ダンケルク級戦艦とは? わかりやすく解説

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ダンケルク級戦艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 06:14 UTC 版)

ダンケルク級戦艦(ダンケルクきゅうせんかん、Dunkerque class battleship)は[1]フランス海軍戦列艦Navire de lignebâtiment de ligne)の艦級[2][注釈 1]ドイツ海軍ポケット戦艦に端を発した建艦競争の最中[4][5]ワシントン海軍軍縮条約における代艦建造規定に基づき建造された、いわゆる条約型戦艦 (Treaty battleship) である[注釈 2]


注釈

  1. ^ a b "佛國[3](中略)戰艦 建造中の三五,〇〇〇噸級戰艦二隻。即ちリシュリューは一月ブレスト乾船渠より、ジャンバールは十一月サン・ナゼールに於て昨年進水した。前者の船臺には代つてクレマンソーの龍骨が据えられた。佛國海軍年鑑「Les Flottes de Combat」に依れば、上記戰艦は主要性能に於てダンケルクの設計を踏襲したものであるが、但し煙突は極めて風變りなもの一箇で、煙路は全く新しい形式で後方に曲り、之に接著せる大檣は幾分獨逸風に倣つてゐる。
     軍艦ストラスブールに關して昨年述べた要目は幾分正確を缺いた點がある。同艦の兵装は三三糎(一三吋)砲八門と一三糎砲十六門の外四七粍砲四門、三七粍高角砲八門、對空機關砲三十二門である。乗組定員は士官六六、兵一,三六五名である。同艦と其の姉妹艦ダンケルクの艦種は公式にはリシュリュー級と同様Bátimenr de ligne(cuirassés)(註ships of line)に編入されてゐることを注意すべきである。
  2. ^ 建造の権利は1927年より保有していたが諸事情により本級建造まで行使されなかった。座礁して沈没したクールベ級戦艦フランス (France) の代艦が、ダンケルクである[6]。クールベ級戦艦ジャン・バール (Jean Bart) の代艦が、ストラスブールである[2]
  3. ^ a b 歐洲の情勢惡化に 華府條約の最高限度迄 佛國建艦案を決定 /内容/ダンケルク級 沿海防備工作[7]【巴里五日】歐洲の國際政局が漸次惡化し、第二の戰爭勃發の可能性が急激に濃厚となり、佛國政府もこれを坐視することを得ず、四日、佛國政府は華府條約に依てフランスに許與されてゐる最高限度まで建艦すべきであるとの意向一致した、従つて此の決定に基いてブーメルグ首相は直ちに佛國會に對して二三日中に其の協賛を受けるものと見られてゐる 同案の内容は未だ明瞭でないがダンケルク型の超弩級艦二隻二萬六千噸建造を目的とするものでダンケルク巡洋艦は世界有數の優秀巡洋艦で三十節の速力を有し、三二糎砲八門を搭載してゐる、この巡洋艦は獨逸が華府會議に依つて許された制限内で建造した「ドイツチエランド」に對抗する意味のもので「ドイツチエランド」は二十七節、二八糎砲、噸數一万百六十噸(炭水重量を含めて)級のものである ダンケルクは目下建造中で二年後に完成する豫定である(以下略)
  4. ^ a b c 【巴里二十六日聯合】[10] フランス海相レークは二十六日、二萬六千五百噸の装甲巡洋艦ダンケルクの即時建造を命じた 同艦は三百三十ミリ砲9門、速力卅ノツトの優秀艦である(記事おわり)
  5. ^ 後にナチス・ドイツ政権下の1939年11月15日付で重巡洋艦に類別された[12]
  6. ^ (三)佛國ノ巡洋戰艦「ダンケルク」竝ニ独逸ノ一萬噸級「ポケット」戰艦[15] 獨國「ドイツチランド」級一萬噸級「ポケツト」戰艦竝ニ之ニ對抗シテ佛國ニテ建造中ノ二六,五〇〇噸級主力艦「ダンケルク」ニ就テ述ベントス此ノ兩艦ノ要目大約次ノ如シ(ダンケルク、アドミラルシェーア要目略)
