平賀譲デジタルアーカイブによる考証
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「八八艦隊」の記事における「平賀譲デジタルアーカイブによる考証」の解説
2008年4月1日、海軍造船官の平賀譲が携わった技術資料がアーカイブ化され、公開された。一連の公開資料に基づく考証が進捗した結果、旧来流布していた八八艦隊のイメージは大きく転換を迫られるものとなっている。 判明した事実を幾つか例示すると、下記の通りである。 天城型の煙突は当初の直立2本から結合型に変更された 設計図書の修正が確認され判明した。機関出力増大による煤煙の悪影響は深刻さを増しており、対応が求められるところとなっていたが、その回答が結合煙突であったことが確認された。なお史実においては長門型で屈曲煙突にて解決している。 紀伊型戦艦は2隻までとし、続艦は砲力を強化した新型へ移行(米サウスダコタ級戦艦を強く意識したもの) 長砲身の50口径16インチ砲12門を有し、米戦艦特有の重防御を兼ね備えた同艦の脅威は深刻に受け止められており、「加賀」型や「天城」型の45口径41cm砲10門では対抗が難しいと考えられていた。このため、建造スケジュールを鑑みて最小限の改正として「紀伊」型は「天城」型を基本に極力重防御を施して2隻に留め、続く十一号戦艦以降は新型で建造されることが決定された。設計の要点は火力向上にあり、少なくとも41cm砲12門以上が求められた。試案は各種存在し、三連装ないし四連装の多連装砲塔も本格的に検討が始まっている。 八号型巡洋戦艦の設計は構想レベルの進捗であり、詳細は主砲口径を含めて未定 試案と呼べるレベルの詳細計画案は存在しなかった。一方で平賀が皇太子に供覧した資料の中に同艦のシルエットと伺えるものが存在しており、金剛型巡洋戦艦のように三番砲塔と四番砲塔の間に機関部を挿入して、二砲塔の間隔を大きく開いたものとなっている。平賀は18インチ砲を積みたかったようだが、主砲口径が決まるレベルまで設計は詰まっていなかった。
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