主砲配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:05 UTC 版)
砲の効果は、砲塔の配置にも依存していた。ドレッドノートとそれに続いたイギリス戦艦は5基の砲塔を持ち、中心線上に1基を前方、2基を後方に向けて搭載した。そして残りの2基は上部構造物の左右に置いた。これにより、前方に3基、舷側方向に4基の砲塔を向け、発射することが可能となった。ドイツの弩級戦艦ナッサウ級とヘルゴラント級は、前後に各1基、左右に計4基の砲塔を六角形に配置した。これは、砲の総数はドレッドノートより多いが、舷側および前方に向けられる砲の数はドレッドノートと同じだった。フランスの弩級戦艦クールベ級は前後の甲板に主砲塔2基ずつを背負い式配置し、船体中央部左右に主砲塔を1基ずつ計6基を配置する方法を採っており、この方式により首尾線方向に最大8門、左右方向に10門という強力な火力を向けることができた。 弩級戦艦の主砲についてはさまざまな配置が試みられた。イギリスの戦艦ネプチューンは左右両翼の砲塔を互い違いに配置(エシェロン、梯形配置)して、全10門の主砲を限定的ながら同時に一方の舷側に向けられるようにした。ドイツのカイザー級もこれに追随した。しかしこれは、両翼の砲塔が反対舷にむけて発射するときの爆風が艦に損害を与えるリスクがあり、また船体のフレームにも大きな応力を生じるものだった。 もしすべての砲塔を中心線上に置けば、船体に生じる応力は相対的に低下する。この配置では、前後方向に撃てる主砲は減るが、すべての主砲を舷側方向に向けることができた。また同時に全長の増大ももたらし、同等の防御を実現するためには装甲に割かなければならない重量が増大するという問題を設計者に課した。さらにそれぞれの砲塔に対応した弾薬庫は、缶と主機の配置の妨げとなった。戦艦エジンコートは中心線上に空前絶後の14門の主砲を7基の砲塔に納めて配置したが、以上のような理由により、成功したとは考えられなかった。 背負式の配置は最終的には標準の方式となった。これは1基ないし2基の砲塔を、そのすぐ前または後ろにある砲塔の頭越しに発砲できるように高く配置する方式である。アメリカ海軍は1906年にその最初の弩級戦艦サウスカロライナ級でこれを採用したが、他の国はなかなか採用しなかった。他の方式と同様、この方式にも欠点があった。当初のうち、高い位置の砲塔の爆風が低い位置の砲塔に影響を与えるという懸念があった。また高くした砲塔は艦の重心を上げ、艦の復元性に悪影響があった。しかしそれでも、この配置は決まった数の砲から最大限の火力を引き出す方法であり、結局一般に採用されることになった。フランス海軍では前弩級戦艦の時代に海防戦艦「アンリ4世」で主砲塔の上に副砲塔を配置したために背負式配置と同様の問題が起きたが独自に解決した経験があり、クールベ級で背負式配置を前後に配置したが問題は皆無であった。 アメリカ海軍では最終的に「ワイオミング級」において12インチ連装砲6基を全て背負い式配置で2基ずつ配置する事により片舷斉射門数12門という強力な火力を得た。イギリス海軍も1910年の超弩級戦艦オライオン級で全砲塔の中心線配置とともに採用した。超弩級戦艦以後の第二次世界大戦当時には背負式配置はまったく当たり前の方式になっていた。 当初のうちはどの弩級戦艦の主砲も1砲塔に2門ずつ収められていた。しかし、砲塔配置の問題は、1砲塔に3門、さらには4門の砲を納めることによっても解決可能だった。砲塔の数を減らすことは船体を短くできるということであり、より多くのスペースを機関のために割けるということだった。しかしそれは一方で敵弾が砲塔のひとつを破壊した場合に、無力化される主砲の割合が大きいということでもあった。また、同じ砲塔の砲の爆風が相互に干渉する危険性により、発射率はいくらかの制限を受けた。3連装砲塔を最初に採用したのは1913年のイタリアの戦艦ダンテ・アリギエーリだが、すぐにロシアのガングート級、オーストリア=ハンガリーのテゲトフ級が採用した。 アメリカでは超弩級戦艦の時代になってネバダ級が追随した。イギリスは第一次世界大戦後のネルソン級まで3連装砲塔は採用しなかった。フランスでは1913年度計画において世界に先駆けて四連装砲塔を「ノルマンディー級」において採用した。第一次大戦で自国が主戦場となったために実現はしなかったが、この経験は新戦艦の時代に「ダンケルク級」において実現し、この先進的な砲塔に興味を抱いたイギリスはキング・ジョージ5世級で模倣した。後にフランスは「リシュリュー級」においても同様の砲塔形式を採用している。
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主砲配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:51 UTC 版)
主砲配置に対して、20種類に及ぶ案が検討された。大別すると 前方集中配置 連装主砲による前後配置 連装主砲2基と3連装主砲2基の混在配置 3連装主砲の前後配置 の4種類である。 前方集中は装甲を集中配置できるため、重量的に有利と考えられた。しかし、実際に検討して見ると分散配置と大差なかった。現実に集中配置を採用したネルソン級戦艦では、前方に重量物が集中したことにより、極端に操縦性が悪化し、艦隊所属のタンカーであるネルソル、ロドルの名前で揶揄されるほどであった。また、ネルソン級では発砲の爆風により、後方射撃時に艦橋など上部構造物にダメージが及んだとの報告があり、主砲射界の問題点もあるため、集中配置は採用されなかった。とはいえ、集中配置を採用したダンケルク級戦艦、リシュリュー級戦艦や利根型重巡洋艦では操艦性や爆風の問題は指摘されておらず、現実に採用された場合、どうなったのかは不明である。なお、連装砲塔は重量バランスに優れていたが、1門ごとの必要重量が3連装砲に劣っていたために採用されず、最終的に3連装3基9門となった。平賀譲は4連装砲塔と連装砲塔など、異種砲塔の組み合わせにこだわっていたという。 大和型の主砲は、散布界対策(3門同時に撃つと中央砲の弾が両側の弾から衝撃波を受けて弾道がぶれる)のため、九八式発砲遅延装置により左右2門発砲した後、一瞬おいて1門が撃つ機構となっている。この機構を最初に採用したのは20センチ連装砲を搭載する青葉型重巡洋艦であり、単装砲搭載の前級の古鷹型よりも散布界が大きくなった事から、砲弾の相互干渉の問題が発見された。ちなみに大和型戦艦の設計に参加した松本喜太郎は、砲支筒の強度について1砲塔あたり2門の同時発射に耐え得る強度であり、2門同時発射された際に反動力が砲塔機構で吸収された後、支筒に作用する力は3,468tと記載している。しかしながら、大和型の主砲設計に参加した大谷豊吉によれば主砲9門同時発射時の反動力は8,000tであり、すなわち2門同時発射時の反動力は約1,800t、3門同時発射時は約2,700tとなり、これらの反動力が砲塔機構で更に吸収されることを考えると、支筒強度上余裕を持って1砲塔あたり3門の同時発射が可能となる。
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