各国の巡洋戦艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 00:52 UTC 版)
数字は完成年、完成時の排水量、速力、主砲、舷側装甲厚さ イギリス 巡洋戦艦を世界に先駆けて建造しており、戦艦並みの砲力、高速と引き換えの弱防御という、俗に言われる巡洋戦艦の定義を確立した。しかし個艦を見ると防御力は一律でなく、戦艦並みか戦艦に近い防御力を備えた艦も存在する。 インヴィンシブル級(1909年、17,373t、25ノット、30.5cm砲8門、152mm)インヴィンシブル、インフレキシブル、インドミタブル インディファティガブル級(1911年、18,500t、25ノット、30.5cm砲8門、152mm)インディファティガブル、オーストラリア、ニュージーランド ライオン級(1912年、26,270t、27ノット、34.3cm砲8門、229mm)ライオン、プリンセス・ロイアル、クイーン・メリー タイガー(1914年、28,430t、28ノット、34.3cm砲8門、229mm) レナウン級(1916年、27,650t、30ノット、38.1cm砲6門、152mm)レナウン、レパルス フッド(1920年、42,670t、31ノット、38.1cm砲8門、305mm) ドイツ国 厳密にはドイツ帝国海軍に巡洋戦艦という艦種は無く、第一次世界大戦までは装甲巡洋艦を含めて、全て「大型巡洋艦」に分類されている。 ナチス・ドイツの権力掌握後に建造されたシャルンホルスト級は、ドイツ海軍 (Kriegsmarine) において「装甲艦」に分類されている。同級を巡洋戦艦に分類するのは他国からの評価による。 フォン・デア・タン(1910年、19,064t、24.8ノット、28.3cm砲8門、250mm) モルトケ級(1911年、22,616t、25ノット、28.3cm砲10門、270mm)モルトケ、ゲーベン→後のトルコのヤウズ・スルタン・セリム ザイドリッツ(1913年、24,549t、26ノット、28.3cm砲10門、300mm) デアフリンガー級(1914年、26,180t、26.5ノット、30.5cm砲8門、300mm)デアフリンガー、リュッツオウ、ヒンデンブルク シャルンホルスト級(1938年、34,841t、33ノット、28.3cm砲9門、350mm)シャルンホルスト、グナイゼナウ 大日本帝国 筑波型と鞍馬型は1912年以前の命名であり、当初は一等巡洋艦(装甲巡洋艦)に類別された。ジェーン海軍年鑑は当初の類別を使用した。1912年(大正元年)8月28日付で巡洋戦艦が新設された頃には、速度性能は凡庸なものになっていた。 金剛型の場合、発注時の金剛は「伊号装甲巡洋艦」、比叡は「卯号装甲巡洋艦」、榛名は「第二号装甲巡洋艦」、霧島は「第三号装甲巡洋艦」であった。なお命名時の金剛は「伊号巡洋艦」だったが、巡洋戦艦の新設により比叡は「卯号巡洋戦艦」、榛名と霧島も同様に「巡洋戦艦」となっていた。 艦艇類別等級への登録は、金剛より比叡の方が早かった。1926年(大正15年)11月29日付の艦艇類別等級の改訂により初めて「金剛型巡洋戦艦」が新設され、「金剛、比叡、榛名、霧島」となった。 ワシントン海軍軍縮条約で筑波型の生駒と鞍馬型2隻が除籍解体され、金剛型が第一次世界大戦後の改修で装甲を戦艦並みとし速度も低下、さらに扶桑型戦艦や伊勢型戦艦の速力向上により、戦艦と巡洋戦艦の区別があいまいになる。1931年(昭和6年)6月1日付で巡洋戦艦の類別は廃止され、金剛型は戦艦に類別変更された。なお金剛型は第二次改装で速度性能を30ノットに向上させた。このことにより非公式ながら高速戦艦と呼ばれた。 筑波型(1907年、13,750t、20.5ノット、30.5cm4門、203mm)筑波(1917年1月14日、爆沈)、生駒 鞍馬型(1909年、14634t、22ノット、30.5cm4門、203mm)鞍馬、伊吹 金剛型(1913年、27,500t、27.5ノット、35.6cm砲8門、203mm)金剛、榛名、霧島、比叡(1931年6月1日に巡洋戦艦から戦艦に類別変更後、1932年12月1日付で練習戦艦となる)
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