ロンドン警視庁特別部
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「ウィリアム・メルヴィル」の記事における「ロンドン警視庁特別部」の解説
その後、SIBは内閣のアイルランド担当調査員と捜査の方針を巡って対立したため、SIBは1887年に、内務大臣直属の「ロンドン警視庁特別部」(en:Special Branch)に改組され、情報収集と事件捜査の両方を行うようになった。メルヴィルは引き続きフランス勤務を続け、1888年5月にはアーサー・バルフォア暗殺計画が立てられた時には、自ら暗殺者を尾行して捕らえるといった手柄を挙げた。1888年12月にロンドンに戻され、イギリスに滞在していたペルシャのシャーを護衛する任務に就いた。その後、任務は王室の護衛にまで拡大され、1887年にはヴィクトリア女王の暗殺計画(en:Jubilee Plot)を阻止した。1891年にはアナーキスト関係の捜査を開始し、アナーキストクラブや地下印刷所を襲撃、壊滅させた。ウォールソール計画(en:Walsall Anarchists)を明らかにしている。 メルヴィルはその豊富な経験が認められ、1893年には、長官を辞めて私立探偵になったジョン・リトルチャイルド(en:John Littlechild)の跡を継いで特別部の長官となった。ベテランのパトリック・マッキンタイア巡査部長を解雇した時、彼はウォールソール計画はメルヴィルが起こしたものと告発した。結果的にメルヴィルは無実ではあったが、それが資料で裏付けられたのは80年後の事であった。. その後もメルヴィル率いる特別部は、アナキストの取り締まりに力を入れた。メルヴィル自身の手柄としては、ヴィクトリア駅でテオデュール・ミュニエ(en:Théodule Meunier)を捕らえた事がある。1896年にはロシア帝国の無政府主義者に繋がる協力者として、ゲオルギー・ローゼンブリュム(後のシドニー・ライリー)を獲得した。 1901年には、ヴィクトリア女王の国葬に訪れたヴィルヘルム2世を倒す計画を阻止する為、ドイツ帝国の諜報員グスタフ・シュタインハウアー(en:Gustav Steinhauer)と協力して作戦に当たった。1900年6月にハリー・フーディーニが脱出の名人としてスコットランドヤードを訪れたときには、手錠から簡単に脱出するのを見て彼と仲良くなり、彼からピッキングの技術を習ったという。 1903年に特別部の長官を辞任すると、帝国防衛委員会の軍事作戦部第三課(Directorate of Military Operation, Section 3、通称MO3。防諜を担当した)に務めた。メルヴィルは「ウィリアム・モーガン」としてロンドンの気取らないアパートに陣取り、特別部で培ったノウハウや人脈を生かして対外諜報と防諜の両方を行った。MO3は後に第五課(MO5)となる。
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