲が減じられ、水上機施設を撤去してボフォーズ 4cm連装機関砲が6基追加された。
※この「艦形」の解説は、「ベインティシンコ・デ・マヨ級重巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
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「ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は艦首から第三主砲塔下部まで全く傾斜(シア)のない甲板が続く長船首楼型船体を採用している。艦首甲板上に新設計の「OTO 1934年型 38.1cm(50口径)砲」を三連装砲塔に収め、1番・2番主砲塔を背負い式に2基を配置、その後にプリエーゼ将軍の考案による直径の異なる円筒を積み重ねたような特徴的な塔型艦橋が立つ。プリエーゼ将軍が手掛けたライモンド・モンテクッコリ級軽巡洋艦の発展系であり、彼は日本海軍の改装戦艦(パゴダマスト)や重巡の艦橋について「八方美人的で個性がなく、平時の訓練には便利だが、実戦には向かない。」と評価したという。本級の艦橋の構成は上から装甲射撃方位盤室、上下2段に重ねられた装甲7.2m測距儀塔、戦闘艦橋、操舵艦橋の順で、艦橋全体が装甲で覆われているために司令塔は設けられていない。艦橋の後部にはアンテナ線を展開するためのポール・マストが立ち、船体中央部に頂上部にファンネル・キャップを持つ2本煙突が立つ。2番煙突の後部から艦載艇置き場となっており、円筒を積み重ねたような形状の後部艦橋の基部に付いたクレーン1基により運用された。なお、この時期のイタリア海軍は大型のゴムボートを艦載艇の一部として運用しており、これを後檣の基部に立てかけたり、副砲塔の上に置いて甲板スペース節約に努めていた。 3番主砲塔はタービン・シャフトをクリアするために最上甲板の終端部に一段高められて後向きに1基が配置され、そこから甲板一段分下がった後部甲板上に水上機射出用のカタパルト1基と水上機用のクレーン1基が配置された。本艦の副砲の「OTO 1936年型 15.2cm(55口径)速射砲」を新設計の三連装砲塔に収め、艦橋と3番主砲塔の側面部に1基ずつの計4基を配置していた。艦首側副砲塔の後方の舷側甲板上に「Ansaldo and OTO 1939年型 9cm(50口径)高角砲」が断片防御程度の装甲で出来た円筒形の防盾を付けられた単装砲架で片舷6基ずつ計12基を配置していた。この武装配置により艦首方向に最大で38.1cm砲6門、15.2cm砲6門を、舷側方向に最大で38.1cm砲9門、15.2cm砲6門、9cm砲6門を、艦尾方向に最大で38.1cm砲3門、15.2cm砲6門を指向できた。舵は主舵を中央に1枚と副舵を外軸と内軸の間に1枚ずつの計2枚を配置していた。
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艦形
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「キング・ジョージ5世級戦艦」の記事における「艦形」の解説
艦首形状は垂直に切り立った形状であり、凌波性が劣っていた。前級と同様に主砲塔を艦首方向へ仰角0度で射撃可能という要求を満たすために艦首甲板上のシア(反り返り)は全くなく、冬の北大西洋では艦首で砕けた波浪が1番主砲塔だけではなく、2番砲塔基部まで降り注いだ。 艦橋構造は前級から用いられた塔型艦橋をベースに、大戦間にクイーン・エリザベス級で行われた近代化改装の技術蓄積にならい、これまでの戦艦で用いられた重装甲の司令塔を廃して、小口径弾に対応する程度の装甲を施した一体型の塔型艦橋となり、下から操舵艦橋・上部艦橋・将官艦橋の順に構成され、頂上部の見張り所の上に主砲用4.58m測距儀が1基、その左右に副砲用測距儀が並列に1基ずつ計2基が三角形状に配置され、その間に対空管制室が設けられている。 艦橋の背後に簡素な前向きの三脚式の前部マストが立ち、2本煙突は機関のシフト配置により前後に離され、煙突間には首尾線に対し垂直に左右に伸びるカタパルトが設けられており、水上機は左右どちらにも射出が出来た。2番煙突の後部は艦載艇置き場になっている。2番煙突の基部には橋桁型クレーンが片舷1基ずつ計2基が設置されており、水上機の回収や艦載艇の運用に用いられた。船体後部には後部艦橋が設けられ、三脚式の後部マストが後向きに立つ。後部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基が配置された。 消磁コイルは後に艦内方式に改められている。 デューク・オブ・ヨーク。凌波性の不足が良く判る写真。 1941年に行われたソ連への船団護衛時に撮影されたアンソン。艦首で砕けた波が主砲塔2基にまで届いて結氷した。 1941年に撮られたプリンス・オブ・ウェールズ。
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艦形
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「ファー・ディ・ブルーノ (モニター)」の記事における「艦形」の解説
従来のモニター艦は船体は主砲塔を最低限の航行能力を持っていたが、本艦の特徴としてハシケを利用したために上面から見て完全な長方形で抵抗の強い船体形状であった。このためにMTBから流用した機関をもってしても速力3ノットが限度であった。その代わり、陸上砲台からの攻撃を考慮して船体中央部にバーベットが配置され、主砲塔装甲と別個で天蓋には半円形の装甲板が追加され、甲板形状も中心線上から水面上に向かってゆるく傾斜させ整形されていた。 主砲塔の後方に三脚型の主マストが立ち、頂上部に測距儀を設置した見張り所が設けられていた。その後方に操舵艦橋と1本煙突が立つ以外は射界を制限する物はなかった。
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艦形
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ラペルーズの艦首 ラペルーズの中央部 ラペルーズの艦尾 本級の船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 ラペルーズの艦首14cm単装砲2基 ラペルーズの艦尾14cm単装砲1基 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体でブリッグ形式の帆走用マストを3本供えていた。水面部が突出した艦首から艦首甲板上に主砲の14cm単装砲が旋回砲架に載せられて並列に2基、船体中央部に防楯の付いた単装砲架で片舷6基ずつ、艦尾側に14cm単装砲が旋回砲架に載せられて1基の計15基である。1番マストと2番マストの間に船橋(ブリッジ)が設けられて中央部に露天の操舵艦橋となっている。船体中央部の1本煙突は「プリモゲ」のみ細身2本煙突であった。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、船体中央部の舷側に2本1組のボート・ダビットが片舷2組の計4組により運用された。後部甲板上に3番マストの順である。
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「ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状はこの当時の列強主力艦と同じく、排水量に比較して凌波性を良くするために乾舷が高められた平甲板型船体を採用している。水面下に衝角の付く艦首から全く傾斜のない艦首甲板上に「クルップ 1902年型 24cm(40口径)砲」を収めた主砲塔が1基、司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ箱型の艦橋、簡素な単脚式の前檣、1本煙突の周囲には煙管型の通風筒が立ち、煙突の後部は艦載艇置き場となっており、2本1組で片舷2組ずつのボート・ダビットにより運用される。簡素な単脚式の後檣、そこから一段下がって後部甲板上に後ろ向きの24cm単装主砲塔の順である。副砲の15cm単装砲は単装砲架で片舷3基ずつ計6基を装備した。副砲は首尾線方向への射界を少しでも得るために船体の一部を切り欠いている。この武装配置により艦首尾方向に24cm砲1門、15cm砲2門が、舷側方向に24cm砲2門、15cm砲3門が指向できた。
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艦形
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「ボルツァーノ (重巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の原型はトレント級であるが、各部にザラ級の影響が色濃く出ている。艦首水線下には引き続きバルバス・バウを採用していた。艦首甲板上に1・2番主砲塔を背負い式で2基が配置された。操舵艦橋は内部容積拡大のため大型化し、上部に五脚檣を載せた塔型艦橋となった。この五脚檣と1番煙突との間に起きる乱流により煤煙が逆流しやすかったため、塔型艦橋と1番煙突の側面を一体化して煤煙の逆流を防いでいた。これはザラ級のポーラに倣った構造である。五脚檣の構成は頂上部に測距儀を載せ、中部に戦闘艦橋を配置していた。 艦橋の背後には機関のシフト配置のために前後が離された2本煙突が立つが、ここには新設の旋回式カタパルト1基が配置された。前級までは艦首甲板にカタパルトを埋め込んでいたが、水上機射出時に艦首からの風を受けて発艦するには都合が良かったが、海が荒れると波浪が艦首甲板を荒い、発艦作業を妨げる欠点があった。本級はこの欠点を是正した。水上機は露天で3機まで置けた。このため、艦載艇は2番煙突の周囲に配置され、水上機と艦載艇の運用には2番煙突前方に立つ後部三脚檣の基部に付いたクレーン1基により運用された。 舷側甲板上には高角砲が防盾付きの連装砲架で片舷4基ずつ計8基が配置されていた。2番煙突後方の後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲塔が背負い式に2基配置した。艦尾水面下には中央に大型の一枚舵を挟むように片舷2軸ずつ計4軸にスクリュープロペラが付いていた。
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艦形
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「ミナス・ジェライス級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本設計を「ドレッドノート」に採っていたが、船体形状は同世代のイギリス海軍の弩級戦艦が採用していた短船首楼型でなく、工事が容易な平甲板型船体を採用していた。水面下に衝角(ラム)を持つ艦首から艦首甲板上に「1908年型 Mark X 30.5cm(45口径)砲」を連装式の主砲塔に収めて背負い式に2基を配置。艦上構造物のレイアウトは「ドレッドノート」に準じており、司令塔を下部に組み込む操舵艦橋の背後に2本煙突が立ち、その間には後向きの三脚式の前部マストが立つ。この配置のために主マストは前後を煙突に挟まれ事になり、頂上部の見張り所は高温の煤煙の直撃に悩まされた。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、主マストを基部とするクレーン1基と片舷1基ずつ計2基付いたデリックにより運用された。舷側甲板の中央部には3番・4番主砲塔が前後にオフセットして片舷1基ずつ配置されていたが、艦上構造物があるために反対舷への射撃は不能であった。2番煙突の背後に後部司令塔が設けられ、それを基部として背の低い三脚式の後部マストが立ち、後部甲板上に5番・6番主砲塔が背負い式に2基が配置された。 本級には原型にはない副砲が竣工時からあり、「1909年型 12cm(50口径)速射砲」を艦上構造物の四隅に上下に2基ずつ配置して甲板上に8門を配置、舷側中央部にケースメイト配置で片舷7基を配置していたが端部の4門の首尾線方向の射界を得るために船体を切りかいていた。この武装配置により艦首尾方向に最大で30.5cm砲8門と12cm砲6門、左右方向に最大で30.5cm砲10門と12cm砲11門を向けることが出来た。 ネームシップの「ミナス・ジェライス」のみ1920年代に近代化改装を受けており、外見上の相違点では老朽化した主機関を更新した際に、その際に問題があった2本煙突を撤去して主マストの後方に新たに大型の1本煙突に建て替えた点である。 艦橋の背後の煙突が撤去されたために艦橋構造を大型化でき、細かい所では操舵艦橋が測距儀を載せた上下二段となり、前部マスト頂上部の露天であった見張り所は密閉化されて射撃方位盤室が設けられた。方位盤室の下には僚艦に射撃諸元を指示する時計型のレンジ・クロック(距離時計)が設置された。レンジ・クロックとは本来は測距儀と射撃方位盤で計算した射撃諸言を砲員に視覚的に示すメーターであるが、艦隊行動時に僚艦に敵艦への針路と距離を示す大型の物であった。 主マストの脚には三段の見張り所が設けられ、1段・2段目には探照灯が設置され、3段目は船橋(ブリッジ)化して艦橋と接続されていた。他に後部司令塔上の三脚マストは後部艦橋が設けられた代わりに十字型の簡素なマストに交換された。斉射時に爆風被害の有った艦上構造物の12cm副砲8基は撤去し、船体中央部ケースメイト配置だけの14基に減じられた。
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艦形
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「ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状はフランス近代巡洋艦伝統の船首楼型船体で、水面からクリッパ―型艦首の甲板までの乾舷は高く、本級の凌波性能が高いことをうかがわせる。軽くシア(甲板の傾斜)の付いた艦首甲板から本級より新設計の「1935年型 15.2cm(55口径)速射砲」を三連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、司令塔を組み込んだ艦橋を基部に持つ軽量な三脚型の前部マストが立った所で船首楼が終了し、そこから甲板一段分下がった船体中央部の2本煙突が立つ。 2本煙突の間隔は広く取られて間に艦載艇揚収クレーンが片舷1基ずつ計2基あり、その左右が艦載艇置き場となっている。なお、舷側甲板上に「1930年型 9cm(50口径)高角砲」を連装砲架で片舷2基ずつの計4基あり、その連装高角砲に挟まれる様に55cm連装水上魚雷発射管を片舷1基ずつ計2基装備した。2番煙突の背後に箱型の水上機格納庫があり、屋根から簡素な単脚式の後檣が生え、その左右には水上機揚収クレーンが計2本生える。 水上機格納庫のシャッターは3番主砲塔に向かって左右に別々に開く。その3番主砲塔の天蓋部に水上機射出カタパルトが乗る。艦尾形状は切り落としたかのようなスターン・バウで、艦尾上端部にハイン・マットと呼ばれる水上機揚収施設が内蔵されている。なお、艦尾にも水上機揚収クレーンが1基付く。 1942年11月27日のトゥーロン港自沈で本級3隻が失われた。残った3隻は自由フランス軍に所属する。1943年にグロワール (Croiseur Gloire) 、ジョルジュ・レイグ (Croiseur Georges Leygues) 、モンカルム (Croiseur Montcalm) は13.2mm連装機銃全てと水上機施設と後部マストを撤去し、ボフォース 4cm(56口径)四連装機関砲6基とエリコン 2cm(76口径)単装機銃6基(「モンカルム」は12基)を追加して対空火器を強化し、SA・SF型レーダーを搭載した。
※この「艦形」の解説は、「ラ・ガリソニエール級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:36 UTC 版)
船体は短船首楼型船体であった。クリッパー型艦首から乾舷の高い艦首甲板上に13cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で背負い式に2基を配置、2番主砲の基部から上部構造物が始まり、その上に測距儀を載せた箱型の艦橋の両脇に船橋(ブリッジ)を設けた。艦橋と簡素な三脚式の前部マストが立った所で船首楼は終了し、甲板一段分下がって3本煙突が立つ。その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基で運用された。3番煙突の後部に船体中央部に55cm三連装魚雷発射管が直列に2基が配置された。後部甲板上に後部マストが立ち、その背後に13cm主砲が後ろ向きに背負い式で2基配置された。
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「アルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級は高速を発揮を発揮しやすくするために同時期のイギリス海軍の巡洋艦と同じく縦横の比率の強い細長い船体形状を採用し、復元性を良くするためにタンブル・ホーム型の船体を採っていた。艦首浮力のために水線下が突出した艦首から艦首甲板上に箱型の連装砲塔に納めた1・2番主砲塔を背負い式で2基配置。塔型艦橋を基部として頂上部に測距儀を載せた前部三脚檣が立つ。艦橋の背後には2本の煙突が立つが機関のシフト配置のために前後が離されており、間には高角砲が防盾付きの連装砲架で並列に3基が配置されていた。2番煙突の周囲が艦載艇置き場となっており、後部三脚檣の基部に付いたクレーン1基により運用された。後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲塔が背負い式に2基配置された。 小型の船体に重武装を施したために建造後に後部三脚檣を単脚マストに改造し、後部測距儀を撤去せざるを得なかった。
※この「艦形」の解説は、「アルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
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「エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
水線下にバルバス・バウを持つ突出した艦首から艦首甲板上に1・2番主砲塔を背負い式で2基配置。前級に引き続き艦橋構造はウンベルト・プリエーゼ造船中将考案の円筒型艦橋であるが窓の周囲に遮風装置が設けられた点が異なる。艦橋の背後には2本の煙突が立つが機関のシフト配置のために前後が離されており、間には水上機射出用の旋回式カタパルトが1基配置された。1番煙突の左右に53.3cm三連装魚雷発射管が片舷1基ずつの計2基配置した。2番煙突の前部に後部三脚檣が立ち、2番煙突の周囲が艦載艇置き場となっており、後部三脚檣の基部に付いたクレーン1基により水上機と艦載艇は運用された。後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲塔が背負い式に2基配置した高角砲は防盾付きの連装砲架で2番煙突後方の舷側甲板上に片舷1基ずつと、3番主砲塔の前方に1基の計3基が逆三角形状に配置された。 大戦中の1943年に魚雷発射管、航空艤装、13.2mm機銃が撤去され、かわりに2cm機銃が12門搭載された。
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「ライモンド・モンテクッコリ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
