海軍修業と初めての渡米
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 04:36 UTC 版)
「小野友五郎」の記事における「海軍修業と初めての渡米」の解説
安政2年(1855年)8月、測量・航海術および蘭語への精通を買われ、老中阿部正弘からの直命により、長崎に設置された幕府の海軍伝習所に入学した。測量術の実践を16箇月の間学び修了後、江戸へ戻り築地の軍艦操練所教授方となる。 万延元年(1860年)、日米修好通商条約批准書交換のための遣米使節派遣が決定されたが、その護衛および航海訓練として軍艦奉行木村芥舟を提督とする咸臨丸も派遣されることになった。小野も同僚で海軍伝習所の同窓生であった艦長勝麟太郎(海舟)を補佐する測量方兼運用方(航海長)となって、アメリカへ航海する。同乗した米国海軍の測量士官ジョン・ブルック大尉は小野の測量術の練達ぶりに感心し、以後親交を結ぶようになった。
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