井上孝哉とは? わかりやすく解説

井上孝哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 13:50 UTC 版)

井上孝哉の肖像写真

井上 孝哉(いのうえ こうさい、1870年11月7日(明治3年10月14日) - 1943年昭和18年)11月22日[1])は、日本の官僚政治家。元衆議院議員岐阜県出身。岐阜中学(現在の岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て東京帝国大学(現在の東京大学)卒業。

経歴

東京帝国大学卒業後、高等文官試験行政科に合格。内務書記官などを経て、1908年佐賀県知事に就任。1917年富山県知事に就任。1919年神奈川県知事に就任。1922年大阪府知事に就任。1923年内務次官に就任した。

1919年ごろ現職の知事も衆議院議員に立候補できる制度が制定された。当時この制度を利用していたのは井上孝哉と警視総監を務めた宮田光雄の2名だけであった。

栄典

外国勲章佩用允許

関連する人物

井上孝哉の親友には天皇機関説で知られる美濃部達吉立作太郎筧克彦俵国一ら東京帝國大学出身でそれも学者が多かった。学生時代井上孝哉だけが東京森川町に自宅を持っていたので、そこに集まり親交を深めたという。

父は本巣郡の地主であった井上昌治。孝哉は長男として生まれた[6]

妻の八重子は群馬県人であり小野立蔵の妹。東京の跡見女学校を卒業後、17歳で孝哉と結婚。三男四女をもうけ昭和16年3月62歳で他界した。昭和13年愛国婦人会理事に就任。死去するまで東伏見宮妃の側近として活躍する。

長男・濱介は東京府立第一中学校山形高等学校を経て東京帝国大学政治科出身の法学士、1928年に満鉄に入社して人事係主任などを務める[6]が終戦前に病死した[7]。次男・鮮介は東京帝国大学の経済学士であり、日本興業銀行に勤めた。他に長女・千代(夫は法学士の竹田武男)、次女・美恵(夫は法学士の池永茂樹)、三女・三起子、三男・正三、四女・末子があった[6]

井上孝雄(俳優)は嫡流の孫。長男・浜介とその妻・敬子の長男である。

石原三起子は三女、福島県知事・参議院議員・初代自治大臣を歴任した石原幹市郎はその夫である。元衆議院議員石原健太郎は孫、元福島県議会議員石原信市郎や、元衆議院議員で現福島市議会議員の石原洋三郎は曾孫。

脚注

  1. ^ 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年、61頁。
  2. ^ 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年、い21頁。
  3. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  4. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  5. ^ 『官報』第7200号「叙任及辞令」1907年7月1日。
  6. ^ a b c 東京岐阜県人綜覧』濃飛往来社、1938年https://dl.ndl.go.jp/pid/1090251 
  7. ^ 古賀董 (5 1965). “井上浜介氏の追想”. 満鉄会報 (満鉄会情報センター) 39: 11. https://dl.ndl.go.jp/pid/11435137. 

参考文献

関連項目

公職
先代
堀田貢
塚本清治
内務次官
第25代:1923 - 1923
第27代:1924 - 1924
次代
塚本清治
湯浅倉平




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