水線下にバルバス・バウを持つ突出した艦首から艦首甲板上に1・2番主砲塔を背負い式で2基配置した。本級から艦橋構造はウンベルト・プリエーゼ造船中将考案の円筒型艦橋に更新され、同海軍の近代化改装後の弩級戦艦「コンテ・ディ・カブール級」に似た頂上部に断片防御程度の防盾が施された測距儀を載せた円筒型艦橋が立つ。艦橋の背後には2本の煙突が立つが機関のシフト配置のために前後が離されており、間には水上機射出用の旋回式カタパルトが1基配置された。1番煙突の左右に53.3cm連装魚雷発射管が片舷1基ずつの計2基配置した。2番煙突の前部に後部三脚檣が立ち、2番煙突の周囲が艦載艇置き場となっており、後部三脚檣の基部に付いたクレーン1基により水上機と艦載艇は運用された。後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲塔が背負い式に2基配置した高角砲は防盾付きの連装砲架で2番煙突後方の舷側甲板上に片舷1基ずつと、3番主砲塔の前方に1基の計3基が逆三角形状に配置された。 本級のうち戦没を免れた「ライモンド・モンテクッコリ」は大戦後に塔型艦橋の測距儀を交換し、中段の左右に船橋を設け、艦橋の後部から新たに前部マストが立てられ、前後マスト上にレーダーアンテナが設置された。後に2番主砲塔を撤去して機関砲を増設した。
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艦形
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本級の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体であるが、「ツェサレーヴィチ」と同様に強く引き絞られた特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では同時期のドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦などに多く採用された艦形である。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線面から甲板に上るに従って甲板面積は小さくなる傾向にある。これは、舷側に配された備砲の射界を船体で狭めずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 ほぼ垂直に切り立った艦首から艦首甲板に30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。 本艦のミリタリーマストは内部に階段を内蔵した円筒状となっており、頂部に見張り台が設けられた。前部ミリタリー・マストの背後には断面図が小判型の煙突が二本立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、U字状のガントリー式クレーンにより副砲塔を避けて水面に上げ下ろしされた。 艦載艇置き場の後部には後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上に30.5cm連装主砲塔が後向きに1基配置された。本艦の舷側甲板は存在せず、連装式の15.2cm副砲塔は前後艦橋の側面部に1基ずつと船体中央部の張り出し部に1基ずつで片舷3基計6基が配置された。この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲2門、15.2cm砲8門が指向でき、左右方向には最大30.5cm砲4門、15.2cm砲6門、7.5cm砲10門が指向でき強力な火力を誇っていた。
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艦形
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「デストレ級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状はフランス巡洋艦で長らく主流となってきたタンブル・ホーム式の船体を廃止し、没個性的なデザインとなった。基本的に高い乾舷を持つ平甲板型船体で外洋での凌波性は良好であった。 艦首から前向きに主砲として14cm単装砲架1基を配置、下部に司令塔を組み込んだ露天式の艦橋構造は箱型とし、その上に単脚式の前檣が立つ。艦橋構造の背後から2本の煙突が立っているが、フランス海軍ではボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は2番煙突と3番煙突の間は広く取られ、間に単脚式の中央檣が立っつが竣工後に撤去された。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇用のボート・ダビットが片舷2基で計4基で運用される。2番煙突から後ろは後部船橋、簡便な単脚檣、後ろ向きに主砲14cm砲1基が載る。舷側には半円形の張り出し(スポンソン)が二箇所設けられ、そこに10cm単装砲が片舷2基ずつ計4基配置された。
※この「艦形」の解説は、「デストレ級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 13:44 UTC 版)
「カピターニ・ロマーニ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は前級までの長船首楼型船体とは異なり、強いシアを有する平甲板型船体とした。前後甲板に、本級から採用された新設計の1938年型13.5cm(45口径)主砲の連装砲塔を背負い式で各2基配置。1・2番主砲塔の後方には円柱型の測距儀を載せた塔型艦橋と軽量な三脚檣構造の前檣がある。その後方の二本の煙突の間には端艇揚収クレーンがあり、2番煙突の前後が端艇揚収位置となっている。 2番煙突前後には連装魚雷発射管を上下に配置した変形53.3cm四連装魚雷発射管が2基配置されている。発射管この形態はスペース節約のためのものであったが、実用性はよくなく不評であった。この発射管は両舷に発射可能であるため、片舷8本の魚雷を射出可能である。 煙突の両脇から艦尾にかけて、機雷の投下軌条が左右あわせて二対設けられている。 就役後の1943年には、「アッティオ・レゴロ」と「シピオーネ・アフリカーノ」に国産のEC.3型レーダーが搭載された。 「サン・ジョルジョ」と「サン・マルコ」は1963年から1965年にかけて候補生130名を収容できる練習艦に改装され、レーダーを最新のものに改めるとともに艦橋が箱形となったほか、機関をCODAG形式に改められるなどの近代化改装を受けて艦容が一変した。主砲は12.7cm(38口径)高角砲を連装砲架で3基、近接火器としてボフォーズ 4cm(56口径)機関砲を四連装砲架で2基と連装砲架4基に改められた。他に対潜兵装としてランチア・バス3連装対潜迫撃砲1基と爆雷投射機4機が搭載された。 1962年に撮影された「サン・マルコ」。 1959年に撮影された「サン・マルコ」。
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艦形
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「ワスプ (CV-7)」の記事における「艦形」の解説
ワスプは艦首と艦尾のみ乾舷の高い船体形状であったが、ヨークタウン級で問題となった上部構造物の大型化に起因する船体傾斜に対応するため船体形状が左右で異なるという特徴があった。艦首形状は鋭角なクリッパー型艦首で上端から側面にかけてブルワーク(波除けの板材:Bulwark)を設けるなど従来の空母よりも凌波性の向上に努めており、レンジャーとヨークタウン級の艦首部の高さが約12.2mであったのが本艦において約13.7mまで高くされており凌波性は良好だった。強度甲板である飛行甲板から機関室の上面である下甲板まで合計1枚の甲板が設けられていた。3段目の甲板に格納庫が設けられ、その両側に側壁を立てて飛行甲板を設置していた。
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艦形
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主行動海域であるアドリア海は、波が穏やかであるものの島嶼が多く、随所に狭水道が存在する環境であることから、これに適合した比較的小型の艦形とし、速力は同時期の他国の戦艦より高速である。 艦首には衝角が設けられていた。前甲板に連装砲塔に収められた24cm主砲1基を配置。艦中央部に艦橋、ミリタリー・マスト式の単脚式の前後檣、2本の煙突があった。煙突周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その間が艦載艇収容スペースとされた。後部甲板上には後ろ向きに24cm単装主砲塔が配置された。副砲(15cm単装砲)は、舷側ケースメイト配置とし、舷側に等間隔で上下に2基ずつ3箇所の片舷計6基の配置で計12基を搭載した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:09 UTC 版)
艦首甲板に主砲塔3基を背負い式配置したためにトップヘビーであったため、本級では3番砲塔を廃止して跡地には4cm四連装ポンポン砲1基を配置して13.3cm連装高角砲4基となった。これと共に艦橋を一段、低くして低重心化された。また後方に傾斜していた前後マストと2本煙突は直立して外観のイメージが変わった。 ベローナ級はエディンバラ級軽巡洋艦の流れをくむ長船首楼型船体となっていた。これは凌波性を保ちつつ建造費を安価にすべく鋼材を節約する工夫であった。水線部ではイギリス条約型重巡洋艦の流れを汲む典型的なは船体長を長くとり、船体の幅を抑え水の抵抗を少ない船体形状で少ない機関出力でも高速を出しやすい形状であった。 垂直に切り立った艦首から全くシア(反り返り)の無い艦首甲板上に13.3cm高角砲を収めた連装式の主砲塔が背負い式配置で2基配置され、2番砲塔の基部から上部構造物が始まり、近接火器として4cmポンポン砲を四連装砲架で1基を配置した。測距儀と対空測距儀を載せた塔型艦橋と三脚型の前部マストが立つ。船体中央部には2本煙突が前後に間隔を空けて立てられ、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷に1組ずつ計2組により艦載艇は運用された。 舷側甲板上には4cm四連装ポンポン砲が片舷1基ずつ配置され、2番煙突の基部には282型レーダー付き射撃管制装置を載せた対空指揮所が設けられた。舷側ポンポン砲の後方に対艦攻撃用の53.3魚雷発射管が三連装で片舷1基ずつ計2基が舷側甲板上に配置された。後部三脚型マストの後方に3番・4番主砲塔が後向きの背負い式で2基が配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 22:08 UTC 版)
「ペンシルベニア級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体構造は平甲板型船体で、艦首から順に構造を記述すれば、艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付き、艦首甲板上に20.3cmライフル砲を楔形の連装砲塔で1基を配置。その背後から上部構造物が始まり、司令塔を組み込んだ操舵艦橋を基部として見張り所に単装機砲を配置するミリタリーマストが立つ。船体中央部に4本煙突が立ち、その周囲は煙管状の通風筒が立ち並び、舷側は艦載艇置き場となっており、その運用はグース・ネック(鴨の首)型のクレーン2基で運用された。 後部マストが立った所で上部構造物が終了し、甲板一段分下がった後部甲板上に20.3cm主砲塔が後ろ向きに1基配置された。舷側には15.2cm速射砲が上部構造物の四隅に1基ずつと舷側ケースメイト(砲郭)配置で5基ずつの片舷7基ずつ計14基が配置された。他に近接火器として7.6cm速射砲が上部構造物と舷側甲板上に計18基を配置していた。 就役後の1909年から1911年にかけて前部マストを籠状マストにする改装が行われ、この時に主砲を新型の「Mark6 20.3cm(45口径)砲」を連装砲塔で2基に更新した。この年にペンシルベニアは後部甲板上に飛行甲板を仮設して陸上機の発艦・着艦試験が行われた。 1914年から1919年にかけて15.2cm速射砲を「ピッツバーグ(旧ペンシルベニア)」は6基、「ハンティントン(旧ウエスト・バージニア)」「プエブロ(旧コロラド)」は10基が撤去され、他に7.6cm速射砲を6~8基を撤去した。対空火器として「7.6cm(50口径)高角砲」が単装砲架で2基を搭載した。この時に「プエブロ(旧コロラド)」はボイラーがニクローズ式からバブコックス&ウィルコックス式16基に改められた。1917年2月に「ハンティントン」は後部甲板上に飛行機滑走台が設置され、水上機4機と気球1つが試験運用された。 第一次世界大戦後の1922年に「ピッツバーグ(旧ペンシルベニア)」ではボイラー4基が撤去されたのに伴い、前部マストに近い煙突1本が撤去されて3本煙突となった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:18 UTC 版)
本級の基本構造は吃水の浅い平甲板型船体で、全く甲板の傾斜の無い艦首から主砲として防盾付きの「10.5cm(40口径)速射砲」を単装砲架で1基を配置し、背後に簡素な単脚式のマストが立つ。船体中央部には上部に司令塔を置いた箱型艦橋の背後に2本煙突が立ち、周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は舷側に2本1組のボート・ダビットが3組付いており、これで運用された。艦尾甲板上には簡素な単脚式のマストが1本立ち、その後部に10.5cm単装速射砲が1基配置されていた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 07:21 UTC 版)
「ベオグラード級駆逐艦」の記事における「艦形」の解説
本級の「ザグレブ」の模型 本級の「ザグレブ」の模型 本級の船体は艦首乾舷の高い短船首楼型船体で外洋での凌波性の良好なクリッパー式艦首を持っていた。艦首甲板上に「12cm(46口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で背負い式に2基、その後ろに近代的な箱型の艦橋と単脚式の前部マストが立ったところで船首楼が終了し、一段下がった中央部に2本煙突が立つ。煙突の周りは艦載艇置き場となっており、片舷2組ずつのボート・ダビッドにより運用された。2番煙突を基部に立つ後部マストの下の中央部甲板上に55cm魚雷発射管が三連装で直列に2基が配置されていた。後部甲板上に3番・4番主砲が後向きに背負い式に2基配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 21:09 UTC 版)
「アレッサンドロ・ポエリオ級駆逐艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は艦首乾舷のみ高い短船首楼型船体である。艦の構造を前部から記述すると、艦首甲板上に主砲の10.2cm速射砲を単装砲架で1基配置、その背後に操舵艦橋と簡素な前部マストが立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビッドが片舷1組ずつ計2組により運用された。舷側部には2か所の張り出しが設けられ10.2cm速射砲が片舷2基ずつ配置された。2番煙突の後方の中央甲板上に45cm連装魚雷発射管が直列で2基配置され、後部マストと後部見張所を挟んで後部甲板上に6番主砲が1基配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 06:01 UTC 版)
「ツェンタ級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は乾舷の低い平甲板型船体である。新造当時は帆走も考慮し、前後マストに帆桁が設けられていた。船体中央部には2本の煙突が設けられた。 主砲は、前後甲板に各1基、舷側部にケースメイト配置で片舷3基配置された。
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艦形
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「アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
ドイツ海軍の近代巡洋艦で主流であった長船首楼型船体から一転して、艦首から艦尾までが一直線の上甲板で結ばれる平甲板型船体に改められていた。これは複雑な加工を要する船首楼型よりも平甲板型のほうが船殻重量が軽減でき、工事も容易であるためである。また船体中央部は平坦な形状であった。艦隊の構造は縦肋骨方式で船体は水密隔壁により14つのブロックに分けられており、船体の72%が二重底で艦首の水線下はバルバス・バウとなっていた。 各艦の船体サイズの相違は以下の通り 艦名基準排水量満載排水量全長水線長全幅吃水アドミラル・ヒッパー 14,050トン 18,200トン 202.8m 195.5m 21.3m 7.7m ブリュッヒャー ← ← 203.2m ← 22.0m 7.2m プリンツ・オイゲン 14,680トン 18,750トン 207.7m 199.5m 21.7m 7.2m ザイドリッツリュッツオウ 14,240トン 19,800トン 210.0m ← 21.8m 7.9m
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/08/15 02:58 UTC 版)
「デンマーク (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は3本のマストと一本煙突を持つ装甲フリゲートとしてデンマークはコペンハーゲン海軍造船所で建造された。艦首水面下に水平に突き立った衝角を持つ。水線部に最大厚124mmの鉄製装甲が貼られた。船体中央部の上部構造物内にボックスシタデルが配置された。ボックスシタデルとは弾薬庫や機関を守るために箱状似に装甲を配置する当時の防御様式で、本艦は254mmもの厚さを持つ装甲をリベットで組み立てられていた。その内部には60ポンド単装砲6基と24ポンド単装砲8基を配置していた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:15 UTC 版)
「カナリアス級重巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状はイギリス条約型重巡洋艦の流れを汲む、水面から乾舷が高い典型的な平甲板型船体である。船体形状は船体長を長くとり、船体の幅を抑えて水の抵抗を抑える形状で、これは少ない機関出力でも高速を出しやすい形状とした。また、乾舷が高いということは外洋航行時の凌波性にも良好な性質が出るので巡洋艦には最適な艦形であった。本級の設計においては、ケント級よりも顕著で全長は4m程長く、幅は1.3m狭くなっていた。 上部構造物では。艦橋構造はケント級重巡洋艦で採用された塔型艦橋である。操舵艦橋を前方に張り出したタイプシップと異なる設計である。また、この時代の英国軍艦としては珍しく集合煙突を採用しているのが大きな特徴である。無論、集合煙突の採用自体は列強では珍しくはないが、重巡洋艦で外見でそれと判るように煙突を纏めたのは大日本帝国海軍くらいで、他国は結合した煙路を船体内に隠すか煙突の下部のみ露出させるのが一般的であった。しかし、本級では甲板上で2本の煙突を途中で結合させた特異な形状をしており、2つ目の外観上のポイントとなっている。元来、イギリス海軍は自国艦は保守的に、海外に輸出する艦では新機軸をテストする傾向が強かったが、本級もそれに倣ったものである。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 16:37 UTC 版)
