海軍休日と改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 14:02 UTC 版)
「カイオ・ドゥイリオ級戦艦」の記事における「海軍休日と改装」の解説
第一次世界大戦後の本級はカブール級と同じく1920年代に2隻とも近代化改装が行われたが、カブール級の改良型である本級は不具合は少なく改装の程度は必要最小限度に留められた。 しかし、カイオ・ドゥイリオは1925年4月にラ・スペツィア湾にて停泊中に3番主砲塔内で爆発事故を起こした。幸い、沈没には至らなかった。原因は弾薬庫内の装薬の自然発火と推測された。一方、アンドリア・ドーリアは1926年に国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の御座艦を務めた。1928年には2隻ともコンテ・ディ・カブールの使用実績から艦首甲板左舷部にカタパルトが装備されて水上偵察機が運用されたが、1932年に2隻とも予備艦となった。 このまま行けばイタリア海軍の海軍計画により近代的な新戦艦に取って代わられる筈であった。しかし、オーストリア=ハンガリー帝国亡き後に新たに仮想的となった地中海を挟んだ大国フランスのフランス海軍が1931年に新戦艦ダンケルク級戦艦(33cm砲8門、30ノット)の起工を発表した事により、にわかに本級の重要性が高まった。 理由は、ダンケルク級戦艦への対抗艦としてイタリア海軍では新戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト級」(38.1cm砲9門、速力30ノット)を計画していたが、1番艦「ヴィットリオ・ヴェネト」と「リットリオ」ら第一グループの起工がどう急いでも1934年からになり、イタリア海軍の建造ペースでは早くても竣工は1940年と計算され、ダンケルク級の就役には到底間に合わないためである。そのため、イタリア海軍は窮余の策として練習艦任務にあったコンテ・ディ・カブール級に徹底的な近代化改装を行い、ダンケルク級の就役に間に合わせる為1933年からドック入りさせてしまったのである。そのため、本級2隻がカブール級の代わりに練習艦任務に就く事となり、更にはフランス海軍への平時の備えとして一線級の扱いを受けることとなったのである。 幸い、カブール級の近代化改装期間中に大過なく、無事にコンテ・ディ・カブールとジュリオ・チェーザレが1937年に相次いで再就役した事により本級の役目は終わったかに見えた。だが、フランス海軍はダンケルク級2番艦「ストラスブール」をヴェネト級第一グループと同じく1934年に起工させ、増強され続けるドイツ海軍とイタリア海軍への対抗として1935年に「リシュリュー級」(38cm砲8門、30ノット)を1935年から続々と起工させたのである。この時点でイタリア海軍は、更なる海軍増強のために本級2隻をカブール級の近代化改装の経験と、ヴェネト級の設計により得られた新技術を投入してカブール級を上回る近代化改装を施す決断をした。
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