  7. ^ 佛國海軍の英國諸港訪問[17] 昨年度中には佛國軍艦の英國來訪が數度行はれた。(中略)五月及び六月に佛國の大西洋艦隊の多數が英國港灣を訪問した。即ち巡戰のダンケルク(ゲンソール中将の旗艦)及ストラスブルグはリヴァプールオーバンスカッパフロー、及フォース・オブ・フォースを歴訪した。(中略)六月には佛國の巡戰及び巡洋艦がフォース・オブ・フォースに來箸したとき、サア・チャーレス・フォーブス大将麾下の内國艦隊に依つて歓迎を受けた。(以下略)
  8. ^ (二十日パリ發)[20] 明年度海軍豫算案審議中の財政委員會は二十日報告書を提出し 獨伊兩國が積極的に建艦に着手しつゝある事實に鑑みフランスは宜しく可及的速かに二萬六千五百噸級巡洋戰艦を建造する必要あり と力説して居る(記事おわり)
  9. ^ 本級が建造中だった1933年10月、イギリス海軍が12インチ砲搭載の2万5000トン級戦艦を建造予定という報道があった[21]中華民国海軍も、イギリスに3万トン級戦艦を発注予定という報道もあった[22]
  10. ^ ワシントン海軍条約破棄前後、アメリカ海軍はノースカロライナ級戦艦を、イギリス海軍はキング・ジョージ5世級戦艦を、日本海軍は大和型戦艦を、イタリア王立海軍はリットリオ級戦艦を建造した[23]
  11. ^ 正確には、ポケット戦艦建造計画を中止して2万トン級主力艦を建造することにしたが後に破棄し[16]、1935年にあらためて2万6000トンの新規主力艦2隻を建造した[25]。これがシャルンホルスト級戦艦である[16]
  12. ^ 戰艦 “ダンケルク Dunkerque[31] 全要目{排水量26,500噸 速力29.5節 備砲33糎砲8門、13糎砲16門 起工1932年12月 竣工1936年12月 建造所 ブレスト海軍工廠 } 華府條約締結後始めて生れた新造戰艦として列強注視のものである。この外に35,000噸の最大級戰艦“ジャンバール Jean Bart” “リシユリ Richelieu”(38糎砲8門)の二艦が建造中であることを忘れてはならないが、戰艦ダンケルクの誕生はたしかに歐洲のみならず世界の海軍史に一つの大きな里標を築くものである。むしろ古典的ともいふべき舊戰艦數隻ありとはいへ、佛國は未だ戰艦を持たなかつたといつてよい。世界最初の四聯装砲にしてしかも主砲であり尚且つ思ひ切つた艦首集中の方式である。ネルソンに似てネルソンに非ずミシシピに似てミシシピではない。副砲は四聯砲、要目は嚴重に秘密となつてゐるが、信ずるに足る報導によれば全長213.6米、幅31.0米、平均吃水8.5米、カタパルトは艦尾に二臺あるといふ。同型艦一隻“ストラスブール Strasbourg
  13. ^ (十一日伯林發)獨逸議會の豫算委員會は一九三一年度海軍豫算案を可決した、本豫算案中には二番目の巨戰闘艦(ポケット戰艦とも言ふ)建造の第一期支出豫算を含んで居る。國防相は海軍建艦計畫を豫定通り遂行する決意なる事を語つた[36](記事おわり)
  14. ^ ドイツはヴエルサイユ條約に依つてその保有し得べき最大艦は排水量一萬噸搭載大砲口徑十一吋に制限されたがドイツはこの制限内に於て最大の威力を發揮すべき装甲艦二隻を昨年來建造中である[39] 右一萬噸装甲艦は 秘密に されてゐるが十一吋主砲六門、六吋副砲八門を搭載し速力二十六節五百馬力のデーゼルエンヂンを使用し航續距離一萬海里に及ぶもので實に製艦技術上の最高點に達してゐる、ワシントン條約に依つて主要海軍國で建造中の八吋砲一萬噸巡洋艦は二隻を以てしてもこのドイツの新装甲艦一隻に 比敵し 得ない程の破壊力を有するものである然も高速力であるから主要海軍國の三萬五千噸の主力艦に遭遇しても平気であるといふ代物であるので世界海軍國の脅威の的となつてゐる(記事おわり)