「ブラウンシュヴァイク級戦艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は波の穏やかなバルト海での運用が主であるため、海防戦艦的な水面から乾舷までが低い平甲板型船体を採用した。水面下に衝角(ラム)の付いた艦首から艦首甲板上に28cm砲を収めた連装砲塔1基を直置きした。その背後から上部構造物が始まり、基部に司令塔を組み込んだ操舵艦橋と前部ミリタリー・マストが立つ。船体中央部に等間隔に立つ3本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、煙突の間の片舷1本ずつのグース・ネック(鴨の首)型クレーン計2基により運用された。3番煙突の背後に後部ミリタリー・マストと後部司令塔が1基ずつ立った所で上部構造物が終了して、後部甲板上に2番主砲塔を後向きに1基配置した。 副砲の17cm単装砲は舷側甲板上に砲塔形式で2基、舷側ケースメイト配置で5基ずつの片舷7基で計14基を配置した。この武装配置により艦首方向に最大で28cm砲2門・17cm砲4門、舷側方向に最大で28cm砲4門・17cm砲7門、艦尾方向に最大で28cm砲2門・17cm砲4門が指向できる計算であった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:13 UTC 版)
本型の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で艦首水面下に衝角の付く艦首から艦首甲板上に「アームストロング 20.3cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、その背後から上部構造物が始まり、前部探照灯台を基部として前部ミリタリー・マストが立ち、前後のミリタリー・マストには頂上部と中部の2段の見張り所が設けられていた。マストの背後に下部に司令塔を組み込んだ操舵艦橋の両脇には船橋(ブリッジ)が設けられていた。 船体中央部に2本煙突が立ち、煙突の周囲は煙管型の通風筒が立ち並ぶ艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組で運用された。後部ミリタリー・マストと後部見張り所で上部構造物が終了し、そこから一段分下がった後部甲板上に後ろ向きで2番主砲が1基配置された。 舷側甲板上には副砲の「12cm(40口径)速射砲」が防盾の付いた単装砲架で等間隔に片舷5基ずつ計10基が配置された。対水雷艇用に4.7cm速射砲が4基が前後ミリタリー・マスト中段の見張り所に2基ずつと、舷側部には片舷に艦首と艦尾に1基ずつと船体中央部に4基ずつの計12基を配置していた。この武装配置のため艦首尾方向に最大で20.3cm砲1門・12cm砲2門・4.7cm砲3門が、舷側方向に最大で20.3cm砲2門・12cm砲5門・4.7cm砲6門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 14:50 UTC 版)
「ヴィースバーデン級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は前級に引き続き長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に強く傾斜したクリッパー型の艦首から中央部が狭い艦首甲板上に波きり板を設けた後ろに主砲の15cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1番2番主砲を並列配置で2基、その背後に司令塔を基部とする船橋(ブリッジ)をのせた箱型艦橋と前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ3本の煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。舷側甲板上には15cm速射砲が片舷2基配置された。3番煙突の後方に後部マストが立ち、船首楼の末端部に7番主砲1基で、そこから甲板一段分下がった後部甲板上に8番主砲が後ろ向きに1基で疑似的な背負い式配置とされた。
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艦形
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「八雲 (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は典型的な平甲板型船体であり、凌波性を良くするために乾舷を高く取られており、艦首水面下には未だ衝角(ラム)が付いている。 主砲は新設計の「20.3cm (45口径) 砲」を楕円筒形の連装砲塔に纏め、1番主砲塔、司令塔を組み込んだ操舵艦橋、単脚の前檣、等間隔に並んだ三本煙突の後ろに艦載艇置き場、ダビット(ボート・クレーン)の基部を兼ねる単脚の後檣、2番主砲塔の順である。「15.2cm (40口径) 砲」は12基も載せられ、甲板砲廓部4基に舷側に2基の片舷6基が配置された。他には水雷艇対策に艦首・艦尾と上甲板に「8cm (40口径) 単装速射砲」が12基、47mm単装速射砲12基が前檣・後檣・上甲板に分散配置された。
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艦形
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「アルバトロス (水上機母艦)」の記事における「艦形」の解説
商船型の設計で艦首艦舷が著しく高い長船首楼型船体であった。船体における艦首甲板の面積は水上機を運用するために広く取られており、艦首部には旋回式のカタパルト1基が配置し、艦載機は艦首甲板後部の格納庫口から甲板上に左舷に1基、右舷に直列に2基ずつ配置されたクレーン計3基で運用された。 両脇に船橋(ブジッジ)を持つ操舵艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立った所で船首楼は終了し、甲板1段分下がった後部甲板上に1本煙突が立ち、その周囲には艦載艇が並べられ、舷側に2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組で運用された。主砲の12cm高角砲は防盾の付いた単装砲架で前部甲板上に並列で2基、後部甲板上に背負い式配置で2基の計4基が配置された。
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艦形
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「ジュゼッペ・ミラーリア (水上機母艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は商船として設計された状態を色濃く残しており、船首・船尾楼のあいだに高い上部構造物を設けて上面を飛行甲板・その下を格納庫スペースとした。船体中央部に上部構造物が集中配置され、操舵艦橋の両脇に船橋(ブリッジ)が設けられ、簡素な単脚式のマストと2本煙突が立っている以外はフラットな形状である。2番煙突を基部としてデリック式のクレーンが設置されておりハッチを介して搭載機の揚収が可能であった。 格納庫は全通ではなく、船体中央部に8つのボイラーを配置する機関区があるため、水上機を格納する格納庫は前後の2か所に分かれていた。艦載機は甲板上の前部甲板の右舷側と後部甲板の左舷側の2か所に開けられたシャッターと、側面に設けられた計4つのシャッターからクレーンにより甲板に揚げられた。前部格納庫が小型機(水上機)用で後部格納庫が大型機(小型飛行艇)用で計20機が搭載できた。 主武装の10.2cm速射砲は格納庫のない船体の前後に2基ずつ計4基が配置された。水上機母艦へと改装された事で重量が増加したため、船体の側面には浮力確保のためにバルジが追加された。 艦載機の発艦は、前後の甲板上に1条ずつ設置されたレールと台車により艦首と艦尾に設置されたガグノット式カタパルトによる射出。もしくは船体の四か所に設置された揚収用クレーン4基による海上滑走により水上機が運用された。就役後にフランス製のハイン式着水幕を1935年に導入してマッキM5やM7などの飛行艇に用いてテストされたが期待した成果が得られず1938年に撤去された。
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艦形
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船体形状は艦首水面下に衝角をもつ乾舷の高い長船首楼型船体に3本のマストと中央部に2本煙突を持つ当時の一般的な海防戦艦の形態である。 本級は3本マストと2本煙突を持つターレット(tourelle)形式として設計・建造された。艦首から構造を記述すると、長船首楼型船体であった艦首水面下には未だ衝角が付いている。艦首甲板上に1番マストが立ち、船体中央部の舷側甲板上に、装甲厚300mmから356mmにもなる装甲板をリベットで組み立てたバーベットを持っており、そこに「カネー 27.4cm(36口径)後装式ライフル砲」を防盾の付いた単装砲架で片舷1基ずつ計2基を配置した。 艦橋と司令塔は左右のバーベットに挟まれるように中心線上に配置されており、その背後に前後に離された2本煙突が立つ。2本の煙突の中央には2番マストが立っており、その周囲は艦載艇置き場となっていた。舷側に2本を1組とするボート・ダビッドが片舷に2組ずつ計4組で運用された。2番煙突の基部で船首楼が終了し、そこから甲板一段分下がって3番マストがあり、後部甲板上に「カネー 27.4cm(28口径)後装式ライフル砲」を収めた円筒状の単装主砲塔が後ろ向きに1基が配置された。 副砲の「カネー 15cm(36口径)後装式ライフル砲」は、艦首部に設けられた砲室に単装砲架で1基、舷側主砲バーベット下部の砲郭(ケースメイト)に片舷2か所の砲門が設けられ、そこから片舷2基ずつの計5基を配置した。他に対水雷艇用に「シュナイダー 8.5cm(22口径)後装式ライフル砲」を単装砲架で4基。近接火器としてオチキス社製「オチキス 4.7cm(33口径)単装機砲」を艦首甲板上に単装砲架で4基、同「オチキス 3.7cm(23口径)単装機砲」を4基、オチキス 3.7cm(20口径)五連装機関砲を6基を搭載した。対艦攻撃用に35.6cm水中魚雷発射管を単装で艦首に1門、舷側に片舷1門ずつ2門の計3門を装備した。この武装配置により艦首方向に最大で27.4cm砲2門・15cm砲3門。左右方向に最大で27.4cm砲2門・15cm砲2門、艦尾方向に最大で27.4cm砲1門・15cm砲2門が指向できた。 就役後に3隻ともマストの帆走設備を撤去し、頂上部の見張り所に小口径を搭載するミリタリーマストとなったが、「イドラ」と「スペツァイ」は艦橋の背後に1番マストを移設して2番マストは撤去した。「イドラ」に比べ、「スペツァイ」の改装の方が徹底しており、より前弩級戦艦に近い艦容となっている。帆走設備の撤去は「プサラ」も行われたが、「プサラ」は他2隻と艤装が異なり、艦橋を基部として背の低い1番マストを移設し、低い箇所に見張り台を設けて対水雷艇砲を左右1基ずつ計2門を配置し、2番マストの高所に設けられた見張り所に2門、背の低い3番マストも低い位置に見張り所を設けて2門を配置した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 01:54 UTC 版)
原設計であるボロジノ級戦艦はトップヘビーで復原性に問題が起き、重量増加に伴う船体の沈下により水線部分の装甲帯が海中に没するという欠陥があったため、それを改善する改良と、海戦で得られた戦訓に伴う改装も併せて行われることになった。外観上の変化としては乾舷形状の変更や上部構造物の簡略化、重量を食う副砲塔の撤去、船体側面下部にあったケースメイト(砲郭)式速射砲の撤去などがある。重心の低下と重量の軽減により吃水を設計時のものまで回復させ、復原性能と防御性能を向上させた。 本級の船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体である。元々は「ツェサレーヴィチ」と同様の強く引き絞られた特徴的なタンブル・ホーム型船体となっていたが、改装でその特徴はほぼ無くなっている。 ほぼ垂直に切り立った艦首から艦首甲板に30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔の上に載る、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋の背後から簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部にはイギリス式の2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組と後部マストの基部に付いたクレーン1基により運用された。後部マストの後方に後部艦橋が設けられた所で船首楼が終了し、甲板一段分下がった後部甲板上に後部30.5cm連装主砲塔が後向きに1基配置された。 船首楼側面に在った副砲塔の跡地には副武装として20.3cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で、舷側ケースメイト(砲郭)配置で等間隔に片舷3基ずつ計6基を配置した。前後のもの4基は下方に位置が変更されている。対水雷艇用の7.6cm速射砲を単装砲架で艦首側面部に片舷1基ずつ計2基と、艦上片舷2基ずつ計4基を分散配置した。他に艦尾側面に4.7cm速射砲を片舷1基ずつ計2基を配置した。 この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲2門・20.3cm砲2門が指向でき、左右方向には最大で30.5cm砲4門・20.3cm砲3門、7.6cm速射砲3門、4.7cm速射砲1門が指向できた。就役後に主砲塔上に7.6cm速射砲を1基ずつ計2基と前部マスト頂上部に射撃観測所を設けた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 18:27 UTC 版)
本級の船体は前級に引き続き長船首楼型船体で、垂直に切り立った艦首形状を持っていた。前弩級戦艦時代のフランス戦艦伝統の「グランド・ホテル」と形容される複雑な艦上構造物はなりを潜め、装甲司令塔と煙突と単棒檣の前後マストと砲塔以外はない、簡潔でいて重厚な外観となっていた。 「カネー Model 1912 34cm(45口径)砲」を連装砲塔に収めて1番・2番主砲塔を背負い式に2基、装甲司令塔を組み込んだ操舵艦橋の背後に簡素な単脚式の前部マストが立つ。煙突の本数は前級の3本から1本減った2本煙突だが、船体中央部に3番主砲塔を配置した関係によりボイラー室を分散配置したために1番煙突と2番煙突との間隔がより離された。2番煙突の両脇に艦載艇揚収用のクレーン、後部艦橋に組込まれた単脚式の後部マスト、後部甲板上に後向きに4番・5番主砲塔を背負い式に2基配置した。 本級の副砲である「カネー Model 1910 13.9cm(55口径)速射砲」は前級同様に複数の単装砲を分散配置したが、前級と異なり首尾線方向の火力よりも縦列陣形時の片舷斉射門数を重視していた。1番2番主砲塔の間に2基、艦橋の側面に2基、3番主砲塔の側面に3基、2番煙突の側面に2基、4番・5番主砲塔の側面に2基ずつの片舷11基の計22基を配置した。この武装配置により前方向に34cm砲4門・13.9cm砲4門、左右方向に最大で34cm砲10門・13.9cm砲11門、後方向に34cm砲4門・13.9cm砲4門が指向できた。
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艦形
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「アルミランテ・グラウ級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は船首楼型船体を採用していた。垂直に切り立った艦首から中央部に主砲の「ヴィッカーズ 15.2cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔を下部に組み込んだ操舵艦橋を基部として単脚式の前部マストが立った所で船首楼が終了し、甲板一段分下がった所に2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、周りは艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビット片舷2組、計4組により運用された。左右の舷側甲板上に副砲として7.6cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷4基ずつ計8基配置されていた。装備位置の低い舷側砲は波浪に叩かれる事が多く、砲架に波除板が取り付けられていた。その後方の後部甲板で後部マストが立ち、後部甲板上に15.2cm主砲が後ろ向きに1基配置された。 就役後の1925年に7.6cm速射砲2門が撤去され、さらに1936年に7.6cm速射砲2門・5.7cm速射砲6門全てと3.7cmガトリング砲2基が撤去され、対空火器として7.6cm(40口径)高角砲2基と13.2mm(76口径)連装機銃2基が搭載された。 1942年から1944年の近代化改装時に艦橋は密閉型となり、前部マストは頂上部に射撃測距所を持つ三脚型となった。また、後部マストが撤去されて機関砲座と後部見張り所が設けられた。13.2mm(76口径)連装機銃2基と45cm水中魚雷発射管2門が撤去され、対空火器として12.7mm(90口径)単装機銃7丁が追加された。
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艦形
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「コスタンツォ・チャーノ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級はルイージ・ディ・サヴォイア・デュカ・デリ・アブルッツィ級の改良型で艦橋構造はヴィットリオ・ヴェネト級戦艦に準じたものとされる予定であった。 本級の船体形状はイタリア近代巡洋艦伝統の長船首楼型船体で、艦首から前甲板までの乾舷はほぼ水平で、本級の凌波能力はあまり重視されていないことをうかがわせる。艦首甲板から本級より「1934年型 15,2cm(55口径)砲」を1番砲塔を三連装砲塔に、2番砲塔に連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、円筒を積み重ねたような塔型艦橋の背後に2本煙突が立つ。2番煙突の背後が艦載機の運用スペースとなっており、射出カタパルトが左右に1基ずつの計2基が配置された。なお、艦橋と後檣の左右に「1928年型 10cm(47口径)高角砲」を連装砲架で片舷2基ずつの計4基あり、その連装高角砲に挟まれる様に53.3cm三連装水上魚雷発射管を片舷1基ずつの計2基を装備した。後部マストを基部としてクレーン1基が付いており、後部マストの左右が艦載艇置き場となっていた。後部甲板には連装砲型の3番主砲塔と三連装砲方の4番主砲塔が後ろ向きに背負い式では位置された。
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艦形
