レナウン_(巡洋戦艦)とは? わかりやすく解説

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レナウン (巡洋戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/30 17:54 UTC 版)

レナウン (HMS Renown) は、イギリス海軍巡洋戦艦[注釈 1]日本語におけるカタカナ表記では「リナウン」とされている例もある[4][注釈 2][注釈 3]Renownとは、英語で「有名」「高名」の意。


注釈

  1. ^ 戰艦“レナウン Renown[3] 全要目{排水量32,000噸 速力31.5節 備砲38糎砲6門 10糎砲12門 魚雷發射管2門(水中53糎) 起工1915年1月 竣工1916年9月 建造所フエヤー・フヰルド造船會社} 同型艦“レパルス Repupse但し10糎砲15門 魚雷發射管10門
     この2隻が起工より竣工に至る迄僅々1年半餘を費してゐるのみであることは當時が世界大戰の酣戰期であつた爲である。全長239.89米、幅31.29米、平均吃水8.12米。速力31.5節はこの2艦が巡洋戰艦として計畫されたものであつたがためである。そして主砲の38糎砲を僅か6門としたのも高速力の犠牲である。この高速力に要する軸馬力は實に112,000馬力である。カタパルトは1基。1926年に一度改装した。以上英國海軍の有する主力艦は計15隻、排水量合計474,750噸。ワシントン會議に依る保有量は15隻525,000噸である。
  2. ^ 英吉利 巡洋艦リナウン(一九一六年竣工)[5] 排水量三二〇〇〇噸、時速二八節。一九一四・五年の海軍豫算に依り上程。一九二三・六年の間に修理を受く。寫眞は英本國艦隊大演習の際、ヂブラルタル港に停泊中を巡洋戰艦フードより見たるもの。/巡洋戰艦タイガー(一九一四年竣工)排水量二八五〇〇噸、時速三〇節。除籍されたるものゝ如し。/巡洋艦レパルス(一九一六年八月竣工)排水量、時速共に同型艦リナウンに同じ。目下大修理中。
  3. ^ 列國艦艇一覧表(昭和十一年十二月三十一日調)[6] 〔 國別:英國|現状:既成|艦名:リパルス|排水量:三一,〇〇〇|速力:三一.五|備砲 主砲:三八-六/副砲:一〇-一五|魚雷發射管(糎)數:水中(五三)水上-二/八|竣工年月日(西暦):一六.八 〕/〔 國別:英國|現状:既成|艦名:リナウン|排水量:〃|速力:〃|備砲 主砲:〃/副砲:一〇-一二|魚雷發射管(糎)數:水中(五三)-二|竣工年月日(西暦):一六.九 〕
  4. ^ 戰艦“レナウン Renown[8] 全要目{排水量32,000噸 速力31.5節 備砲38糎砲6門 10糎砲12門 魚雷發射管2門(水中53糎) 起工1915年1月 竣工1916年9月 建造所フエヤー・フヰルド造船會社} 同型艦“レパルス Repupse 但し10糎砲15門 魚雷發射管10門。
     時あたかも世界大戰が酣であつたのでこの2隻は起工より竣工に至る迄僅々1年半餘を費してゐるのみである。レパルス、レナウンの二艦は世界戰爭の最中僅か一年餘りで急ぎ建造されたもので、この目的は砲2門を減じても31.5節の快速力を得んとしたために外ならない。しかしこの2隻が活躍する前に戰爭は終焉になつた。全長239.89米、幅31.29米、平均吃水8.12米でレパルスは建造後更に水上發射管8門を増して10門とした。10糎副砲が3聯装になつてゐるのも珍しい。1934年來改装中である。
  5. ^ a b (前略)[12] そこで千九百十九年(大正八年)八月五日巡洋艦レナウン號に御乗艦ポーツマス港を御出帆なされ先づ加奈陀に御渡航になりました。到る所非常な歡迎で、公式に御招待申上げた五十の町を片端から御訪問なされ、其度に何の隔てもなく極めて自由に何人とでも御近づきになり、晝の歡迎會の外毎晩舞踏會の招待にも御臨席になりました。そして三ヶ月の後加奈陀を去って北米合衆國に赴かれました。
     もと〱殿下は米國を御訪問なさる御豫定では無かったのでありますが、同國民が熱心に殿下のお立寄を希望したので遂に行かれる事となり、大正八年十一月十日に同國に入られました。ウイルソン大統領は丁度病氣で臥床中でありましたが、殿下はわざ〱病床に御見舞になりました。御接待は國務卿ランシング氏が大統領に代って其任に當り、首府ワシントンで盛大な歡迎會が開かれました。
