ロンドン軍縮条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:54 UTC 版)
これらの制限は1930年のロンドン海軍軍縮会議でも踏襲された。そして、1936年の第二次ロンドン海軍軍縮条約原案では更に主砲口径を14インチ以下に制限することが検討された。但し、第二次ロンドン条約では、ワシントン条約の加盟国のうち、新条約を批准しないものがあったときは戦艦の主砲口径の上限を16インチとするという条項を含み、また、非加盟国が条約で許容される以上の強力な戦艦を建造した場合、排水量規制も緩和されるという追加条項も存在した。 このエスカレーター条項は、かねてより条約内容に不満のあった日本の脱退を想定したものだったが、その公算は高いとはいえ確定ではなく、特にアメリカは脱退か遵守か両方の場合を想定したプランの策定を迫られることとなった。ノースカロライナ級戦艦は条約規定に基づく35000トン、14インチ砲艦かつ16インチ砲への換装も見越した設計とされたが、防御面など中途半端さは拭えず、あらためて16インチ砲艦として設計したサウスダコタ級戦艦へ移行することとなる。またアイオワ級戦艦は緩和された排水量規制45000トン枠に基づいて計画された。イギリスも、財政的限界から条約体制の崩壊を回避したいという政治的理由によりキング・ジョージ5世級戦艦は14インチ砲に抑えられた。 ワシントン海軍軍縮条約には、主要海軍国であるアメリカ、イギリス、日本、フランスおよびイタリアのすべてが署名したが、イタリアとフランスは、ロンドン海軍軍縮条約には調印しなかった。ドイツは、ヴェルサイユ条約によって戦艦の保有を禁じられていたが、イギリスと同等の法的制限におくことを決めた英独海軍協定で認めるところにより、1930年代に1隻だけ建造した。日本は1936年に条約から脱退し、条約制限を超えた巨大戦艦である大和型を建造した。他の国でも条約失効後、条約の制限を超えた設計はいくつも行われたが、いずれも完成には至らなかった。ドイツのH級戦艦は大戦勃発とともに廃棄され、アメリカのモンタナ級戦艦は起工前にキャンセルされた。
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