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「ヴァルキリエン (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦は平甲板型船体上に2本のマストと一本煙突を持つ防護巡洋艦としてデンマークはコペンハーゲン海軍造船所で建造された。艦首水面下に突き立った衝角を持つ。主甲板部に最大厚64mmの装甲が貼られた。艦首甲板上にから主砲塔として装甲カバーの付いた露砲塔に収められた21cm単装砲が1基、頂上部に見張り所を持つ単脚式の前檣の後ろに、左右に船橋を持つ箱型の艦橋があり、その後部に1本煙突が立つ。煙突の後部は艦載艇置き場となっており、片舷1組のボート・ダビットにより運用される。その背後に前檣と同じ様式の単脚式の後檣、そこから一段下がって後ろ向きの21cm単装砲の順である。副砲の15cm単装砲は単装砲架に防盾を付けられ、舷側甲板上に前檣と後檣と船体中央部の3箇所に、半円形の砲郭を設けて片舷3基ずつの計6基装備した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/01 14:15 UTC 版)
船体は艦首に弱いシアを持った船首楼型船体である。艦橋デザインと集合煙突は同世代の古鷹型重巡洋艦に類似性が見られる。船形に比較して上部構造物が大きく、日本海軍に鹵獲・編入後は改装時に重心降下対策が施されている。 2番艦平海は、寧海に比して方位盤支基・前檣等が改良され、高角砲の数と装備位置も異なり、水偵の搭載は中止されている。
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艦形
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「ラタナコシンドラ級砲艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は船首楼型であった。船首楼上に主砲としてアームストロング製の15.2cm(45口径)単装砲を箱型の砲塔に収めて1基を配置、下部に司令塔を組み込んだ操舵艦橋を基部として頂上部に見張り所を持つ単脚式のマストが1本立つ。船体中央部に細身の1本煙突が立ち、煙突後部は艦載艇置き場となっていた。艦橋の両脇と煙突の両脇にはアームストロング 7.62cm(40口径)単装砲が1基ずつの計4基配置されていた。後部甲板上に簡素な単脚式の後部マストが立ち、そこから甲板1段分下がって2番砲塔が後向きに配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/19 06:32 UTC 版)
「ザンクト・ゲオルク (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
波の穏やかなアドリア海での運用が主であることから、船体形状は乾舷の比較的低い平甲板型船体とした。艦首水線下には衝角(ラム)を有している。 艦上には、前甲板に24cm連装式の主砲塔1基、後甲板に19cm単装砲を置き、艦中央部に艦橋、2本のミリタリー・マスト・3本煙突を配置した。中央部の煙突周囲は端艇甲板となっている。 19cm副砲は、艦後部の砲塔形式の他にも舷側の中央部にも配置されており、19cm砲を単装砲架に乗せ、ケースメイト方式で背中合わせで片舷2基ずつ配置したもので両舷で計4基が配置された。15cm砲は主砲塔と副砲塔の側面部舷側にケースメイト配置で艦首と艦尾に2基ずつ計4基を配置した。7cm速射砲は舷側甲板上に片舷4基ずつと後部見張り所の上に1基の計9基を配置した。この武装配置により、艦首方向に最大で24cm砲2門・19cm砲2門・15cm砲2門・7cm砲4門が、舷側方向には最大で24cm砲2門・19cm砲3門・15cm砲2門・7cm砲5門、艦尾方向には19cm砲3門・15cm砲2門・7cm砲5門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/19 06:31 UTC 版)
「カイザー・フランツ・ヨーゼフ1世級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は、外洋航行を考慮して比較的乾舷の高い平甲板型船体とした。艦首水線下には衝角が設けられ、水線部付近には魚雷発射管がある。 前後甲板に24cm単装主砲各1基が配置され、艦中央部に艦橋、棒檣構造の前後檣、2本の煙突が設けられた。煙突周囲は端艇甲板となっている。艦尾水線部付近にも45cm魚雷発射管1基が設置されている。 主砲はクルップ社製C/86 24cm(35口径)砲を採用した。この砲をフード付き露砲塔に収めた。15cm副砲は、単装砲架に装備され、前檣・後檣・2番煙突付近舷側の半円形の砲郭(ケースメイト)に配置し、片舷3基ずつ計6基を装備した。 竣工後の1906年に、旧式化した主砲を自国シュコダ社製15cm(40口径)砲に換装した。搭載型式と搭載数は同じである。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/15 18:12 UTC 版)
本級の船体材料は木材で、その形状は艦首水面下に衝角をもつ平甲板型船体に帆走用の3本のバーク型マストと中央部に伸縮式の1本煙突を持つ当時の一般的な装甲艦の形態である。船体の側面は150mmの厚さの装甲板で水線部ら砲門部まで覆われている。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:17 UTC 版)
「イーグル (空母・初代)」の記事における「艦形」の解説
イーグルは、もともとチリ海軍向けにイギリスで建造中だったアルミランテ・ラトーレ級戦艦の2番艦アルミランテ・コクレン(Almirante Cochrane)であった。船体形状はアイアン・デューク級と同じく短船首楼型船体で、船体サイズは主砲に35.6cmを採用したためにアイアン・デューク級よりも船体長を約11.4m伸ばし、全長は201mとなった。これは、当時のグランド・フリートの戦艦では最長のエジンコート (HMS Agincourt) の204.7mに次いで長かった。 艦首形状は1910年代のイギリス式設計の特徴である艦首浮力を稼ぐための水線下部を前方向にせり出した形状となっていた。本来は主砲塔を配置したであろう最上甲板上には幾多の支柱を建て、その上に飛行甲板を配置した。艦首側の支柱は凌波性を良好とするために元の艦首構造を延長して飛行甲板の前部と接続するように整形された。最上甲板上に15.2cm単装速射砲が支柱と支柱の間を埋めるように9基が配置された。 飛行甲板上には既存のイギリス航空母艦(フューリアス、ヴィンディクティヴ、アーガス)にはなかった上部構造物が設けられた。その形状は飛行甲板のスペースを阻害しないよう上面から見て長方形に設計され、これを船体中央部の右側に集中配置した。上部構造物の最前部に艦橋が配置し、その上に巡洋戦艦フッドの物に似た三脚型の前部マストが立てられた。頂上部には射撃方位盤室を乗せた箱型の見張り所が設けられ、その下に測距儀を片舷1基ずつ計2基を配置した。前部マストの後方に2本煙突が立ち、煙突の断面は2本とも小判型であった。2番煙突の後部に簡素な単脚式の後部マストが立てられた。この上部構造物の長さ・幅は39.6m×5.5mにもなり、飛行甲板スペースの約20%を占める巨大な構造となった。上部構造物の後方には水上機を運用するためのクレーン1基が配置した。 飛行甲板の直下には高さ6.2mの格納庫が設けられたが、格納庫は舷側に配置された15.2cm砲に挟まれて狭められ、飛行甲板サイズに比較して約6割の面積しか取れなかった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/29 23:41 UTC 版)
「ギシャン (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状はフランス巡洋艦で長らく主流となってきたタンブル・ホーム式の船体を控えめとし、没個性的なデザインとなった。基本的に高い乾舷を持つ長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。 垂直型の艦首から前向きに主砲として16cm単装砲架1基を配置、下部に司令塔を組み込んだ露天式の艦橋構造は上部に船橋を持つ箱型とし、その上に単脚式の前檣が立つ。艦橋構造の背後から4本の煙突が立っているが、フランス海軍ではボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は2番煙突と3番煙突の間は広く取られ、間に単脚式のマストが立っている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、中部のマストの基部に前後に1基ずつ付いたボート・クレーン2基で運用された。4番煙突から後ろは後部船橋、簡便な単脚式の後檣、後ろ向きに主砲1基が載る。舷側には角型の張り出し(スポンソン)が片舷に3箇所設けられ、そこに16cm単装砲が片舷3基ずつ計6基配置された。
※この「艦形」の解説は、「ギシャン (防護巡洋艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/20 20:00 UTC 版)
「リアシュエロ (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は平甲板型船体に3本のマストと2本煙突を持つ装甲フリゲートで、艦首水面下に衝角を持ち、船体中央部に船橋を持つ艦橋の背後に2本煙突が立ち、その周囲の舷側甲板上に前後にずらして23.4cm単装砲2基を収めた砲塔を片舷1基ずつ配置していた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/20 20:05 UTC 版)
「オーディン (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は2本のマストと一本煙突を持つ装甲艦としてデンマークはコペンハーゲン海軍造船所で建造された。艦首水面下に水平に突き立った衝角を持つ。水線部に最大厚203mmの鉄製装甲が貼られた。船体中央部の上部構造物内にボックスシタデルが配置された。ボックスシタデルとは弾薬庫や機関を守るために箱状似に装甲を配置する当時の防御様式で、本艦は254mmもの厚さを持つ装甲をリベットで組み立てられていた。その内部には25.4cm(15口径)後装式単装砲を片舷2基ずつ計4基を配置していた。ボックスシタデルは上方から見て四角形をしており、4隅に前後左右計16つの砲門が開けられ、床面のレールで25.4cm砲の砲架を移動させる事により前後左右に最大2門を向ける事ができた。竣工後に近接戦闘用に上部構造物上に8.7cm単装砲4基が追加された。この武装配置により前後方向に最大25.4cm砲2門、左右方向に最大25.4cm砲2門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/20 07:14 UTC 版)
「ドヴィエナザット・アポストロフ (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦は当時の主流である平甲板型船体で、艦首水面下に衝角を持ち、艦首甲板から前部甲板上に「1877年型 30.5 cm(30口径)砲」で連装砲架を厚さ305mmにもなる装甲で囲い、前向きに1基を配置。 その真後ろから艦橋構造が始まり司令塔を下部に組み込んだ箱形艦橋で両側に船橋(ブリッジ)を持っていた。その背後に中部に装甲で覆われた見張り所が設けられたミリタリー・マストで47mm砲や37mm砲が配置された前部単脚檣が1本立ち、その後部から機関区が始まり、断面が円形の2本の煙突を直列に配置している。煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が片舷4本ずつの計8本が立つ。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、前後の単脚檣の基部に1基ずつついたジブ・クレーンにより運用される。竣工当時の煙突は高さ不足で煤煙が見張り所にかかる障害があったので1897年に煙突の長さを延ばす改正が行われた。 2番煙突の後部に後部単脚檣と後部艦橋が配置され、その後ろは後ろ向きに連装砲1基が配置された。船体中央部には前級と同じく舷側に砲郭が設けられ、副砲として前級では22.9cm砲が採用されていたが、本艦では15.2cm砲が採用され、単装砲架で片舷2基ずつ計4基が配置された。この武装配置により前後方向に最大30.5cm砲2門、15.2砲2門が指向でき、左右方向に最大30.5cm砲4門、15.2cm砲2門を指向できた。
※この「艦形」の解説は、「ドヴィエナザット・アポストロフ (海防戦艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/12/31 22:30 UTC 版)
本級は艦首の乾舷のみ高い短船首楼型船体であった。切り立った艦首から艦首甲板上に1番6.5cm速射砲を単装砲架で1基を配置、その背後に測距儀を載せた露天の艦橋を基部として簡素な単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に4本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基で運用された。甲板一段分下がった舷側に2~5番6.5cm速射砲を片舷2基ずつ配置した。中央部甲板上に45cm連装魚雷発射管が1基と単装魚雷発射管が1基が中心線上に配置した。後部甲板上に上部構造物が設けられ、そこに6番10cm主砲が後ろ向きに1基配置された。
※この「艦形」の解説は、「シャスール級駆逐艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/19 14:03 UTC 版)
船体形状は前弩級戦艦「ブレニュス」よりも特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減する船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出するといった特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板にあがるに従って船体は引き絞られ甲板面積が小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」をとるために、船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化ができるという目的から採られた手法である。 ほぼ垂直に切り立った艦首から艦首甲板に30.5cm単装主砲塔が1基搭載され、司令塔を組み込んだ艦橋からは直径の太いミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとは太いマストの中に螺旋階段を設置し、そのマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を装備した物である。当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するため、遠くまで見張れる高所に対水雷艇撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いていた。 本艦のミリタリーマストは前部と後部に一つずつあった。前部ミリタリーマストは頂部に二層式の見張り台を設け、中段に47mm単装速射砲を1基ずつ計4基を配置した。後部ミリタリーマストも同形式で前後4基ずつ計8基の速射砲を配置した。前部ミリタリー・マストの背後には二本の煙突が立つが、1番煙突の断面は四角形で、2番煙突は小判型である。 艦橋の後部から、煙突を挟んで後部ミリタリーマストに至るまで甲板が一段分高くなっている。2番煙突の後方には艦載艇の運用のためにガントリー・クレーンが片舷1基ずつ計2基が配置され、2本煙突の周囲が艦載艇置き場となっていた。通風筒の背後に後部ミリタリー・マストが立ち、その後方に30.5cm単装主砲塔が後向きに1基配置された。また、甲板一段分下がった舷側には、27cmという大口径の単装副砲塔が船体中央部に片舷1基ずつ計2基置かれ、27cm副砲塔を囲むように14cm単装砲塔が前後に2基ずつと前後ミリタリー・マストの左右に1基ずつで片舷4基計8基が配置された。この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲1門、27cm砲2門、14cm砲4門が指向できた。また左右方向には最大30.5cm砲2門、24cm砲1門、14cm砲4門が指向でき、強力な火力を誇っていた。 竣工後に後部ミリタリー・マストは重量軽減のために撤去され、代わりに後檣は簡素な単脚式に更新された。
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艦形
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「シャルル・マルテル (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は「ブレニュス」よりも特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 ほぼ垂直に切り立った艦首から艦首甲板に30.5cm単装主砲塔が1基、司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。 本艦のミリタリーマストは頂部には三層式の見張り台があり、中段に47mm単装速射砲が1基ずつ計4基が配置され、後部ミリタリーマストも同形式で前後4基ずつ計8基配置された。前部ミリタリー・マストの背後には断面図が小判型の煙突が二本立つ。艦橋の後部から煙突を挟んで後部ミリタリーマストに至るまでフライング・デッキ(空中甲板)と呼ばれる構造物が設けられた。これは、船体舷側に27cm副砲塔を配置したために爆風により艦載艇を破損するのを防ぐためと、艦載艇の作業面積を増やす工夫で、これと似たような様式は船体舷側に主砲塔を配置する弩級戦艦時代のイギリス海軍戦艦「ネプチューン」から「エジンコート」にかけて採用された。 2番煙突の後方には艦内や機関区に外気を入れるためのキセル型通風筒が中央部に並列に3本立っている。通風筒の背後に後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろに30.5cm単装主砲塔が後向きに1基配置された。また、甲板一段分下がった舷側には27cmという大口径の単装副砲塔が船体中央部に片舷1基ずつ計2基置かれ、27cm副砲塔を囲むように前後に2基ずつと前後ミリタリー・マストの左右に14cm単装砲塔が片舷4基計8基が配置された。この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲1門、27cm砲2門、14cm砲4門が指向でき、左右方向には最大30.5cm砲2門、24cm砲1門、14cm砲4門が指向でき強力な火力を誇っていた。
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艦形
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本級の船体形状は前級に引き続きタンブル・ホーム型の平甲板型船体を採用しており、大西洋での作戦時での凌波性を向上させるために乾舷を高く取られている。艦首水面下に衝角(ラム)のついた艦首から主砲の「Model 1884 34cm(30口径)ライフル砲」を単装式の露砲塔で1基が配置された。その主砲の上にオーバー・ハングするように操舵艦橋が設けられ、背後には三段の見張り所を持つ前部ミリタリー・マストが1基立てられた。船体中央部の1本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、舷側甲板上に片舷1基ずつ配置された34cm砲からの爆風から艦載艇を守るために爆風避けの覆いが設けられている。脆弱な艦載艇を守るための工夫は後の時代に設けられており日本海軍の「伊勢型」にも同じ工夫が見られる。 この覆いを避けるために艦載艇は煙突の左右に1基ずつ設けられたガントリー式クレーンにより運用された。艦載艇置き場の後に前部と同じ様式の後部ミリタリー・マストが1基が立てられ、後部甲板上に34cm砲が後向きに1基が配置された。船体の舷側には副砲の「Model 1884 14cm(30口径)単装砲」がケースメイト(砲郭)内に単装砲架で片舷8基ずつ計16基が配置された。この武装配置により前後方向に最大で34cm砲3門、左右方向に最大で34cm砲3門、14cm砲8門が指向できた。