     それから紐育市でも大歡迎があり、其他米國東部の諸名所にお立寄になって十一日間の御滞在の後十一月二十二日米國を御出發歸國の途に就かれました。(中略) 加奈陀と米國の御訪問に四ヶ月餘を費して御歸國になつた殿下は、間もなく千九百二十年(大正九年)三月十六日に同じくレナウン號に召されてオーストラリア、ニュージーランド、西印度諸島フィージー島等を御旅行の爲御出發なさいました。三月三十日にはパナマ運河に御着、同運河を通過して米國カリフォルニア州サン・ディエゴ港に御寄港、大に同市民の歡迎を受けさせられ、更に米領ハワイ島ホヽルヽ港に御寄港、同所にて歡迎を受け土民の水泳などを御覧になり、それから先づユニー・ジーランドにお着きなりました。この地で各島の歡迎を受けられ五月二十一日には同島を去つてオーストラリアに向はれました。シドニーやメルボルン、ニュー・サウス・ウヱールスを始め重要な都市には皆お立寄になり八月十九日に御出發、十月十日に御歸國なさいました。此の御旅行は實に七ヶ月間に亘り殿下の御旅行中一番長期のものであります。/ 今回も殿下は同じ御乗艦レナウン號に召されて長い間の御希望であつた我帝國を御訪問せらるゝことゝなつたのであります。
  6. ^ a b c (皇太子裕仁親王の欧州訪問に対して)[17]英國よりは同じく答禮の爲に、英國皇太子ウエールス公が來朝せらるゝことゝなり、印度御巡遊の上、御召艦レナウン、供奉艦ターバンにて日本に向はれたが、我が軍艦木曾大井球磨多摩は兩艦を香港に出迎へ、木曾の先導、其の他の艦の護衛の下に、大正十一年四月十二日早朝館山灣外に達し、此處に出迎へた山城、生駒と禮砲を交換し、觀音崎沖にて横須賀海軍航空隊の二十餘機の飛行機に迎へられ、横須賀沖通過の際は、在泊の北上より皇禮砲を發し、兩艦は出迎諸艦と共に、午前八時半横濱入港、英國皇太子殿下は随員と共に文武大官の奉迎裡に御上陸、直ちに宮廷列車に召され、午前十時四十分東京驛御着、高橋首相以下文武の顕官を随へて御出迎へあらせられた攝政殿下と、固き握手を交換し給ひたる上、近衛兵を御親閲、直ちに参内、皇后陛下に御對顔、御慇懃なる御挨拶を交換せられ、御少憩の後、御旅館にあてさせられた赤坂離宮に入られた。/ その日午後我攝政宮にはウエールス公を赤坂離宮に訪はせ給ひ、天皇陛下の御思召に依り、公を名誉陸軍大将に推させらるゝ旨を傅へさせられたが、公は喜んで之を受けられた。/ 斯くてその夜は宮中豊明殿にて催されたウヱールス公御歡迎宴に臨ませられ、その後連日我國朝野の歡迎を受けさせられ、同月二十二日御退京、箱根、京都、大津、奈良、大阪、神戸、宮島等御巡覽の上、鹿兒島に行かれ、五月九日鹿兒島御出港、洋上にて御見送りの木曾、大井と別れを告げさせられて、御歸國の途に就かれた。(以下略)
  7. ^ 英海軍省はタイガー(HMS Tiger)で建造をひとまず打ち止めにする予定だったが、速力優先主義者J.フィッシャー提督第一海軍卿に復帰したことでアスキス首相の反対を押し切って、レナウン級の建造を推進した[19]
  8. ^ 英國皇太子殿下御來朝[30] 昨春我皇太子殿下の御訪英に依り東西二大國の親善は更に加はり、兩國皇儲の交情殊の外濃やかに渉らせる。次で英皇太子殿下には大正十年十一月熱誠なる同國民の奉迎裡に吾國に向つて御出航された、御途次埃及印度属領の御巡視を了へ、萬里の航程恙く大正十一年四月十二日を以て我帝都に御來着、我皇太子殿下には東京驛まで御出迎遊された。御旅館には赤坂東宮御所を以て充てらる。國賓の御旅情を慰むるため帝都には種々の催しあり、且つ熱誠こむる吾國民の歡迎裡に各地名所等を親しく御觀光あり、同五月九日鹿兒島御見物を名殘とし御召艦レナウン號に御乗艦、御機嫌麗しく御歸航に就かせられた。
  9. ^ a b 十九日親王は連日御多忙なる中に、海軍候補生として英艦乗組中なる白耳義第二皇子チヤールス親王を招待して、本邸に茶話會を催され、同國大使及其家族も亦参殿陪席した。二十一日夜親王は英皇儲と共に男爵三井八郎右衛門邸に於ける晩餐會に列席せられ、二十二日は横濱在泊の軍艦陸奥に先箸して同艦上に英皇儲を迎へ、海軍大臣の案内に依り艦内御巡覧の上、僚艦長門艦上に於ける海軍大臣主催の晩餐會に臨み、同夜御歸京、此日午後は白耳義皇子を主賓とせる宮中茶話會に参列せられた[32]。(以下略)
  10. ^ 依仁親王は接伴中に体調を崩した[34]葉山御用邸で療養したが[35]、同年6月27日に死去した[36]
