ラプラタ沖海戦とは? わかりやすく解説

ラプラタ沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 01:56 UTC 版)

ラプラタ沖海戦(ラプラタおきかいせん)は、第二次世界大戦中の1939年12月13日ラプラタ川河口の沖合いで生起した海戦。開戦以来大西洋インド洋通商破壊を行っていたドイツドイッチュラント級装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペー」がイギリス巡洋艦3隻と交戦した。戦闘後、損傷を受けた「アドミラル・グラーフ・シュペー」は中立国ウルグアイモンテビデオ港に入港し、17日に港外で自沈した。




  1. ^ a b c d ナショナルジオグラフィック「ヒトラーの軍艦自沈の真相」
  2. ^ ナショナル・ジオグラフィック「ヒトラーの軍艦自沈の真相」
  3. ^ a b c Antill, Peter. Pointon, Dugdale. "Battle of the River Plate, 13 December 1939." 2011年8月15日 閲覧。
  4. ^ カーユス・ベッカー松谷健二訳「呪われた海」2001講談社 p.392


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ラプラタ沖海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 18:01 UTC 版)

エイジャックス (軽巡洋艦)」の記事における「ラプラタ沖海戦」の解説

詳細は「ラプラタ沖海戦」を参照 第二次世界大戦勃発前夜、「エイジャックス」と重巡洋艦エクセターからなる南アメリカ戦隊(ヘンリー・ハーウッド(英語版代将、「エクセター座乗)は新たに作られ南大西洋艦隊移された。「エイジャックス」は戦争勃発1週間前にリオデジャネイロに入港した。「エイジャックス」の艦長はチャールズ・ウッドハウス大佐であったウッドハウスは「エイジャックス」の位置ドイツ側把握されなくするとともに、その存在ドイツ商船出航をためらわさせることを狙ってエイジャックス」を出港させ、ラプラタ川向かっている途中で戦争勃発知らせ電文受信した。「エイジャックス」は9月3日ラプラタ川沖でドイツ船「オリンダ (Olinda)」(4576トン)を、9月4日リオグランデ・ド・スル東南東200浬でドイツ船「カール・フリッツェン (Carl Fritzen9」(6594または6954トン)を沈めた。両船はともに自沈し、「エイジャックス」が4インチ砲で処分した9月9日、「エイジャックス」は「エクセター」と合流したハーウッドは、ドイツ商船フォークランド諸島襲撃しようとしているかもしれない思い、「エイジャックス」をポート・スタンリー派遣したドイツ船が会合するとの情報9月24日にあり、その場所へ重巡洋艦カンバーランド」が派遣されることに伴い、その穴を埋めるために「エイジャックス」はリオデジャネイロ戻された。 9月30日イギリス船「クレメント」がドイツ装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペー」に沈められた。10月5日までに「エクセター」、「エイジャックス」、駆逐艦ハヴォック」、「ホットスパー」はリオデジャネイロ水域集結し戦闘備えた10月27日ハーウッドは「エイジャックス」に移ったラプラタ川での給油問題についてアルゼンチン海軍当局議論するため、11月6日ハーウッドは「エイジャックス」でブエノスアイレス訪れた。「エイジャックス」は11月8日ブエノスアイレス離れラプラタ川水域哨戒した。11月22日、「エイジャックス」と軽巡洋艦アキリーズ」はドイツ船「Lahn」と「Tacoma」を捜索したが、発見できなかった。11月25日に「エイジャックス」はラプラタ川離れ搭載機バイアブランカ偵察したフォークランド諸島向かい11月27日着いた12月2日南大西洋で「アドミラル・グラーフ・シュペー」はイギリス船「ドリク・スター」を沈めた同日、「エイジャックス」はラプラタ川向けて出航し夕刻ハーウッドは「ドリク・スター」が沈められたことを知ったドイツ船「Ussukuma」がバイアブランカより出航したとの情報12月5日にあり、「エイジャックス」はアルゼンチン沿岸南下同日、「エイジャックス」は「Ussukuma」を発見。「Ussukuma」は自沈した。 12月13日襲撃先を予想していた英艦隊エイジャックスアキレスエクセター)は、ラプラタ沖でグラーフ・シュペー邂逅した。砲火力で劣る英艦隊は、数的優勢機動力活用して対抗するエイジャックス戦闘前発進させたフェアリー・シーフォックス大い活躍した海戦が始まると、最初にベル艦長指揮するエクセター被弾して深刻な損傷を受け、戦線離脱余儀なくされた。シュペー大破したエクセターにとどめを刺そうとしたので、エイジャックスアキリーズ割って入る今度エイジャックスアキリーズシュペー11インチ砲(28cm砲)を浴びせられた。グラーフ・シュペー激し砲火曝されエイジャックスは、2度直撃弾を含む7度砲撃を受け、第三砲塔、および第四砲塔使用不能になり、竜骨一部損傷し、死傷者数12人(死者7人を含む)に及んだ。だがシュペー発射した魚雷本艦水上偵察機発見して報告したので、回避することが出来た一方でグラーフ・シュペーも英巡洋艦3隻から20発ほどの直撃弾を受けていた(エキセターより3発、残りは6インチ砲)。艦首損傷を受け、非装甲部分への損害無視できず、燃料浄化装置損傷した結局ドイツ戦艦は英巡洋艦3隻にとどめをささず、モンテビデオ港まで撤退する。まだ戦闘力維持していた連合軍軽巡2隻はシュペー追いかけ、同艦がモンテビオ港に入ると外で監視をおこなう。さらに僚艦カンバーランド合流し応急修理追われるグラーフ・シュペー圧力をかけた。再戦機会伺いながら、あたかも艦隊増援待っているように見せかけのであるイギリス側各種宣伝作戦功を奏しドイツ側イギリス空母アークロイヤル (HMS Ark Royal, 91) 、巡洋戦艦レナウン (HMS Renown) がラプラタ河口沖に到着した信じ込む損傷したシュペーイギリス海軍包囲網突破して母国辿りつける見込みはなく、レーダー元帥シュペー艦長ハンス・ラングスドルフ大佐自沈決断したシュペー最期見届けたのち、エイジャックスポート・スタンリー給油を受け、巡回任務帰還した

※この「ラプラタ沖海戦」の解説は、「エイジャックス (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「ラプラタ沖海戦」を含む「エイジャックス (軽巡洋艦)」の記事については、「エイジャックス (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

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