  15. ^ 佛の海軍擴張案 前年度よりも一千萬弗増加 英は佛伊の和解に努む[42]【パリ十二日】一九三一年度の海軍建造案は今日海軍委員會により議會に提出されたが右建造案によれば巡洋戰艦一隻二萬三千餘トン、巡洋艦一隻七千トン、潜水艦二隻二千八百トン及び二千五百トン總計四万二千トンを建造するもので經費は一億二千三百萬弗で昨年比よりも約一千一百萬弗の増加である。海軍側はこの案は軍縮條約に随ひ戰闘艦は一隻も建造せず、ただ輕巡洋艦その他を以て國防の充實をはかるものであると聲明してゐる(以下略)
  16. ^ (ダンケルク空撮図)[45] 地中海の風雲急を告げフランスは大西洋艦隊中の精鋭を春季演習から呼びかへして地中海へ廻航せしめたが、その中に『秘密の軍艦』と呼ばれる一隻巡洋艦ダンカーク號も混つてゐる、同艦はドイツの袖珍戰艦に對抗するためフランスが科學の粹を集めて建造したもので場合に依つては戰闘艦とも對抗し得ると云はれる、佛政府は、同艦の構造を嚴密に附し外國スパイの接近を嚴戒してゐるが、極度の重装甲を施し快速を有すると云はれてゐる、寫眞は『秘密の軍艦』ダンカーク號(記事おわり)
  17. ^ フェロー諸島沖海戦には、イギリスの巡洋戦艦フッド (HMS Hood) と共に出撃した。
  18. ^ 7月5日、H部隊は空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) のソードフィッシュ艦攻によりレバー作戦を実施、ダンケルクを大破着底させた。
  19. ^ LONDON, March 13 ―(U.P.)― [47] Rusia, persisting in its charge that the Vichy government is handing over French warshipsto Germany, said Friday the Germans were operating special naval schools at numerous French ports to train German seamen to operate ships./ It was asserted that several thousand German seamen were now at Toulon, the great Mediterranean naval base in unoccupied France, to from crews for the 26,500-ton battleship Dunkerque./ Further, it said Grand Admiral Erich Raeder, German naval commander-in-chief, had issued a secret order for formation of German crews for ships handed over by the french, to ve ready by April 10./ Russia broadcast its charge over the Moscow radio, quoting a Cairo dispatch of the offical news a agency Tass./ In its original charge, Russia said Vichy was handing over to the Germans about 40 ships which had not been completed at the 35,000-ton battleship Clemenceau. The Dunkerque was in service before the collapse. It was heavily damaged and beached, as the result of British naval and aerial bombardment of the French off North Africa in July, 1940.(記事おわり)