  11. ^ 2 横濱港御上陸[37] 四月十二日朝、横濱御上陸の日は、前日來の雨が上つて、麗しい日の光りを仰ぎました。八時二十分、お召艦レナウン號は、防波堤内十號浮標に艦首を西に向けて靜かに碇泊しました。英皇儲殿下には九時四十分、各艦の皇禮砲殷々たる中を、艦載水雷艇で、四號岩壁に特設された浮桟橋を靜かに登られました。第二圖先登に立たせらるがそれで、左はお出迎への東伏見接伴宮殿下です。岩壁の上では、奉迎塔の左に並んだ海軍儀仗兵、陸軍儀仗兵を御險閲になり、歡迎諸員に握手を賜り、日英少女から捧呈する花束を莞爾としてお受けになりました。第一圖がそれです。第三圖は、殿下に花束を捧呈したホルム總領事の令嬢ドリンさんと、井上知事の令嬢豊子さんです。
  12. ^ 神戸では、1921年(大正10年)11月17日に進水した加賀型戦艦1番艦の加賀[44]、艤装工事中断のまま繋留されていた[45]
  13. ^ 25 嚴島御觀光[48] 高松港御遊覧後、殿下は更に景福丸で、宮島へ向はせられ、嚴島を御觀光になり、更に、御警戒のため随伴した軍艦木曾に乗御、呉にならせられて工廠を御覽後、更に廿六日振りに御召艦レナウン號で鹿兒島へ向はせられました。
  14. ^ 26 鹿兒島港御着[49] お召艦レナウン號は、五月七日朝靄を衝いて、日本における最後の御寄港地である鹿兒島灣に雄姿を現し、櫻島袴腰島の前に投錨しました。七十年前の文久三年英國の軍艦が生麥事件の償金を強要すべくやつて來て、薩軍から不意討をうけた處は、實にこの地點でした。艦載水雷艇は同所から殿下の御雄姿を乗せて、萬歳裡に鹿兒島第一棧橋に着きました。(レナウン号の艦尾写真)
  15. ^ 30 日本よさらば![52] かくて、英國皇太子殿下を乗せた汽船は午後二時靜かに、日本の南端、鹿兒島の第一棧橋を離れました。一路の御平安を祈つて市民は萬歳裡にお見送りしました。(上圖)下圖は、軍艦木曾御退艦の殿下です。御滯留約一箇月日本を去られるに際して、殿下が、日本國民への御挨拶は別紙の如きものでありました。
  16. ^ イギリス海軍は練習艦として巡洋戦艦タイガー (HMS Tiger) も保有していたが[5]ロンドン海軍軍縮会議で破棄され、1931年(昭和6年)に除籍、翌年売却された[54]
  17. ^ Henry Richard Sawbridge。サーブリッジ大佐とも[56]
  18. ^ 英海軍は第一次世界大戦時に迷彩の研究を試みていたが、塗装には費用がかかるため戦間期には単色を用いた[61]。このうち、「507C」は地中海艦隊などの熱帯・亜熱帯海域で活動する艦艇用、「507B」は本国艦隊などの南大西洋を主とする中間海域で活動する艦船用に開発されていたー[61]
  19. ^ シュペー艦長のハンス・ラングスドルフ大佐は1939年11月24日に「シュペーと同等程度の戦闘能力を有する連合国軍軍艦は巡洋戦艦リナウン (Renown) 一隻のみである。よって敵の水上部隊との交戦もあえて辞さない」との作戦方針を示した[65]。また11月26日作製の覚書の中で「六、敵掃討部隊中、最も大敵と考えられるものはリナウンである。」と述べた[65]
  20. ^ シャルンホルスト級戦艦の正式な類別は戦艦だが、イギリス海軍などから巡洋戦艦に分類されたこともある[66]
  21. ^ 12月15日、シュペーの士官は「水平線上にリナウン、アークロイヤル、随伴駆逐艦を視認した。」と報告した[77]
  22. ^ ドイツ側はユーノー作戦を発動しており、6月8日にシャルンホルスト級戦艦2隻がイギリス空母グローリアス (HMS Glorious, 77) とA級駆逐艦2隻を発見、砲撃で英軍艦3隻を撃沈した[93]ノルウェー沖海戦)。
  23. ^ 1940年(昭和15年)6月にH部隊(司令官ジェームズ・サマヴィル中将)が新編された時の旗艦はフッドだったが、フッドは同年8月になりイギリス本国に呼び戻されていた[94]
  24. ^ リュッチェンス提督とシャルンホルスト級戦艦2隻は、3月22日午前中にフランス西部のブレストに入港した[111]
  25. ^ ビスマルクに将旗を掲げていたのは、ギュンター・リュッチェンス中将であった[115]
  26. ^ 第39任務部隊指揮官はロバート・C・ギッフェン少将で、4月26日付で第99任務部隊と改称している[121]