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艦形
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「トルデンスキョル (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は波の穏やかなバルト海での運用が主であるため、海防戦艦として水面から乾舷までが低い平甲板型船体を採用した。水面下に衝角(ラム)の付いた艦首から艦首甲板上に35cm砲を収めた単装砲塔1基を直置きした。その背後から司令塔を組み込んだ露天の操舵艦橋、船体中央部に2本煙突、煙突の間には主檣が立つ。煙突周囲は艦載艇置き場となっており主檣を基部とするクレーンにより運用された。後部上甲板に副砲の12cm単装砲を片舷2基計4基配置した。
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艦形
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「ヘルゴラント (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は2本のマストと一本煙突を持つ装甲艦としてデンマークはコペンハーゲン海軍造船所で建造された。艦首水面下に衝角を持ち、艦首甲板上にはクルップ製 30.5cm(22口径)後装填式単装砲を5,000トン台の小型艦ながら最厚で254mmの装甲で作られた円筒形の砲塔に納めていた。船体中央部に305mmもの厚さを持つ鉄製の装甲板が貼られ、主砲塔の基部からボックスシタデルが配置された。ボックスシタデルとは弾薬庫や機関を守るために箱状似に装甲を配置する当時の防御様式で、本艦は254mmもの厚さを持つ装甲をリベットで組み立てられていた。その内部には26cm(22口径)後装式単装砲を片舷2基ずつ計4基を配置していた。本艦のボックスシタデルは上方から見て主砲のバーベットを組み込んでいるために前方に長い八角形をしており、左右の斜め前と斜め後ろに砲門が開けられ、床面のレールで26cm砲の砲架を移動させる事により前後左右に最大2門を向ける事ができた。船体中央部上甲板両舷に12cm単装砲が片舷1基ずつ計2基配置された。竣工後に近接戦闘用に艦尾上甲板に12cm単装砲3基が追加され、3基は1門をやや後部にずらして並列に配置された。この武装配置により前方方向に最大30.5cm砲1門、26cm砲2門、左右方向に最大30.5cm砲1門、26cm砲2門、12cm砲2門、後方に26cm砲2門、12cm砲3門が指向できた。
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艦形
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「オランダの戦艦建造計画」の記事における「艦形」の解説
船体は平甲板型船体で、艦首甲板上に35.6cm砲を収めた連装式砲塔を背負い式に2基配置、その後から六角形の上部構造物が始まり、司令塔を基部に持つ操舵艦橋の背後に三脚式の前檣の背後には2本煙突が立つ。周囲は艦載艇置き場となっており、前後の三脚マストの基部に1基ずつ付いたクレーンにより運用された。後檣は後ろ向きの三脚檣で上部構造物は終了し、後部甲板上に3・4番主砲塔が後向きの背負い式で2基配置した。副砲の15cm速射砲は上部構造物の側面にケースメイト配置で単装砲架を片舷8基ずつ計16基を装備し、その他に対水雷艇用に7.5cm単装砲を上部甲板上に単装砲架で片舷6基ずつ計12基装備した。50cm水中魚雷発射管は艦首に1門、舷側に2門ずつ計5門を装備した。 1番艦はゲルマニア社で1914年12月起工、1918年竣工を予定していたが、元々オランダにはそこまでの大戦艦を9隻も注文して代金を支払える国力も無く、程なく第一次世界大戦が始まった事により本計画は自然消滅した。 諸元 全長:184m 全幅:28m 吃水:9m 常備排水量:20,688トン 満載排水量:26,850トン 兵装:35.6cm(45口径)連装砲4基、15cm(45口径)単装速射砲16基、7.5cm(55口径)単装速射砲12基、50cm水中魚雷発射管5門 機関:石炭専焼水管缶-基+形式不明直結タービン3基3軸推進 最大出力:38,000shp 航続性能:-ノット/-海里 最大速力:22.0ノット 装甲舷側装甲:250mm 甲板装甲:50mm 主砲塔装甲:250mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋) 同型艦:9隻
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艦形
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「ジョバンニ・バウサン (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は小型の船体に準戦艦級の主砲を積む関係から水面から乾舷が低い平甲板型船体となっており、同時期にイギリスで建造された大日本帝国海軍の防護巡洋艦「浪速型」に似た艦容である。 艦の構造を前部から記述すると、水面下に衝角と35.6cm水中魚雷発射管1門を内蔵させた艦首、艦首甲板上に主砲の25.4cmライフル砲を基部のみ装甲で覆う露砲塔に1基が配置され、その後方に単脚式の前部マストが立つ。その後方から上部構造物が始まり、司令塔を組み込んだ両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋が立つ。船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2番煙突後方のグース・ネック(鴨の首)型クレーン1基により運用された。 左右の舷側に張りだしが設けられ、そこに副砲である15.2cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で等間隔に片舷3基ずつ計6基が配置された。後部マストで上部構造物が終了し、その下の後部甲板上に2番主砲塔が1基配置された。
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艦形
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「エルツヘルツォーク・カール級戦艦」の記事における「艦形」の解説
主行動海域であるアドリア海は、波が穏やかであるものの島嶼が多く、随所に狭水道が存在する環境であることから、これに適合した比較的小型の艦形とし、速力は同時期の他国の戦艦より高速である。前級のハプスブルク級では後部主砲を単装としていたが、本級では2基とも連装砲とし、副砲もより大口径の砲として火力の強化を図っている。 艦首には衝角が設けられていた。主砲は、前後甲板に24cm連装主砲塔各1基をダブルエンダーで配置。艦中央部には艦橋、ミリタリー・マスト形式の単脚の前後檣、等間隔に並んだ3本の煙突がある。煙突の周囲は端艇揚収位置となっており、揚収は2番煙突基部に左右1本ずつ設けられたボート・クレーンにより行われる。副砲(19cm砲)は、単装砲塔で上部甲板上の四隅に1基ずつ計4基、舷側ケースメイト配置で片舷4基ずつ計8基を搭載した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/16 04:19 UTC 版)
「ハイフライヤー級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体は長船首楼型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に15.2cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1基配置した。その背後の司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部に3本煙突が等間隔に立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その外周は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組で運用された。舷側部には張り出し(スポンソン)を設け、そこに防楯の付いた15.2cm速射砲が単装砲架で片舷4箇所ずつ配置した。 3番煙突の後方に後部マストと後部艦橋が立ち、そこから甲板一段分下がって、後部甲板上に15.2cm速射砲2基を並列配置された。この武装配置により艦首方向に最大で15.2cm砲3門、舷側方向に最大で15cm砲6門、艦尾方向に最大で15cm砲2門が指向できた。 「ハーミーズ」は1913年の4月から5月にかけて水上機3基を搭載する水上機母艦に改装されて運用された。前後に滑走甲板を新設し、水上機は台車に載せて発艦させ、収容時は水面からクレーンで行った。ハーミーズの使用実績を踏まえて水上機母艦「アークロイヤル」の建造に繋がった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/16 04:30 UTC 版)
「プリンセサ・デ・アストゥリアス級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本艦は乾舷の高い平甲板型船体に当時の主流である水面下に衝角を持つ艦首から、艦首甲板上に24cm砲を単装式の1番露砲塔で前向きに1基を配置、その背後に司令塔を下部に組み込んだ艦橋は両側に船橋(ブリッジ)を持っており、その後部に1段の見張り所を持つ単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部には2本煙突が立ち、煙突の周囲には艦内への吸気用として煙管型の通風筒が立てられている。3番煙突の後部は艦載艇置き場となっており、その後方に立つ後部マストの基部に付いたクレーン1基により運用された。後部甲板上には後部マストが立ち、後24cm2番露砲を塔ろ向きに1基を配置。 副砲の14cm速射砲は舷側甲板上に防盾の付いた単装砲架で片舷4基の計8基を配置していた。近接火器として5.7cm速射砲が単装砲架で計10基が配置されていた。他に対水雷艇用に3.7cm機関砲が計10基が配置されていた。 この武装配置により前後方向に最大で24cm砲1門・14cm砲2門、左右方向に24cm砲2門、14cm砲4門を向けることが出来た。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/16 04:12 UTC 版)
「カールスルーエ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は前級に引き続き長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に強く傾斜したクリッパー型の艦首から中央部が狭い艦首甲板上に波きり板を設けた後ろに主砲の10.5cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1番2番主砲を並列配置で2基、その背後に司令塔を基部とする船橋(ブリッジ)をのせた箱型艦橋と前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ4本の煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。舷側甲板上には10.5cm速射砲が片舷4基配置された4番煙突の後方に後部マストが立ち、後部甲板上に11番・12番主砲が後ろ向きに並列で2基配置された。
※この「艦形」の解説は、「カールスルーエ級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/16 04:42 UTC 版)
「エクリプス級防護巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
未だ帆船時代のデザインが色濃く残る時代のイギリスらしく気品ある印象を受ける。船体は長船首楼型船体である。水面下に衝角(ラムの付いた艦首から甲板上に15.2cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1基を配置した。その背後に司令塔の上に、両脇に船橋を持つ操舵艦橋と単脚式の前部マストが立つ。船体中央部に2本煙突が等間隔に立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、前後マストを基部とするクレーン1基ずつ計2基により運用された。4番煙突の後方に後部マストと後部艦橋が立ち、舷側部には前後艦橋の側面に半円形の張り出しを片舷1か所ずつ設けて15.2cm速射砲を片舷1基ずつ配置した。その背後の舷側甲板上に副砲の12cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ計6基を配置した。後部艦橋から一段下がって、後部甲板上に15.2cm速射砲2基を並列配置された。この武装配置により艦首方向に最大で15.2cm砲3門、舷側方向に最大で15cm砲3門・12cm砲3門、艦尾方向に最大で15cm砲2門が指向できた。
※この「艦形」の解説は、「エクリプス級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/16 02:10 UTC 版)
本型の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で艦首水面下に衝角の付く艦首から艦首甲板上に「クルップ 1866年型 15cm(40口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で並列に片舷1基ずつの計2基、下部に司令塔を組み込んだ船橋を持つ操舵艦橋の背後には頂上部に見張り所を設けたミリタリー・マストが立ち、見張り所には「オチキス 3.7cm単装機砲」が単装砲架で前後のミリタリー・マストに3基ずつの計6基が配置されていた。船体中央部に等間隔に並んだ2本煙突が立つ。煙突の周囲は煙管型の通風筒が立ち並ぶ艦載艇置き場となっていた。舷側甲板上に等間隔に副砲の「10.5cm(40口径)速射砲」が防盾の付いた単装砲架で片舷4基ずつ計8基が配置されていた。艦載艇置き場の後部には基部にクレーンの付く後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上に3番主砲が後向きに1基が配置された。 船体の主甲板は平面部は70mm装甲が貼られ、舷側装甲の変わりに石炭庫を設ける事で敵弾や浸水を石炭で食い止める防御様式と成っていた。
※この「艦形」の解説は、「海容級防護巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/16 02:44 UTC 版)
「バヤーン級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は外洋での航海性能を良くするため高い乾舷を持つ長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。艦首から前向きに20.3cm速射砲を収めた単装主砲塔1基を配置、司令塔を下部に組み込んだ艦橋構造は箱型とし、司令塔と艦橋の周りに上下二段の船橋を持っていた。その背後に一段の見張り所を持つ単脚式の前部マストが立つ。艦橋の背後に等間隔に並ぶ4本煙突が立っている。煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、舷側に2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組で運用された。4番煙突から後ろは簡素な単脚式の後部マスト、後ろ向きに主砲塔1基が載る。艦尾水面下に一枚舵を挟むように片舷1軸ずつのシャフトに4枚羽のスクリューが付いた。副砲は舷側に等間隔に配置された張り出し部から15.2cm単装速射砲がケースメイト配置で片舷4基計8基を持つ。
※この「艦形」の解説は、「バヤーン級装甲巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
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「ゲイドン級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は前型と同じく高い乾舷を持つ長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。艦首から前向きに19.4cm速射砲を治めた単装式の主砲塔1基を配置、司令塔を組み込んだ艦橋構造は箱型で両脇に船橋(ブリッジ)を持っており、その上に二段の見張り所を持つミリタリー・マストが立つ。 艦橋の背後に4本の煙突が立っているが、ボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は2番煙突と3番煙突の間は広く取られており、間に四角形の通風筒が立っている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、舷側に設けられた2本1組のボート・ダビッドが片舷4組ずつ計8基で運用された。4番煙突の背後に簡素な後部マストが立ち、19.4cm単装主砲塔が後ろ向きに1基配置されたところで船首楼が終了し、そこから甲板一段分下がって後部甲板上となった。 副砲は等間隔に配置された舷側のケースメイト(砲郭)から16.3cm速射砲が単装砲架で片舷4基ずつ計8基を持つ。他に甲板上に10cm速射砲が単装砲架で4基、4.7cm速射砲が単装砲架で16基が配置され、ミリタリーマストの見張り所に3.7cm単装機砲が6基が配置された。 「ゲイドン」のみ第一次大戦後も砲術練習艦として改装され、旧来の武装はすべて撤去され、13.9cm単装速射砲10基に統一され、主砲と副砲のあった場所に配置された。他に対空火器として7.5cm高角砲が単装砲架で4基を搭載した。艦橋構造も多層化し、新型の測距装置が搭載されて近代化された。
※この「艦形」の解説は、「ゲイドン級装甲巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
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「ネプチューン (装甲艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の基本構造は船首楼と船尾楼を持つ船体に3本の帆走用マストと2本煙突を持つ装甲フリゲートである。水面下に衝角を持つ艦首から船首楼が始まり、その内部は22.9cm前装砲を並列に配置する砲郭となっており、艦首方向に最大で22.9cm2門、片舷に1門が指向できた。船首楼甲板は前部マストの手前で船首楼が終了した。船体中央部の2本煙突を挟み込むように31.8cm前装砲を収めた鍋を伏せたような形状の連装式主砲塔が前後に1基ずつ計2基が配置された。主砲斉射時の爆風を避けるために煙突を基部として「空中甲板(フライング・デッキ)」が設けられ、その前部に艦橋が設けられた。空中甲板は2番主砲塔の後方に設けられた船尾楼と接続された。艦尾水面下には1枚舵を挟むように2枚羽のスクリュープロペラが片舷1軸ずつ計2軸推進であった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 00:52 UTC 版)
