海軍休日期の建艦競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:28 UTC 版)
ワシントン海軍軍縮条約の締結により、列強諸国において戦艦と航空母艦については建造が抑制されたが、1万トン以下の補助艦については自由に建造できたことから、各国は重巡洋艦の建造を推し進めた。1万トンの制限内で所要の性能全てを満たすことは難しく、建造された各艦はそれぞれの戦略環境を反映した取捨選択が行われており、技術的に非常に興味深い好対照を示している。 条約成立を優先して補助艦の制限を避けた結果は今や重巡洋艦を中心とした建艦競争を再燃させつつあり、ワシントン会議が積み残した「解決を要する宿題」であった。だが主力艦が抑制された分を補助艦で補う構想は各国固有の事情によりかなり差異があり、妥協点を探るのは容易ではなかった。1927年にジュネーブでまず行われた軍縮会議は特に米英の対立が顕著となり決裂してしまった。この反省から事前の調整を経て1930年にロンドン軍縮会議が開催され、対立構造を完全に解消することはできなかったがなんとか妥協点を見いだし軍縮条約締結を成功させた。以後ワシントン条約が規定する1936年末までは、各国は保有枠を満たす範囲での建艦に終始するのである。 他方、ロンドン条約では仏伊は限定的な参加にとどまり、軍備を制限されるものではなかった。このため両国はロンドン条約に伴う「主力艦建造中止期間5年延長」を受けることなく、1932年より旧式戦艦の代艦建造が可能となった。折からドイツの再軍備が始まっており、軍備のニッチを突く存在であるポケット戦艦の登場は各国を大いに刺激した。フランスはポケット戦艦を捕捉・撃滅可能な中型高速戦艦「ダンケルク」級の建造を開始し、イタリアは旧式戦艦の大改装にて同艦に対抗可能な戦力構築を進めた。さらにドイツもより大型の「シャルンホルスト」級戦艦の建造を開始。再軍備宣言の後は英独海軍協定によって同艦を正当化した。欧州主要三国の建艦競争は次第に熱を帯び始め、特にナチス・ドイツへの各国の警戒心は高まっていった。
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