  27. ^ レナウン乗組員はワシントンの艦内売店でお土産を買い漁った[124]。レナウンはワシントンに500ポンドソーセージを贈呈したが、戦時代用品のためワシントン将兵には不評だったので、捨てられてしまった[124]
  28. ^ 同迷彩は大型艦向けに開発された迷彩で、1942年4月より導入が始まった[126]。使用色は黒、濃緑色、灰色、淡灰色、灰青色、淡青色、濃灰色のうちから3、4色を用いた[126]
  29. ^ 1944年4月中旬のコックピット作戦、5月中旬のトランサム作戦、6月中旬のペダル作戦、7月のクリムズン作戦、10月のミレット作戦など。
  30. ^ 同迷彩は、モスグリーン(G45)及びブルーバック/濃青色(B15)の二色を用いた迷彩[61]。1944年9月から漸次的に本国艦隊に適用された迷彩で、スキームパターンはAからKの9種類(Iは欠番)が存在し、レナウンに対してなされたのはスキームA[61]
  31. ^ トルコ海軍の巡洋戦艦ヤウズ(元はドイツ帝国海軍モルトケ級巡洋戦艦「ゲーベン」)は1960年代まで運用された[128]。ただしトルコ共和国は第二次世界大戦の大部分を中立国として過ごし、連合国として参戦したのは1945年(昭和20年)2月23日である(第二次世界大戦の参戦国)。
  32. ^ イギリス海軍のレパルス及びフッドアドミラル級巡洋戦艦[129]、巡洋戦艦に分類されることもあるドイツ海軍のシャルンホルスト級戦艦[130]、フランス海軍のダンケルク級戦艦[131]大日本帝国海軍金剛型戦艦はいずれも戦没している[132]

出典

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  34. ^ 依仁親王 1932, pp. 297–300(原本481-484頁)
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  39. ^ #来朝諸事項 pp.11-12〔 二、棧橋ニテ奉迎スヘキ諸官 〕
  40. ^ a b c #英艦行動関係 pp.26-32〔 大正十一年四月二十九日 横須賀旗艦長門 第一艦隊栃内曽次郎 海軍大臣男爵加藤友三郎殿 横浜在泊四月十二日ヨリ同二十六日迠横濱ニ於ケル英艦「レナウン」及「ダーバン」迎接事項左記ノ通 右報告ス 〕
  41. ^ 答礼使御来朝(中) 1922, pp. 42–43新宿御苑の觀櫻御會(一)
  42. ^ #英艦行動関係 p.54〔 大正十一年四月二十六日 午後二時四十五分 横須賀發海軍省着(於横浜)第一艦隊司令長官 海軍大臣「ダーバン」ハ今朝六時「レナウン」ハ十時出港大阪ニ向フ/第一戰隊ハ茲ニ英艦迎接ノ任ヲ終リ長門ハ本職之ヲ率ヰ午前十時横須賀ニ伊勢ハ午後一時呉ニ向ケ出港ス 〕
  43. ^ #第3戦隊司令書(4) p.46〔 (附記)一.英艦「レナウン」及「ダーバン」ハ四月三十日神戸着五月四日神戸發「レナウン」ハ十一番浮標ニ「ダーバン」ハ七番浮標ニ繋留豫定/二.第三戰隊ハ神戸在泊中便宜「レナウン」ヨリ英皇太子旗軍艦用一 水雷艇用一ヲ借用シ置クコト 本件ハ海軍省及英大使館附武官間ニ交渉済 〕
  44. ^ 大正10年11月17日(木)海軍公報 第2737号 p.47」 アジア歴史資料センター Ref.C12070277700 〔 ○軍艦進水 神戸川崎造船所ニ於テ建造ノ軍艦加賀本日午前八時三十分進水セリ 〕
  45. ^ 大正11年5月1日(月)海軍公報 第2866号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C12070281600 〔 ○艦船所在 ○五月一日(略)【神戸】(旗艦)木曾、大井、加賀、潜三一、潜三二、潜四六、潜四七 〕
  46. ^ 大正11年5月6日(土)海軍公報 第2871号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C12070281600 〔 ○艦船所在 ○五月六日午前十時調(略)【航海中】(旗艦)木曾、大井(六日神戸發高松へ) 〕
  47. ^ 大正11年5月8日(月)海軍公報 第2872号 p.32」 アジア歴史資料センター Ref.C12070281600 〔 ○艦船所在 ○五月八日午前十時調(略)【宮島】(旗艦)木曾、大井 〕
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