船体は長船首楼型で、艦首から5番主砲塔下部まで最上甲板が続いているために凌波性が高く、航洋性能に優れた。主砲は新設計の「USA 1910年型 Mark7 30.5cm(50口径)砲」を連装砲塔に収めている。艦首から順に1番・2番主砲塔を背負い式に2基配置し、その背後に装甲司令塔と艦橋を組込んだアメリカ式の籠マスト型前檣を置く。1番煙突と2番煙突の間を広く離すなど、缶室の間を広く取るのはフランス式の設計である。3番・4番主砲塔を、二本の探照灯台を挟んで互い違い、かつ背中合わせ形式で斜めに配置したのはイギリス式である。その後方に後部単脚檣と後部艦橋を置き、この背後に後ろ向きで背負い式に5番・6番主砲塔を配置した。推進器はドイツ式に3軸推進とされ、舵は中心線上に主舵1枚を配した。有力な口径の副砲を配置したのはドイツ式で、最上甲板の下部に、2番主砲塔下部から5番主砲塔下部の部分にかけ、ケースメイト式に「15.2cm(50口径)単装砲」を片舷8基計16門搭載した。これはアルゼンチン海軍が、列強海軍のように、艦隊に付随できる充分な数の巡洋艦を保有できないため、独力で敵巡洋艦を確実に排除できる砲が必要であったためである。他に対水雷艇用に甲板上や主砲塔上に10.2cm(50口径)単装砲を16基搭載した。他に対艦用に水面部に53.3cm単装魚雷発射管を2基2門装備した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 03:35 UTC 版)
本級の船体形状は前級に引き続き短船首楼型船体であるが、議会により艦形の大型化が認められたために全長と全幅が拡大して、前級において不満点だった艦上構造物の密集化や内部の居住区の拡大された。 艦首水面下に浮力確保用の膨らみを持つ艦首から艦首甲板上に「Mark 7 30.5cm(45口径)砲」を連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、2番主砲塔の基部から甲板よりも一段高い艦上構造物が始まり、その上に操舵装置を組み込んだ司令塔が立つ。司令塔の背後からこの当時のアメリカ海軍の大型艦の特色である籠状の前部マストが立ち、司令塔と前部マストを基部として断面図が三角形状の船橋が設けられていた。前部マストの下部に航海艦橋、頂上部露天の見張り所を持つ。前部マストの背後に2本煙突が立ち、そこから甲板一段分下がった左右舷側甲板上が艦載艇置き場となっており、艦載艇置き場の後方に左右に1基ずつ立つ探照灯台を基部とするクレーンにより運用された。2番煙突の後方に籠状の後部マストが立ち、3番主砲塔が後ろ向きに配置された。そこから甲板一段分下がった後部甲板上に4番主砲塔と5番主砲塔が背中合わせに1基ずつ配置されていた。 本級の舷側部には「12.7cm(51口径)速射砲」が重心低下を狙って1番主砲塔の側面部に独立して1基が配置されたが波浪の影響を受けやすかったので竣工後に2番主砲塔基部の側面に移設された。他に船体中央部にケースメイト(砲郭)配置で放射状に単装で5基と艦尾側に2基の片舷8基ずつ計16基を配置していた。 本級は第一次世界大戦後の1920年代にボストン海軍工廠で近代化改装を受けた。外観上においては、籠状の前部マストにあった航海艦橋は密閉型となり、前部マストの中段に箱型の戦闘艦橋を新設した。頂上部の見張り所は密閉型となった。 機関の換装に伴って煙突数は1本となり、籠状の後部マストは撤去され、跡地は水上機の運用スペースとなり、3番主砲塔の上にカタパルトが設置された。後部マストは3番・4番主砲塔の間に簡素な単脚式のものが移設された。 同時に新型の射撃指揮装置が艦橋上に設置され、航海艦橋の上と2番~4番主砲塔上に測距儀を搭載した。波浪の影響を受けていた舷側の副砲ケースメイト5基のうち前側の3基は閉塞され、片舷3門ずつ最上甲板上に計6門が移設された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/16 05:31 UTC 版)
本艦の船体形状は長船首楼型船体を採用している。艦首水面下に衝角(ラム)を持つ艦首から前部甲板上に「21cm(40口径)速射砲」を連装式の主砲塔に収めて1基を配置、艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ船橋(ブリッジ)を両側に持つ箱型とし、その上部に2段の見張り所を持つミリタリー・マストが立つ。その背後に等間隔に4本煙突が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2番・3番煙突の間に配置されたグース・ネック(鴨の首)型クレーンが片舷1基ずつ計2基により運用された。 上部構造物の側面には舷側甲板上に副砲の15cm速射砲を砲塔形式で背中合わせに2基、舷側ケースメイト配置で3基ずつの片舷5基ずつ計10基を配置した。上部構造物の最後部に後部ミリタリー・マストと後部司令塔が立ち、甲板一段分下がって後部甲板上に後向きに21cm主砲塔1基が配置。この武装配置により前後方向に最大で21cm砲2門・15cm砲4門、左右方向に最大で21cm砲4門・15cm砲5門を向けることが出来た。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/30 02:54 UTC 版)
「デヴァステーション級装甲艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本構造は乾舷が低い平甲板型船体の前後に2基の砲塔を配置していた。上部構造物は前後を主砲塔に挟まれていたために上へ上へと多層構造化し、窮屈な印象を受ける。艦首水面下に衝角を持ち、低い艦首甲板上にアームストロング「30.5cm(13.5口径)前装填式砲」を連装式の主砲塔に納めて1基を配置、し、その背後に甲板1段分上がって操舵艦橋が配置し、その上部には船橋が設けられており、その背後に簡素な単脚式のマストが立つ。マストの後部には2本煙突が立ち、周囲には煙管型の通風筒が立ち並び、外周は艦載艇置き場となっており、片舷2基ずつのボート・クレーンにより高所から水面部に下ろされていた。2番煙突の背後に上部に見張り所が設けられた単脚式の後部マストが配置し、その後部から1段下がって後部甲板上に後部主砲塔が1基配置されていた。本級の設計様式は同世代にオーストラリア海軍向けに建造された「サーベラス」に強い影響を与えた。 本級のうち「デヴァステーション」は1891年から1892年にかけて近代化改装を行い、旧態化した主砲塔を前弩級戦艦「レナウン」にも採用されていた「アームストロング 1885年型 Mark II 25.4cm(32口径)砲」に換装するとともに、この時期にフランス海軍が整備していた水雷艇対策に上部構造物に対水雷艇用として5.7cm(40口径)速射砲を単装砲架で6基と4.7cm(50口径)速射砲を単装砲架で8基を搭載した。また、老朽化した角型ボイラー8基とトランク型レシプロ機関は新式の円筒型ボイラー8基と三段膨張式レシプロ機関に更新され、信頼性が増した。しかし、換装後の主砲は運用上のミスで1900年に爆発した。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/04 13:58 UTC 版)
「ジュール・ミシュレ (装甲巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は前型と同じく高い乾舷を持つ長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。艦首から前向きに19.4cm連装主砲塔1基を配置、艦橋構造は前級よりやや低い箱型とし、その上に初期のものより簡素化されたミリタリー・マストが立つ。ミリタリー・マストの中部に探照灯台が配置された見張り所を持つ。 艦橋の背後に4本の煙突が立っているが、この頃のフランス大型艦はボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突の2番煙突と3番煙突の間は広く取られており、間に四角形の通風筒が立っている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、1番煙突の2番煙突の両側に艦載艇用の揚収クレーンとしてとグース・ネック(鴨の首)型クレーンが1番煙突と2番煙突の間に左右1基ずつと2番煙突と3番煙突の間の左右に1基ずつで計4基で運用された。4番煙突から後ろに箱型の後部艦橋を基部とする簡便な単脚式の後檣が立ち、後部甲板上に後ろ向きに19.4cm連装主砲塔1基が載る。副砲は16.3cm副砲12門のうち8基が単装式砲塔に収められ、舷側甲板上に等間隔に片舷4基ずつ計8基が配置され、残りは舷側ケースメイト配置で前後の艦橋の両脇に片舷2基ずつ計4基が配置された。この武装配置により前後方向に最大で19.4cm砲2門と16.3cm砲6門が指向でき、左右舷側方向に19.4cm砲4門と16.3cm砲6門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/06 09:39 UTC 版)
「カイオ・ドゥイリオ級戦艦 (初代)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は水面から乾舷までが低い平甲板型船体となっている。衝角の付く艦首から艦首甲板に兵装はなく、1番煙突の中間部に戦闘艦橋が付く。そこから単脚式の主檣が一番煙突と二番煙突の中間部に立ち、主檣の右前方に装甲フード付き露砲塔に収められた1番45cm連装砲が、主檣の左後方に2番45cm連装砲のバーベットが配置される。二番煙突後方から甲板上にこの頃にポピュラーであった艦載水雷艇を1隻収められる格納庫が配置され、それを囲むように12cm副砲が単装砲架で3基を艦尾方向に向けて配置された。艦載水雷艇は艦尾の扉から出し入れできた。「エンリコ・ダンドロ」の近代化改装時に一本しかなかった主檣は一番煙突の前方に前檣を、二番煙突の後方に後檣を配置し二本となった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/19 00:34 UTC 版)
「トナン (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 水面部が突出した艦首から艦首甲板に34cm単装主砲塔が1基、司令塔を組み込んだ艦橋の背後に主ミリタリーマストと1本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビッドが片舷に2組ずつ計4組で運用された。その後ろに34cm単装主砲塔が後向きに1基配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/19 00:29 UTC 版)
本艦の基本構造は1本のマストと一本煙突を持つ海防戦艦としてデンマークはコペンハーゲン海軍造船所で建造された。艦首水面下に衝角を持ち、低い船体に比べて凌波性を良くするために高められた艦首甲板上にはクルップ製 30.5cm(22口径)単装砲を2,000トン台の小型艦ながら最厚で254mmの装甲で作られた円筒形の砲塔に納めていた。船体中央部に229mmもの厚さを持つ鉄製の装甲板が貼られた。後部甲板上の艦尾側に単装砲塔に収められた12cm単装砲3基が配置され、3基は1門をやや後部にずらして並列に配置された。この武装配置により前方方向に最大24cm砲1門・12cm砲2門、左右方向に最大24cm砲1門、12cm砲2門、後方に12cm砲3門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/19 00:35 UTC 版)
本級の船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られる。 船体形状はこの当時のイギリス海軍やドイツ海軍の海防戦艦と同じく、乾舷の低い平甲板型船体を採用している。水面下に衝角の付く艦首から全く傾斜のない艦首甲板上に「カネー 1887年型 34cm(42口径)砲」を収めた単装式の主砲塔が1基、司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ箱型の艦橋の背後には簡素な単脚式の前檣、1本煙突の周囲には煙管型の通風筒が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビットが片舷1組ずつ計2組で運用される。簡素な後部マスト、そこから甲板一段分下がって後部甲板上に後ろ向きの34cm単装主砲塔の順である。副砲の10cm単装砲は単装砲架で片舷2基ずつ計4基を装備した。この武装配置により艦首尾方向に34cm砲1門、舷側方向に34cm砲2門、10cm砲2門が指向できた。
※この「艦形」の解説は、「ジュマプ級海防戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/19 00:30 UTC 版)
「アイヴァー・ヒュイトフェルト (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は波の穏やかなバルト海での運用が主であるため、海防戦艦として水面から乾舷までが低い平甲板型船体を採用した。水面下に衝角(ラム)の付いた艦首から艦首甲板上に26cm砲を収めた単装砲塔1基を直置きした。その背後から司令塔を組み込んだ露天の操舵艦橋と前部マストが立つ。船体中央部に1本煙突が立ち、周囲は艦載艇置き場となっており前後マストを基部とするクレーン2基により運用された。舷側甲板上に副砲の12cm単装砲を片舷2基、12cm砲に挟まれるように5.7cm単装砲片舷1基ずつ配置した。後部甲板上に2番主砲塔を後向きに1基配置した。
※この「艦形」の解説は、「アイヴァー・ヒュイトフェルト (海防戦艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/22 15:24 UTC 版)
「コーニンギン・レゲンテス級海防戦艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状はこの当時の列強主力艦と同じく、排水量に比較して凌波性を良くするために乾舷が高められた平甲板型船体を採用している。水面下に衝角の付く艦首から全く傾斜のない艦首甲板上に「クルップ 1902年型 24cm(40口径)砲」を収めた単装式の主砲塔が1基、司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ箱型の艦橋の背後には簡素な単脚式の前檣、1本煙突の周囲には煙管型の通風筒が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビットが片舷3組ずつ計6組で運用される。簡素な単脚式の後檣、そこから甲板一段分下がって後部甲板上に後ろ向きの24cm単装主砲塔の順である。副砲の15cm単装砲は単装砲架で艦橋の両脇の舷側甲板上に片舷1基ずつ、後檣の左右に片舷1基ずつ計4基を装備した。副砲の首尾線方向への射界を少しでも得るために船体の一部を切り欠いている。この武装配置により艦首尾方向に24cm砲1門、15cm砲2門が、舷側方向に24cm砲2門、15cm砲2門が指向できた。
※この「艦形」の解説は、「コーニンギン・レゲンテス級海防戦艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 11:59 UTC 版)
「クロンシュタット級重巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状はキーロフ級などの短船首楼型船体とは異なり、建造しやすい平甲板型船体が採用された。艦首形状は凌波性を考えて前方に強く傾斜したクリッパー・バウとなっているが、艦首のシア(甲板の傾斜)はほとんど無く、波の穏やかな内海に向いた設計であった。上構の配置は、同時期に設計されたソビエツキー・ソユーズ級戦艦に類似し、1・2番主砲塔は艦体前方に背負い式に2基配置した。2番煙突の背後に小型の後部艦橋が設けられ、後部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基配置された。 本級の艦橋構造はドイツ海軍の装甲艦「アドミラル・シェーア」によく似ていた。装甲司令塔を組み込んだ箱型の操舵艦橋の背後、水面高29mの頂上部に測距能力40kmの測距儀と射撃指揮装置を配置した背の高い戦闘艦橋が立つ。
※この「艦形」の解説は、「クロンシュタット級重巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/22 15:24 UTC 版)
「ヘルトーグ・ヘンドリック (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状はこの当時の列強主力艦と同じく、排水量に比較して凌波性を良くするために乾舷が高められた平甲板型船体を採用している。水面下に衝角の付く艦首から全く傾斜のない艦首甲板上に「クルップ 1902年型 24cm(40口径)砲」を収めた単装式の主砲塔が1基、司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ箱型の艦橋の背後には簡素な単脚式の前檣、1本煙突の周囲には煙管型の通風筒が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビットが片舷4組ずつ計8組で運用される。簡素な単脚式の後檣、そこから甲板一段分下がって後部甲板上に後ろ向きの24cm単装主砲塔の順である。副砲の15cm単装砲は単装砲架で艦橋の両脇の舷側甲板上に片舷1基ずつ、後檣の左右に片舷1基ずつ計4基を装備した。副砲の首尾線方向への射界を少しでも得るために船体の一部を切り欠いている。この武装配置により艦首尾方向に24cm砲1門、15cm砲2門が、舷側方向に24cm砲2門、15cm砲2門が指向できた。 1940年にドイツ軍に鹵獲された際に船体の上部構造物は全て撤去され、防空砲台として使用するために「SK C/32 10.5cm(45口径)高角砲」を単装砲架で8基、「ボフォース 4cm(56口径)機関砲」を単装砲架で4基、「2cm(56口径)機銃」を単装砲架で16基を搭載し、これらを管制するために艦橋のあった位置にマストを立てて「Würzberg式対空レーダー」のアンテナを設置し、後檣のあった位置に対空指揮所を新設された。
※この「艦形」の解説は、「ヘルトーグ・ヘンドリック (海防戦艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/22 15:19 UTC 版)
「フゥリュー (海防戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は特徴的なタンブル・ホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 水面部が突出した艦首から艦首甲板に34cm単装主砲塔が1基、司令塔を組み込んだ艦橋の背後に2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビッドが片舷に1組ずつ計2組で運用された。艦載艇置き場を挟んで主ミリタリーマストが立つ。その後ろに34cm単装主砲塔が後向きに1基配置された。
※この「艦形」の解説は、「フゥリュー (海防戦艦)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/21 09:59 UTC 版)