脚注

  1. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 22a-23フランス ダンケルク級
  2. ^ a b 公文備考 昭和12年 D 外事 巻1(防衛省防衛研究所)第54号 10.2.27仏国軍艦ストラスブ-ル建造に関し主要細目事項通知の件」 アジア歴史資料センター Ref.C05110622500 
  3. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, pp. 24–25原本33-34頁
  4. ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, pp. 58, 68–69.
  5. ^ 大艦建造競爭 イギリスもアメリカもフランスも ドイツはポケット軍艦で對抗/世界一の日本海軍”. Nippaku Shinbun. pp. 06 (1938年4月2日). 2023年9月29日閲覧。
  6. ^ JACAR(アジア歴史資料センター)華府海軍条約関係雑件/軍艦建造通告関係(B-11-1-0-1_3)(外務省外交史料館)3.仏国建造通告之部」 アジア歴史資料センター Ref.B04122571300  p.7(ダンケルク建造通告)
  7. ^ 佛國建艦案を決定”. Burajiru Jihō. pp. 02 (1934年3月7日). 2023年9月29日閲覧。
  8. ^ a b 佛國も欲しい豆戰闘艦 建艦費可決”. Singapōru Nippō. pp. 02 (1931年7月4日). 2023年9月29日閲覧。
  9. ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, p. 70a二、新艦建造の概況(1933年版ブラッセー年鑑に依る)
  10. ^ 二萬六千五百噸の装甲巡洋艦建造 佛國海軍の新優秀艦”. Nippu Jiji. pp. 01 (1932年10月27日). 2023年9月29日閲覧。
  11. ^ オスプレイ、ポケット戦艦 2006, p. 4.
  12. ^ オスプレイ、ポケット戦艦 2006, p. 18.
  13. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 30–35ドイツ ドイッチュラント級
  14. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 8–11戦艦の新造
  15. ^ #列国海軍造艦術現状 pp.6-8
  16. ^ a b c オスプレイ、ドイツ戦艦 2005, pp. 7–8.
  17. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 13原本10頁
  18. ^ 獨伊の積極的建艦に對抗 佛國も大巡洋艦 建造の必要を痛感”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1934年10月22日). 2023年9月29日閲覧。
  19. ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, p. 70b(原本57頁)佛國新巡洋戰艦ダンケルク(想像図)
  20. ^ 獨伊に對し佛巨艦要求”. Singapōru Nippō. pp. 02 (1934年10月22日). 2023年9月29日閲覧。
  21. ^ Shin Sekai Nichi Nichi Shinbun 1933.10.19、新世界日日新聞/nwd_19331019(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021927200  p.3〔英國も負けてゐす大建艦に着手 二万五千トン級戰艦も建造(ロンドン十八日國際)〕
  22. ^ Shin Sekai Nichi Nichi Shinbun 1934.03.11、新世界日日新聞/nwd_1930311(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021954200  p.2〔軍擴戰列に支那も加はる ― 三萬噸の戰艦を英國に依頼して造艦 〕
  23. ^ ミドルブック、戦艦 1979, p. 70.
  24. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 36–41ドイツ シャルンホルスト級
  25. ^ Shin Sekai Nichi Nichi Shinbun 1935.05.04、新世界日日新聞/nwd_193504(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022036600  p.1〔獨逸の豆戰艦 實質は大戰艦 〕
  26. ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, p. 71.
  27. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 86–89イタリア リットリオ級
  28. ^ a b c ジョーダン、戦艦 1988, p. 23.
  29. ^ 三萬五千噸級戰艦二隻建造案 佛國議會可決の模様”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1935年6月26日). 2023年9月29日閲覧。
  30. ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, p. 22b.
  31. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 123(原本228-229頁)戰艦ダンケルク
  32. ^ 「世界の艦船増刊第38集 フランス戦艦史」(海人社)
  33. ^ Dumas, Robert (2001) (French). Les cuirassés Dunkerque et Strasbourg. Nantes: Marine Éditions. ISBN 978-2-909675-75-6 
  34. ^ オスプレイ、ポケット戦艦 2006, p. 11.
  35. ^ 海軍及海事要覧、昭和6年版 1931, pp. 108–110, 205.
  36. ^ 獨逸の海軍豫算案”. Singapōru Nippō. pp. 02 (1931年3月13日). 2023年9月29日閲覧。
  37. ^ 時事解説 日米建艦競爭の新形勢”. Burajiru Jihō. pp. 02 (1934年3月7日). 2023年9月29日閲覧。
  38. ^ 獨逸のポケット戰艦 軍縮會議で問題となる”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1932年5月5日). 2023年9月29日閲覧。
  39. ^ 獨逸新造の装甲艦 世界脅威の的となる”. Burajiru Jihō. pp. 01 (1929年2月7日). 2023年9月29日閲覧。
  40. ^ 海軍及海事要覧、昭和6年版 1931, pp. 105–106(四)佛國
  41. ^ 海軍及海事要覧、昭和8年版 1933, pp. 145–146.
  42. ^ Shin Sekai 1931.02.14、新世界/tnw_19310214(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21021740400  p.1
  43. ^ 佛國 ポケット戰艦の引渡を要求す”. Nan’yō Nichinichi Shinbun. pp. 02 (1931年7月4日). 2023年9月29日閲覧。
  44. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1937.05.23、新世界朝日新聞/nws_19370523(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022184200  p.3
  45. ^ Shin Sekai Asahi Shinbun 1937.06.28、新世界朝日新聞/nws_19370628(スタンフォード大学フーヴァー研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.J21022191200  p.1
  46. ^ ミドルブック、戦艦 1979, p. 40.
  47. ^ Germans Train Crew for French Warship, Report”. Nichibei Shinbun, 1942.03.14. pp. 06. 2024年4月4日閲覧。


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