主砲口径
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:51 UTC 版)
口径という言葉には砲身の内径と砲身の長さ(口径長)の二つの意味があるが、ここではその両方について触れる。 1918年、日本海軍は八八艦隊第十三号艦型に46cm砲8門を搭載すべく、秘匿名五年式三十六糎砲(19インチ砲/48cm砲)を製造し、試射に成功した。この砲は瀬戸内海倉橋島、亀ヶ崎大砲試射場に残され、戦後米軍が撮影している。このように大和型戦艦以前に46cm砲を搭載する計画は存在した。 1934年2月、海軍省は省内に「軍備制限委員会」を設置し、日本及び米英の砲製造能力を比較検討した。委員会は、どの程度の口径、砲身長を新戦艦に採用すれば良いかを検討し、米英についても条約開けに18インチクラスの砲を搭載した戦艦を建造してくる可能性を考慮していた。制限委員会では藤本喜久雄造船少将が20インチ(内径50.8センチ。日本海軍はメートル法できりのいい数字にするので51センチ)砲3連装砲塔4基、速力30ノット、ディーゼル機関という大戦艦を提案した。また、軍令部の一部にも20インチ砲採用を働きかける動きはあり、反対に量産性を考慮して16インチクラスにとどめる動きもあった。問題は、砲身材料製造上必要な鋼塊(インゴット)の製造技術に難があったことである。当時日本で製造可能なインゴットの大きさは160トンであったが、「軍備制限委員会」が作成した比較表によれば、20インチ50口径砲だと240トンの鋼塊が必要となる。原によれば当時の世界記録でさえ、1931年に米国ミッドベール社が記録した200トンであり、艦政本部第一部としては20インチ砲の製造を極めて困難と判断したと言う。 結果、総合的に勘案して46cm砲搭載に決まったが、パナマ運河の存在も影響を与えている(後述)。この間、過重装備の水雷艇が転覆した友鶴事件が発生して藤本造船少将が失脚し、平賀譲が軍艦設計に関与するようになる。 搭載砲を45口径砲(砲身の長さが内径の45倍)とするか50口径砲(同50倍)とするかでも計画時に議論がされている。一般的には、砲身を長くするほど砲弾の初速は大きくなり射程や貫通力が増すが重量増となる。 45口径と50口径の威力比較項目45口径50口径初速(m/s〜2)780820最大射程(m)41,40044,000甲鉄貫徹力垂直(20,000m) 566.4mm 604.5mm 垂直(30,000m) 416.5mm 465mm 水平(20,000m) 167.6mm 208mm 水平(30,000m) 231mm 249mm 原勝洋によれば、用兵側は50口径を希望したが、50口径の砲身製造のために問題となったのはやはりインゴットの製造技術であった。45口径では1門165トンの重量に対して50口径では200トンを超すと見積もられた。また、この重量増加は排水量の増加にも繋がることから45口径で充分と判断されたと言う。 なお、当時の日米新戦艦の主砲貫徹力について別資料からも参考に示す。 大和型の主砲貫徹力 0m 垂直864mm 水平- 20,000m 垂直494mm 水平109mm 30,000m 垂直360mm 水平189mm ノースカロライナ級・サウスダコタ級の主砲貫徹力 0m 垂直755mm 水平- 4,572m 垂直676mm 水平19mm 9,144m 垂直597mm 水平28mm 13,716m 垂直520mm 水平77mm 18,288m 垂直448mm 水平109mm 22,860m 垂直382mm 水平146mm 27,432m 垂直324mm 水平194mm 32,004m 垂直266mm 水平268mm アイオワ級の主砲貫徹力 0m 垂直829mm 水平- 4,572m 垂直747mm 水平17mm 9,144m 垂直664mm 水平43mm 13,716m 垂直585mm 水平71mm 18,288m 垂直509mm 水平99mm 22,860m 垂直441mm 水平131mm 27,432m 垂直380mm 水平169mm 32,004m 垂直329mm 水平215mm 36,576m 垂直280mm 水平286mm 38,720m 垂直241mm 水平357mm
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