本級の船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体で、世界各地に植民地を警備するイギリス海軍の巡洋艦の常として外洋での凌波性は良好であった。やや傾斜したクリッパー・バウ型の艦首から主砲として新設計の15.2cm速射砲を単装砲架で背負い式配置で2基、司令塔を操舵艦橋で覆った艦橋の背後には後方に傾斜した頂上部に測距儀を設置した三脚式の前檣と1番煙突の間に3番主砲1基を配置する。船体中央部に1番煙突は2番煙突の倍の太さがある2本煙突が立ち、周囲に艦載艇置き場となっていた。1番煙突と2番煙突の間の両脇には7.62cm単装高角砲が片舷1基ずつ計2基が配置し、高角砲を前後に挟むように53.3cm三連装水上魚雷発射管が片舷2基ずつ計4基を配置した。2番煙突の背後に4番主砲が1基配置され、その背後に後部見張り所と簡素な単脚式の後檣が1本配置される。船首楼甲板の最後に5番主砲が後向きに1基、そこから甲板一段分下がって後部甲板上に6番主砲が後向きに1基を配置した。
※この「艦形」の解説は、「ドラゴン級軽巡洋艦」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/13 03:04 UTC 版)
「ケーニヒスベルク級軽巡洋艦 (初代)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体は前級に引き続き長船首楼型船体を採用していた。艦首は前方に強く傾斜したクリッパー型の艦首から中央部が狭い艦首甲板上に波きり板を設けた後ろに主砲の15cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で1番2番主砲を並列配置で2基、その背後に司令塔を基部とする船橋(ブリッジ)をのせた箱型艦橋と前部マストが立つ。船体中央部に等間隔に並んだ3本の煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビットが片舷2組で計4組により運用された。舷側甲板上には15cm速射砲が片舷2基配置された。3番煙突の後方に8.8cm(45口径)高角砲が単装砲架で直列に2基が配置され、後部見張り所を基部とする後部マストが立ち、船首楼の末端部に7番主砲1基で、そこから甲板一段分下がった後部甲板上に8番主砲が後ろ向きに1基で背負い式配置とされた。
※この「艦形」の解説は、「ケーニヒスベルク級軽巡洋艦 (初代)」の解説の一部です。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/20 16:36 UTC 版)
「デュプレクス級装甲巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は前型と同じく高い乾舷を持つ長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。艦首から16.3cm連装砲塔1基を配置、艦橋構造は箱型とし、その上に一段の見張り所を持つ単棒檣が立つ。 艦橋の背後に4本の煙突が立っているが、ボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は2番煙突と3番煙突の間は広く取られており、間に四角形の通風筒が立っている。2番主砲塔背後の舷側に16.3cm連装砲塔が片舷1基ずつ計2基配置されている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、舷側に艦載艇用のボート・ダビットが片舷4基計8基が配置されている。4番煙突から後ろは簡便な単脚檣、後ろ向きに16.3cm連装砲塔1基が載る。艦尾甲板は途中で一段下がった階段形となっていた。 10cm副砲は艦橋の左右1基ずつ計2基と4番煙突の左右舷側に1基ずつ計2基ずつが配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/21 09:52 UTC 版)
本艦の基本構造は平甲板型船体の装甲フリゲートで、艦首水面下に衝角を持ち、前部マスト後部に船橋を持つ艦橋が配置され、船首楼は艦橋の後部で終了し、そこから甲板1段分下がって、船体中央部に1本煙突が配置され、煙突を前後に挟む形で「アームストロング Marks I 30.5cm(25口径)後装填砲」を2門ずつ収めた円柱状の連装主砲塔2基が左右互い違いに配置されていた。その後部に甲板1段分上がって後部マストが立ち、後部甲板上には艦載艇が置かれ、後部マストの基部に付いたボート・クレーンにより運用された。
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艦形
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「ルイージ・カドルナ級軽巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級は高速を発揮しやすくするために同時期のイギリス海軍の巡洋艦と同じく縦横の比率の強い細長い船体形状を採用し、復元性を良くするためにタンブル・ホーム型の船体を採っていた。水線下にバルバス・バウを持つ突出した艦首から艦首甲板上に1・2番主砲塔を背負い式で2基設置。塔型艦橋の背後にオフセットした頂上部に測距儀を載せた前部三脚檣が立つ。艦橋の背後には2本の煙突が立つが機関のシフト配置のために前後が離されており、1番煙突の左右に53.3cm連装魚雷発射管が片舷1基ずつの計2基、高角砲が1番煙突寄りに防盾付きの連装砲架で1基、その後方に連装高角砲が片舷1基ずつの計3基が三角形状に配置された。2番煙突の前部に後部三脚檣が立ち、2番煙突の周囲が艦載艇置き場となっており、後部三脚檣の基部に付いたクレーン1基により運用された。後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲塔が背負い式に2基配置した。 小型の船体に重武装を施したために建造後に4cm機関砲を新型の20mm連装機銃4基に換装、1943~1944年に航空兵装と13.2mm機銃と魚雷発射管を撤去して20mm単装機銃4基を追加装備した。
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艦形
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「アローマンシュ (空母)」の記事における「艦形」の解説
詳細は「コロッサス級航空母艦」を参照 イギリス海軍の空母で大戦期に設計された本艦はイラストリアス級航空母艦の後継艦となり、エンクローズド・バウと大型のアイランドとオーバーハングした艦尾形状を持っていた。この時期のイギリス空母は全長を抑えた船体に幅広の飛行甲板が特徴であったが、コロッサス級においては全長を伸ばして細長い船体形状を採用し、船体はロイド船級協会の規格に沿った設計が採られた。耐用年数を切り下げる代わりに戦時において最も重要な"早期建造"を目的として商船型規格を採用する事で建造期間を短縮する目的であった。 航空艤装面においても既存艦と異なった。本級の設計時にはイギリス海軍は艦載機を半数をアメリカからの輸入で賄っており、最終的に艦載機の64%がアメリカ製であった。このため本艦を含むコロッサス級の格納庫およびエレベーターはアメリカ製の艦載機を搭載可能とするためにアメリカ軍の規格で設計された。このため格納庫の高さはイラストリアスの4.9m、インドミタブルの4.3mに対して本級は5.3mに拡大した。 船体構造は水面から乾舷までの高さが低い重厚な設計であった。水面から傾斜した艦首から航空機格納庫がせりあがるエンクローズド・バウと呼ばれる形状を受け継いでいた飛行甲板の前後には四角形のエレベーターが前後に1基ずつの計2基が配置された。飛行甲板右舷部には艦橋構造煙突が一体化し、そのあいだに三脚型の主マストが立つ。武装は飛行甲板を阻害しないように配置され、主武装の4cmポンポン砲は八連装砲架で艦橋の手前に1基と煙突の背後に1基ずつ、エレベーターの側面の舷側に砲座を設けて片舷2基ずつの計6基が配置されていた。エリコン 2cm(76口径)機関砲は船体側面に張り出し(スポンソン)を設けて19丁を装備していた。アイランドの背後に艦載機の揚収のためにクレーン1基が付く。艦載艇は格納庫の下に収容スペースを片舷3か所ずつ設けて搭載され、小型のボートはアイランドの下に吊り下げられた。就役後に2cm単装機銃はボフォーズ 4cm(56口径)機関砲が単装砲架で19基に換装された。 本艦で運用されるブレゲー・アリゼ 1958年の改装で飛行甲板には左舷全部に張り出しを設ける形で中心線から角度4度のアングルド・デッキが設けられて艦首甲板は発艦スペースとなり、この改装で全幅は約39mとなった。エレベーターやカタパルトはフランス海軍に採用されたブレゲー・アリゼを運用可能とするために強化され、この重量増加に対応すべく対空火器はすべてが撤去された。またレーダーはDBRV 22A型レーダーに更新されてマストが強化された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/11 06:11 UTC 版)
「1940年度巡洋戦艦試案」の記事における「艦形」の解説
本案の船体形状は平甲板型船体である。強く傾斜したクリッパー・バウから艦首甲板上に主砲の「1940年型 28cm(54.5口径砲」を三連装式砲塔に収めて背負い式に2基、その後方に頂上部に大型の測距儀を配置した近代的な箱型艦橋の後方に簡素な単脚式のマストが1本立ち、船体中央部の2本煙突は機関のシフト配置のため前後に離されて配置しており、その間は水上機運用施設となっており、1番煙突基部に設けられた水上機格納庫には水上機2機が格納でき、船体中央部に首尾線方向に垂直に埋め込まれた固定式カタパルトにより射出される。艦載機の運用は船体中央部に片舷1基ずつ設置されたグース・ネック(鴨の首)型クレーンにより運用され、2番煙突基部に並べられた艦載艇の運用に使用される設計であった。2番煙突の後方に測距儀を配置した後部見張り所が設けられ、後部甲板上に後向きに3番主砲塔が1基配置された。左右の舷側甲板上には副砲の「12cm(50口径)速射砲」が連装式の副砲塔に収められ、1番煙突の側面に前向きに背負い式で2基と3番煙突の側面に後向きに1基で片舷3基の計6基を配置した。対空兵装の「4cm(56口径)機関砲」は連装砲架で艦橋中部の四隅に4基、後部見張り所の前方に並列で2基、後方に後向きに1基の計7基を配置した。この武装配置により艦首方向に最大で28cm砲6門・12cm砲8門・4cm砲4門、舷側方向に最大で28cm砲9門・12cm砲6門・4cm砲8門、艦尾方向に最大で28cm砲3門・12cm砲4門・4cm砲6門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/15 03:32 UTC 版)
船体形状は船首楼型とした。甲板のシアは少なく、船首前端も傾斜の少ない形状となっている。船首楼甲板の後端に艦橋と前部マストを配置。その後方の甲板下は3基の主缶を収めた缶室区画で、1番煙突に主缶2基分、2番煙突に1基分の煙路が導設された。煙突後方に53.3cm三連装魚雷発射管2基が配置された。主砲は前後甲板上に2基ずつ背負い式で配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 00:00 UTC 版)
「伊三百六十一型潜水艦」の記事における「艦形」の解説
本型は潜水商船「ドイッチュラント」を参考に、艦前後方の輸送スペースを設けてそこに兵員と物資を搭載することとした。計画当初は陸戦隊110名と物資10トンを艦内に搭載し、艦の後部甲板上に上陸用舟艇である特型運貨船2隻を搭載する予定だった。他にも建造期間を短縮するために、主機や電動機は既製品を用いることとされていた。 その後設計と建造計画は急速に進み、1943年(昭和18年)2月には1番艦が起工された。しかしこの頃、ガダルカナルの戦いにおける潜水艦を用いた輸送作戦での戦訓がもたらされ、建造中に仕様変更が行われた。純粋な輸送潜水艦として建造するために、人員搭載をやめ、物資搭載量は艦内125トン、艦外20トンと変更された。更に警戒が厳重な沿岸地域への輸送を行うため、艦橋下部にV字型の傾斜をつけて敵からのレーダー探知を防ぐ形となった。加えて水中航続力増加の要求から電池の増設が行われ、水中行動能力が3ノットで40時間と日本の潜水艦の中でも最長クラスとなった。しかし輸送スペースを電池の増設スペースへと転用したため、艦内搭載量は65トンとなった。 だが搭載量の大幅な減少が問題となったためか、本型の最終艦である伊372では新造時から魚雷発射管を撤去して輸送スペースを広げ、艦内搭載量を90トンとする改正が行われた。後に伊361を除く本型の全艦が、建造中又は竣工後に魚雷発射管を撤去する工事を受けた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/30 16:04 UTC 版)
「コルフ (仮装巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦は垂直に切り立った艦首に、乾舷の高い船首楼と艦尾楼を持つ船体上に船橋(ブリッジ)を載せた上部構造物と2本煙突を持つ典型的な商船型であった。前後の甲板上にマスト1本が計2本と4か所のデリック・クレーンを持っていた。イギリス海軍に徴用後は商船時代のマストや荷役機器等は撤去され、外観が大きく変化した。外観上の特徴であった2本煙突についても、後部の煙突は外観を整えるためのダミーファンネルであったため撤去され、1本煙突となった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/06 17:55 UTC 版)
本艦の基本構造は2本のマストと一本煙突を持つ木造フリゲートとして福州船政局(海軍造船所)で建造された。船体には16cm単装砲1基と12cm単装砲1基を装備していた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/28 13:53 UTC 版)
「ジョーレギベリ (戦艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は「カルノー」よりも強く引き絞られた特徴的なタンブルホーム型船体となっている。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 ほぼ垂直に切り立った艦首から艦首甲板に30.5cm単装主砲塔が1基の背後に司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。 本艦のミリタリーマストは内部に階段を内蔵した円筒状となっており、頂部には二層式の見張り台が設けられた。上下の見張り台には四つの開口部があり、下段部のみ47mm単装速射砲が1基ずつ計4基が配置され、後部ミリタリーマストも同形式で前後4基ずつ計8基配置された。前部ミリタリー・マストの背後には断面図が小判型の煙突が二本立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、豊富なクレーンにより水面に下ろされた。 艦載艇置き場の後部にはミリタリー・マストが立ち、その後ろに30.5cm単装主砲塔が後向きに1基配置された。本艦の舷側甲板は存在せず、船体中央部の張り出し部に27cm単装副砲塔が船体中央部に片舷1基ずつ計2基配置された。 特徴的なのは14cm砲の配置方式で他の艦は14cm単装砲塔を片舷4基計8基が配置されるのに対し、本艦では省スペース化のために14cm単装速射砲8門を連装砲塔に収め、前後ミリタリー・マストの左右に1基ずつ計4基8門配置した。 この配置により艦首尾線方向に最大30.5cm砲1門、27cm砲2門、14cm砲4門が指向でき、左右方向には最大30.5cm砲2門、24cm砲1門、14cm砲4門が指向でき強力な火力を誇っていた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/04 08:40 UTC 版)
「ダブー (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的に採られた手法である。 本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に16cm単装砲が防盾の付いた単装砲架で1基、司令塔の上に両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋が設けられ、艦橋を基部として前部ミリタリー・マスト1本が立つ。 船体中央部には2本煙突が立ち、その周囲は煙管状の通風筒により艦内に換気した。舷側甲板上に艦載艇置き場となっており、艦載艇は2本1組のボート・ダビッドが片舷4組ずつ計8組により運用された。舷側には2か所に張り出しが設けられ16cm単装砲が1基ずつ配置された。後部甲板には後部ミリタリーマスト1本と16cm単装砲が後向きに1基である。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/04 08:18 UTC 版)
「デュケーヌ (巡洋艦・初代)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出すると言った特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得ることを目的に採られた手法である。 水線下に衝角を持つ艦首から艦首甲板上に単脚式の前部マストが建つ。その後ろに司令塔を下部に組み込み、両脇に船橋(ブリッジ)を持つ艦橋が建つ。船体中央部に2本煙突が建つ。その周囲は煙管型の通風筒が立ち並び、その周囲は艦載艇置き場となっており、それらは2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組で運用された。 舷側に張り出し(スポンソン)が片舷3か所に設けられ、主砲の19cmライフル砲を単装砲架で1番から6番まで配置された。副武装の14cm砲は船体内の砲郭(ケースメイト)に片舷7基ずつ計14基が配置された。2番煙突の後方に2番マストと3番マストが立ち、後部甲板上に7番19cm主砲1基が配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/04 08:41 UTC 版)
「ディアナ (通報艦)」の記事における「艦形」の解説
主船体は、シアの強い長船首楼型で、艦中央部に艦橋・煙突を含む上部構造物が配置された。上部構造物は船体幅一杯に及ぶ比較的容積の大きなものであり、高出力機関を搭載しているため煙突も艦形の割には大きなものであった。上部構造物前後には10.2cm単装砲の砲座が設けられた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/07 15:51 UTC 版)
「クアルト (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は短船首楼型船体であるが、艦首甲板の形状は既存の巡洋艦のように平面ではなく、当時の駆逐艦に多く採用された凌波性の良いタートル・バック型艦首を採用していた所に特色があった。 艦砲としては、ヴィッカースおよびアームストロング・ホイットワース製の50口径12cm砲をオート・メラーラ社がライセンス生産した砲(Mod.1909)を、防盾の付いた単装砲架で片舷に1基ずつで並列配置で2基を配置した。司令塔を組み込んだ操舵艦橋の後部に簡素な単脚式の前部マスト、等間隔に並んだ3本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、その脇の舷側甲板上には副砲として、やはりヴィッカース社の50口径7.62cm砲をオート・メラーラ社がライセンス生産した砲(Mod.1909)が、片舷3基ずつ計6基が配置された。艦載艇は1番煙突と2番煙突の間のクレーン1基と舷側に付いた2本1組のボート・ダビッドを片舷2組の計4組により吊り上げられて運用される。3番煙突と簡素な単脚式の後部マストの間の上部構造物を挟んで2番.3番12cm速射砲が舷側甲板上に片舷1基ずつ配置された。後部マストの後側に5番.6番12cm速射砲が後向きに並列配置されたが、射界を広げるために左舷側の主砲は若干前方に配置されていた。この武装配置により前方向に12cm砲2門、左右方向に最大で12cm砲4門・7.62cm砲3門、後方向に12cm砲4門、7.62cm砲2門が指向できた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/09 09:23 UTC 版)
「ジュリアン・ド・ラ・グラヴィエール (防護巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は、フランス巡洋艦で長らく主流となってきたタンブル・ホーム式の船体を廃止していた。基本的に高い乾舷を持つ長船首楼型船体で、外洋での凌波性は良好であった。 本艦の構造を前部から記述すると、艦首から前向きに主砲として16cm単装砲架1基を配置、下部に司令塔を組み込んだ露天式の艦橋構造は箱型とし、その上に単脚式の前檣が立つ。艦橋構造の背後から4本の煙突が立っているが、フランス海軍ではボイラー室を前後に振り分けた缶室分離配置を採っているために煙突は2番煙突と3番煙突の間は広く取られている。 煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、艦載艇用のボート・ダビット片舷4基で計8基立つ。4番煙突から後ろは後部船橋、簡便な単脚檣、後ろ向きに主砲1基が載る。舷側には半円形の張り出し(スポンソン)が三箇所設けられ、そこに16cm単装砲が片舷3基ずつ計6基配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/15 06:57 UTC 版)
本級は凌波性能を高くすべく設計された長船首楼型船体を採用した。クリッパー・バウの艦首から乾舷は高く取られた艦首甲板から上部構造物が始まり、「1912年型34cm(45口径)砲」を「四連装砲塔」に納めて1番主砲塔を1基配置した。その背後に操舵艦橋を載せた大型の装甲司令塔の上に三段測距儀が1基載る。司令塔の部には1番煙突が立ち、中央部甲板上に前向きに2番主砲塔を1基、その背後に単脚式の主マストと2番煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2番煙突を基部とするクレーンが片舷1基ずつ計2基配置された。 艦載艇置き場の後ろに、後ろ向きに3番主砲塔、甲板一段分下がって後部甲板上に後ろ向きの4番主砲塔の順に配置された。主砲は計4連装4基の16門である。 副砲は前級同様のケースメイト式配置で1番主砲塔下の甲板に片舷4基ずつ8門、船体中央部に片舷6基12門、3番主砲塔下に片舷2基4門の計24門である。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/28 08:15 UTC 版)
「キューバ (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本艦の船体形状は平甲板型船体で艦首は垂直だった。全甲板上に10.2cm単装砲を防盾の付いた単装砲架で1基。その背後に艦橋を基部とする単脚式の前部マストが建つ。船体中央部には2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷3組ずつ計6組で運用された。後部マストの背後に10.2cm砲が後ろ向きに1基が配置されていた。 就役後の1919年に類別を軽巡洋艦に変更。に老朽化した本艦を1936年から1937年にかけて第1次近代化改装が行われた。主な変更点は石炭専焼缶を重油専焼ボイラーに換装し、2本あった煙突は1本にまとめられた。また外観上での変化は 艦首が整形されてやや傾斜のついた艦首形状となり、前部マストは三脚マストとなった。武装面においては主砲以外の備砲が一新されたことであった。
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艦形
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「ゴトランド (巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状はクリッパー型艦首から艦尾まで緩やかに傾斜する平甲板型船体である。艦首甲板に15.2 cm連装主砲塔が1基、その後ろに下部に司令塔を組み込んだ二層式の箱型艦橋の両脇には片舷1基ずつのケースメイト配置で15.2 cm単装砲を配置した。艦橋の後部に簡素な単脚式のマストが立ち、その後方に傾斜した2本煙突の周囲が艦載艇置き場となっていた。2番煙突の背後に見張り所と75 mm連装砲が、その下方にある甲板に53.3 cm三連装水上魚雷発射管が片舷1基ずつ計2基配置された。後部甲板上に15.2 cm連装主砲塔が後ろ向きに1基が配置された。その後ろの甲板に格納庫と飛行甲板を設け、旋回式カタパルト、水上機、クレーンが配された。トランサム型の艦尾構造にはハイン・マットを備えた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/29 15:36 UTC 版)
本級の船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、艦首水面下に冬は氷に閉ざされるバルト海で行動するために砕氷構造を持ち、艦首から艦尾に向けてなだらかに傾斜する甲板から前向きに「24cm(50口径)砲」を単装砲塔に収めて1基を配置し、その後部に甲板1段分上がって副砲の「15cm(50口径)速射砲」を主砲塔と同形式の単装砲塔に収めて1基を配置していた。艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ箱型で、艦橋を基部として簡素な単脚式の前檣が立つ。その後部から機関区が始まり、1本煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、頂上部に見張り所を設けたために前檣よりも大型となった三脚式の後檣の基部に1基ついたジブ・クレーンにより運用される。その後部に後ろ向きの15cm副砲塔が1基、甲板一段分下がって後ろ向きに24cm単装主砲塔が1基配置された。舷側甲板上の中央部には15cm単装副砲塔が片舷1基ずつ配置され、計4基の設計である。 しかし、建造途中にモニターに改造された折に、外洋での安定性確保のために全長の70%に及ぶ長さの大型のバルジが装着されると共に、武装は英国式の規格に変更され、主砲は23.4cm、副砲は15.2cm砲に変更され、高角砲は搭載せず、76.2mm砲と40mmポンポン砲が少数装備された。しかし、この改装により船体幅は設計時の約1.5倍となってしまい、ノルウェー海軍の既存のドックに入れなくなったために第一次世界大戦後にイギリス海軍で本級が不要となった後に、ノルウェー海軍に購入を打診したが、ノルウェー海軍が拒否する大きな理由となってしまった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/29 15:37 UTC 版)
「マーシャル・デオドロ級海防戦艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は同時期にフランス海軍で建造されたシャルルマーニュ級戦艦に似た乾舷の低いタンブル・ホームの付いた平甲板型船体である。水面部が衝角(ラム)で突出した艦首から艦首甲板上に「アームストロング 23.4cm(45口径)ライフル砲」を収めた単装砲塔1基の基部から上部構造物が始まり、その前部に司令塔と両側に船橋(ブリッジ)の付いた艦橋を基部として頂上部に見張り所を持つ前部ミリタリーマストが立つ。マストの背後に1本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風塔が立ち並び、外側は艦載艇置き場となっており、ボート・ダビットが2本を1組として片舷3組ずつ計6組で運用された。上部構造物の四隅には副砲の12cm速射砲が単装砲架で1基ずつ計4基が配置されており、その上の艦載艇置き場の空所に5.7cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で片舷3基ずつ計6基が配置されていた。後部ミリタリー・マストが立った所で上部構造物は終了し、後部甲板上に後部23.4cm単装砲塔が後向きに1基が配置されていた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/12 18:20 UTC 版)
スペイン海軍の要求性能は満載排水量状態でスエズ運河を通航可能で、長航続性能のため帆走設備を持つ物とされた。しかし、発注後に機関の信頼性向上に伴い、機関航行のみで長距離航行が可能となり帆走設備は竣工後に撤去された。 本艦の基本設計はラガヌが手がけたフランスの前弩級戦艦マルソー級をタイプシップに採り、船体の基本形状は艦首水面下に衝角をもつタンブル・ホーム型の平甲板型船体に2本のマストと中央部に2本煙突を持つ当時の一般的なフランス戦艦の形態である。この時代のフランス戦艦の特色として主武装として口径の異なる大口径砲を二種類搭載する事があり、本艦もそれに倣って艦首と艦尾甲板上にカネー社の新設計の「1884年型 32 cm(35口径)砲」を単装式の露砲塔で1基ずつ計2基。舷側の中央部に同じくカネー社の新設計の「1883年型 28 cm(35口径)砲」を単装式の露砲塔で片舷1基ずつ計2基を配置した。他に副砲として艦首部に砲門を開け、そこに16.2cm単装砲を1基。更に舷側に砲門を開けて12cm単装砲をケースメイト(砲郭)配置で片舷6基の計12基を配置した。この配置により艦首方向に最大で32cm砲1門・28cm砲2門・16.2cm砲1門、左右方向に最大で32cm砲2門・28cm砲1門・12cm砲6門を、艦尾方向に最大で32cm砲1門・28cm砲2門を指向する事が出来た。 艦首の32cm主砲塔の背後に頂上部に見張り所を持つ前部マストが1基、船体中央部に2本煙突が立ち、1番・2番煙突の間に左右に船橋を持つ操舵艦橋と司令塔が配置された。艦載艇は前後左右に配置された主砲の爆風を避けるために煙突の周囲など船体の高所に置かれ、1番・2番煙突の両脇に設けられたガントリークレーンにより運用された。 本艦は竣工後の1897年から1898年にかけて建造元のラ・セーヌ造船所で近代化改装を受けた。主な変更箇所は艦首の16.2cm砲と舷側の12cm砲を撤去して、替わりに新型の14cm単装砲9基に更新した。しかし、この改装中に米西戦争が起きたために工事が遅延して工期が遅れた。
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艦形
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本艦の船体形状は艦首乾舷のみ高い短船首楼型船体で同時期に設計された日本海軍の峯風型駆逐艦と似た艦形である。艦の構造を前部から記述すると、艦首甲板上に主砲の8.8cm速射砲を単装砲架で1基配置した所で船首楼は終了し、そこから甲板1段分下がった場所に50cm連装魚雷発射管が1基、その背後に操舵艦橋と簡素な前部マストが立つ。船体中央部に3本煙突が立ち、1番・2番煙突の間に2番主砲が1基、2番・3番主砲の間に3番主砲が1基配置される。その周囲には煙管型の通風塔が立ち並び、空いた場所は艦載艇置き場となっており、艦載艇は2番煙突後方のクレーン1基により運用された。3番主砲の後方の中央甲板上に50cm単装魚雷発射管が直列で2基配置され、後部マストと後部見張所を挟んで後部甲板上に4番主砲が1基配置された。 イタリア海軍取得後は凌波性改善のために艦首魚雷発射管は廃止され、船首楼が艦橋基部まで延長された。1番煙突はやや高くなり、中央甲板上に連装魚雷発射管が直列に2基配置となった。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/23 09:24 UTC 版)
「シャルルマーニュ級戦艦」の記事における「艦形」の解説
船体形状は前級に引き続き平甲板型船体を採用しており、大西洋での作戦時での凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。水面下には衝角(ラム)が付いていた艦首から艦首甲板上に主砲の「1893-1896年型 30.5cm(40口径)砲」を楕円筒形の連装砲塔に収めて1基が配置された。司令塔を組み込んだ操舵艦橋、前部ミリタリー・マスト、船体中央部の2本煙突は前よりに配置されており、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、船体中央部に片舷2基ずつのガントリークレーンにより運用された。副砲の13.9cm速射砲は単装砲架で船体中央部に等間隔に片舷4基、上甲板中央に1基で片舷5基ので計10基を搭載していた。後部甲板上に後部ミリタリー・マストが立ち、その後に2番主砲塔が後ろ向きに1基配置された。
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艦形
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「グルィフ (機雷敷設艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は波浪の少ないバルト海で使用するために平甲板型船体を採用してコストダウンに努めている。傾斜の強いクリッパー型艦首から甲板上に主砲の「ボフォース Model 1936 12cm(50口径)速射砲」を防盾の付いた連装砲架で1基配置した背後から艦上構造物が始まり、12cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で背負い式配置された。 頂上部の見張り所には測距儀1基を載せた風雪厳しいバルト海での運用に耐える重厚な箱型艦橋の側面には近接火器として「オチキス Model 1929 13.2mm(76口径)機関銃」が連装砲架で片舷1基ずつ計2基が配置された。 船体中央部には簡素な三脚型の前部マストが立ち、その下は艦載艇置き場で前部マストを基部とするクレーンが片舷1基ずつ計2基により運用された。艦載艇置き場の直下は候補生の居住区となっており、中央部に探照灯台を兼ねた後部見張所。本艦の機関はディーゼルのために煙突を模した排気管1本が立つ。 の後方には露天の後部測距儀所があり、それを挟み込むように「ボフォース 4cm機関砲」が連装砲架で並列で2基が配置された。上部構造物の最後部に12cm速射砲が防盾の付いた単装砲架で1基、その下の後部甲板上に12cm速射砲が防盾の付いた連装砲架で1基で後ろ向きの背負い式配置となっていた。 3番・4番主砲の側面から艦尾にかけて機雷投下用のレールが片舷3つずつ計6基あり、最大で600発が搭載できた。機雷は台車に乗せられレール上を滑って艦尾から投下された。
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艦形
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「プリュトン (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。 艦首から前向きに主砲としてシールド付きの14cm単装砲架を背負い式で2基配置、下部に艦橋構造は箱型とし、その上に三脚式の前檣が立つ。艦橋構造の背後から2本の煙突が立っているが、第一次大戦後のフランス海軍ではボイラー室とタービン室を交互に振り分けたシフト配置を採っているために2本煙突の間隔は1番煙突と2番煙突の間は広く取られている。 煙突の間にはシールド付きの7.5cm単装高角砲が片舷2基ずつ計4基が配置され、広い射界を持っていた。2番煙突の後部から艦載艇置き場となっており、後檣の基部に1基が付いた艦載艇用のボート・ダビットで運用された。後檣も三脚式で中部に探照灯台が置かれた。その後ろは上部に測距儀が配置する後部船橋、後ろ向きに背負い式配置で14cm単装砲が2基が配置された。艦尾甲板上には片舷2条ずつの機雷投下軌条(レール)が設置され計4条が配された。 舷側にはプロムナード・デッキとされて開口されていたが、1933年から砲術練習巡洋艦任務に就き、艦内容積の不足が指摘されたために1939年に艦名を「ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(La Tour d'Auvergne)」と改名されると共に、艦内容積を増やすために開口部を塞いで居住空間が増やされた。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/14 00:25 UTC 版)
「ラ・アルヘンティーナ (軽巡洋艦)」の記事における「艦形」の解説
本級の船体形状は乾舷の高い長船首楼型船体で外洋での凌波性は良好であった。武装配置は、15.2cm(50口径)砲を三連装砲塔に収めて前甲板に背負い式配置で2基、後甲板に1基を配置し、船体中央部の2本の煙突の間に回転式のカタパルト1基を配置し、その上に水上機1基が置かれ、この水上機や艦載艇の揚収用としてトラス構造のクレーンが両舷に設置された。対空兵装として後部煙突の後方、後部主砲塔との間に10.2cm高角砲を単装砲架で両舷各2基、計4門配置し、また艦橋から船体中央部にかけての両舷には40mm機関砲を単装砲架で各舷4基、計8門搭載した。
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艦形
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「ホーキンス級重巡洋艦」の記事における「艦形」の解説
本級の基本設計は「バーミンガム級」に採り、乾舷の高い長船首楼型船体を採用した。全くシアー (造船)(英語版)(甲板の前後の傾斜)のない艦首甲板上に新設計の「Mark VI 1919年型 19.1cm(45口径)速射砲」を防盾の付いた単装砲架で背負い式に2基を配置した。2番主砲の基部から上部構造物が始まり、司令塔を組み込んだ艦橋の背後に三脚型の前部マストが立つ。 前部マストの背後には前部が太い2本煙突が立ち、煙突の周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビットが片舷3基ずつ計6組で運用された。舷側甲板上には2番煙突の側面に3番・4番主砲が片舷に1基ずつ配置された。その他に対空火器として「7.6cm(45口径)高角砲」が単装砲架で片舷2基ずつ計4基が配置され、他に対水上用に「7.6cm(40口径)速射砲」を6基搭載した。2番煙突の後方には後部見張り所と簡素な後部マストが立ち、船首楼の尾部に5番主砲が後ろ向きに1基配置した所で船首楼が終了し、甲板一段分下がった後部甲板上に6番・7番主砲が後ろ向きに直列に1基ずつ配置された。
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艦形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/24 01:05 UTC 版)
「ラ・プラタ級モニター」の記事における「艦形」の解説
1875年の「ロス・アンデス」の状態を示した図 近代化改装後の「ロス・アンデス(ARG Los Andes)」。写真の左側が艦首方向 本級の基本構造は浅い吃水の平甲板型船体で水面下に衝角を持つ艦首甲板上に居住区を兼ねた上部構造物があり、船体中央部の旋回式の砲塔により前後に分かれていた。竣工当時は帆走設備として前部上部構造物上にマストを1基、後部上部構造物の前部に立てられた1本煙突の後部に1本が配置していたが、後に帆走設備が撤去され、替わりに後部甲板上に頂上部と中部に見張り所を持つミリタリー・マストが1基配置された。
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